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「……陛下、この子を」
 挨拶もそこそこに、入ってきたばかりの扉を開けたヒューバックは、ひとりの少年を中へと促した。
「どうか、『黒』のもとに」
「お前、何を言って」
「私は、陛下が『黒』をお連れになる際、引き留めは致しませんでした。皆が陛下と『黒』を批難するというのなら、私も同罪です……」
「……」
「遠縁の子ですが、殿下の従者にと思います」
 結界に包まれているために、『黒』が近くに居るとは気付いていないのだろう。ヒューバックに促された少年は、赤い髪で宙を掃くように、勢いよく頭を下げた。『白』との対面に、緊張から顔を強ばらせてはいるが、明るい目元に萎縮した色はない。
 胆力のある子だ、とエルダは思った。
「名前は?」
「オルト・フィエダと申します」
 子供特有の高い声に、卑下した響きも高慢な色もない。
 頷き、エルダは改めて少年の髪に目を止めた。見事な真紅、つまりは、ヒューバックの意図はそういうことなのだろう。
「……わかった」
 うっすらと微笑を口に乗せ、エルダはヒューバックに感謝の意を示す。
「その子は、私が責任を持って面倒を見よう」
 言葉には出さず、ただ頭垂れるヒューバックを見つめながら、エルダは遠くはない未来に思いを馳せた。
 願うならば、少年が『黒』の、伴ではなく友とならんことを。
 
 *

 賑やかな室内を見回し、レオットは短く苦笑した。
「これはこれは……」
 呼ばれた理由に気付き、だが、面倒だという表情を隠さぬままに呼びつけた張本人へと目を向ける。
「私にどうしろと?」
「俺ひとりじゃ無理です。陛下にそろそろ止めるよう、言ってもらえませんか?」
「うーん、それは、なかなかに困難ですね」
「……かなり、の間違いです」
 世界にひとつの黒髪を揺らし、『黒』こと、ジルギールが深々とため息を吐く。
「あれじゃ、玩具みたいだ」
 彼の視線の先、きゃぁきゃぁと年不相応のはしゃいだ声を上げているのは、本来なら彼の天敵であるはずの『白』である。今エルダは彼らとは少し離れた場所で、無事にジルギールの家に移り住んだ『黒の守護者』の為に、追加で必要なものをとあれこれと吟味している。クローナも交えたその勢いは、品を山積みにした商人の腰さえも引かせている有様だ。国王としての威厳は、見事に欠片もない。
「実際、玩具なのでしょう」
「止める気、ありませんね?」
「厄介事は避けるよう、本能に正直に生きていますので」
 澄まして答えれば、再び盛大な嘆息がテーブルを曇らせた。そのまま椅子を引いたジルギールを見遣り、レオットはからかうような口調で励ましの言葉を添える。
「玉砕したら、骨は拾いにいってあげますよ」
「なら、今行ってくれません?」
「こんな状況だと判っていたら、そも、ここには来ませんでしたよ」
「……ですよね」
 諦めたように頭を掻きながら、ジルギールは騒ぎの中心へと足を向けた。微苦笑をもって見送りながら、レオットは数ヶ月前を思い出す。
(判らないものですね……)
 厳しい表情で城を出て行くジルギールの背には、悲壮な決意が滲んでいた。それまでと同じように、ただひとり見送りに出たレオットは、それでも揺るぎない力で歩いていく彼を見つめながら、初めて「理」に祈ったものだ。
(姉さんにばれたら、激怒されそうですがね)
 人々が神と呼ぶに似た存在――それを存在と呼ぶのなら、であるが――が本当に在ると判れば、エルダは間違いなく言葉の限りを尽くして罵るだろう。
 予想ですらない想像に頬を歪めたレオットは、それまでジルギールが座っていた椅子が再び引かれるのに気付き、慌てて顔を上げた。
「やぁ、アスカ」
「お久しぶりです、レオット様」
「災難でしたね」
 先ほどまで騒ぎの渦中で揉まれていた飛鳥が戻ってきたということは、ジルギールが代わりの生贄になったということだろう。
 ジルギールが飲んでいたはずの茶を躊躇いもなく一気に飲み干し、飛鳥は深々と息を吐いた。
「楽しいことは楽しいんですけど、うーん、なんて言うんですか、ぱっと見て、気に入ったものを直感で買うタチなので、あれやこれや、品定めするのに慣れてないんですよね」
「姉さんも普段はああではないんですが、……君が来てくれて、嬉しいんでしょう」
「そうですか? 正直、判らないことだらけで、手間ばかりかけさせてしまってる気がするんですけど」
「それは仕方がないことですよ。それに、その手間を姉さんは喜んでいるんです。なにせ、手塩にかけて育てたジルギールが、『黒』というだけでひとりでいたことを、誰よりも嘆いていたのは姉さんですから」
「そういうもんですか?」
「そうそう。君が王宮に着いた日は、頑張って澄ましてはいたけど、部屋に帰った途端に「嫁が来たーっ!」って叫んでひとりで悶えてましたから」
「よ、嫁……」
「今まで、ジルギールは良い子だ、良い子だと言い回っていたくらいですしね。誰にも理解してもらえず諦めていたところに、アスカがやってきたというわけです。ジルギールを交えてあれこれ楽しめることが、本当に嬉しいみたいです」
 手放しで話せる相手が出来たというともあるだろうが、それ以上に、ジルギールの表情が柔らかくなったことがエルダを喜ばせている。それまで、何をするにも頑なな態度を崩さなかったジルギールが、人に頼ることを覚え始めたのだ。今のところ飛鳥という緩衝材越しにではあるが、それでも、常に張り詰めた空気を纏っていた頃に比べれば格段の進歩と言える。
 クローナたち、『黒』に接する機会の多い者達が、態度を軟化しつつある、ということも喜ばしい変化だろう。
(それも、アスカが『黒』の力を鎮めているおかげですが……)
 思い、レオットは飛鳥をじっと見つめた。すぐに気づき、飛鳥が若干たじろいだ目を彼に向ける。
「な、何です?」
「理……」
「え?」
 ぎよっとしたように顎を引いた飛鳥を追い詰めるように、レオットはさりげなく彼女の方へ身を寄せた。
「ち、ちちち近いです!」
「”理”に、君はなんと願ったんですか?」
「え」


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