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(13)

 王都に、陽が昇る。
 地平線を割り乾いた大地を白く染める鮮やかな夜明け。夜気を残した冷たい空気と、息を潜めるような奇妙な静寂は、しかしどこか、滅びた王国の侘びしさを思わせた。
 平常であれば朝市に水汲みにと、忙しく歩き回る人で賑わう表通りも、今は閑散としている。人ひとり、虫一匹いない道には、景観の素晴らしさとは真逆に、暗雲の予感が立ちこめていた。
「……開いているようです」
 呟いたのはラギだった。むろん彼も、ジルギールがそれに気付いていることは承知の上だろう。これから起こる事への懸念が、つい、口を突いて出たという様子だった。オルトやユアンもまた、硬い表情でそびえ立つような城門を見つめている。
「ありゃ、普段は閉じてんだよな?」
「勿論。わたくしがこの間来たときには閉じてましたわ。第二門は、通る為に身分証明が必要となる門ですもの」
 奥深く、王宮へ向かうにはいくつもの門を通らねばならない。それはジルギールたちの国であるグライセラでも同様であり、つまるところ世界準拠なのだろう。国をまとめ人心を買い、人をもって国の形を守り、厚い壁と重い扉で中枢を堅守する。権力者というものが所詮人を信じてはいないということの現れか、猜疑心の壁が現実となって層を作っていくのかは判らない。
 速度を落とさぬまま、ジルギールは幅の広い城門を越えた。その先に広がる町並みは、門以前よりもはっきりと判るほど整備され、もはや雑多な人々の立ち入れる場所ではないことを如実に示す。建物自体に何度も補修された跡が残っているのは、この国が古くから連綿と続く国であるという証拠だろう。
 その更に奥に姿を見せる、青い優美な城。
 目を眇め、目指す場所を見つめたジルギールは、ふと、頬を切る風の質が変わったことに気が付いた。
「オルト!」
 怒鳴りながら、獣から飛び降りる。オルトの名を呼んだのは、彼が一番、ジルギールの呼びかけに冷静に対処できるからだ。クローナは勿論、ラギやユアンという旅を共にしていた面々でさえも、咄嗟の呼びかけには拒絶を示す。無論、それは一瞬のことで、故に普段気にすることはないが、今、ジルギールが感じたものは、急を要することだった。
 言わんとすることを正確に察知し、オルトは横に向けて意味ありげな視線を送った。ラギとふたりで乗っている獣を操作していたユアンが、少し首を傾げた後に口を引き結ぶ。
 注意が伝わったことを確認し、ジルギールは正面に長く続く道へと目を凝らした。平坦な土地、雲一つない空のもと、大気の状態が急に変わることはあり得ない。つまり、この先に何かが仕掛けられている。
 普通の人間であれば、気付くことはなかっただろう。だが、死期も間近な『黒』の感覚、そして目には明らかだった。あと数秒、その先に濃い術の膜がある。
「――降りろ!」
 ひと呼吸、声を上げながら自らも獣の背から飛び降りたジルギールは、地に足を付けた瞬間、それが本当にギリギリのラインであったことに息をもらす。
 手綱から流れる術力が途切れたにも関わらず、疾駆する勢いのままに数歩先に進んだ合成獣が、膜に触れた途端に弾かれたように地響きを立てて昏倒した。厳密に言えば、もともと意志を失った騎乗生物であり、その表現はおかしいのかも知れない。だが、あわやという段階で難を逃れた面々には、そのようにしか映らなかった。
 立ちすくむクローナを押しのけるようにして、ラギが前に進み出る。獣の倒れた位置でおおよその見当を付けたのだろう。彼には見えない膜の前で正確に立ち止まり、掌を面にして力の在処を探り当てた。
「肉体に直接害を与える類のものではありません。おそらくは、雷のようなものを帯びた術のようです」
 つまり、殺すことを目的とした術ではないということだ。時間稼ぎともとれる代物だが、飛鳥を操作する術を完璧に仕上げるために、少しの時間でも稼ぎたいのだろう。
 王宮へと、まだ道は続く。その間にはまだ物理的な門がそびえている。例えばこの術が正確に作動し、ラギ、ユアン、オルトのうち一人が欠けでもすれば、ジルギールの歩みはそこで止めざるを得ない。――否、セルリア側は、止めざるを得ないだろうと確信に近い推測をしている。
 嗤い、ジルギールは一歩足を進めた。ほぼ条件反射とも言える反応で、ラギがその場を彼に譲り渡す。控えた、というよりは逃げたというべきか。むろん、ジルギールには、今更咎める気も起こらない。
 意に介さぬという当たり前の反応を返し、彼は膜の前で一度、強く片足を踏みならした。
 瞬間、鋭く、高く、ものの裂ける音が響く。その場に居合わせた全員の体を、僅かな痛みと瞬間的な痺れが貫いた。苦痛と言うほどではなく、強い静電気に当たったという感覚が一番近いだろう。
「くだらない」
 術に込められた力以上の術力を以て、効果を消す。
 ひと動作で術を消し飛ばしたジルギールを見て、最も近くにいたラギは震えたようだった。単純と言えば単純な打ち消し方だが、相手の術者の力量が判らぬ状況で使える術ではない。どんな者が相手であろうと考慮するに及ばない、圧倒的な力を持つ『黒』ならではの強引な手法と言える。
 煩わしげに髪を掻き上げ、ジルギールは視線を横に薙いだ。
「ラギ」
「……はい」
「今更、化け物の力に怯えてどうする」
 名指しの指摘に、ラギはますます姿勢を固くする。
「ラギだけじゃない、ユアンも、オルトもだ」
 醒めたような無表情で、ジルギールは後ろを振り返った。
「付いてこいと俺が強制したことはない。陛下からの命令はあっただろうが、それでもここまで付いてきたのはあんたたちの意志だ」
「……」
「仕方なく、だったんだろうが、もう少しの我慢だと思ってくれ。ここまで来たのなら、せめて、これまで苦痛を押して付いてきた旅の最後を、見届けて欲しい」
 一度だけ三人を見回し、しかし、反応は確かめずに背を向ける。
 もの言いたげな視線を受けながら、ジルギールは青く輝く城を見据え、ゆっくりと歩き出した。

 *

 『黒』の一行と別れ、途中で普通に馬に乗り換えたテラは、不眠不休で本陣までの最短距離を駆け抜けた。純粋な速度を比すれば合成獣に劣るとは言え、自分の意志で動く馬の方が安定性は遙かに高い。テラの持つ土地勘を合わせれば、操作の都合上、広く障害物の少ない道しか通ることの出来ない『黒』たちに先行するのは思ったよりも容易だった。道や街に人が居なかったことも、皮肉ながら幸いだったと言うべきか。
 軍人以外の者の立ち入りを禁ずる検問も勿論存在したが、軍人としての階級を最大限利用したこともあり、テラは殆ど咎められることなく王宮へ上がることとなった。同じ大隊に所属する兵がまだそれなりに王都に残っており、身分を保証してくれたことも大きいだろう。
 だがテラには、通常の融通が利くということ自体に危惧を覚えた。先の『黒』との一戦について、全てが正確に伝わっていたのであれば、こうもスムーズに行くことはなかっただろう。先に退いた者たちに大幅に遅れて到着すると言うことは、『黒』の暴走がもはや必至だったという状況からしても、穢れに触れたと、身分関係なく追い出される理由になる。


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