[]  [目次]  [



(14)

 飛鳥が目覚めたとき、状況は一変していた。医療機器よろしく、彼女の周辺を囲む謎の装置が、動きに合わせて不愉快な音を響かせる。
 真っ先に部屋に駆けつけたのはユアンで、飛鳥と目が合うや、そのまま飛び出していってしまった。後のクローナの情報によれば、彼とほかのふたりは、飛鳥が目覚めるまでの二日間、交替でセルリア人、主に術師が不穏な行動をとらないかを監視していたとのことである。
 そうして、眠っては目覚めることを繰り返す飛鳥のもとを、数少ない知り合いが入れ替わり立ち替わり、見舞いに訪れた。その中に、国王の姿があったことは特筆すべき事だろう。
 術師は主に、寝ている間の異常を補正するために部屋にやって来ているようで、目の醒めた状態で飛鳥が彼らを見たのは、はじめに気が付いてより丸一日経った後のことだった。
「体調はどうだね?」
 問うた相手を見て、反射的に戦慄が走ったのは致し方ないと言えるだろう。彼、ルエロ・ベルガは、相変わらずの無表情で、飛鳥の体をこの世界で目覚めた時点の状態に戻したと説明した。饒舌な方ではないように見えるが、研究と術の話は別であるらしい。覚醒後の飛鳥に長々と現状に至る処置を語った後、ついでのように、明日元の世界に戻すと告げて去っていった。そこに無論、良心の呵責などは欠片もない。そういう必要が生じたからそうする、といった、事務的な言葉だった。
 相手の都合に関してここまで無頓着となると、いっそ天晴れというべきか。自分が飛鳥にしでかしたことについては、何の悪気も感じていないのだろう。おそらく彼は、必要とあらば自分の身さえも無感動に差し出すに違いない。
「還れるのかぁ……」
 無理だと聞いて一時は絶望したものだが、禁術故に一部で誤解が生じていたらしい。
 緩く首を横に振り、飛鳥はそのまま枕へと頭を投じた。完璧な処置を施したとルエロは語っていたが、それでも、全身倦怠感だけは強く残っている。
 目を閉じ、元の世界へと思いを馳せ、そのまま再び眠りに落ちる。
 次に目覚めたのはその日の夜半。控えめなノックの音に気付いてのことだった。

 *

 繰り返される小さな音に、飛鳥は短く苦笑した。目覚めはしたが、大きな声を出すのは辛い。返事の代わりにベッドの支柱を金属の一輪挿しで叩けば、しばらく後に扉が細く開かれた。
「夜にごめん。――入ってもいい?」
 妙なところで律儀な青年を笑って招き、飛鳥はベッドに肘を突く。
「しんどいんだろ? 起きなくていいよ」
「そう? じゃ、そうする」
 術師や城の者の前では虚勢を張って身を起こしていたが、今はそんな気力もない。
「ジルは、大丈夫? なんか、術をかけられてるって聞いたけど」
「少し動きにくいだけで、大したことないよ。もともとあの上着を着てたときも、多少の窮屈感はあったし」
 肩を竦めて、ジルギールは飛鳥の横たわるベッドの端に腰を掛ける。他意や下心があるわけではなく、単に室内に他に腰を掛ける家具がなかったためだろう。飛鳥の体を維持する装置はルエロの診断後早々に運び出され、やたら豪奢なベッドがあるだけのだだっ広い部屋になっていた。壁や天井の装飾が手の込んだものであるだけに、空々しさに拍車が掛かっている。
 それらを見回し、最後に窓の外を見つめ、ジルギールは短く問うた。
「操られてる感じとか、消えた?」
「変な声は消えたから、大丈夫だと思う。そこらへん、きっちりしてそうだし」
「ま、そんな感じだな」
 笑い、ジルギールは安心したように目を細めた。
「どうなったかは、聞いた?」
「だいたいは。クローナから」
「……そう」
 そう長くクローナと話したわけではない。ただ、別れてからの顛末をおおまかに語り、最後に飛鳥が元の世界に戻ったことを確認してから国へ帰るとだけ言っていた。
 ジルギールが「セルリアの金」に何を見たかは不明のままである。
 あっけない幕切れに、『黒』は何をしたかったのかと首を傾げる者も多かったと言う。皆気にはしているようだが、『黒』や国王に聞き出せるわけもなく、謎のままで今に至っているとのことだった。
 飛鳥が聞けば、或いは教えてもらえるかも知れない。だが彼女自身は、ジルギールが敢えて黙している以上、それは秘する必要性があるのだと思っている。加えて言うならば、彼自身の期待した結末ではなかったことに対し、根掘り葉掘り聞く無神経さは持ち合わせてはいなかった。
 故に飛鳥は、とりとめもなく思うことを語る。
「……天蓋付きのベッド」
「うん?」
「ふわふわの、豪華なベッドで寝るの、子供の時の夢だった」
 くすくすと笑い、ジルギールは飛鳥の髪を撫でる。
「でも、柔らかすぎて、なんか寝心地悪いかも」
「ま、そんなもんだ。結局、慣れた場所が一番寝やすい」
「ジルも、明日国に帰るの?」
 一瞬言葉を詰まらせ、ジルギールは窓の外を眺めた。薄い硝子を隔てたその先に、 真円の衛星が流れる雲を纏い昂然と輝いている。他の全てが霞んでしまうほどに、強く、白く、夜の闇を支配していた。
 僅かに落ちた沈黙に引きずられ、飛鳥もまた夜の光に目を向ける。
「綺麗だね」
「ああ」
「見納めだと思うと、ちょっと惜しいくらい」
「アスカの世界には、ないのか?」
「あるけど、まぁ、ちょっと見えにくいかな」
「へぇ」
「ジルギールの泊まってるところからも見える?」
「見える見える。城の外れにあるところでさ。周りに灯りがないから、ここよりもよく見えるかも」
「ずっとそこに居るんだ?」
「……まぁ、それが約束だしな。いくら術で力を抑えてていても、やっぱり結界みたいには上手く遮蔽はできないから。俺も別に、必要なことは誰かが教えてくれるから出歩く用もなかったし、今が初めてかな」
「お忍び?」
「そう、って言いたいところだけど、この部屋に通じる通路の向こうで、ラギが待ってる」
 監視と見つかった場合の言い訳か。セルリアの城の者は相変わらずよそよそしく、出来れば関わり合いになりたくないという雰囲気を隠そうともしなかった。飛鳥に対しては幾分の同情も含まれてはいたが、ジルギールの方は、完全に腫れ物扱いといったところなのだろう。
 かつて『黒』の悲劇を経験したこの国が、容易く変化するなどとは、飛鳥も期待してはいない。だが、様子を伺いに来てくれた口の悪い男とテラという女性は、初めに襲撃を受けた夜に比べ少しばかり雰囲気を和らげたようだった。
「……いつかでいいから、良いように変わればいいね」
 殆ど独り言に近い呟きに、しかしジルギールははっきりと頷いた。以心伝心とは行かずとも、話の流れから似たような感慨を抱いていたのだろう。


[]  [目次]  [