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(終章)

 強い陽射しが視界を白く煙らせる。去っていく獣の背を目で追い、スエインはため息をついた。
「意味深ですね」
 背後からの余計な突っ込みを、ただ肩を竦めて流す。
「本当は、名残惜しいんじゃないですか?」
「はぁ? 相手は『黒』だぜ? 何おかしなこと言ってんだよ」
「だれも、『黒』を惜しんでるなんて言ってませんよ」
 語るに落ちた、と言いたげにテラが笑う。
「でも、いろいろありましたから、なんだかぽっかり穴の空いた気分ですね」
「……お前の方が、なんぼか順応性あるよ」
 降参を示すように両手を上げ、同情を買うように愛馬の首を撫でる。呆れたように首を横に振り、テラはじっとりと湿った目で上官を見上げた。
 王宮の半壊より五日後の正午前。
 国王直々の命を受けてグライセラ一行を見送りに出たふたりは今、無事任務を果たした丘に残り一息ついている。王都の端にある緑豊かなこの丘は背の高い木々も点在し、木陰に入れば眠りそうになるほど心地よい。
 『黒』の来襲に怯えて逃げ出していた街の人々も、三々五々、それぞれのペースで帰途についている。元の活気を戻すまでさほど時間は要しないだろう。
「先輩」
「あぁ?」
「結局、『黒』の力はどうやって抑えられてるんです?」
 率直な問いに、スエインは苦笑を返す。
「最期の暴走まで起こした『黒』を鎮めるんですから、よほどの力だと思うんですが」
「でも、アスカには何の力も感じない、だろ?」
「え……、ま、まぁ、そうです」
「実際に、基本的な術もやっぱり使えねーみたいだぜ?」
「え? そうなんですか?」
 目を見開き、テラは今は姿も見えなくなったはずの道へ体を向ける。
 実際、彼女が驚くのも無理はない、とスエインは思う。あの日、『黒』と『失黒』、共に生き残った現場に立ち会った彼でさえ、己の見た光景が未だに信じられないのだ。
 一度分解されたことにより、初めに召喚されたときと全く同じ状況で再構築された飛鳥は、接合も不完全な状態のまま『黒』の血を浴び、その力を身に取り込んでしまった。結果、彼女の髪はかつて金に染まったように今は黒となった。そこまでは、スエインにも判る。だが、彼女が得たのは、単なる力の素だけではなかった。
 最期の暴走を止めたのが偶然の産物でないことを示すように、『黒』の力を抑えることができるようになっていたのである。無論、ただそこに居ればよい、というほど都合の良いものではない。ごく近くに居るとき、強いて言えば体の一部が接触しているときに、かつて『黒』が持っていた結界作用のある上着よりも確かに、『黒』の気配を消してしまうのだ。
 黒髪になった飛鳥を研究したい、と無謀にも申し出た術師に対し、不穏な空気、つまり黒い『黒』の力の表出が起きたときも、手に触れるだけで飛鳥はそれを鎮めてしまった。
「……単に、アスカが居ると、感情のコントロールがしやすいってわけじゃー、……ねぇだろうなぁ」
「どういう力なんでしょうね」
「うーん、やっぱり、アスカを問い詰めとくべきだったかね」
「……それこそ、本当に『黒』に殺されますよ」
 あながち、冗談事でもないだろう。
「でも、本当に『黒の守護者』なんて存在するんですね」
「存在っつーか、作ったみたいな感じだろ。……まぁ、昔のとは、ちょっと違うみたいだけどな」
「どういうことです?」
「あれから、ちょっと気になって、例のグライセラ建国の逸話を調べてみたんだよ。勿論、今よりも巨大だった国の創始者の記録だから、かなりの装飾や都合の良い言葉にすり替えられてる可能性の方が高い。けど、それをさっ引いたとしても、『黒の守護者』は『黒』の王の手足となって戦場で大活躍してた、ってことは間違いねぇ」
「え? つまり、『黒』同等に強かったってことですか?」
「記録を真に受けるなら、だけどな。それにまぁ、それは眉唾だったとしても、今のグライセラにゃ、別の生きた伝説がいるだろ?」
「『白』の王の双子の占者ですか?」
「そ。そいつにしたって、別に、『白』の結界能力持ってるわけじゃねぇ。特異っちゃー特異だけど、関連性ないだろ? 正直、誰も今まで気にしちゃいなかったが、妙と言えば妙だ。ふたりめの『黒』や『白』がなんでそんな風になってんのかは知らねぇが、多分、あいつらの力は一代のもんで、複製はできないんだと思う」
 勘と言われれば、無論否定材料はない。だがスエインは、『黒の守護者』の力を解明したところで人の手には余る、そう感じていた。強いて言えば彼らは奇跡だ。
 そうして奇跡であるが故に人間は、これからも『黒』を恐れ、対抗する術を模索する必要があるのだろう。
「まぁ、……そうだな」
 呟き、スエインは目を細める。
「なんでそうなってんのかってのは、気になるけどな。けど、奇跡の産物を調べたところで、判っても何にもなりはしねぇよ。第一、ふたりめのアスカを作るわけにもいかねぇ」
 頷き、テラは若干硬い顔をスエインに向ける。
「結果だけ見りゃ、大団円だ。占術師の助言に従ってセルリアの金を求めた結果、『黒の守護者』が得られた。何も知らねぇ奴らからすりゃ占いは、アスカを得ることの示唆だったとかにも取れるだろうよ。セルリアの金が必要だったわけじゃねぇ、それを求めることが必要だったんだってな」
「勝手な言い分ですね」
「そう、勝手だ。実際に何があって皆がどう苦しんだかも知らねぇ奴らの言い分だ。だからそいつらは、アスカの存在が、『黒』の力を抑えるために皆が努力した結果の産物じゃねぇってことに気が付かねぇ。『黒』って存在への対抗手段は、そんなもんで得るもんじゃねぇだろ。偶然じゃなくて、必然を積み重ねて、人と環境、術が少しずつ成長していった先にようやく得られる、そうじゃなきゃ、本当の解決とは言えねぇ」
 今の結果に至った要因は、飛鳥と『黒』の感情、或いは偶然が中心となっている。最後に飛鳥が『黒』を止めることに成功したのも、そもそも彼女が『失黒』という『黒』を傷つけられる存在だったからだ。術力を持たない人間と『黒』を用意したところで、その条件だけは如何ともしがたい。
「だから、一足飛びに奇跡で『黒』を抑えるアスカを、研究しちゃいけないってことですか」
「そうだ。そんなもんやりはじめたら、人には真似できないものを追い続ける羽目になるだろうよ」
 言い、スエインは肩を竦めた。『黒』の脅威を承知してでも、『黒の守護者』を調べたいと国王に直訴した研究者は多い。『黒』に危うく害されるところだった者は、氷山の一角に過ぎないのだ。
(……さすがに、ルエロは沈黙しているみたいだったがな)
 いずれにしても、セルリアを去った『黒』たちは、この先に待ち受ける困難を、自分たちで解決していくほかないだろう。
「まぁ、あいつらはあいつらで、何だかんだ、上手くやるさ。いろいろあったけどな、俺らもまだ、やりのこしてることが山積みなんだ。奇跡に飛びつくよりも今は、崩れた日常を戻すことが先決だろ。ガタガタに緩んだ国と基盤を立て直すほうを頑張るしかねぇよ」
 騎乗し、帰ることを促したスエインに、テラは複雑な目を向けた。
「……なんだよ」
 胡乱気に問えば、彼女はくすりと、皮肉っぽく、しかしどこか楽しそうな笑みを浮かべた。
「おい」
「先輩からそんな科白聞けるなんて、と思いまして」
「どーいうことだ!?」
「だって先輩、軽薄に見えるのに、なんだかずっと暗いもの背負ってたんですよ? あ、この人目は全然笑ってない、みたいな」
「……」
「原因、わかりましたけどね」
「……しゃーねぇだろ」
「ですね。……でも、今の方が、ずっと好きですよ」
「え?」
「あ」
 失言、だったのだろう。誤魔化すように慌ただしく騎乗したテラの横に馬をつけ、スエインは弓なりに曲げた目で彼女を覗き込む。
「テ、ラ、ちゃん。それはどういうことかね?」
「い、一般論です。部下を妙な呼び方しないで下さい!」
「上司に向かって延々先輩呼ばわりしてる奴にゃ、言われたかねーなぁ」
「う、煩いですね! 任務が終わったんですから、とっとと帰還しますよ!」
 言うや、些か危うい手つきで手綱を鳴らす。
「置いていきますからね!」
「……おいおい」
 そこまで照れることはないだろうと、突っ込みの言葉を呑み込んで、スエインは苦笑した。見る間に遠ざかっていく彼女は、主に気まずさからしばらくの間振り返ることはないだろう。馬術で負けるつもりはないが、あまり離れるのも拙い。
 肩を竦め手綱を取り、軽く馬の脇腹を蹴る。
 慣れた馬がゆっくり駆け始める瞬間、――スエインは、一度だけ、グライセラへと続く道を振り返った。


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