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「莫迦な!」
 叫んだのは、赤い髪の男だった。目を見開き、奥歯を噛み締める。
「仲間の命をなんだと……!」
「それでも、だ」
 そうして、グエンは再び後方に控えるセルリア兵に術の開始を命じた。青い髪の男が不快気に強く眉根を寄せる。
 だが、怒りに震えるグライセラの面々とは対照的に、グエンの部下たちは、蒼褪めながらもはっきりと頷いた。一拍、何かに思いを馳せるような間を置いて、最も後方に位置していた兵が、術師たちのもとへと走る。
「意外か、グライセラの」
「あなたがたは……正気か」
「正気だとも。何がおかしいことなどあるか」
「自分たちは、術が為されたとしても、それが限界を超えて人の命を求めたとしても、助かると見込んでの事か!?」
「ほざくな、小童ども」
 目を眇め、グエンは『黒』の伴を鋭く見返した。
「死地を知らぬと思ってか? この近くに居る面々は、かつて『黒』と遭い、生き延びた者ばかりだ。皆とうに、覚悟などできている」
「!」
「誰も忘れてはおらん。あの日の無念と悔いを、お前たちに理解して貰おうとは思わんがな」
 言い、グエンは嗤う。その半分以上は、自分に向けてのものだった。
 彼は、『黒』が大人しく術に屈するなどと楽観的なことは考えていない。『黒』は抵抗するだろう。だが、そんな彼を抑えるために更なる術力を必要とする事態が生じても、グエンは諦めるつもりなどなかった。
 セルリア王家の根絶は、セルリアそのものの消滅を意味する。王家という柱を失った小国は次の旗を決めるための内乱に荒れ、周囲からじわじわと食いちぎられて行くだろう。長年、王の近くで国の有様を見続けてきたグエンには、その様が目に浮かぶようだった。
 国が方向を見失い、滅びるのは歴史のひとつだ。だが、『黒』によりそう導かれることだけは、グエンには許し難かった。
「儂を殺すか? それでも何も止まらんぞ」
「……っく」
 挑発に、赤い髪の男の拳が、不快感、否、怒りの感情にか小刻みに揺れる。彼の変化を察知したか、『白』の力を有する女が命令にも似た声を上げた。
「止めなさい、オルト・フィエダ!」
「何で止める!?」
「その方を傷つけても、事態は悪化するだけですわ」
「だけどよ! あんな非道、許さないとお前も言っただろうが!」
「言いましたわ、でも、でも……!」
「全部ぶちまけりゃいいだろうが!」
 叫び、男は『白』の代理人を促した。彼自身は、グエンを止めるためにその場から動くことは出来ない。大声で叫んだとしても、反響効果のないこの場では伝わる範囲に限界があるだろう。
 だが、女は躊躇ったようだった。正しい、とグエンは思う。
 自軍の司令塔の言葉と、敵対国と言っても差し支えない国の者の言葉、どちらを優先されるかは想像するまでもない。彼女の説得は無駄に等しいだろう。テラ・マルロウは仇為すとして捕らえている。他に真実を知っている者は王都にはたどり着けず、リーテ・ドールはあまりに遠い。
「それで、終わりか?」
 言葉に非情の色を乗せ、グエンは『黒』の従者たちを追い詰める。
「迷っている間にも、術師どもは準備を始めているぞ」
 そうして、視線を転ずる。
「お前の覚悟は、その程度か? 『黒』よ」
「……!」
 固く拳を作り、『黒』は射殺しそうな目をグエンに向ける。その強さに本能で畏怖を覚え、グエンは一度喉を鳴らした。
 無条件に降伏したくなるほどの恐怖が襲い来る。だが萎えそうになる体を気力でねじ伏せ、グエンは真正面から『黒』を見返した。
「団長!」
 同時に、遠くから声が上がる。
「準備、整いました!」
「……!」
 震える切っ先。それが皮膚を裂くのも構わず、グエンは確かめるように頷いた。
 そうして、一度は攻撃を止めるために上げた手を、今度は混乱を起こすために上げる。下ろされたとき、ふたつの覚悟が真正面から火花を散らし、競り負けた方が滅びるだろう。
 機を察して静まりかえる広場。グエンの指が、その位置を下げる。
「貴様!」
「オルト!」
 憤怒と、制止と、
「止めろ!」
「殺れ!」
 懇願と宿願。
 幾つもの願いと思惑と、嘆きと歓喜、渦巻く感情。
 そして、グエンは腕を振り下ろす。
 瞬間。
「!?」
 突如吹き荒れる風。咄嗟に人々は目を閉じ、顔の前を腕で被う。同時に、露出した皮膚に当たる小さな感触。
 おそるおそる薄目を開け、――そうして人々は言葉を失った。

 ざぁ、と紙吹雪が全ての者の前で舞う。

「……?」
 何ごとか、と、状況を忘れて見回す人々。それは、グエンや『黒』もまた例外ではなかった。
 何もないはずの空から間断なく舞い降りる紙吹雪。風に煽られ、不規則に踊る。
 やがて、それを訝しげに手に取った人々が、悲鳴に近い声を上げた。
「……これは!」
 グエンもまた、その紙、否、折りたたまれた紙片を開き、驚愕に目を見開いた。
 ――警告文。
「どうしてこんなものが……」
 呟き、女は気付いたように口に手を当てた。
「リーテ・ドールからですわ!」
 『白』の代理人が上擦った声を上げる。その驚きに満ちた声が、聞こえた者からその近くの者へ、次々と伝播する。全員に情報が行き渡るまで、一分も要しなかっただろう。
 スエインか、とグエンは低く嗤う。
「おい……こりゃ、なんだよ」
「何、……これ」
「先に『黒』討伐に連れてかれた、第一師団の奴らじゃねーのか?」
 全文より先に文末の署名を見て、皆が戸惑いを言葉に乗せる。


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