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 それが――どういうわけだろうか。
 日付を越して何の連絡もない仲間に焦れ、ザサは砦を飛び出した。見つかれば厳罰をうけるのを覚悟で、愛馬を走らせた。中天には星が瞬き、月は半円を描き、それなりに見知った道を間違えるわけもない。
 それなのに、向かった先に村はなかった。あったのは、闇に溶けていくような炎だけだった。
「ウェイ、キール、ラエル、ユアン、……」
 馬を下りて歩き、叫ぶ。何度も呼ぶ名に、返事はない。
 そのうちたどり着いた炎の切れ目、そこに炎に焼かれた大岩を見つけ、そしてザサはぎよっとして後退った。
「ルセンラーク……」
 刻まれた文字を読み上げ、ザサは顔を上げた。その先に見える、炎と煙と、何かの残骸。全身に戦慄が走る。
 間違っていなかった。ここは村だった場所だ。そして、その名に記憶がある。
「っ、隊長――っ! 居るんでしょう、返事して下さい!」
 田舎村のくせに、大仰な名前だ、と笑っていた。ほんの、数時間前だ。
「ビュライさん、デック先輩、ジョシュアさん……!」
 仲間の名を呼び続ける。しかし、応える声はない。
 他の場所に行っている可能性を考え、首を横に振る。何らかの変更があったならば、ザサに連絡が届くはずだ。ここまでの道もひとつ、わざわざ隠れるように敢えて迂回する理由も見つからない。入れ違いになることもないだろう。
 つまり、どれだけ感情が否定しようと、仲間達がここに向かったことは確かで、他の場所に避難したことはないことだけははっきりしていた。
 茫然としたまま、どれだけ歩き回っただろうか。炎の熱さに耐えかねて、小さな溜め池の水を被った直後、突然、ザサは背後からの襲撃を受けた。
「誰だ!?」
 右の肩を掠めて炎の中に消えていった矢の、その射手を探す。一瞬、反撃が遅れたのは、仲間である可能性を拭いきれなかったためである。炎に照らされ、逆光故に自分だと気付かなかったのかと。
 だが、転じた視線の先、物陰からザサを狙う人影は、全く見知らぬ顔だった。何もの、と思う間もなく、第二矢がザサを襲う。
 咄嗟に避け、反射的に懐に手を入れる。いつも忍ばせている短刀に触れると同時に、勢いをつけて相手に放った。反復訓練によって培われた、反射的な反撃である。
 果たして短刀は、鋭い軌跡を描き、見事に相手の胸に突き刺さった。声もなく、男は崩れ落ちる。
「……敵か?」
 動かなくなったことを確認して、ザサは男の元に駆け寄った。今度は周りに、他に敵がいないかと注意を払う。結果論ではあるが、この襲撃のおかげで、ザサは騎士としての冷静さを少しばかりか取り戻すことが出来たのも確かである。
 一向に衰えを見せない黒炎のおかげ、というのも妙な話だろう。だが昼のように明るかったが故に、男の身を検めるのは随分と容易だった。
「この制服は……、なんで奴らが?」
 ところどころ煤け、泥と血にまみれてはいたが、見間違えようもない。湧き出てきた疑問は、何故自分が彼に襲われたか、ではなかった。何故、彼が――彼らがここにいるのだろう。
 それならば、必要はなかったのだ。
 カチリ、と頭の中に火花が散る。眉根を寄せて、ザサは口元を押さえた。
 事切れた男の制服にも、帯びた剣にも、はっきりと見て取れる戦闘の痕。そして問答無用の、敵意に満ちた先ほどの襲撃。これは、何を示すのだろうか。
 判りそうな気がする、だが判りたくない。理性ではなく感情が、頭の中で渦巻いた。せり上がる嘔吐感を堪えきれず、ザサはその場にしゃがみ込む。溢れ出たのは胃液ばかりで、その苦さにザサは胸を押さえた。
 帰らなければ。
 そう、体に言い聞かせて、ザサは深呼吸を繰り返す。誰かに知らせなければ大変なことになる。
 汚れた唇を拭い、全身に力を込めてザサはどうにか立ち上がった。走る気力はないが、馬は少し離れた場所で待っている。それに乗れば、一番近くの駐屯地に駆け込むことが出来るだろう――……。
 だが、ザサの両足が歩き出すことはなかった。
 前触れもなく背中に感じた衝撃に、ザサはまさかという思いで振り返る。確かにこの辺りには、何の気配もなかったのに。
「おはようございます。――良い、朝ですね」
 揺れる視線の先、ゆったりと微笑んだその、顔。緩やかに弧を描いた紅い唇。本来なら場違い甚だしい表情はしかし、何故か他のどんなものよりもその人物にふさわしいものに感じられた。
 この惨状を、喜びの目で眺められる人物。笑顔で、背後から刃を投じた。
(こいつが――……)
 背中から足に、伝い流れるものがある。遂に踏み出すことの出来なかった両足が膝をつき、ザサは崩れるように倒れ落ちた。
 
 *

 ルエッセン騎士団、二小隊全滅。
 それがどの程度の規模なのか想像が追いつかず、アリアはきょとんとした目でギルフォードを見つめた。
「そうですね。騎士団によって多少ばらつきはありますが、大体いち小隊は二十人前後で組織されます」
 一大隊、五中隊、二十五小隊、五十分隊、百班、五百騎士、とギルフォードは歌うように言った。キナケスにおける基本的な軍編制を単純に示すとそうなるらしい。基本単位は五人。大隊の数は騎士団の規模によって異なる。
「ルエッセンは比較的小規模ですが、編制自体はどこも同じですから、二小隊で騎馬騎士約四十人ですね。本隊がある砦はかなりの数の騎士で守りますが、治安維持の為の駐屯地の施設ですと、これくらいの人数が入れ替わりで警備します」
「ということは、それだけの人数が村の救出に向かったのなら、施設は空になったのではありませんか?」
「施設と言っても、警備騎士の宿泊施設のようなものである場合、有事の際には総出動しますね。まぁ、大概二、三人は残るものですが、緊急性にも因りますので」
 言いながら、ギルフォードはため息をこぼす。つられてアリアも、深刻な面持ちで眉間に皺を寄せた。感想は同じだったのだろう。悲痛と疑惑を足して困惑で割ったような複雑な表情で互いを見遣る。
 今朝、王都に飛んだ早馬は、人々の眠気を吹き飛ばす勢いで凶報をまき散らせた。それは人々の口を介して耳を通り、幾ばくかの憶測と誇張を含んで広がり続けている。
 昨日深夜、マエント国境に近い村が、突如正体不明の集団の襲撃を受けた。その報を受けて、村に最も近い駐屯地の兵が救出に向かった。――ここまでは、まだいい。村人にとっては不幸な話であるが、この手の話はどんな時代であれ、絶えることはない。
 問題はその先、その後何が起こったか、についてである。
 結論を言ってしまえば「判らない」としか言いようがない状態、というのが正しいのだろう。救出の作戦開始後、他の駐屯地に連絡が入ったのは一度だけだった。
「本当にマエントが関与しているんでしょうかね」
「判りません。ディアナ様のところにはそういう情報が入っていたのですが……」
 比較的早い段階でその報を聞いたアリアだが、知っていること自体はたいして他と変わりなかった。ディアナへの報告を一部始終聞いてその程度であるから、軍部自体、まだ詳細は判っていないのだろう。
 事の経過の中にある唯一の情報、「賊の中にマエント兵を見た。応援を要請する」、そう言い残して元来た道を引き返した騎士もまた、行方不明になっている。正確に言えばルエッセン騎士団二小隊、襲撃を受けた村の住民、そして襲撃した方の集団、その全員の行方と足取りが全く掴めない状態にあるのだ。
 その場所――村があったはずの場所に到着したルエッセン騎士団本隊の団員が見たものは、一面の焦土だけだった。人はおろか、家も何もかもが跡形もなく焼き尽くされた様子で、はじめは全員が道をどこかで違えた、と思ったくらいだったという。
 何があったのか。人々はどこへ消えたのか。そもそもにして、事の始め、原因が判らない。
「マエントって、前の王様の正妃様の出身国ですよね。その正妃様のお子でいらっしゃらない、陛下のことをマエントはよく思っていない、とかはありませんよね?」
 否定されるのが前提のようなアリアの質問に、ギルフォードはちらりと笑みを浮かべた。
「あ、でも、そもそも本当にマエント国が関与しているかもわかりませんよね」
「そうですね。報告に来た騎士の言葉だけでは断定できません。それに、確かに陛下は先の内乱で、ディオネル様と敵対なさいました」
 ディオネルは、先王ホランツの第四王子であり、母はマエント王女とする。
 ホランツ王の死去後、第一王子であったウエルトが即位、しかし彼が何ものかに暗殺されたのを機に内乱勃発。これは、第一次内乱と称され、第二王子レースト、第三王子ハインセック、そして第四王子ディオネルそれぞれの陣営が三つ巴の戦いを繰り広げた二年間を指す。
 その後、レーストが勝利して即位。ハインセックは幽閉、ディオネルは離宮に飛ばされることとなった。だが、このレースト王は現在先王と呼ばれる立場にはない。先王と言えばホランツのことを指すほど、レースト王の政治は治めるとは言えないほどに迷走した。近いうちにクーデターが起こる、そう誰もが予想する中、即位二年後にレースト王は事故で死亡。反王組織の怒りは爆発することなく行き場を失い、混乱の中、先王の正妃を母に持つディオネルが即位した。
「ディオネル王子と言えば、当時23、でしたか。まだお若く、即位の経緯もあって后妃の発言力も強く、マエントを随分と優遇される政策が続きました。その後、再び陛下がお立ちになり、二度目の内乱が起こりました。結果としてディオネル様はお亡くなりになり今に至るわけですが、このためにマエントは、我が国に大きな借りを作ってしまいました」
 言葉を止めて、ギルフォードはアリアを見つめた。その教師のような表情は、明らかにアリアの発言を促している。
 そう、難しい質問でなかったのは幸いか。
「遙かに規模の小さい属国の立場でありながら、主国を動かそうとしたことがそもそもの間違いですし、その上で政争に敗れたのでは、国自体が滅ぼされても文句は言えません。……ということですよね」
「その通り」
 ギルフォードは満足げに頷いた。
「三年前の国力で言えば、多少無理をすればマエントという国を消してしまうことも可能だったでしょう。ですが陛下は、国内の安定を最優先にされました。結局、マエントや隣のセルランド国の介入はあったものの、あくまで内乱であったという処理をされました」
「お咎めなし、ということですか?」
「いえ、幾つかキナケスに有利に働くような条約が結ばれました。関税に関することなどですが。あとはそうですね。今回の騒ぎに関連することですが、国境付近で変事が起こった場合の対処についてもありました」
 言葉を選ぶように、ギルフォードは間をおいた。
「地形上の問題なのですが、それまでは国境周辺で変事が生じた場合、第一に対処に向かうのは最も近い場所に存在する軍団、ということになってたのです。暗黙の了解ですが」
「と言うことは、キナケスの村が盗賊に襲われたとして、一番近いのがマエントの軍団であれば、そちらが救援に駆けつけても良かったということですか?」


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