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「迷っているように、見える」
「何?」
「俺を止めたいのに、国の行く方向に全力で参加したいのに、できなくて燻っているように見える」
「……何が、判る……」
「死にたいわけじゃないだろ? あんたは今、生きてる。過去に『黒』に苦しめられたとしても、この何十年かが、あんたに何も与えてくれなかったわけじゃないはずだ。そんな、生きてるからこそ得られたことを、無に帰すのか?」
「――お前に、何が判る! お前が、俺たちの前に現れなければ、何も起こらなかった!」
 叫び、スエインは床に拳を叩きつけた。
「何故、セルリアを苦しめる。お前等が国へ帰ってくれさえすれば、俺たちは追いかけたりなんか、しない。今までみたいに、国元の『白』のもとで、過ごせばいいだろう。何で、そこまでしてセルリアの『金』を求めるんだ!」
「最期だからだ」
 冷めたように静かに、『黒』は即答を返す。
「後にも先にも俺一人が『黒』であるなら、俺は何もしない。何もしなかった。だけど、俺が死んだところで、『黒』という呪いの連鎖は続く。なら、俺が、ここまで長く生きたのは何のためだ? 生まれてすぐに殺されず、こうして旅の出来る立場にいるのは何故だ?」
「――ただの、偶然だ。白の国王の血縁に生まれた、ただそれだけだろうが」
「そうかも知れない。だけど、国の占術師は未来を視た。セルリアの金が手がかりになると」
「はっ、何の手がかりだ? お前っていう化け物が、この先も生き続けるための手がかりか?」
「違う」
 鋭く、強い否定を振り下ろし、『黒』はスエインの嘲笑を切り裂いた。
「『黒』にまつわる悲劇を無くすための、だ」
 スエインは驚愕に、目を見開いた。
「グライセラには、伝説がある。かつて国を開いた者は『黒』であり、彼は生涯狂うことなく国をまとめたと。その時代には黒い髪の女がいたと。『黒』がその一生を破壊と災厄以外をもって語られるのは、後にも先にもこの一例だけだ。幾つもの国で調べたけど、これだけだった」
 大陸を旅した『黒』も確かに称賛されてはいるが、やはりまだ若い内に狂い、最期の暴走を迎えて『白』に討たれている。
「だからこそそこに、『黒の守護者』という存在に、『黒』の持つ呪いに対抗する手段があると思う。だけど人は、『黒』に対する全てに目を閉じ耳を塞ぐ。ないものとして目を逸らす。殺す、封じる以外のことを考えようとはしない。だから、『黒』である俺自身が、呪いの連鎖を断ち切ろうと思ったんだ」
「――そんなこと」
「できないと、決めつけているから、いつまで経っても人は、『黒』の呪縛から逃れられない」
「!」
「セルリアにかつて起きた悲劇に、俺が口を挟むことは出来ない。そんな資格はない。だがあんた達は、かつて試みた勇気を封じ、この先も永遠に、『黒』の脅威に竦み、『黒』がどこに生まれるかと怯えながら生きていくつもりか! 俺は、――俺は、『黒』と関わった者の悲劇を知ってる。だからこそ、無くせるものなら、無くしてしまいたい」
「知ってる、だと?」
 スエインは、ぎり、と奥歯を噛み締めた。
「そんなもの、お前でなくとも知ってる。第一、お前自身も、災厄を撒いて生きてきたんだろうが……! お前が旅さえしなきゃ、ナルーシェの街は消えなかったんだろうがよ!」
「俺に、ナルーシェという犠牲を捧げたのは、あんた達だ」
「なに……」
「俺たちが、自らの意志で狂うと思っているのか? それは違う。そうなるのは、本当に最後だけだ。制御が利かなくなるのはいつだって、――あんたたち、『黒』でない者が、俺たちに強い怒りや絶望を与えたときだけだ。小細工などせず、あの荒野に、金の王女が来ていれば、そうはならなかった」
「っ……!」
「勿論、実際に殺してしまった人たちに、こんな言い訳が通じないのは、わかってる。詭弁だって、知ってる」
 『黒』は静かにため息を吐く。僅かな沈黙。
 そうして彼は、迷いのない目でスエインを見据え、澄んだ声で思いを口にした。
「だけど俺は、――俺はもう駄目だけど、この先の為に、ひとつでも多くのことを残したい。後世に繋げられるなら、いつか、人が『黒』を怯えて暮らさずに済む時がくるなら、俺自身は、何と罵られようとも構わない。だから俺は、セルリアの金を求めた先に、『黒の守護者』の謎を解く手がかりがあるなら、誰を傷つけても、そこに向かう」
「……『失黒』が、あの女が前に立ちはだかっても、か」
 はじめて、『黒』ははっきりと表情を変えた。辛そうに顔を歪めて目を逸らす。だが、逡巡はごく僅か。再び顔を上げたとき、彼の顔には迷いも誤魔化しも存在しなかった。
「出来る限り、アスカは守る。俺の方に少しでも余裕があるなら、アスカを助けることを優先する。だけど、俺の求めることを彼女が阻むなら、容赦はしない。俺は、死んでやるわけにはいかない」 
 言い切り、『黒』は真正面からスエインを見つめくる。
 ああ、とスエインは思った。
 『黒』は真実、その思いを貫くだろう。必ずやって来る後悔を知りながら、茨の道を行く。その覚悟は、あまりにも重い。『白』から与えられた恩と深い深い孤独が、悲壮なほどの決意を彼に抱かせた。
 言い切った『黒』と返す言葉を失ったスエイン。両者の思惑はそれぞれの胸中で揺れ、耳に痛いほどの沈黙がおりる。他の五人には言葉もなく、ただ、隙間風の音だけがか細く通り過ぎていった。
 やがて、スエインは長く息を吐く。
「……けよ」
 俯き、額に掌を当て、掠れた声を絞り出す。
「行けよ、王都だ」
「……先輩」
「住民は今夜中に避難させる予定だ。王宮まで突っ走れる。ただそこで、足止めと『失黒』が待ってる。ラゼル・リオルドじゃねぇ。完璧に調整するって、王都に運ばれた」
 調整の意味はさすがに言えぬまま、スエインは通路の奥を指し示す。
「大見得切ったんだ、……ケリつけてこい」
 迷うような数秒の後に、『黒』は剣を収めたようだった。
 靴音が床を叩き、紛れ込んだ砂が鈍い音を鳴らす。止まっていた時間が流れ出すように、大きく大気が動く。そしてそれに紛れるような小さな声。
「……ありがとう」
 鼓膜の伝える意味に、スエインは目を見開いた。何故という思いとあり得ないという気持ちが混ざり、俯いたまま遠ざかる足音を耳にする。何も言えなかったのではない。何も言いたくなかった。それが彼の意地だった。どうしようもなく、情けない。それは自身がよく判っている。
 完全に足音が消え去ってから、スエインは深々と息と吐き出した。
「テラ」
「……はい」
「頼まれてくれるか?」
 何を、というように、テラがスエインを見遣る。
「俺と、お前とバルドの分の獣が残ってるはずだ。調整して、あいつらに、渡してやってくれ」
 テラは息を呑む。だが、何故と問い返しはしなかった。無理矢理のようにぎこちない笑みを浮かべ、上司に向かって肩を竦めてみせる。
「高く付きますよ」
「セルリアが滅びずに済んだら、幾らでも奢ってやる」
「期待してますね」
 今度は自然な笑みを浮かべ、テラは『黒』たちの去った方向とは逆へと足を向けた。国の方針を裏切る行為だというのに、彼女の足取りは軽い。父親を殺した『黒』を憎いと言い切った彼女だが、直面する現実との間で彼女なりの結論を導き出したのだろう。
「それが、答えか……」
 呟き、掌をじっと見つめる。
 大きくなった。傷も増えた。だがその手には何も掴めていない。
 逡巡。そしてスエインもまた、彼にしかできない仕事をすべく、その場を立ち去った。
 


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