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「『失黒』の負けです。約束は果たして貰います」
 響き渡った声に、ざわめきが広がった。広場を埋め尽くすほぼ全員の目が、直視できぬ『黒』ではなく国王へと注がれ、息を呑む。ラゼルの介入故に勝負は無効だと唸る者もあったが、勝負による決着を持ち出したのがセルリア側であるだけに、声高には罵れないようだった。ラゼルの行動と死があまりにも衝撃的であったということもあるだろう。
「国王」
 重ねて、ジルギールは決断を迫る。だが、国王は応えない。
 ふたり分の血がこべりつく掌を握り締め、ジルギールはその場に立ち上がった。
「お前たちはまた、約定を違えるか!」
 咆吼に、兵たちはすくみ上がる。
 怒りとその覇気が力を生み、『黒』を縛っていた術に抗した。勢いをもって術を弾かれた術師たちが、一斉に昏倒する。
 それを攻撃と見て取ったか。一部の逸った小隊が弓矢を構えるのと、倒れた術師の周辺が殺気立つのは殆ど同時だった。来るなら来いと、ジルギールは取り囲む人々を目で一巡する。
 そしてその不敵な目は狙い違わず、充分すぎる起爆剤となった。
「死ね!」
「出て行け、出て行けよ!」
 叫び、続く集中砲火。矢と火炎の猛襲を受けながら、ジルギールは微動だにしない。飛鳥とラゼルの遺体を守る防御壁だけを展開しつつ、発作にも似た攻撃が止むのをひたすら待ち続けた。終わりが来たとき、兵たちは自分が攻撃していたものがなんであったかを再認識するだろう。そして、それが自分たちの手で斃すことは叶わない事実に直面する。抵抗するだけ無駄なことだと悟らせる、それがジルギールの目的だった。
 むろん、『黒』に向けられた敵意と攻撃の全てが、彼に命中したわけではない。
「危ない!」
 未だ術の残滓を引きずり、思うように動けずにいたユアンとオルトの前にクローナが立ちはだかる。体力、気力ともに限界に近いラギが止めるまでもなかった。
 身を以てふたりを庇ったクローナが、その場に崩れ落ちる。保持し続けていた結界の効力は、自身を守る余力を残していなかったのだろう。減殺され、勢いを無くした矢はしかし、無抵抗な少女の皮膚を鋭く切り裂いた。
「クローナ!」
 掠れた声を上げ、立ち上がるオルト。ほんの一時とは言え結界に包まれたが故に、それまで身を毒していた術の効果も消え失せたようである。ユアンもまた、呻きながら身を起こした。
 膝を突いたクローナを支え、何か言いかけるように口を開くオルト。無茶な行為に対する苦言でも吐こうとしたのか、表情は苦い。
 だがそれが声となる前に、突然、豪雨のような攻撃がぴたりと止んだ。
「グエン・エシュード……」
 呟き、ジルギールはセルリアの司令官を睨む。上げていた片手を下ろし、グエンもまた、彼を見下ろした。無表情に近いが、目だけは強烈な殺意と憎悪を宿している。
 地面に散乱した矢を殊更に踏みつけ、ジルギールは一歩前へ進み出た。
「これでもまだ、抵抗するというのか?」
「お前がこの国に居る限り」
「国王の約束とやらも、信が地に落ちたようだな」
「陛下は無関係だ。これは、国民が己の意志に準じて動いているに過ぎない」
 その言葉の意図と、今この状況でグエンが出たという事実を分析し、ジルギールは短く舌を打った。グエンの背後で、息を吹き返した術師たちが不穏な動きをしている。
「また、事情も知らない奴らを犠牲にするのか!」
「お前が抵抗しなければ、用意した術力で事足りる」
「!」
「お前はその力を持って、言うことを聞けと脅迫する。ならばこちらも、同じ手段を用いるだけだ」
 咄嗟に何も言えず、ジルギールは言葉を詰まらせる。そしてその僅かな間に、グエンが再び腕を上げた。
「……オルト!」
 動けない。動くわけにはいかない。それ故に、ジルギールは懇願するように叫ぶ。
 そしてこの日。終着点を見出したはずの状況は、再びその体を翻した。

 *

 莫迦な、とグエンは喉を鳴らした。
 脅迫でも命令でもない、『黒』の発した曖昧な「頼み」を聞くなど、到底、彼には信じられる話ではない。だが現実、『黒』に名指しされた赤い髪の男は、迷う素振りすら見せずにその願いに従った。
 『黒』の語尾が消え去るよりも速く、長旅にすり切れた靴が地面を蹴る。
「動かないでいただきたい」
 一瞬の動揺、その隙にグエンは囲まれていた。喉元、鋭い刃が薄皮ギリギリのところで制止している。それもひとつではない。――三つ。見事な連係というべきか。先に駆けだした男の意を悟ったと言うよりは、他の二名が彼の行動を補助する形でセルリア兵の虚を突いたのだろう。
 完全に抑え込まれた形となったグエンは、しかし、すぐにもとの冷静さを取り戻し、驚異的な速さで現れた三人をゆっくりと見回した。
「グライセラが、牙を剥くか。国際問題に発展するぞ」
 虚を突かれたとは言え、グエンの見立てではけして劣勢ではない。三対一だとしても、その三人が本気でグエンを殺せる立場にないことを思えば、現状自体に憂慮すべき事はなかった。上げていた手を下ろし、反対側の手を剣の柄に掛ける。
 大胆にして不敵、そんな彼が危惧していることはただひとつ。『黒』の暴走とセルリアの崩壊、それだけだ。
「これまでお前たちが必死で守っていた言い訳を遂に捨てるというなら構わんがな」
「これは異な事を」
 緑の髪の男が嗤い、グエンの前に回り込む。
「先に攻撃したのはあなた方です」
「なに?」
「我が国の次期国王候補であり、『黒』のことを見届けるためにやってきた『白』の代理を不当に傷つけたのはセルリア軍です。我々は、本来なら賓客として遇し、警護しなければならない義務を怠ったあなた方に代わり、場の沈静化を試みているに過ぎません」
「詭弁だな」
「ですが、言い分としては成り立ちますのでね」
 けして、セルリア側が滞在を許可し、受け入れたわけではないとしても、『白』の代理人がその身分を隠していたわけではない以上、国としてはそれ相応の対応をする必要が生じてくる。偶発事故であれば知らず、相手の身分をそうと知りつつ、忠告も保護行動も取らぬまま攻撃対象として扱った事実は重い。
 男の言葉は、主に後方で成り行きを見守っていた文官たちを蒼褪めさせたようだった。
「命令の撤回を。――私たちは『黒』の為に言っているのではありません」
 始めに飛び出した赤い髪の男であればまだ知らず、残りのふたりにとっては真実そうなのだろう。彼らは『黒』の頼みに従ったと言うよりも、グエンの意図することを止めるために動いたと言った方が近い。
 なるほど、とグエンは思う。
 彼らは、正しい。周辺諸国への言い訳としても充分に通じるだろう。急場、考える隙もないほどの状況下でよく考えついたと言わざるを得ない。
 だがグエンは、表情も変えぬまま、むしろ億劫そうに口を開けた。
「構わん、やれ」
 グエンの一言に、三人の得物が揺れる。
「最大出力でやれと術師どもに伝えろ」


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