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 *

 そして、グライセラ王宮。
 人通りのない、静かな通路に面した部屋で、『白の占者』こと、レオットは双子の姉と対面していた。
「もうすぐ、戻ってくるそうだぞ」
 一国の王とあろう者が伴も付けずに歩き回る者ではないと、注意するのも莫迦らしくなるほど、彼女は頻回に彼の室を訪れる。もっとも、グライセラ王宮ほど安全な場所はないと言っても過言ではなく、それ以上に、『白』を害することのできる者など存在しない。
 今更とも言うべき感想を心に留め置き、レオットは微笑を口に乗せた。
「それは早いですね。歩きではないのですか?」
「セルリアで合成された妙な獣は、『黒』を恐れぬらしい」
「おやおや、それはよい拾いものをしましたね」
「……お前が言うと、どうにも嘘くさい」
 ぼやき、髪をかき混ぜるエルダを見て、レオットは苦笑を返す。失礼な、と思わぬでもないが、仕方がないとただ肩を竦める。
 彼は、この世界に直接関与しないことを条件に、未来を視る力を得たのだ。全てにおいて他人事のような話し方になってしまうのは、致し方ないことだろう。
 思い、再び微笑を閃かす。
「報告にあった、『黒の守護者』も来るのですね?」
「……報告、ね。もとから知ってたのではないか?」
「まさか」
「嘘くさい」
 二度目の言葉に、レオットは今度は困ったように笑った。
 実際、何でも先が判るわけではないのだ。未来は幾つもに別れている。複数の結末が視えたところで、そこに行き着くまでの分岐点が判らなければ、示しようがない。彼は複数の未来に視える共通点を解読し、目的の未来へ至る切っ掛けを予測することしかできないのだ。
 『黒』の件で言えば、確かにひとつの可能性として『黒』が生き延びる未来を視る事が出来た。だが、あくまでそれは可能性の話。本来は居るはずのない『黒の守護者』を得るなどという、最も望ましい結果に辿り着く割合は、1パーセントにも満たなかっただろう。
 それでもジルギールは、彼女を運命からつかみ取った。それは他でもない、『黒』であり彼自身の努力によるものだ。レオットは、ジルギールに可能性を示し、セルリア王にはその助けとなる材料を提示した。それだけだった。
 もっとも、占術に関する詳しいことは、『白』の王にさえ秘密にしている。彼はそう、――”理”に、約束した。
(今となっては、随分昔の話ですが……)
 目を細め、思い返すレオットを、現実に戻すように『白』、こと、エルダが深々とため息を吐く。
「しかし、お前。ひとつだけは教えて貰うぞ」
「なんですか?」
「お前、セルリア王にどんな脅しをかけたんだ?」
 首を傾げ、瞬いたレオットに、エルダが苛立たしげな舌打ちを返す。
「普通、『黒』の来訪を予定外以外で受け入れることなぞせんだろう」
「……ああ」
「ああ、じゃない。あの文章はお前に任せた。おかげで私は、セルリアに圧力をかけすぎだと言われ続けてるのだぞ。非難囂々だ」
「別に、たいしたことは書いていませんが」
「ほう。では、何と書いたか言っても構わぬだろう」
 胡乱気な目を向け、どうにも引きそうにないエルダにたじろぎ、レオットはあらぬ方へと目を遣った。
「レオット!」
「は、はい」
「言え」
 身も蓋もない。姉にして逆らいがたく、更にはもう消えた未来のことだと割り切り、レオットはため息とともに口を開く。
「このままではいずれ、エルリーゼ王女の子供として『黒』が生まれる、と書いたんです」
「……は?」
「もしか、ジルギールが今回の結末をつかみ取ることなく引き返していれば、彼の亡き後に『黒』が生まれる場所はエルリーゼ王女のもとだと、占いで出たのです。もっとも、すぐ後なのか、何代か経た後なのかは判りませんが」
「……それは、それは……」
 感心したような、しかしどこか呆れたような言葉で、エルダは何度も頷いた。
「しかし、それをそのまま告げては、脅しにもならないのではないか?」
「ですから、可能性、です。これは、ジルギールが数年以内に限界を迎えるということだけが前提の、まぁ、言ってみれば、『黒』の延命が可能になるような方法が判るか、今回のように『黒の守護者』を得て『黒』の命が延びたといった、良い意味で予想外の結末でなければ確実に起こることだった、と言っても差し支えないでしょう。逆に言えば、ジルギールが求めていた『黒』に関する情報、そこに『黒』の延命の方法や力を抑える術があれば、未来を違えられる可能性もあったわけです」
「つまり、『黒』が探し求めていることは、セルリアにとっても他人事ではない、と。このままでは近い未来に起こる悲劇を回避したければ、『黒』に協力した方が良い、ということを書いたわけか」
「そうです。私の視た未来では、ジルギールが『黒』に関して何らか情報を得るには、セルリアという土地、そして金髪の者が必須でした。まさかそれが、エルリーゼ王女本人で、しかも、セルリア王家に『黒』と関わった悲惨な過去があるとは思いもよりませんでしたが……」
 レオットの視た未来、その中で、某かが明らかになるという分岐結果には、いつもセルリアと金髪の女が関与していた。だからこそそのまま告げただけで、レオット自身、まさかその「得られる情報」が占い結果で既に知り得ていたことだった、といったややこしい結果であるとも判らなかったのだ。
 言えば、エルダは呆れたように呟いた。
「そうは言うがな、今の結果だけ見ればそうかも知れないが、先を考えれば別のことも言えるぞ」
「先、ですか?」
「エルリーゼ王女が『黒』の母となる、それをジルギールが再確認しただけという、はっきり言えば、『黒の守護者』が得られない結果に終わっていれば、あんなに苦労してセルリアの金を何で求めたんだと言いたくなるような結末だったと皆考えるだろう。だが、それは早計だ。『黒』が死んだ後に次に――お前は判らんと言ったが、おそらくは次に力の宿る場所が判るということは、かなり重要なことだ。それが判っただけでも、お前の占い通り、ジルギールは『黒』に関する重要な手がかりを得たことになる」
「それは、そうですが、でもまさか、世界中の人を『黒』に対面させるわけにもいかないでしょう」
「しかし、『黒』をコントロールする手段になる。生まれてすぐ殺すより、長く生かして世界中を巡らせれば、次の『黒』の生まれるところが判るとすれば? いつどこに生まれるか判らない状態より、遙かに状況は安定する。誰から生まれるのか判るなら、その人物を教育することも出来るだろうし、『白』がその場に立ち会うことも出来る」
 エルダが言っているのは空論だ。そう出来るという可能性に過ぎない。だが、今までその可能性すらなかった状態を思えば、確かに大きな前進だと言えるだろう。
 それに、とエルダはこめかみを掻いた。
「『黒』と『白』の力は違うが、立場は似ている。もしかしたら、同じ事が『白』にも言えるかも知れんな。もっとも、『白』の方は長く生きるから、それが判るようになるのは死期が近づいた頃なのかも知れんが……」
「……なるほど、それは、あり得ますね」
 頷き、レオットは短く息を吐いた。
 確かに有益な情報だ。だが、その情報を公開した後に起こる混乱と、各国が己の利益へ結びつけようとする思惑の中で、エルダはまた頭を痛める羽目になるのだろう。レオットにも、更なる進展を求めて依頼が殺到するに違いない。
 眉間に皺を寄せれば、気付いたエルダが皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「あれだけ派手に騒いだんだ。今更何もなかった、では済ませられんぞ」
「判ってますよ」
「……とは言え、ジルギールや『黒の守護者』には、出来るだけ影響がないようにせねばな」
 それは無理だろう、という突っ込みを賢明にも飲み込み、レオットはただ微笑んでエルダを見遣る。それをいつもの如く胡乱気に眺め、エルダは口を尖らせた。
「そもそもお前が、占術の方法だの結果だのを、判りにくくぼかすから悪い」
「ぼかしているのではなく、そもそも未来とは……」
「知ってる。要するに、言えないということなんだろう?」
「ご存じの通り」
「はあ、まったく、お前はやっぱりよく判らん。『黒の守護者』がお前の悪影響を受けんように、近づけないようにするぞ」
「……どういう理屈ですか」
 言い、レオットはただ肩を竦めた。そうして、内心で苦笑する。
(ですが、『黒の守護者』も”理”の関わることに関しては、隠し事をすると思いますよ)
 それは誓約でもあり制約でもある。かつての問いかけと選択を思い返し、レオットは目を細めた。
 そうして、まだ見も知らぬ、『黒の守護者』へと思いを馳せる。彼女が何を知り何を得て何を選んだのか、――それは、彼女と会ってから確かめるしかないのだろう。
 だが、きっと、朗報には違いない。終極を迎えたはずの『黒』が、戻ってくるというのだから。
「……レオット?」
 急に口を閉ざした弟に向け、エルダが不思議そうに問いかける。
 緩く首を振り、レオットは微笑んだ。
「なんでもありません。それよりも、ジルギールたちを迎える準備をしましょう。精一杯、戦ってきた彼らのために」
 レオットは高い天井を見上げ、それぞれの未来を手に入れた者達に、ただ幸あれ、と小さく祈りを捧げた。

 *

 『黒』と『黒の守護者』。
 稀少な存在でありながら、その後の彼らの記録は残されていない。彼らの時代に『黒の守護者』の力が別の方法をして編み出される事はなく、やがて人々はまた、『黒』の脅威に怯え暮らすこととなる。
 多くの戦乱と一時の平和を繰り返し、時は流れ、およそ八百年後。
 その術を作り上げ、稀代の術師として後世に名を残す女の著書に、こう記されている。


 ――私の前には、道があった。

 ……『黒』の力を分散させるという構想は、私が考えたものではない。私の家に残されていた祖先の記録がなければ、私もまた、力を抑えつける方法にのみ囚われていただろう。
 そして、その手がかりを元に、世界に隠されたように散らばる記録を紐解いた。
 そこには既に解決に至る道が見いだされており、私は草をわけ、進むだけで良かった。私がこの術を完成させることが出来たのはひとえに、過去には構築されていなかった理論が現代には周知として存在したためである。そこに努力はあれど、常識を覆すという苦労はなかった。
 なにより、驚くべき事は、かつて、その術の作成を手がけたのが、他ならぬ、『黒』自身であったことだ。
 点在する研究の記録から察するに、彼は世界中を巡り歩き、彼の生きた時代には遂に相容れることのなかった『黒』以外の全ての者の為に、生涯を捧げたのだろう。
 彼の記録は失われ、彼自身のことは何一つ判らない。
 だが私は、微かに残されたその軌跡を辿ったことを誇りに思い、名を知ることも出来ぬ彼、――偉大なる黒の賢者に最大の敬意を捧げる。

ネイ・ベルガ


憂色の檻 完結    >あとがき&補足




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