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 そう決意を固めながらも、アリアには消しきれない罪悪感がつきまとう。自分で魔力が生産出来ない以上、魔法研究に使う魔力すらも、他のものから奪わなくてはならないのだ。そしてその為に、他の研究員を欺くのだ。
 そして今日は、欺く方の用事で魔法院へやってきた。
「――私は魔法鉱石のことを殆ど知りませんから、一階部分がどうなってるのかも、一度ちゃんと触れて見ておきたかったんです」
 無理矢理に笑顔を作り、もっともらしい言い訳を口にする。
 所員は、納得したように笑い返した。
「この国に居るとあって当たり前のものなんですけどね。他の国から来られた方は、まぁ、大概驚きますね」
「ええ、なんて便利なものがあるんだって、吃驚しました」
「そうなんですよね。でも、石から魔力が全部抜けたら補充しなきゃいけませんし、素早く補充できるのは魔法使いだけですからね。自分も含め、所員は、皆結構オーバーワークですよ」
 事務の者かと思っていたのだが、案内をしてくれている男も、どうやら魔法使いであるらしい。魔法「院」であるにも関わらず、長を所長と呼び、従業員を所員と呼ぶのは、魔法院の前身が魔法研究所であった名残だという。
「巨大なあの魔法鉱石にも、あなた方が魔力を供給されるんですか?」
「そういう時もありますけどね。普通の日にね、魔法鉱石に魔力を入れにくる人がいるんですよ。大概は魔法を使うことを本格的な職業にしていない、力の弱い魔法使いなんですけどね」 
 漸くたどり着いた廊下の突き当たり、愛想のない白い扉を所員が開く。
 促され、アリアは所員の後ろを付いて中央塔に足を踏み入れた。誰もいない空間は、灯りも落とされて薄暗い。
 先日見た光景とは違った印象に、アリアは意外な思いで中央に居座る岩を眺めた。魔法鉱石は一筋ほどの光もなくただの岩肌を露出させ、見るものに圧迫感と陰鬱な重さを与えてくる。あの見事な輝きを放っていたものと本当に同じ岩なのか、説明は聞いていてもにわかには信じがたい。
 階下から上を眺めたはずの吹き抜け部分は、確かにそこ深く水が張られているようにしか見えなかった。
「魔力を石に入れる行為は通常、正面から入って真っ直ぐ進んだ、この階段の上で行います。そこで直接石に触れて、魔法を使います。そうして、石が自然に魔力を吸収するのを待ちます」
 階段を上った先には大人がひとり足を延ばして座っていられるほどの幅を持った足場がぐるっと岩を囲む形で展開されていた。魔力を供給しに来た人は、ここに立ち、或いは座りながら何時間か岩に触れていることで岩に魔力を染み込ませるのだという。無論、無償行為ではなく、供給された魔力の量と質により、見合った金銭が支払われている。
「魔法レベルを調べるのと同じ装置ですね。あれで、来た時と帰る時の魔力の体内貯蓄量を調べてるんですよ。質の方は、魔法使いとして院の名簿に登録されたときに調べられますから、それを参考にしています」
 火を灯す油にも質があり、それにより明るさや持ち時間が変わってくるように、魔力にも質が存在する。同じ魔法を使ったとしても発動結果に個人差が出るのは、この資質に因るところが大きい。いくつかある属性のうち、得意なものが偏るのも生産される魔力の質のせいだとされている。
 このとき、魔法レベルを調べるように勧められなかったことに、アリアはひそかに胸をなで下ろしていた。おそらくはディアナが、ギルフォードにアリアの魔法レベルに関する情報を予め与えておいてくれたのだろう。
 表向きはレベル3――どうにか魔法使いと呼べるぎりぎりのレベルで、アリアはずっと通している。低いレベルの魔法使いはそれ自体に劣等感を感じている者も多いため、そう牽制をかけておくと、大概は魔法レベルの話を避けてくれるのだ。今回もそれが功を奏したのだろう。
「ここの通路で――その、ちょっと触ったりしても構いませんか?」
「ええ、どうぞ。叩いても蹴っても壊れませんので、大丈夫ですよ」
 笑い含みに言いながら、岩肌を小突く。鈍い音がして、しかし他には何の変化もなかった。何らかの保護魔法が掛かっている可能性もあるが、そもそも岩の質自体が頑丈なのだろう。
「まぁ、何かあったら、私は先ほどの場所にいますので、声をかけて下さい」
「はい。ご親切にありがとうございました」
「いえ、医療魔法をやってくれる人は少ないですからね。また、所長も交えて意見交換でもしましょう」
 言って、にこりと笑った所員は、足を返したところで思い出したように振り向いた。
「あ、そうそう。魔法院に持ち込み禁止のものは特にありませんが、実験途中魔法装置や移動陣のあるところには、別の魔法装置や魔法のかかったものを持ち込まないようにだけして下さい。互いに干渉しあって、何が起こるかわかりませんから」
 他にもいくつかの注意事項を告げ、持ち場に帰っていった所員に深く礼をして見送り、アリアはようやくのように魔法鉱石と向き合った。
 研究を行う以前に、生きるための魔力を得なければならない。
「すみません。いつまでになるか判りませんが、お世話になります」
 岩に向かって、アリアは詫びの言葉を入れた。これまでも、植物や大地から魔力をもらうときにそう述べていたのだ。食事の前に糧となった生物または植物へ感謝を述べる行為に近い。
 わずかに緊張しながら、アリアは岩肌に手のひらを当てた。そうして、触れ合った感触に意識を集中させる。
「……っ、」
 途端に流れ込んできた力に、アリアは思わず膝をついてうずくまった。指先から手のひらに、手のひらから腕に、そして全身に、体の中を汚泥のようなものが染み広がり、内臓をかき回されるような不快感が襲う。思考回路は、頭に直接響くような不可解な自分のものではない思考の渦に混乱を来たしていた。
 何が起きたのかは判っている。ただ、予想以上のものだった。
 自分のものではない力を無理やり吸い取る行為だ。それが純粋にひとりの存在から得るものであればまだしも、いくつかの力を混ぜたものである時点で、既に魔力としては濁ってしまっている。それを体に入れるのであるから、多少の苦痛はあって当然と言うべきか。だが、複雑な思考を持たない植物と人のものとでは、濁り方が比べ物にならなかった。
 胸から競りあがってくる吐き気を沈めつつ、たまらずにアリアは石から手を離した。途端に途切れる力の流入に、アリアはほっと息を吐く。ひんやりした床に体を投げ出して、襲いくる眩暈を少しでも軽くしようと固く目を閉じた。
 震える手で額を押さえる。入り込んできた魔力の量は、確かに植物から分けてもらうときと桁違いであったが、これでは体のほうが持たない。もう少し、吸い取る力を弱めなければならないだろう。これまでと同じように強く力を求めたのは失敗だった。
「もうちょっと、少しずつ引き出すイメージで、……どれくらいだろう、これ」
 荒い息を吐きつつ、内面に集中する。
(1割、も増えてないか……。10分くらいしか我慢できなかったもんな……)
 自分の総許容量がどの程度なのか、アリア自身はっきり判っていない。体の中が魔力で満たされるほど、他のものから吸い取るわけにはいかないからだ。だいたいの感覚として全体の3割、それだけ魔力が入れば5日くらいは持つ。
 ディアナのような質のいい魔力を持つ者から分けてもらえれば、同じ量の魔力でももっと長持ちするのだが――……。
「大丈夫か?」
 突然、降ってきた声に、アリアは驚いて体を竦ませた。不快感に耐えることと考えることに集中しすぎて、他のことが疎かになっていたらしい。誰かがかなり近づいてきているというのに、全く気づかなかった。
「気分が悪いなら、連れて行ってやるが」
 ぼそぼそとした、低い声。男だとは判るが、目を開けば眩暈が襲うため、姿を見ることができない。知らない人物であることだけは確かで、それ故にアリアは警戒せざるを得なかった。
「大丈夫です」
 かろうじて声を絞り出す。
「ただの貧血です。少し休めば治ります」
 ひどく掠れたそれは、とても問題ないようには響かなかったけれど。
 強張った声音に呆れたのか、返事ができるようなら大丈夫だとみたのか、男はそれ以上の言及はしてこなかった。落ちた沈黙に、アリアはほっと息を吐く。
 だがその安堵もつかの間、階段を上り切り、男の足音が近づいてきた。さして広くはないが、人と離れようと思えば幾らでも見えない場所に行くことくらいは可能な足場である。意図があってアリアの方に向かっていることは間違えようがない。ぎよっとして思わず目を開いたアリアは、逆光に立ち尽くす人の影を見た。輪郭はぼやけ、顔はおろか、体格すらよく判らない。
 何を、と開きかけた唇が言葉を発する前に、その人物は急に身をかがめた。不自由な姿勢ながら身構えるアリアの手のひらに、何か軽いものが乗せられる。
「……?」
 殆ど重量のない、紙に包まれた何か。このような状況でなければ、飴だと思ったに違いない。
 アリアの戸惑った様子に、そのときには既に立ち上がっていた男が、やはりぼそぼそとした声で言葉を添えた。
「胡桃に蜂蜜を絡めて、オリーブの葉と共に炒ったものだ。魔力の回復に少しは効く」
「え?」
「こんな所で倒れてるんだ。どうせ、入れる魔法の量を間違えたんだろう」
 返事を聞く気はなかったらしい。言いながらアリアから離れ、男は岩を挟んだ丁度反対側に腰を下ろしたようだった。
「あ、ありがとうございます」
 ひと欠片の愛想も存在しない口調と態度だったが、親切には違いない。重怠い腕を上げて腹の上で紙包みを開ける。男の言葉通り、中に包まれていたのは飴の絡まった胡桃だった。胡桃の蜂蜜掛け自体はよく食される菓子であるが、確かにこれは、オリーブや他、薬草類と一緒に調理された匂いがする。
 ひとくち齧ると、癖のある甘みが口いっぱいに広がった。魔力の生産自体できないアリアには無論、魔力回復効果の恩恵に与ることもできない。しかし、その甘みと美味しさそのものが、巣食っていた不快感を消していってくれるようだった。正直、助かった、と思う。
 再び目を閉じて体の力を抜くと、幾分調子が戻っていることがはっきりとわかった。突然現れた男に感謝しつつ、頭の片隅で疑問に思う。――閉館日の今日、何故この男は慣れた調子で堂々と入ってくることができたのだろうか。アリアのことを全く知らない様子からすると、所員ではないだろう。そのくせ、勝手に入り込んでも咎められない人物となると、アリアには判るわけもない。自分の他にも特別に出入りを許されたものがいる、と考えるのが妥当なところか。
(お礼……しなくちゃな)
 所員の誰かに聞けば判るだろう。
 未だまとまりのつかない思考の中で、知らぬうちにアリアはゆっくりと意識を手放した。



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