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[謝罪と誤解] アリア、アッシュ、ヴェロナ、フェルハーン


 夕闇迫る王都。第二区画の端に位置する自宅へと向かう途中、アリアはそこで出会うはずのない人物と顔を見合わせた。
「ヴェロナさん?」
 ヴェロナ・グリンセス。アリアの知己であり、それ自体を考えれば、彼女がアリアを待っていたところで別段おかしなことはない。だがここは第二区画。ヴェロナが住まう区域とは画一されており、ましてや今、彼女は、王都で教育を受けるグリンセス家の次期当主の側仕えとして、多忙極めているはずである。
「久しぶりですね。お元気ですか?」
 努めて、何も気付かぬ素振りで無難な挨拶を述べ、アリアは陰影の強いヴェロナの横顔を窺った。
 疲れている様子はない、やつれてもいない、だが、表情には憂いが強い。つまり、仕事の愚痴に来たのでも、気まぐれに会いに来たのでもなく、某かの相談事を持っているということだろう。分析に直感を乗せるとすれば、それは「厄介な」代物と言っても差し支えないに違いない。
(……たぶん、アレだろうな)
 困ったことに、持ちかけられるであろう内容に、アリアは心当たりがあった。というよりも、ヴェロナが他の誰にでもなく、アリアにしか話せない事と言えば、ひとつしかない。
「こんな時間に申し訳ありません」
 もはや身分の高い者の侍女という、同じ区分にはいないアリアにも、ヴェロナは相変わらず丁寧な口調で話す。かつての主、ディアナのようにもはやそれは癖に近いものになっているのだろう。
 深々と頭を下げるヴェロナに苦笑しつつ、アリアは歩くように促した。
「家、近くなんです。お茶しか出せないと思いますけど、寄っていってもらえますか?」
「でも……」
 躊躇いを見せるヴェロナであるが、いつ帰るとも知らぬアリアを待っていたのだ。時間として切羽詰まっているわけではないだろう。
「立ち話もなんですし、折角訊ねて下さったんですから、是非」
 陽が落ちてしまえば、気温は一気に下がる。寒さには慣れているアリアにも、寒風吹き巻く中での立ち話はさすがに辛い。長い間立ち尽くしていたであろうヴェロナの唇は、すっかり色を失っていた。 
「……お気遣い、申し訳ありません」
「構いませんよ。本当、すぐ近くなんです」
 フェルハーンの計らいで与えられたアリアの家は、魔法院にほど近い一角にある。王都の中央を抜く大通りからは遠く離れているが、騎士団の巡回経路に含まれている為か、王都の他の地区と比べても治安はかなり良い。おそらくはそれが選考理由になったのだろうが、どの家を与えるか、決めたのが誰かと考えると自然に笑みが浮かぶ。
 しばし歩いて後、こぢんまりとした家が短い間隔に立ち並ぶ通りで、アリアはヴェロナにそのひとつを指し示した。どれも似たような門構えの中、次に訪問するときの目印を言い伝える。
「門の意匠が微妙に、王家の紋と似ているんですよ。元々、ずっと前の王の妾にこっそり下賜された家らしくって」
「まぁ」
「長い間放置されていたって話ですけど、微妙に曰く付きですよね」
 笑いながらアリアは簡素な、頑丈なだけが取り柄の扉の前で、一度立ち止まった。そうして、短く魔法式を口にして、取っ手を叩く。
「防犯対策です。――どうぞ」
 玄関から入ってすぐは、居間兼台所となっている。ディアナの館は勿論、少しでも広い家であれば、それはもう少し奥に位置するものだが、あいにくとそう贅沢な造りにはなっていない。狭い居間の端から直接二階に上がる階段があり、その上にある二間のうちの一つが寝室、もう一つが物置、その階下に水回りの設備が整っているという、必要最小限の間取りだった。
 勿論、独り暮らしにしては贅沢な設備であり、幼少時を破れ家で過ごしていたアリアにとっては、充分に過ぎる代物である。本当に自分が住んで良いのかと恐る恐る暮らし始めてひと月、ようやく慣れた今では、愛着すら持ち始めていた。
「いい家ですわね。もう、独り暮らしには慣れて?」
「そうですね。帰ってきて誰もいないってのが、少し寂しいですけど」
 思えば、幼少時も常に双子の兄が一緒にいたのだ。ディアナに引き取られてからは、屋敷という大所帯での暮らし、完全にひとりきりになる方が稀であったかもしれない。
 だが、人恋しさに辛くなるという程ではなかった。逆に、人目を気にしなくていいとう開放感の方が勝っているのは、特殊な能力を人に見られてはいけないという緊張感を常に持っているせいなのだろう。
 今はさほど重荷にはなっていないが、とそこまで考えて、アリアはヴェロナの用向きについてを思い出した。
「それで、ヴェロナさん」
 薬缶を火にかけながら、アリアはさりげなく話題を口にした。
「私に何か、話とか……?」
「……え、ええ、そうですの」
 躊躇い、言い淀むヴェロナに、アリアは困惑を混ぜて苦笑した。気持ちは判る、だがこのままでは話が進まないと、助け船を出す。
「アッシュのことですか?」
「! え、それは、その……」
「彼になら、連絡取れますよ? 声、かけておきましょうか?」
 連絡も何も実際には、夕方に魔法院で呆けていれば、高確率でアッシュに会うことが出来る。夜勤でもない限り、仕事を終えた後一度は魔法院に足を向けているようだった。勿論、以前のように巨大な魔法鉱石に魔力を流し込む為ではない。そこにアリアがいなければ、すぐに彼は帰っていく。
 その行動に気付いているのは今のところギルフォードだけであり、彼が人をからかって楽しむ性癖を持っていなかったことは、アリアにとっては非常にありがたいことだった。恋人達の逢瀬ならともかく、アリアとアッシュの間には利害の一致という世知辛い関係しかない以上、指摘されても対応に困るのである。
 逸れかけたアリアの思考を戻すわけでもあるまいが、ヴェロナが突然、大きなため息を吐き出した。
「それ、ですわ」
「え?」
「アリアさんのそういうところ、尊敬いたしますわ……」
 ぽかんと口を開けたアリアに気付かぬように、ヴェロナは悩ましげに眉を顰めた。
「私、自分が悪いって判ってますの。でも、思ってはいても、怖くて……!」
「ヴェロナさんが、悪い、ですか?」
「悪いと言いますか、申し訳ないと言いますか……、彼だって、好きこのんであんな、……体になったわけじゃありませんのに、私、非難してしまいまして、でも、やっぱり怖いんです!」
 若干支離滅裂な言葉ではあるが、アリアには充分理解できた。ヴェロナは、己の行動を悔いているのだ。
 生まれ持ってしまった特徴を非難することは、相手に対する最大の侮辱である。人より劣っている、異質だと責められ侮蔑されても、本人にも改善のしようがないのだ。それをそうと達観して受け流せるものなら良いが、得てして劣等感に苛まれている人の方が多い。アリアにしても、受け入れつつはあるが、能力を指摘されて、それがどうしたと流せるようになるまでは、まだ時間がかかりそうであった。
 ヴェロナの場合、非難というよりも忌避ではあるが、アッシュの性格や思考とは違ったところで、一方的に恐れていることには変わりないだろう。化け物扱いをしたことを謝りたい、しかし、彼と直接話すのには恐怖が残っている、そういった板挟みの感情に陥っている様子であった。
(微妙だ……)
 真面目なヴェロナの気持ちは判る。だがおそらくそれは、彼女の空回りでしかないだろう。
 何故ならアッシュは自分の事について、まさに悪い意味で達観した状態であり、彼自身もまた化け物と認識しているからである。当然の反応をしたヴェロナが何故悔いているのかの方が、彼には理解しがたいことだろう。
 ヴェロナが勇気を出して謝ったところで、彼には何も響かないこと、想像に易い。
(でもなー、アッシュは気にしてませんって言ったところで、ヴェロナさんの気が晴れるわけでもないし……)
 アリアの困惑を取り違えたか、ヴェロナは意気消沈したように肩を下げた。
「……申し訳ありません。突然、このようなことを言われても、困りますわよね……」
「え、いや、そんなことはないですけど」
「でも、アリアさんにしか、相談できないのです」
 他に相談する相手が、というよりも、実際に現場に立ち会ったのがアリア一人だったからだろう。
「どうすればいいのでしょう、私……」
「その、別に無理して謝ることないと思いますけど」
「でも、それじゃ、あまりにも失礼ですわ」
「でもねぇ」
 呟き、アリアは肩を竦めた。即断即決、豪快なディアナの周りにはいなかったタイプの人間である。ようするに、相談ではなく、後押しとフォローをして欲しいといったところなのだろう。
 気付かれぬように短くため息を吐き、アリアは提案を口にした。
「ヴェロナさんがどうするのかはともかく、とりあえず、アッシュに会ったときに、それとなくどう思ってるかを、聞いておきましょうか?」
「え!?」
「アッシュは勘が良いですから、探ってることを気付かれるかも知れませんが、まぁ、そうなったら、ヴェロナさんが謝りたいって思ってることにも気付いてくれるでしょうし」
「そんな……、構いませんの?」
「おやすいご用ですよ。別に、わざわざ会いに行かなくても、魔法院では比較的よく会いますし、全然、手間じゃありません」
「本当に、アリアさんはあの人のこと、怖くありませんのね……」
「まぁ、一応は」
 怖いどころか、その怖さの原因の片棒を担いでいる状態である。
「なので、気にしなくて構いませんよ」
「ああ……」
 誤魔化すようににこりと笑えば、感極まったように、ヴェロナが唇を振るわせた。
「ア……アリアさんに相談して正解でしたわ!」
「大げさですよ」
「いえ、本当に! ありがとうございます!」
 ヴェロナの喜びように、アリアの頭に早くも後悔が過ぎる。どうやらこの場合、相談に乗ると深く関わるとは同義であったらしい。
 抱きつく一歩手前の様子に、さりげなく距離を取りながら、厄介なことになったとアリアは口元を引き攣らせた。


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