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 その美しい横顔を盗み見ながら、アリアは男の言葉を思い出していた。彼の言うことが本当なら、現在の王の政権はかなりの綱渡り状態と言える。長きにわたる内戦の後で全勢力共に疲弊している状況でなければ、もっと露骨な動きがあったかもしれない。未だまとまりの欠ける状況でよくやっている方だと見るべきか、3年かけてまだ纏まらないのかと見るべきか、いずれにしてもアリアには判断材料が乏しすぎた。
「殿下、ゲイル・ザッツヘルグ様がお越しですが……」
 控えめなノックの後、扉の向こうから戸惑うような、伺うような声が響いた。呆れたことに、予定より15分も早い。
 アリアの視線を受けて、ディアナはただ頷いた。
「ゲイル様はどちらでお待ちですか?」
 声をかけつつ扉を開けたアリアが初めに見たものは、非常に気まずそうな小間使いの顔だった。その表情の示すところを思いついて、恐る恐るその背後に視線を向ける。この際、どうにも胡散臭げな目つきになってしまったのは不可抗力だろう。
 一見、穏やかそうな雰囲気を持つその男は、アリアと視線が合うとにっこりと笑いかけてきた。短く切られた薄い金髪が額で揺れ、派手な美貌を持つ義兄とは似てもにつかない細い眼が、好意的に細められる。
「やぁ、どうも」
 気さくというよりもあまりな挨拶に、アリアは礼儀も何も忘れて男の顔をまじまじと眺めてしまった。
 ゲイル・ザッツヘルグ。ザッツヘルグ領主の妾腹の次男坊であり、ザッツヘルグ領の運営に携わっている。そのため、王宮と領地の屋敷を行き来することが多い。21歳、独身。彼に関する情報はアリアの脳内図書館にはそれ以上存在しない。だが柔和な第一印象を信じるには、如何にも彼の動きに隙がなさ過ぎた。客人は案内された部屋でおとなしく待っているものだという一般常識を、平気で覆すあたりにフェルハーンに近い臭いを感じる。
「おや、こちらに来ていただけましたか」
 アリアの後ろからディアナが顔を出し、皮肉とも恐縮ともとれぬ微妙な声音で入室を促した。口元だけは緩やかに弧を描いているが、目は全く笑っていない。不作法には寛容なディアナも、予定外の叔父の乱入により、過敏になっている様子である。
 だが、ディアナの表情には意に介した様子もなく、ゲイルは微笑を崩さぬまま室内に足を踏み入れた。
「時間を違えまして、申し訳ありません」
 大物か鈍感なだけか、判別のしづらいところである。
「僅かなりとも早く、噂の美しき姫にお会いしたく心が急きました故、ご容赦下さい」
「噂を聞いているとすれば、美辞麗句と無駄な挨拶を好まぬことぐらいは聞いているはずですな」
 ディアナは口端を吊り上げて笑う。いくら好戦的なディアナと言えど、客人に対する応対の仕方くらいは心得ている。相手の腹を探る目的もあり、初対面では大概友好的な仮面で取り繕うのは忘れないものだ。
 しかし何事にも、やはり例外はあるらしい。初対面のはずのゲイルに、初めから喧嘩を売る気満々の雰囲気である。
 何故か、とはアリアたちにとっては考えるまでもないことだった。彼の義兄のとばっちり、これで間違いない。ザッツヘルグの御曹司からの連日の「お誘い」には、ディアナはおろか、屋敷中の者が辟易しているのだ。なまじ、王族と言えどないがしろに出来ない相手だけにタチが悪い。
(この方が悪い訳じゃないんだけど)
 坊主憎けりゃなんとやら、である。
「用件を伺おう」
 盛大に、これ見よがしにため息を吐きながらディアナは元の椅子に座り直した。
「適当に席に着かれよ」
「あー、では、遠慮無く」
 見苦しくはないが優雅さは全くない。そう評したくなるような座り方を見て、館付きの小間使いが眉根を寄せている。アリアとしては、咎める気はおきないにしても、本当に領主の息子だろうかとくらいは疑いたくなる、といったところか。――けして、嫌いなタイプではないのだが。
 複雑な表情を浮かべるアリアを見て、ゲイルはまたもにっこりと笑ってみせた。
「あ、僕は紅茶は苦手なので、水をお願いします」
 気を利かせたつもりなのか、単に自ら言いたかっただけなのか、いずれにしても神経が太いことだけは確かである。余程慣れた仲であるならともかくも、普通、客人自ら無遠慮に要求したりはしない。
 アリアは呆れ、小間使いは扉の端で憤慨している。しかし、普通の貴族の姫であれば間違いなく眉を顰めるような行為にむしろ、ディアナは面白みを覚えたようだった。不機嫌な表情が崩れ、僅かに口の端が上がっている。
「……では、わたくしはお茶を頼もうか」
 苦笑しつつも、便乗したような言葉をアリアに投げ、ディアナは改めたようにゲイルに向き直った。ひとつ頭を振ったところを見ると、義兄は義兄、彼は彼、と気持ちを切り替えることにしたらしい。
 アリアは主人には見えないように笑いながら、手早く紅茶を淹れ直した。
「それで、今日こちらにいらしたのは、どういったご用件ですかな?」
 落ち着いたディアナの声が、背中に響く。
「失礼だが、そちらとわたくしに、これと言った接点は思いつかぬのだが」
「そうですねぇ、単に兄に頼まれただけで、僕の用事はありません。――強いて言えば、そうですねぇ。兄の誘いを足蹴になさる殿下と拝見したかっただけでしょうか」
「ほう、ザッツヘルグの御曹司となれば、夜会を断る輩も珍しいと見える」
「珍しいですねぇ。普通は招待客の末席に加わるだけで、皆小躍りしますから」
「それで? わたくしに有難くご好意を拝命しろと?」
「いえいえ。まさか。『近いうちに招待する夜会に参加しなければ、王族としての立場が危うくなる』と伝えて来いと頼まれましてね。そのまま言い伝える用は済みましたから、これで僕のお使い用事は終了です」
 両手を合わせて、ゲイルは会釈するように頭を下げた。
「後は殿下がどう判断されようと、僕の知ったことではありません」
 耳に飛び込んできたとんでもない科白に、アリアは何度か目を瞬かせた。
 完全な脅しであるが、まさか言った本人は、全くそのまま伝言ゲームのように伝えられることになるだろうとは、思ってもいなかっただろう。にこにこと笑みを崩さないゲイルであるが、正直アリアには、彼が何を考えているのか読み取ることができなかった。ただ彼が義兄の言葉を、真綿に包んで遠まわしにディアナに言う気ははじめからなかった、それだけはわかる。
 ディアナは、ただ面白そうに笑った。
「ま、考えてはおこう」
 名門中の名門の主催するパーティともなれば、呼ばれるだけでかなりの箔が付く。身分としては横並びの他領主の子女であっても、義理と余計前な難癖をつけられるのを防ぐために、表面上は喜んで招待を受けるものだ。王家の姫も例外ではない。
 ディアナも一応は貴族社会の一員、そういった付き合い上の義理や必要性は十分に判っている。ただ彼女の場合、一度だけ参加し、二度はないと心に決めただけの話である。控えの間で立ち尽くして待っていただけのアリアには判らないが、それは、パーティを装った腹の探りあいや政治的な社交の場ですらなかったらしい。「主催者が自分で得たものではない権力と金を誇示し、それを崇めてもらう為の会だ。無意味を通り越して有害だった」と不機嫌全開でディアナははき捨てたものである。
 だが、その主催者の義弟には違う感想を持ったらしい。ディアナは皮肉を交えつつもそれなりに楽しそうに、ゲイルと会話を続けている。
「アリア」
 そのうち、手持ち無沙汰に立ち尽くしていたアリアに、ディアナが声をかけてきた。
「もう少し、時間がかかるようだ。特に手間をかけるようなことはないから、お前は下がっておれ」
 翻訳すれば、以後は密談になるから部屋から出ておきなさい、ということである。もともと人払いをする予定はおろか、長く話す気すらなかっただろうディアナにしては珍しい。登場の仕方からして怪しい人物ではあったが、どこかディアナのツボに嵌ったのだろうか。
 疑問はあれど、拒否する権限などない。アリアはふたりに深く頭を下げて、静かに部屋を後にした。

 *

 移動用の魔法陣を使い、魔法院の一室に移動したときには既に日が沈みかけていた。フェルハーンの誘導でやってきた古代神殿直接ルートではなく、一般に知られた方を使用したため、魔法鉱石のある中央塔までは少し距離がある。
 まだ熱気の残る通路を抜け、魔法院の正面入り口まで来たものの、何故か一般来訪者用の入り口には鍵がかかっていた。
「はい? ええと、ああ、お伺いしてますよ」
 あいにくとギルフォードは不在だったが、アリアのことはきちんと伝わっていたらしい。迷った挙句声をかけた所員は、疑う様子もなくアリアを所員用の入り口に誘導した。
「すみませんね。表の扉が開いてなくて。今日は魔法装置に異常がないかを調べる日なんです」
「そうなんですか。すみません、そんな日にお伺いしてしまいまして」
「ああいえ、5日に一回はある作業ですし、むしろ暇なくらいです。魔法装置の販売もありませんし、一般客がありませんからね」
 一般に魔法を使えない人がその恩恵に与るには、魔法鉱石と魔法を発動させるための回路や魔法陣の描かれたものが必要となる。そういった品も魔法院で販売されているのだと言う。アリアが魔法鉱石の存在を知ったときに考えた、医療用品への活用は難しいとしても、手燭の代わりに灯りの魔法を宿した装置などは、実用化されて一般にも出回っている。
 ディアナの屋敷で見かけるものの他にどんな装置があるのか、アリアとしてはそちらも興味深い。
「そういえば、今日は裏から来なかったんですね? あっちなら、許可さえあれば、いつでも出入り自由なんですがね」
 所員用の通路を案内しながら、不思議そうに年配の所員はアリアに問いかけた。確かに、先日の訪問の時にギルフォードの承認を得たこともあり、地下への移動魔法陣の使用と魔法鉱石の根元部分への立ち入りは許可されている。
「あ、はい。この間、一階部分を見ることが出来なかったので、今日はそちらから行ってみようと思ったのです」
「でも、魔法鉱石を使って、医療魔法の実験をするんでしょう? 一階部分に露出している鉱石には、幾ら魔法陣を刻んでも効果を引き出すことは出来ませんよ?」
 どうやらディアナは、アリアが魔法鉱石を使った実験をしたがっているというふれ込みでギルフォードの許可をとったらしい。王都の生命線とも言うべき魔法鉱石をそのような個人の実験目的で使うのは明らかに違反だろうが、――おそらく、王族の権力と寄付という名の裏金が働いた結果だろう。アリアがおかしな行動をしない証明に王族の名が使われ、消費、言い方を変えれば吸収する魔力の量に見合った金額が支払われるのであれば、魔法院も否とは言えまい。
 どこまでもディアナに迷惑をかけていると思うと、胸が詰まる。いくらそれが契約であるとは言え、アリアの方からはなにひとつ返せるものがない、それがアリアには苦しい。
 もともと、対処不可能とされた魔力不均衡症候群の解明、果ては自らの体の仕組みを知るために、ディアナに付いてこの国へやってきたのだ。魔法使い特有の病気で、当然通常の内科的治療も外科的治療も受け付けない。医療魔法の頂点とも言うべき研究に、アリアは自らの命を差し出すつもりでいる。
 何としてでも成果を上げなくてはならない。自分の、そしてここまで強く力になってくれている、ディアナの為にも。


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