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「いえ、たいしたものでは……」
「手の内は明かさない?」
「! いえ、そういうわけでは!」
 焦って、アリアは一歩退いた。
「本当に、魔法は殆ど仕えないレベルなんです。ただ、技術とか研究とか、そういうものに興味があるのです。……こちらの国では、魔法を使う仕組みや、医療技術への応用の研究が進んでいると耳にしましたので」
「うん? 君は医師か?」
「見習い……ですが」
 透明感のある紫の瞳にのぞき込まれ、アリアは更に後退った。本当は、北で師事していた医師に免許を言い渡されているのだが、辺境と中央では多岐にわたり技術差が著しい。加えて実践経験が少ないとあれば、この地で医師と名乗るのはおこがましいだろうとアリアは思う。
 果たして、アリアの言い分をどう受け取ったか、フェルハーンはただにっこりと笑い、頷いた。
「そうか。それじゃ、まだ勉強したいこともあるだろう」
「は、はい、それは勿論です」
「なら、空いた時間に出来るように、取り計らっておこう。教師をつけるなどは出来ないが、書庫や医院へ立ち入り出来るように」
「え!?」
 驚いて、アリアは目を見開いた。
「あの、何かディアナ様からお聞きなのでしょうか……」
 都合良く事が運びすぎる。疑うというよりも、何か手を回しておいてくれたのではないかと、アリアはディアナの姿を思い浮かべた。勝ち気な主人はけして甘い人ではないが、正当な理由さえあれば色々と融通を利かせてくれる。
 だが、フェルハーンは一瞬、不思議そうにアリアを見た後で首を横に振った。
「ディアナは何も言ってないよ。でも、そうだな。君が勉強したいと思ってこの国に来たのなら、私が今日君を連れ出すことになって、そしてこの話題が出たのは僥倖だったということだろう。ただの思いつきも、たまには役に立つ」
「はい。しかし、殿下のお手を煩わせてしまいますが……」
「うん? 気にしなくて良いよ。それなりに地位や身分のある者の推薦状があればいいんだ。君の場合、規定の文章にディアナがサインするだけでいい。10秒もかからない。通行証の発行は文官がやるし、私は命令するだけでいいんだから、これを手間だと言えば、国民全員に嬲り殺されてもおかしくはないな」
 それより、と言葉を続ける。
「そろそろ魔法院へ向かおう。あちらはもっと面白いと思う」
 頷き、アリアは促されるままに魔法の言葉が書かれた床の上に立った。魔法を発動させる古代語であることは判るが、その文字の組み合わせは、アリアには解読不可能なレベルである。魔法院へ向かうというからには、移動に関連したものなのだろうが、これから何が起こるのかは、全く持って想像も付かない。
 アリアが定位置についたことを確認し、フェルハーンは懐から掌に収まるほどの薄い石版を取りだした。そしてそれを、円の中心にかざす。
 瞬間――奇妙な浮遊感の後、何、と考える間もなく光の粒子が体を取り巻いた。
(魔法が……見える?)
 普通、人ひとりが魔法を使うときなどは、いちいちその力が目に見えることはない。見えるのは、具現化された水であったり炎であったりといった、魔法を使った結果現れたものでしかない。だが、魔力、と一般に称される魔法の源が高密度になり――言わば結晶化されると、誰にでも見ることが出来るようになるとされている。
 だが無論、滅多に見ることの出来るものではない。感動による高揚感を覚えながらアリアは、周囲を眺め回す。
 そして、その衝撃は突然だった。全身を捻られるような、しかしそれでいて痛くも不快でもない奇妙な感覚が全身を襲う。あ、と思う間もない。例えるなら、微睡んでいるところを急に平手で叩き起こされるような、「何が起きたのかさっぱり判らない」状況。
 ふと我に返り気がつけば、既に周りの景色は一変していた。
「大丈夫?」
 苦笑混じりに、フェルハーンが問う。呆然としたまま首を縦に振り、アリアはやっとの思いで立ち上がった。
 魔力の満ちた空間、それには変わりない。しかし、それまで居た執政区の極めて機能的な、しかし素っ気ない室内が、繊細な彫刻の施された広い空間へと変貌していた。薄暗く、他に誰もいないのか、しん、と静まりかえっている。長い柱に支えられている天井を見上げれば、見事なステンドグラスが目に飛び込んだ。
 静謐、という言葉が如何にも相応しい。
「ここは魔法院の最も古い部分。いつの時代のものか判らないほど昔から建っていた神殿の一部だよ。古代人は地に流れる魔法の脈を読み取れたのかな。こういう四方から自然界にある魔の力が集まる場所に、古代の神殿は建てられている事が多い。魔法使いなら判るかな。普段よりも魔力の回復が早いはずだ」
「そう――……思います」
「ただし、魔法の発動は他の場所よりも強力になるから、基本的にここでは、決められた魔法以外を使ってはいけないからね」
「しかし、今のは……」
「移動陣だよ。魔法の道で繋がった場所に、一気に移動することが出来る。普通は、専用の魔法式が書かれた魔法鉱石を持ってないと使えないけど、君は、魔法使いだから、自分で魔法式を唱えれば大丈夫だろう」
 聞いたこともない単語を耳にして、アリアは眉根を寄せ、首を傾げた。
「まぁ、とりあえずこっちにおいで」
 フェルハーンの足音が高く反響する。慌ててアリアは、その後を追った。よくよく目を凝らせばその先に、細く縒られた絹糸ほどの光が漏れていることが判っただろう。だが、アリアがそれに気付く間もなく、フェルハーンの手によって扉は開かれた。重く、鈍い音が響き、光が溢れ来る。
 色彩の奔流。
 まぶしさに細めた目の前の、例えようもない美しい光景に、アリアは体が震えるのを自覚した。
「どう? 綺麗だろう」
 得意げなフェルハーンの声が、耳の奥をただ素通りする。返事も忘れたまま、アリアは明るさに慣れた目で周囲を食い入るように見つめた。
 外から見れば、円錐形の屋根をしているのだろうか。見上げた天井は先ほどと同じく高く、梁が複雑に組み合わさっている。その下は幾つかの階層に別れており、吹き抜けの空間に渡された橋が通路となっていた。まともな床があるのは、アリアたちが今立っている最下層とその上の階のみである。さしずめ、地上一階と地下一階といったところだろうか。
 しかし、アリアが目を奪われたのは、施された彫刻や嵌め込まれた絵、ステンドグラス、そして構造上の素晴らしさにではない。
「あれは……、一体なんなのですか?」
 そう、フェルハーンに問う声は、完全に裏返っていた。それを恥ずかしいと思う余裕もない。
 アリアの視線の先、そこに存在する巨大な岩。大人が十数人、手を繋いで円を作っても囲いきれないほどの大きさはあるだろう。直径50メートル以上はあると思われるこの空間の中央に、天から降ってきたような形でめり込んでいる。高さは如何ほどか、地下に隠れている部分を含め、計上しようとして、すぐにアリアは諸手を上げた。
 無論、その巨大さに驚いただけではない。それはむしろきっかけだった。岩は不思議な光沢を持ち、表現しきれないほどの色の渦を表面に流し、目映いほどに輝いている。眩んだ目がそれでも捉えた色の洪水、その源がこの岩にあった。光の粒子がぶつかり合い、弾け、その度に、磨き上げられた珠のような表面に光が生じる。
「あれは古来よりこの地にあった。おそらくは一番大きな魔法鉱石だろう」
「魔法、鉱石……ですか?」
 先ほども疑問に思った、やはり聞いたこともない名称に、アリアは首を傾げた。伺うようにフェルハーンを見上げやる。
「魔法を吸収し、放出する性質を持つ特殊な鉱物の総称だよ」
「そのような石があるのですか!?」
「え? 知らない? ……ああ、それで」
 さっき、妙な顔をしていたのか、とフェルハーンは独りごちる。
「そうだね、きちんと説明するのは難しいんだが……」
 僅かに言い淀み、ふと、何かに気付いたようにフェルハーンは頭を背後に巡らせた。
「君ならどう説明する?」
 ひとしきり感動している間に、誰かがやってきたらしい。フェルハーンに倣いアリアも振り返ると、果たしてそこには、まだ年若い青年が扉に凭れるようにして立っていた。
「誰かが古代神殿への移動陣を使ったと思って見に来たのですが、あなたでしたか」
「返答になってないよ」
「断りもなく許可のない人を伴うような人に、尽くす礼など知りませんね」
 突き放したような言葉ではあるが、あきらかに感情は伴っていない。口喧嘩が挨拶代わり、といった様子である。王族に話しかけるに極めて不適切と言わざるを得ない口調であるが、おそらくはこれが彼らにとって普通なのだろう。見知らぬ他人の前で取り繕う様子も見せないのはどうかとも思うが、さすがにアリアが口を出す問題でもない。
 青年は、アリアの前に立つと、にっこりと笑って優雅に一礼した。
「はじめまして。私はギルフォード・ブライ。ここの所長をしています」
 肩まである真っ直ぐな銀髪が揺れる。身長差故に見上げた先の瞳は、澄んだ空色をしていた。
(……うわ)
 ディアナやフェルハーンに慣れたはずの目にも映える、硬質の端正な顔。見惚れるよりも先に、見つめているのが恥ずかしくなるような美貌である。年はフェルハーンと同じくらい、20台半ばから後半、といったところだろう。
 平々凡々が擬人化したようなアリアとしては多少気後れのする相手ではあるが、仮にもいち王女の侍女、主人の為にも初対面で礼を失するわけにはいかない。一息で呼吸を整えると、アリアは叩き込まれた礼儀作法通りに名乗り返した。
「アリアと申します。ディアナ殿下の侍女として仕えさせていただいております。宜しくお見知りおき下さいませ」
「こちらこそ宜しく。……しかし、こちらには何用で?」
「私が案内しているんだ」
 アリアが返答に詰まる間もなく、フェルハーンが口を挟んだ。
「ディアナはかなり魔法を使うのでね。後々魔法院にも関わってくるだろうけど、王族の姫がほいほい出歩くわけにも行かないだろう? それで、こちらの侍女どのに代わりにいろいろと覚えてもらおうと思ったんだ」
「わざわざ、直通の移動陣を使って、ですか?」
 苦言に、アリアはフェルハーンを見上げた。どうやらここに来るときに使用した魔法の道は、特別なものであったらしい。
 だがフェルハーンは気にした風もなく、反対に嘆かわしそうに首を振ってみせた。
「有り難がって拝むものでもないだろうに。使おうと使うまいと、もともと道は通っているのだし、使ったからといって他と比べて何が減るわけでもない。利用できるものは使わなければ損だよ」
「開明的で結構ですがね。別に移動陣の使用自体について文句言っているわけじゃありません」
「おいおい、仮にも王族に向かって、『文句』はないだろう」
「『諌言』『直言』『提言』、どれでもお好きなものを」
 フェルハーンは無言で天を仰いだ。
「むやみやたらに見せてはいけないのは、この場所と魔法鉱石であることはご存じのはず。案内というのなら、この上からでも充分だったでしょうに」
「うん、まぁ、それは判ってるんだけどね。彼女も魔法使いだって言うし、医療魔法の研究にも興味があるようだし。それに何より、ここは一部の人にしか知らされない、抜け道のひとつだしね。ディアナの侍女としてそういう道のひとつくらいは覚えておいた方が良いだろう?」
 王や領主の住む大きな館には必ずひとつはある、緊急の際の脱出経路。王宮ともなれば幾つあるのかは知るべくもないが、いくら王女付きとは言えアリアのような身分の者に教えるくらいであるから、一子相伝といったレベルの秘密事項ではないのだろう。フェルハーンの言い訳にしぶしぶの呈で頷いたギルフォードだったが、魔法院の所長としてはあまり広めては欲しくなかった様子である。フェルハーンに向けられた目は、険呑に細められていた。
 ギルフォードの拘りの原因である巨大な岩、もとい魔法鉱石は、王都に縦横無尽に張り巡らされた魔法の網に魔力を供給する役目をしているとのことである。王都の生命線とも言うべき力の源であり、そういう意味では確かに気軽に人が立ち入って良い場所ではないだろう。
 だが、巨大すぎる岩は明らかに「この上」からでも見ることが出来る。おそらくは触ることも可能だろう。それなのに何故この最下層の立ち入りのみ咎められるのか。そうアリアが問うと、ギルフォードはもっともらしく頷いた。
「一階の床より上の部分は、樹木で言う地上部分なのです。対してこの場所は根の部分。上は魔法を吸収するということ以外不可能ですが、下のこの場所では、魔法陣を用いて力を引き出すことが可能です」


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