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 (二)

 魔法使いには、持って生まれた才能が必要となる。主には血筋――そして、その中の偶然。
 ”魔法使いの血統でない者は魔法使いではない”と断定できるように、全ては血統が決定する。突然、思いもかけない人が魔法を使う能力を持つこともあるが、それにしても先祖を辿れば必ず魔法使いに巡り会う。
 だが、能力自体はかなりの個人差があり、家族内でも大きく優劣別れることがある。それは「魔法レベル」という名称で区分され、細かく言えば三つの型でもって表現される。
 人が体内で生み出す魔力の量、「生産」。
 体内に魔力を貯蔵する力である「貯蓄量」、もしくは「許容量」。
 魔法という形で対外に顕す「放出」。
 一般に魔法レベルはこの生産、許容量、放出が全て同レベルであるため、単純に「魔法レベル」と言うだけで事足りる。しかし何事にも例外はつきもの。魔法使いにもこの三つのバランスが崩れた者が存在し、古くにはそれらは害為す者と位置づけられ人知れず処断されていた。現在は病気として扱われているが、厄介な存在であることには変わりない。
 魔力不均衡症候群、それがあまりにも不名誉な、その病名であった。

 *

 館に戻ったのは既に陽の落ちた夜。心配してか、使用人達の通用口の外で待っていたレンに一言謝ってから、アリアは主人が好んで使う室に向かった。
「随分遅かったな」
 咎める様子もなく、むしろにやりと人の悪い笑みを浮かべて、ディアナはアリアを迎えた。何を想像しているのやら、そう思いながらアリアは完璧なまでの礼を取る。不在を詫び、報告するための主人に対する儀礼だが、戸口に警備の者が控えている以上、省略するわけにもいかない。
 ディアナが許可を出し、アリアは扉を閉めてから室内に足を踏み入れた。
 初夏の夜、開け放たれた窓から流れる微風が心地よい。庭に植えられた香木の、清涼な匂いが鼻腔をくすぐる。上品な、木目調の調度と落ち着いた色合いの絨毯も、来訪者の気分を和ませる一役を買っているのだろう。数度深呼吸を繰りかえしたアリアは、妙な安心感で胸が満ちるのを覚えた。
「なんだ、そんなに疲れたのか?」
 苦笑しつつ、ディアナは書き物を中断してアリアに向き直った。四方の壁が部分的に柔らかい光を放っており、室内は人の表情がはっきりと判る方に明るく調整されている。昼に聞いた王都での魔法の仕組みを思い出してよく見れば、壁の飾り模様に紛れて確かに魔法陣が描かれていた。巨大な魔法鉱石から導かれた魔力は、この魔法陣で魔法という力に変わったのだと思うと感慨深い。
「で、何か成果はあったのか?」
「はい。……ありがとうございます」
「礼など要らぬ。わたくしはお前のやりたいこと全てを援助する。それが10年前に交わした契約であろ?」
「……はい」
 偶然、ディアナがアリアの抱える問題について知ったのは丁度10年前。アリアはディアナの侍女として仕え、ディアナはアリアの全てを援助する。それがその時にひとつの約束と共に交わされた契約であった。身分の違いこそあれ、多感な時期を共に過ごした親友であると言える。
 もともと、イースエントの王宮はキナケスのそれほど格式張ってはいない。加えて亡命王女ともなれば表面上はどうであれ、厄介な存在であっただろうこと、否めない。
 結果、半ば放置された状況で暮らしていたディアナは、王族としては破格なほどに気さくな人物に育っていた。今もアリアを座るように促し、当たり前のように手ずから紅茶を用意している。
「魔法院は、楽しかったか?」
 微妙な表現で、ディアナは成果の所以を問う。
「移動の魔法陣は面白かっただろう?」
「事前にああいったものがあると、教えて下されば恥をかかずに済みましたのに」
「初めてのものは多い方が心浮き立つだろう? あれは魔法院の長が発掘して利用して出来たものだ」
「ギルフォード様が?」
「なんだ、あ奴にも会ったのか」
「はい」
「ならばそれは、今日の最大の成果となっただろうな」
 ギルフォードの研究内容を知っているのだろう。ディアナは満足気に頷いた。この反応に驚いて、アリアは彼女を凝視する。
「ご存じでしたか」
「と、言うほどには知らぬな。直接会ったことはない。ただ、イースエントに居たときから、魔法について根本から研究している奴がいることは耳にしていた。いずれ招こうと思っていたのだが、そ奴は急死したと聞いてな。ギルフォードは、その弟子だ」
「そうでしたか……」
 理由を聞けばすぐに納得は出来るものの、ディアナの情報収集力は全く持って侮れない。
「ギルフォード様には、魔法院に自由に出入りする許可をいただきました。空いた時間に、そちらへ行くことをお許しいただけますか?」
「許すも何も、それが目的で、あの義兄にお前を預けたのだからな。気兼ねすることはない。必要なときは事前に知らせるから、好きなだけ勉強してくるがいい」
 寛大というよりも、キナケスへ来てからこちら、暇をもてあましているアリアへの揶揄が含まれているようだった。要するに、慣れた侍女に対しての甘えを含んだからかいである。
 人手の足りなかったイースエントとは違い、館での暮らしは役割ごとに仕事が細分化され、ディアナ直付きの侍女であるアリアやレンは随分と手持ち無沙汰な状態が続いていた。ディアナの着替えの手伝いや外出着の準備、言い渡されたお使いなど、全てそれ専用に雇われた人間が居り、その領分を侵すと反対に嫌な顔をされる始末である。手の掛かる深窓の、或いは我が儘な王女であればまだしも細々とした仕事はあっただろうが、ディアナは身の回りのことはおろか、一日のスケジュールの調整、客の応対まで自分でやってしまう有様。曰く、自分のことは自分でやるとのことで、その精神は見上げたものだが、侍女としては存在理由を問いたくなる主人でもあった。
 ディアナの言葉へ直接返答することはなく、アリアは誤魔化すように紅茶を口に含んだ。
「それで、何か手がかりは見つかったのか?」
「いえ、そこまではまだ」
 首を横に振る。
「ただ、魔法鉱石というものを見せていただきました」
「ほう。イースエントにはなかったものだな」
「それで……その、お願いがあります」
 片方の眉を上げて、ディアナは続きを促した。
「巨大な魔法鉱石……。王都皆のもので、大事なものだとは判っています。無理を承知で、あの魔力を分けてもらう行為をお許し下さい」
「己の糧とするか」
「ほんの少し、足りない部分を補うために……」
 それはどんな部分だろう。言いながら、アリアは顔を歪めた。部分ではない、全部だと。
 魔法使いは常にその身に魔力を宿している必要がある。人が寝ていてもエネルギーを使うのと同様、魔法使いはエネルギーに加えて肉体を維持するために魔力を常に消費しているのだ。持って生まれた才能が高ければ高いほど維持に使う魔力も増えていくが、無論それは通常、自らの身に生産される魔力以上のものではあり得ない。
 だが、アリアは異常だった。魔力不均衡症候群。その極端な例であり、おそらくは世界に一人だけの症例であろう。
 魔力生産能力がなく、貯蓄許容量と放出が尋常でないほど高い異常な型。魔法使いとしての素質がその威力として現れる放出のレベルの高さで示されるのなら、アリアは間違いなく超一流の魔法使いである。だが実際にはとんでもない欠陥品に過ぎない。
 魔力が体内で生産出来ない以上、本来アリアは生きていられるはずのない存在である。出生することも奇跡に等しい状態で、しかし彼女が今まで生きながらえていたのは、欠陥を補うように持って生まれた特殊能力所以だった。
 ――アリアの懇願に、ディアナは哀しいような、それでいてどこか慈しみを含んだ目を向ける。
「それがお前の助けになるのなら、好きなだけ分けてもらうといい」
「ディアナ様……」
「ただし、ギルフォードには断りを入れねばな。まぁ、そちらは任せておけ」
「ありがとうございます……!」
「しかし問題は、だ。お前、石からも直接吸い取ることが出来るのか?」
 返答の代わりにアリアは、懐から手のひらに乗る程度の小石を取りだした。一見、何の変哲もない雑石だが、高レベルの魔法鉱石なのだという。別れ際、フェルハーンがサンプルと称してアリアに渡したものだ。
「この小さな石では時間はかかりますが、可能でした。私の手はどうも、節操がないようです」
 皮肉っぽく、己の手を見つめる。
 これが、アリアの特殊能力だった。魔力を持つ全ての存在から、それを吸収することの出来る能力。そうして、他から魔力を奪い取ってアリアは生きてきた。魔力だけではない。その気になれば人の生命力でさえも奪ってしまえることをアリアは知っている。
 何と深い業であることか。
 この罪深い生から逃れる方法はひとつ。自ら命を絶つことだ。そしてそれができない欲望の強さも、アリアは罪だと思っている。
 言葉を止めたアリアを見つめながら、ディアナはふとため息をこぼした。口を開きかけ、その度に思案し、また沈黙を落とす。幾度となくそれを繰り返し、やがてディアナは無理矢理のように微笑を顔に浮かべた。
「節操なしで幸いだろう。これからは気付かれないように怯えながら、こそこそと隠れて大地やら樹から得る必要はなくなるのだからな」
「……はい」
 努力して、アリアは唇を笑みの形に曲げてみせた。ディアナの言うことはもっともだが、自分の生が浅ましいことには変わりない。まるで寄生虫だなと心の中で嗤う。
「ところで、その小石はどうしたのだ?」
 話を変えるように、ディアナはアリアの手の中に視線を転じた。
「魔法鉱石は貴重だ。しかも、お前には見分けがつかないだろうに」
「はい。フェルハーン殿下にいただきました」
「義兄上が?」
「はい。なんでも聖眼の持ち主ということです。私にはさっぱり判りませんが、この石も美しい魔力の色を宿しているとか」
 アリアが見た、結晶化した魔力の渦。道ばたの石にでもあれを見いだせるのだとすれば、羨ましい限りである。或いはアリアが聖眼の持ち主でもあったのなら、より魔力の強いものを選んで魔力の補充が出来たであろう。魔力を奪いすぎて植物を枯らしたり、肥沃な土を痩せて実のならないものに変えてしまったりすることもなく、己の罪にここまで苦しむことはなかったのかもしれない。
 アリアがそう感想を漏らすと、ディアナは幾分渋い顔をして、唇を噛んだ。
「あの狸め……」
「え?」
「いや、何でもない」
 苦笑して、ディアナはアリアを見遣る。
「魔法鉱石は高価なものだ。いくら自分が見つけられるからといっても気軽に人にやれる物ではない。お前にくれたのはただの好意かもしれんが、何か意図を含んでいる可能性もある。気をつけることだ」


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