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 最下層であるアリアたちのいる場所から見れば、言い尽くせないほどの美しい光を放つ鉱石は、ひとつ階上、地上一階からはただの岩にしか見えないように仕組まれている。普通に正面から建物内に入った場合踏み入れるのは一階。そこからでは、地下から上を見上げていたはずの空間には、清澄な水が満たされいるようにしか見えないのだと言う。どういう仕組みなのか、勿論アリアには判らない。厳密に言えば、仕掛けが作られたのは書物も残っていないほどの昔、古代魔法文明が栄えていた時代であり、ギルフォード自身も「大きな異常がおきたらどうしようもない」と諦めたように肩を竦めた。
 そういった複雑な魔法陣を組み合わせて守るほどの魔法鉱石とは、簡単に言えば魔法を吸収し、または放散する性質を持つ特別な鉱石の総称である。石本来の種類とは全く別のもので、金の原石がそういう性質を持つこともあれば、そこいらに転がっている雑石も稀にそいう力を持っているものがあるという。この魔法鉱石の巨岩のように、強力な力を有しているものは例外として、基本的に希少で、見つけるには人間の方に特別な目が必要となる。
「聖眼……ですか?」
「そう。こればかりは遺伝でも努力でもどうしようもない。なんらかの切っ掛けでか先天的才能か、とりあえず何の法則もなく、突然魔力の流れや性質が見えるようになった人の目をそう呼ぶのです。魔力が高密度に圧縮されたような、この魔法鉱石のようにもの凄い魔力を宿したものは誰にでも見ることが出来ますが、普通は誰かが魔法を使っていても見えないでしょう? ところが、聖眼をもった人は、魔力の流れそのものを見ることが可能なのです」
 巨石などは望むべくもないが、手に収まるほどのものであっても、魔法鉱石はかなりの力を発揮する。
「石に魔力を注ぎ込むのは簡単です。基本的に、持ったまま魔法を使えば自然に溜まっていきます。時間が掛かってもよいのであれば、大地の力の強いところに置いておくのもいいでしょう。ただ、放出させるときはそうは簡単にいきません。自分の体内にある魔力を使うときと同様、手順を踏んで引き出さなければなりません」
「言葉で唱えても駄目だよ。自分でないものに宿った力を使うのだから、魔法陣を描くことが必須だ」
 魔法使いは自分の体内にある魔力に声を持って呼びかけ、魔力を魔法に変換させるが、石にはそれが通じない。故に、直接石に魔法を記号化させた魔法式を刻むか、何かに描かれた魔法式の所定の位置に石を配置する必要がある。これら、固定の場所に図案化された魔法式の文様を魔法陣という。
 ディアナの館でも、勝手に火を噴く竈や、どこからともなく水の湧く桶などが存在した。巨大な魔法鉱石から流れ出る魔力の通る先に、それを呼び出す魔法陣があれば、魔法が具現化されるということだろう。あれはこういう仕組みだったのかと、アリアは漸く合点のいった様子で頷いた。
「イースエントには、魔法鉱石はなかったのか?」
「はい。大きな家にはひとり、専属の魔法使いがいて色々と補助をしていました。一般家庭では、水と言えば井戸か川、火と言えば火打ち石という生活です。魔法も昔から言い伝って来たことが殆どで……」
 言いながら、自分の田舎者具合がどうにも恥ずかしくなってきたアリアである。言えば言うほど墓穴を掘るようで、自然、目線は下を向いていった。
 それを見てか、ギルフォードは可笑しそうに笑う。
「なに、魔法は古代の方が発達していましたよ。口伝の魔法の方が洗練されていることもあります。そのあたり、また一度お話を伺いたいですね」
 そつのないフォローは、そうと判るだけにアリアにとっては余計に恥ずかしい。
「医療魔法にも興味があるのでしたね。あれの研究者は実は少ないんです。給金は出せませんが、参加して下さるとありがたい。なにせ、人手不足ですので」
 もともと、魔法使いの絶対数そのものが少ない。その上、国は軍事力となる攻撃魔法や日常生活品の開発には援助をしても、あまり当てにならない、魔法の医療への応用技術については、協力を渋っているとのことである。
 ギルフォードに細めた目を向けられ、フェルハーンはむっとしたように口を尖らせた。
「治癒魔法は効果が少ない上に、万能じゃないしね。傷は早めに治せますが三日間寝込むことになります、とかいうレベルじゃ本末転倒だよ。それよりも、目に見えて役に立つ技術の方を今は優先的に開発しなきゃいけない。それに、薬や外科手術の方が、人を特定せずに広められるから」
「それは判っています」
 渋い顔で、ギルフォードはフェルハーンを睨みつけた。
「私は自分の空き時間を使って研究しているのですから、文句は言わないで下さいよ。……ということですので、アリアどの」
「は、はい」
「自主的に魔法の研究をされるのは、魔法院の長として歓迎します。禁書などはそもそもここにはありませんので、蔵書はご自由に利用いただいて構いませんよ。ただし、持ち出しは禁じられていますので、それだけは守って下さい」
「はい、ご厚意感謝いたします」
 深く、アリアは礼を取った。自分でも現金だと思うほどに、気分は上昇している。この場にディアナやレンが居れば、嬉しさの余り、抱きついて飛び跳ねでもしたかもしれない。
 表面的には努力の元自重して、なんとか王族の侍女としての対面を保つ。些か緩む頬を引き締めつつ、アリアは気になったことをギルフォードに訊ねた。
「お伺いしてもよろしいでしょうか」
「はい? 私に答えられることであれば」
 空色の目を細めて、ギルフォードはアリアを真正面から見つめた。彼の隣でフェルハーンも、アリアに向けて視線を流す。
「先ほどご説明いただいた魔法鉱石ですが、あれは医療魔法に使えないのでしょうか。例えば、大きな怪我は治せないとしても、病気の症状を和らげるといったように」
「ああ。多分それは可能でしょうね。ただ、結局は適正な治癒魔法を選択する為の人が必要になるでしょう」
「そう……なのですか?」
「痛み止めの効果のある魔法式を石に刻んだとします。それは一定効果を示しますが、人や状態に合わせて効果を変動させることは出来ません。切り傷の痛みを和らげるのに例えば家にあったからと言って、骨折したときの痛みに照準を合わせた魔法の掛かった石を使った場合、どうなると思います?」
「痛みは取れますが、……体力は強力な治癒魔法を使った影響で、必要以上に消耗してしまいます」
 ギルフォードの誘導に、アリアは漸く気付いて口に手を当てた。気持ち、小声になりつつも返答する。
 途中で話を切らなかった事を評価してか、ギルフォードは眼を細めて頷いた。
「その通りです。薬と同じです。結局、適切な魔法効果を診断する人が必要になってくるとすれば、素直に薬を使った方が早いでしょう。多少の量の調整など、まだしも融通が利きますから」
「それに、医療魔法を使うとすれば、魔法使い自身に普通の医師と同じレベルの医療知識も必要になるんだ。魔法を識り、魔法を発動させるための呪文――式を構築する知識を頭に入れるだけでも大変だというのに、更に上乗せして別の知識が必要になるんだからね。魔法抜きで普通に医師になった方が早い」
「……はい」
 医師であるアリアは、確かにその通りだと思った。薬では癒せない終末期の疼痛の緩和や、早急な効果を求める治療に役立つのではと思ったが、人によって症状や状況が違うのが病気である以上、一定の、全く同じことしか繰り返せない魔法というのはリスクばかりが高くなる。
「認めたくはないが……」
 ため息を吐くように、フェルハーンがちらりと隣を一瞥した。
「君くらい優秀な魔法使いの治癒魔法なら、薬を使うより遙かに役に立つんだ。だが、国内に数人じゃ、供給が全く追いつかないだろう?」
「……オホメニアズカリ、コウエイデス」
「なんだ、その棒読みは」
「おかしいですね。心を込めて感謝を述べたつもりですが。伝わらないのであれば、その高貴なる御手にヨロコビの接吻でもお許しいただけますでしょうか」
「君が女性なら、喜んで手でも口でも差し出すところなんだがなぁ」
「今ほど、男で良かったと思ったことはありませんよ。全く、貴方という人は本当にエルスランツの男なんですか?」
「それ以外に何だと言うんだ。この髪を見れば判るだろう」
「あ、あのっ」
 意を決して、アリアは声に出して割り込んだ。はっとして、男二人が口を噤む。そうしてやや気まずげに目を逸らしたのは、他に人目があったことを忘れかけていたという自覚があったからだろう。
 本来であればアリアも、目上の者が会話している中に、口を挟むことなどはしない。声が掛かるまで、目立たないところでひたすら待つのも、侍女の仕事の内である。だが、このときはどうしても聞いておきたい事があった。
「申し訳ありません。お話を遮るなど……」
「いえ、こちらこそ。魔法使いでない者が訳知り顔で口を挟むものですから」
「使えないだけで基本の知識はある」
「大人げない幻聴は無視するとして、何か他に質問でもありますか?」
「あ、は、はい。その、先ほどの続きになるのですが」
 アリアの喉が鳴る。
「例えば、……魔法の籠もった石から、直接魔法を吸い出して自分のものにする、ということは出来るのでしょうか? そうすれば医療を行う魔法使いの消耗も緩和できるのではと……」
 言葉も途中に、アリアはその先を言い淀むこととなった。
 その場の空気が、急に様相を変えたのだ。長くもない文句の途中で失言だったと気付くほどに、――アリアの言葉が切れてから1秒と経たないうちに、沈黙が落ちたと体感できるほどに。
 僅かに目を眇めたギルフォードは、フェルハーンと顔を見合わせた後、心持ち自嘲を含んだ笑みを口元に刻み込んだ。
「無理です」
 断定。どこか寂しそうに、やるせない表情のまま、ギルフォードは正面からアリアを見つめた。
「例え石に自分の力を染みこませたのだとしても、一旦石に吸収された力を再び取り込むことは出来ません。自分の体を離れた時点で、別の何かに変質するのだと考えられています」
 今日これまでで、一番真面目な顔をしたフェルハーンが言葉を継ぐ。
「石の力をそのまま使うより、自分の力に足せないかという考えは昔からあった。主に軍事方面でね。可能であれば、理論的にはひとりの人間が延々と魔法を使うことが出来ることになる。……私としては不可能で幸いだがね」
「……殿下」
「普通、優秀な魔法使いが一度に一回しか使えないほど魔力を消費する魔法を、戦場で連発されてみろ。戦術も何も、あったものじゃない。それは戦争とは呼ばない。殺戮と言う」
 フェルハーンにしては強い口調に、アリアは己の浅慮を恥じた。勿論、違う方面での希望を込めて言った言葉ではあったが、言い繕う気にはなれなかった。フェルハーンの言葉はそれほどに重い。
 俯いたアリアの肩を、優しく叩く手があった。
「私も考えたことはありますよ。いえ、それどころか、今も可能にできないかと、惨めったらしくしがみついています」
 驚いて、アリアは顔を上げる。ギルフォードは目を伏せて、苦しげに呟いた。
「軍事に利用できないほど、些細な力の流入でいいのです。それができれば……」
「そうだね、それは私もそう思う」
 同意して、フェルハーンはアリアに目を移す。
「ギルフォードはね、ずっと同じ研究をやってるんだ。君はそれについて、聞いたことないかい?」
 思い当たる言葉に、アリアは胸の前で拳を作った。
「魔力の生産、貯蓄、そして放散。そのいずれかのバランスが著しく悪い為に起こる、魔法使いだけの病気――……」
 アリアの心臓が、痛いほどに鳴った。
 知っている。嫌というほどに。何故ならそれは、アリアの罪の名であったから。

 魔力不均衡症候群。
 アリアが生まれたときから、それは常に体内にあった。


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