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「予言の乙女と真なる勇者01」


 風が若草を揺らした。ざぁ、と一斉に梢が歌う。木漏れ日のまばらな光が瞼の上で踊り、エレンは知らず柔らかく微笑んだ。
(あー……、気もちいいー)
 そのままゴロゴロと草の上で寝返りを打つ。
 幸せだ。ここには礼儀作法の教師もいなければ、口やかましい監視人という名の侍女もいない。微笑みを浮かべながら陰口を叩く陰険な宮廷人もいなければ、下心だらけの口説き文句を吐く権力者もいない。
(ぐはー、たまらんわぁ!)
 王宮を抜け出してひと月、普通の貴族の令嬢であればとうに捕まるか野たれ死んでいるところだろうが……。
「農家の娘を舐めんなよ! がはははは!」
 エレンは豪快に笑いながら自由を満喫していた。むしろ生気に溢れている。
 ゴテゴテと飾り立てた王宮も、煌びやかな衣装も、エレンの目には虚栄にしか映らなかった。夜会だか駆け引きだかは知らないが、貴重な油を使ってまで夜長々と起きている意味が分からない。短いながらも王宮暮らしの中で、唯一褒めることができるのは繊細かつ奥深い味わいの食事だけだった。
(あー、あれは惜しい。もう一回くらい宴会に参加しておいたほうが良かったかなー)
 とりとめもなく思いながら、もう一度寝返りを打つ。
 そうしてふと、エレンはその先に靴を見つけて飛び起きた。
「……げ?」
「『げ』?」
 見上げた先、よく日に焼けた男が斧を担いで立っている。
「何をそんなところでゴロゴロしてんだ?」
「いや、これには話せば短い事情がありまして」
「じゃあ30文字以内で話せ」
「うわぉ、なんてお約束な文字数! っていうか、私の楽しみを邪魔しないで」
「じゃあ3文字で」
「失せろ!」
 吐き捨てたエレンに男は感心したように手を打ってみせる。……確かに三文字だ。事情にはなってないが。
 動じた様子の無い男に深々とため息を吐き、エレンは服についた草を払って立ち上がった。
「つか、あんたは何者?」
 中肉中背。強いて付け加えるなら農業を営むのに最適な筋肉が奇麗についた30過ぎの男。可もなく不可もない素朴さは好印象、且つ何度も修繕を繰り返された簡素な服とくれば、実のところ身元など聞くまでもなかっただろう。
「おお、地元民に大して強気な台詞」
「悪いけど、私本当に強いの。そこの大岩くらい砕いちゃうんだからね」
「へぇ、魔法使い?」
「そうよ」
 得意げに胸を反らし、エレンは右腕を前に突き出した。そうして短く複雑な音を口にし、大きく後方へと腕を振るう。
 瞬時に、エレンの肘から先は男の持つ斧と同じものへと変形した。
「お、おー?!」
「ふん、どうだ!」
「すげーな、ヘンタイか!」
「……なんか発音が微妙だとあれよね」
 ヘンタイ改め変体師とは、体の一部もしくは全てを別のものに変えることの出来る魔法使いを指す。変化師と呼ばれることもあるが、質量を自由に操り、且つ無機物へも変わることの出来る上級者は得てして変体師として区別される。むろん、名誉あるヘンタイ魔法使いたちは納得していない。納得していないが覚えられやすいのでぐっと涙を堪えている。
 ひとしきり関心した後、男は我に返ったように表情を改めた。
「で、そんな上の魔法使いが、なんでこんな田舎にいるんだよ」
「だから短い事情があるって言ってんじゃない」
「じゃあ――」
「これは短編なんだからループ禁止!」
「なんだよ、短編って」
「諸事情のひとつよ。細かいこと気にしてるとモテないわよ」
「……ぐ。俺の古傷を」
 腹を押さえて屈み、いじけるように土を蹴る。
「ああ、そうだ、あれは数年前の寒い雪の夜だった――……」
「……あんた、疲れるとか言われない?」
「よく言われる」
「頻回かよ。……じゃなくて、はぁ、もう、なんか話が進まないし疲れるからあんたの家に案内しなさい」
「奇遇だな、俺もそう思った」
 よくノリの判らない男である。本気で脱力感を覚え、エレンはがっくりと項垂れた。
「……あんた、名前は? 私はエレン」
「ん? ああ、ユージーンってんだ。ここの村で農家やってる」
「まんま、ね。私も前は農民の娘やってたわ」
「前は?」
「そ。まぁまぁ、短い話なんだから、とりあえず、椅子とお茶くらい用意してくれない?」
 そんな義理など無いはずの男は、エレンの押しの強さに苦笑したようだった。

 *

 遡ること半年前。エレンにとって厄日となったその日、王宮では驚くべき予言が神から下された。
「ダーンの村のエレンを得たものが魔王を倒す勇者となる! 早いもの勝ちじゃあぁぁ!」
 そうしてその日のうちに村は包囲され、エレンは王宮に連れ去られた。
「……そんで、我こそは勇者なり! っつーはた迷惑な熱血漢やら高額取引の対象になるって目をギラギラさせた脂親父とかに毎日攻められ、わずか17歳の儚い娘は心身ともに荒んでいくのでした」
「魔王って何? やたらテンプレな名前だけど、居るのか、そんな出る杭みたいなアホ」
「さー? なんか向こうが張った結界の中に何千年も引きこもってるのがいるらしいわよ。ボッロボロの本によれば、大昔は人間滅びるかっつーくらい被害があったらしいし。そんなんの討伐に強制連行される予定だったわけよ。さて、どうなる美少女!」
「鏡はないからそこらの桶の水でも覗いて来な」
「ひどっ!」
「結局嫌気がさして逃げただけだろ。で、魔法はどうやって覚えたのさ」
「魔法使うおっさん拉致して無理矢理聞き出したわ。勇者とやらのお伴するにしてもしないにしても、なんか使えた方がいいでしょ。つか、隠れるのに便利だから変身能力優先になっちゃったけど」
「その、転んでもただでは起きないところはいいなー」
「でしょ、でしょ。もっと褒めて」
「はいはい、えらかったねー。はい終わり。しっかしぶっちゃけ、ホント短い事情だな」
 呆れたように茶を啜り、ユージーンは器用に肩をすくめた。存外に親切な彼は、お約束なタイミングで腹の虫を鳴らしたエレンに昼食まで用意してくれたりなんかする。ひとり暮らしのようだが、意外に快適な家屋は好印象だ。


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