[]  [目次]  [



「何?」
「王都は術を強める環境だってな。俺の力を封じて、確実に止めを刺させたいなら、そこ以外あり得ないはずだ」
「っ、」
「違ったとしても、構わない。『黒』が『白』を殺すことはまず不可能だが、『失黒』を殺すのは簡単だってことを思い出して貰おうか」
 ほのめかされた部分を正確に把握し、スエインは舌打ちを禁じ得なかった。セルリアが頼りにしているのは『失黒』。女をどこへ隠し『黒』を迷わせようとしても、ラゼル・リオルドが死ねば、エルリーゼを守るために、残る彼女を出さざるを得ない。問題は、そこに至る経過だ。
 王宮の奥を守るラゼルを引きずり出す為に何が効果的か、――おそらく今の『黒』は手段を選ばない気でいる。『黒』の言葉に、三色の従者までもが顔を強ばらせた。
「……弱小国とはいえ、王都で暴れて、グライセラに批判がいかないとでも思ってんのか?」
「だからこそ、俺は今まで定められた規定を守って行動していただろう。それを無碍にしているのは、いつだってあんたたちだ」
「遂に、本性出すってわけか」
 下手な挑発だと思いながら、スエインは嘲笑の顔を作る。『黒』は僅かに眉を顰め、そうしてその目だけに怒りを忍ばせたまま、低く唸るように声を出した。
「国のために、全く関係のない人間をひとり、滅茶苦茶にしたあんたたちには言われたくない」
 テラが、はっと息を呑む。
「アスカが例えば、説得を受けてそれに負けて、俺に向かってきたのなら、それは仕方ない。だけど、あんたたちは、アスカの体も心も都合良く壊した。そんな奴らに、何で俺は、批難されなきゃいけないんだ?」
「……なら、ここでも暴れりゃいいだろうが。万全の守りのある王都よりも楽だろうがよ」
「『失黒』を今まで何の役にも立てさせなかったあんたたちが、今更地方都市のひとつを気にするわけないだろう」
 エルリーゼの身の安全を街に優先し、『失黒』を出そうとはしなかった事実を、『黒』自身が痛烈に批判する。ある種滑稽な指摘だが、スエインに反論の言葉はない。
「この街を破壊する理由はない。それに、ここに静かにやって来たのは、あんたの部下の決断に免じてのことだ」
「テラに?」
「『白』の、クローナの命令があったことは確かだけど、ちゃんと、何が間違ってるのか、国を守る軍人として何をすべきか理解して連れてきてくれた。だから、俺もそれに応えた。それだけだ」
 テラは、戸惑ったような視線を向けた。だが己の判断と気持ちを偽ることなく、硬い表情で頷いてみせる。
 俯き、スエインは固く目を閉じた。
「待てよ!」
 そうして再び、背を向けた『黒』を引き留める。
「どうしても行くってんなら、――俺を殺していけ!」
 叫び、スエインは腰に佩いていた剣を抜きはなった。扉の外の光を受けて、白く、鋭く光る。
「来いよ、お前なら、一瞬で殺れるだろうが!」
「先輩!」
「テラは下がってろ!」
 刃を向ければ、テラは硬い表情のまま後退った。彼女の信頼を損ねるような行動に後悔を覚えながら、それでもスエインは内心で胸をなで下ろす。
 振り向いた『黒』は無言だった。蒼褪めたまま成り行きを見守る従者に諮ることもなく、凝とスエインを見つめている。真意を探るような、問いかけるような視線に、だが、同情の色はない。
 それでいい、とスエインは思う。全てを話した後で、頼む、と言った。しかし、情けを受けたくて話を聞かせたわけではない。結局の所ただ、元凶に通じるものに、全てをぶちまけてしまいたかったのだ。
 一度はテラに向けた剣を、『黒』に向けて構え直す。何度も訓練を繰り返した体は素直に反応したが、それを持続させるには相当の努力が必要だった。
 あからさまな挑発に、むしろ赤い髪の男が気色ばむ。だが、罵る声が発せられる前、一歩踏み出しかけた彼を制し、『黒』がゆっくりと剣を構えた。目を眇め、スエインは僅かに距離を取る。
 『黒』に殺意はなかった。スエインの強情に付き合うべく、わざと挑発に乗ってくれたということだろう。
 湧き起こる恐怖を抑え、スエインは『黒』へ向けて剣を振りかぶった。動きにくい室内ではあったが、天井は高く、縦に制限はない。刃のかみ合う甲高い音に続いて、スエインは強引に鍔で『黒』の剣を押した。
 第二撃に備えて引く準備をしていたのだろう。僅かに目を見張った後、『黒』は後方へとたたらを踏んだ。そのまま、室内よりも広い通路へと躍り出る。
 『黒』に構え直す間を与えず、スエインは鋭く剣を突き出した。凶器は狙い違わず、獲物の喉に命中する。だが、本来なら喉を裂かれ絶命しているはずの相手は、小さく呻いただけだった。空いていた手で剣の腹を叩き返し、体を捻って横に逃げる。一滴の血も流れていない。確かに当たったという証拠に、針で突いたような小さな発赤が出来ているだけだった。
 やはり、『黒』を傷つけることはできない。本能が感じた戦慄に、スエインは全身の毛を逆立てた。
 勝てない、否、自分では『黒』を止めることなどできはしないという事実が、スエインの気力と決心を揺るがせる。『黒』の剣技は彼に比して優れているわけではない。ただ、常人ならば防ぐ、躱すといった防御に当てられるはずの能力が全て、攻撃に換算される。その差は如何にも大きかった。『黒』の『黒』たる所以である、剣技など話にもならないほどの術力を、敢えて封じていてくれたところで、結果は目に見えている。
 それでも、スエインは全力を尽くして『黒』へと立ち向かった。テラや従者たちが割り込む隙もないほどに速く、容赦ない攻撃を繰り返す。
 静かなはずの夜に、鋭い剣撃の音が響き渡る。打ち、返し、弾き、突き、薙がれて引く。
 吹き出る汗と壊れそうなほどに叩く心臓、上がりきった息を肩で補い、スエインは重くなる一方の腕を無理矢理に『黒』へと振るい続けた。長く、長く感じられたが、実際の経過時間はおそらく数分。
 額から流れ落ちた汗に反射的に目を閉じた、その瞬間を逃さずに、『黒』がスエインに肉薄する。気付いたときには既に遅かった。
「――っ!」
 声にならない悲鳴を上げ、飛び退いたスエインの手から、剣が叩き落とされる。そのまま、剣の柄で肩を叩かれ、スエインは堪える間もなく後方へと倒れ込んだ。
「先輩!」
 駆け寄ろうとするテラを手で制し、スエインは声を絞り出す。
「――殺せよ」
 逡巡。だが結局、『黒』は首を横に振った。
「情けをかけるなら、もう、殺してくれ」
「断る」
「何でだ? 今更、ひとり殺ったところで、一緒だろうが」
 挑発と本音の区別の付かないところで、スエインは唇を噛む。だが、『黒』が頷くことはなかった。


[]  [目次]  [