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「……反対方向じゃ、ありません?」
「そうだが?」
「もしかして、送ってくれてます?」
「当たり前だ」
 この場合、アッシュがさりげなさ過ぎるのか、アリアが鈍いのか、判別に迷うところである。ただひとつ確かなことは、アッシュが損な性分をしているということだ。他人への気遣いも出来、十二分の騎士道精神を持ち合わせているにも関わらず、愛想がないと言うだけで全てを帳消しにされている。どうでもいいと言いながら、ヴェロナの緊張を解く事に協力するあたり、意外に面倒見の良いところもあるだけに、どうにも惜しい。
 アリアは、着ぶくれた腕を組み、深々とため息を吐き出した。
「ヴェロナさんを送ってあげたら、株も上がったかもしれないのに……」
「気まずいだけだと思うが」
「そんなことないですよ。アッシュ、絶対、損してます」
「そういうもんか?」
「そうです。もうちょっと、態度が柔らかくなったら、絶対みんな、見方を変えると思うんですよね」
「おかしな奴だ」
 言い、アッシュはふいに目を細めて笑う。途端、アリアの心拍数が跳ね上がった。無表情であることの多い彼の、最近見せるようになった突然の笑顔には、毎度の事ながら動揺を誘われる。
 意外性も相まって、というのは言い訳だろう。顔を紅くしている時点で、アリアの負けというものだ。
 なんとか表情を取り繕うアリアを余所に、アッシュは浮かべた笑みを苦笑に変えた。
「俺が嫌われるのは、今に始まった事じゃない」
「ご、誤解受けてるだけだと思うんですけど」
「どっちも似たようなもんだ」
「違いますってば……」
 口を尖らせたアリアを見て、アッシュは困ったように眉尻を下げる。そうして、ふと思いついたように口を開いた。
「あんたも俺のこと、嫌いか?」
 言葉面とは逆に、静かな口調だったが、アリアはぎよっとして目を見開いた。アッシュは、僅かに首を傾げてそんな彼女を見遣っている。
「――ま、まさかっ!」
「なら、いい」
 頷き、アッシュは穏やかに笑う。
「あんたに嫌われてなきゃ、それでいい」
「……っ」
 アリアの顔に、一気に血が昇る。耳まで熱い。しかし、何とも解釈に困る言葉である。
(ど、どこまでの意味だろ……っ)
 この時点で例えば、アッシュが照れている、口ごもっているなどといった反応を示していればまだしも、表情は至って平常通り。何気なしに、今日の天気を話すような調子である。
 ひとり動揺しているのがどうにも莫迦らしくなり、アリアは顔を赤らめたままそっぽ向いた。よく考えずとも、アッシュの口調に、恋愛感情を含んだ甘さがないことだけは、はっきりと判る。だが同時に、彼がアリアの特殊な力だけを目当てに機嫌を取っているのかと言えば、そうでもない。
 厄介な男だ、とアリアは思う。ギルフォードも大概、相手を困らせるようなこっ恥ずかしい科白を吐くが、彼の場合は完全に天然だと判っているので、照れはしても動揺はしない。
「――どうかしたか?」
 不思議そうな声に、アリアは唇を噛んだ。誰のせいだと言ってしまいたい。
 だが現実には口にすることも出来ず、悔し紛れにそっぽ向くのが関の山だった。誤魔化すように歩く速度を速めたアリアを、アッシュは肩を竦めて追いかける。
「急ぐと、転ぶぞ」
「そんな子供じゃありません!」
 ここで躓くのが王道というものだが、さすがにそこまで乙女にはなれないアリアだった。ただひたすら、赤い顔を見られないようにと前を向いて早足で進む。
 故に、苦もなく後を付くアッシュが、楽しそうに笑っていることに、まったく気付くことはなかった。

 *

 陽光も眩しい、冬の短い晴れ間の昼下がり。王都の治安維持の要、シクス騎士団の施設内では多くの騎士が戦闘訓練に勤しんでいた。王都の巡回や主要施設の警護、突発事項への対応に当たる騎士以外は、だいたいの者が空いた時間を見つけて剣技や体術に磨きを掛けている。
 団長として、国の運営に関わる仕事を別に持つフェルハーンですら、例外ではない。仕事と仕事の合間を縫い、部下を相手に戦闘訓練を行っている。軍人である以上の義務ということもあったが、体を動かすことは、多忙な彼の、数少ない気分転換の一つであった。
「お前、弓の訓練もやってるんだって?」
 施設に備え付けの湯殿で汗を流した後、思い出したようにフェルハーンは訓練相手となっていたアッシュに問いかけた。
「魔法があるから、飛び道具はあんまり必要ないんじゃないか?」
「緊急事態用だ」
「緊急って……、沈黙の魔法は、もうないじゃないか」
「あり得る魔法だ。不可能なわけじゃない」
 判りにくいが要するに、一度出来た魔法は「出来る」ということが証明されているぶん、いずれまた復活する可能性があると言いたいらしい。再び目にする確率が低くとも、アッシュにとっては最大の脅威である以上、対処する術はひとつでも多く講じておきたいのだろう。
 相変わらず真面目だと、肩を竦めてフェルハーンは行儀悪く口笛を鳴らす。
「魔法喰らったって、アリアちゃんがなんとかしてくれるのにねぇ」
 からかいの科白に、鋭い眼光が向けられる。騎士に成り立ての若年層ならば、震えあがって逃げ出していただろう。
 怖い怖いと嘯きながら、フェルハーンは一応、話題を変えることにした。
「そういえば、お前、第二中隊の奴らと何かやらかしたか? 急に配置換えするって聞いたんだが」
「別に」
「じゃあ、聞き方を変えよう。元第二中隊のやつら、何をしたんだ? ネイトの奴も知らないらしいが」
「副団長に聞けばいいだろう」
「ヨゼルがお前に聞けって」
 あからさまに面倒くさそうに、アッシュはため息を吐いた。
「配置換えされた奴ら、お前のところでひーひー言ってるみたいじゃないか」
「特別、厳しくしてるわけじゃない。ネイトが甘いんだ」
「まぁ、お前は実践向けの訓練ばっかりするからなぁ。他から来た奴らには、厳しいだろ」
「酒と女にうつつを抜かしていれば、弱くなって当たり前だ」
「ん? ははぁ、現場でも取り押さえたか?」
「いや、残り香が酷かった」
「どこの?」
「第二区画の壁にある、緊急待機場所だ」
 何度か瞬いて、フェルハーンは、ああ、と大きく頷いた。何らかの理由で騎士団施設が使えなくなったときや、王都が危機にさらされたときに、秘密裏に集まり、会議を行うための場所が王都には数カ所点在する。普段は勿論使用されることなどなく、稀に巡回途中の休憩に使われる程度であるが、どうやらそこに、酒を持ち込み女を連れ込んで、宴会に興じた者がいたらしい。
 もともと隠された場所で、密談目的に作られたこともあり、何をしていようと外に内容が漏れることはない。だが逆に言えば、非常に密閉された空間であると言える。名残は片付けたものの、まさか戸を開けておくわけにはいかず、臭いが残ってしまったのだろう。
 莫迦だな、と思いつつ、フェルハーンはふと首を傾げてアッシュを見遣った。
「お前は何で、そんな場所に行ったんだ?」
「ヴェロナ・グリンセスが謝りたいと言ってきたが、夜に下手な場所で待たすわけにもいかんだろう。そこを指定したら、余計に怪しまれた」
「……それは、災難だったな」
 どうせこの男のことだから、必要最低限以上の弁解はしなかったに違いない。後でフォローを入れておくか、とフェルハーンは緩く頭振った。あの手の噂好きには、下手な誤解を与えない方がいい。
 フェルハーンが言葉を止めたことで、話は終わったとみなしたのだろう。椅子に掛けてあった上着を手に、アッシュが休憩室を出ようと、フェルハーンの前を通り過ぎた。挨拶も何もないが、いつものことである。
 それを何気なしに目で追い、フェルハーンはふと眉根を寄せた。
「……おや、アッシュ。認識票はどうしたんだい?」
「付けてるが?」
 胸元を指さして、アッシュは首を傾げた。その、おかしなところはない、と言いたげな様子に、フェルハーンは苦笑を返す。そうして、自分のものを服の中から引っ張り出した。
「二枚ひと組のはずだが?」
「ああ」
 頷き、アッシュはあっさりと問題発言を口にした。
「やった」
「やった、って、人にあげるものじゃないだろう」
「前に、ティエンシャ公に預けたのはどこのどいつだ?」
「あれはそういう作戦で……って、ああ、あげたの、アリアに?」
「そうだ」
 アッシュの個人認識票は、その魔力の質の高さを有効利用するために、魔法鉱石で作らせた特製品である。緊急時には魔法の種となるほか、以前には、身に着けた者の行動を探る手段として利用した。指ほどの大きさの薄い板状に加工されているが、小さくとも膨大な魔力を溜め込むことの出来る稀少品である。
 確かに、アッシュの魔力に頼っているアリアには、魔力の補給もととして非常に役立つものではあるが、とフェルハーンは、そう考えながら目を細めた。
「アッシュ」
「なんだ」
「その、首に掛ける鎖も、支給品とは違うみたいだけど」
「それで?」
「鎖ごと、あげたの?」
「そうだが」
「緊急時用に、首に提げてろって?」
 胡乱げに問えば、アッシュは表情を変えぬまま、ただ肩を竦めた。それは自分の知ったことではない、と言いたげである。確かに、ペンダントの形状のまま渡されたとしても、それをそのまま使うかまでは強要できない。
 だが、
「アリア、真面目だから、そのまま提げて持ってそうだよね」
 肌身離さず、無くさずとするのならば、それが最も自然な形だろう。
「――でもあれ、認識票だよな?」
「名前は彫ってないがな」
 名前と所属が具体的に彫られている方は、今アッシュが自分の首から提げている。
「それで?」
「でもまぁ、見る奴が見れば、誰のものか、判るよな。横に彫られた溝で」
「ああ」
 事も無げに頷いたアッシュを一瞥し、フェルハーンは口元を引き攣らせた。
 一見、ただの何も描かれていないプレートに見えるが、側面に刻まれた溝の数を見れば、どこの騎士団の何部隊に所属している者かが特定できるのだ。さすがに、一兵卒までを特定するのは不可能だが、アッシュは中隊長、判別するに問題はない。
 そうとなれば、ようするに、アリアは常に、アッシュの名前の書かれた装飾品を身に着けているわけで――
「アッシュ……」
 むしろ投げやりに、フェルハーンは声を絞り出した。
「わざと、か?」


「虫除けに決まってる」

(了)




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