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「そう。もともとマエントは、遙か昔にキナケスのマエント領が独立して出来た国で、他よりも繋がりは強いのです。なので、国境は定められていましたが、いち領地であった時代の名残で、そのあたりが曖昧なまま放置されていました。それが先の内乱を経て、正されることになりました。マエントの軍はキナケス王族及び六領主、騎士団団長以上の権限を持ったものの許可なくして国境を越えることを禁ずる、というものです」
「……逆は良い、ということですか?」
「キナケスの方はもともと、マエントを含む属国の有事の際は軍を出して関与する権限を持っています。まぁ、こちらはそのままです」
 そのマエント国の一軍が国境を越えてあまつさえ、村一つを襲撃した。もしくはそれに関与していた。そうなると国境侵犯はおろか、条約違反、果ては主権国に対する造反という問題にまで発展する。
 国際問題に疎い一般市民であるアリアから見ても、それはマエントにとって有害でしかあり得ない。キナケスが第三次内乱を起こすほど乱れているならまだしも、今比較的政治は安定しているのだ。気力体力ともに回復しつつある獅子を、幼児が素足で蹴り上げたようなものである。
 と、なれば当然考えられるのは、そもそもがマエントを罠に嵌めようとした何ものかの企みであること。可能性としてはこちらの方が遙かに高い。
 そこまで考えて、アリアは大きく息を吐き出した。
「なんにしても、争いにならないといいですね……」
「そうですね。私ももう、こりごりです」
 言いながら、ギルフォードはただ眼を細めた。アリアとは違い、自分の国の内乱を、ずっと見続けてきた者の科白である。その声音に含まれるものは重い。
 続ける言葉が見つからず、意志に反して沈黙を落としてしまったアリアに、ギルフォードは微笑を向けた。
「まぁ、陛下は賢明なお方です。正しい判断をしてくださるでしょう」
「はい」
「私たちは、自分に出来ることをやっていけばいいんですよ」
 暗に休憩の終わりを告げて、ギルフォードは手にしていたカップをトレイの上に置いた。冷めた紅茶を飲み干して、アリアも後に続く。
 魔法院1階の実験室。現在アリアは、その横に設けられたギルフォードの執務室で彼の師の論文に目を通している。未完成のまま終わったとされた推論は、弟子であるギルフォードによって少しずつ補完されているらしく、ところどころ但し書きが書き込まれていた。
 魔法の使い方について、魔法の発動方法についてはかなり研究が進んでいるが、根本となる「魔法使いが魔法を使える仕組み」については、現在の所あまり取り沙汰にされていない。騎士達が剣技体術の訓練方法に拘る一方で、食べたものが体内でどうエネルギーに変換されるのかということについて、全く関心を向けないのと似たような理由である。
 一週間ほど前から論文の読破と理解に集中していたアリアは、正直その完成度の高さに驚いていた。資料も研究対象も不足する中、よくこれだけのものがまとめられたものだと舌を巻く。ギルフォードにしても魔法院の管理や、国から直接依頼される魔法装置の開発に多忙な中、よくぞ諦めずに続けていられるものだと思うと、自然尊敬の念が湧いてくる。
「ギルフォードさんは、どうして魔力不均衡症候群の研究をされているのですか?」
 返ってくるだろう答えは、実のところ想像に易い。案の定、しばし目を伏せたギルフォードは、心持ちぎこちない動きでアリアの方に向き直った。
「妹が、そうだったんですよ」
 極力平静を装った平坦な声に、続く言葉を思いやって、アリアは目を眇めた。
「もういませんけどね」
 やはり、とアリアは肩を落とす。
 誰もが目を向けないことに必死になるのだ。その切っ掛けが、軽いものであるはずがない。人の体のことが研究対象である以上、近しい存在にその切っ掛けがあったと考えるのは、――もはや、推測とすら呼べないだろう。
 そして、ギルフォードには焦りがなかった。それは研究そのものを急ぐ必要がないことを示し、つまりはその対象が既に過去の者になっていることを意味する。
 覚えのある感情に、アリアは痛みを覚えた。
「私の双子の兄は、5-2-3型だったんです」
「……」
「もういませんけど」
 言わんとすることを察してか、ギルフォードは泣き笑いにも似た笑みを浮かべた。
 無論、アリアは自分も罹患している身であり、そういう意味ではギルフォードの立場とは一線を画している。だが、今は自分のために――詳しく言えば自分が他人に害を与えない方法を模索するために行っている医療魔法の研究ではあるが、切っ掛けを与えたのは確かに、今はもういない兄の存在であった。
 取り返しのつかない過去のことになったからこそ、その思いの始まりに余計に囚われて続けているのかもしれない、とアリアは思う。
「しかし、やはり魔法使いの原理は判りませんね」
 努めてか、研究者の口調でギルフォードは疑問を口にした。
「師の理論ですと、許容量低下型は生存するに問題ないはずですが」
「魔法は生産、貯蓄、放出の三段階に分けられると共に、身体の維持にも必要とされる、という仮定ですよね。私も、身体維持の為の魔力消費があるのは同意見です」
「魔法使いは明らかに、そうでない人に比べて病気に罹りにくければ、傷の治りも早いですからね」
「ただ、消費されてるのは実際には他にもあると思うんです」
「と、言いますと?」
「今まではっきりしなかったんですけど、魔法鉱石を知って、よりそう思うようになりました」
 慎重に言葉を選び、アリアは自分の考えを述べる。
「魔法が、魔法の発動を持ってしてでしか放出できないとすれば、人が魔法鉱石をただ持ってるだけでは魔力が石に染みこむなんてことあり得ないんです」
「石の方が少しずつ吸収している、というのが一般的に考えられていることですが……」
「それはあり得ません。魔法式にそのような記述はないからです。この間、魔法鉱石を利用した装置と、そこに描かれた魔法陣を調べてみましたが、全部、人が自分の中の魔力を使う時と同じ式でした。そうですよね?」
「はい、そうですが」
「魔法鉱石自体に意志はありません。そうすると、ずっと、常に一定の魔力を自然界から吸収していることになります。私たちが魔法陣を利用して引き出す魔力を5とすると、実際の効果はその一定の吸引分、つまり逆流分を差し引いたものでしかないはずなんです。ところが、私たちが5と指定した数値そのままに、きちんと魔力は引き出され、効果を発揮しています」
 ああ、とギルフォードが頷いた。仮定として納得してもらえた様子は嬉しいが、理論としてやや強引なのを自覚しているだけに、本当のことを言えないのがどうにも心苦しい。
 アリアが言った内容は、あながち嘘でもないだろうが、実のところ単なる後付けに過ぎない。魔法鉱石が自ら、他の生物から魔法を吸引などしていないとアリアが言い切れるのは、ひとえに自らの経験に依る。自ら魔力を生産できないアリアは、魔力の消費や残量に敏感にならざるを得ない。故に、魔法鉱石がアリアから余分に魔力を吸収しているのなら、減りの早さでそうと気付くのだ。だが実際には、フェルハーンからもらった魔法鉱石を身につけていようと、巨大な魔法鉱石を近くに休んでいようと、全く影響がなかった。
 即ち、魔法鉱石は自ら吸い取っているのではなく、もともと魔法使いが身体維持に消費しているのとは別のものを、単に染みこませているに過ぎないのである。
「私は仮に、『放散』と呼んでいますが……」
「なるほど。溜めておいた水が蒸発するように、体内に貯蓄されている魔力も、一定量、失われているのかも知れません。魔法鉱石は、自ら人から吸い取っているのではなく、勝手に人の体から放散されている魔力を吸収しているだけ、ということですね」
「仮定ですし、確証はありませんけど」
「いえ、しかしあり得ますね。そうなると身体維持に回される魔力か貯蓄されるほうかのどちらかが……」
 言いながら、自分の考えに入り込んでいったらしい。ギルフォードの声は、次第に小さく内にこもるものとなり、やがては完全に沈黙した。おそらく、頭の中では論文内容と計算が止めどなく展開されているのだろう。
 魔力不均衡症候群の研究が進まない理由に、患者が少ないということが挙げられる。罹患する確率が低いということは、魔法使いの家系にとって喜ばしいことなのだろうが、その少数例に当たってしまった身としては、嘆かざるを得ない。
 アリアの兄は、アリアに与えられるだけの魔力を与えて死んだ。自分が殺したのだとアリアは思う。通常であればともかく、魔力の欠乏がいよいよ深刻になったとき、かつてのアリアは力の制御ができなくなるという欠点も持っていた。加えて別の、呪わしい力を使う寸前だったことが兄の運命を決定した。
 思い出せば自己嫌悪に陥る。
 気持ちを振り払うように、アリアは大きく頭振った。
「ギルフォードさん」
 一拍遅れて、ギルフォードは顔を上げた。
「……妹さんは、何型だったんですか?」
 アリアのように体内の魔力が欠乏するタイプのものはそのまま「魔力欠乏型」。反対に体内で魔力が過剰に生産される、もしくは消費量が生産量に追いつかないタイプのものを「魔力過剰型」と呼ばれている。
 やや唐突な質問にギルフォードは首を傾げ、しかし途中でその動きを止めた。アリアの言わんとしていることが判ったのだろう。
「私の妹は、7-7-5型だったのです」
 研究対象が少ないのであれば、知っている症例をもとに考えるしかない。
「ああ、そうですね……。師の理論では問題ないはずなのに、実際には妹は、魔力の暴走で亡くなりました」
「そうなんです。失礼ですが、論文内での計算では、兄も何ら問題なく生活できる範囲に収まってしまうんです」
「そのようですね。ああ、これは本格的に、根本から見直さないといけないかもしれません」
 心持ち憂鬱の色を混ぜて、ギルフォードはため息を吐いた。一度完成に近くなったものをやり直すのは、ある意味はじめから作り上げていくよりも難しい。全てが間違っているわけではない以上、否定するところとの区別をつけなくてはならないからだ。
「何か、原因があったんですか?」
「原因?」
「放出低下の魔力過剰型ですと、――私の兄もそうでしたが、少し気をつけて魔力許容量が満タンにならないように魔法を使っていれば、大丈夫なんじゃないですか? だから、お亡くなりになったのは、別の要因があったのではと思いまして」
「ああ、そういうことですか。……そうですね。私は、妹が亡くなるまで、魔力不均衡症候群だとは知りませんでした。それくらい妹は上手く病気と付き合っていました。妹が亡くなった原因は、何ものかにかけられた特殊な魔法にあるのです」
 思い出してか、悔しそうにギルフォードは歯がみした。
「沈黙の魔法、と呼ばれています。かけた相手に、魔法を一切使えなくしてしまう魔法です。魔法式は判っていませんので対抗するための相殺魔法も解除魔法もありません。ありもしない魔法の捏造だろうとすら思われていたのですが、妹の件で、現存が確認されました。どういう方法でか、一部の人間に伝わっているようです」
 平穏な町中であれば、魔法が使えなくなったとしても、不便であるという程度だろう。しかし、戦闘中に魔法が封じられた場合、魔法使いにとっては致命的な状態となる。恐れるに十分な魔法でだろう。
「普通の魔法使いであれば、それでも魔法が使えなくなる、だけで済みますが、もともと魔力を溜め込む病気を持っていた妹には、致命的でした。許容できなくなった魔力はやがて、意思とは無関係に暴発します」
「暴発、ですか?」
「ええ。そうですね。仮に、魔力の『生産』を『水を汲み上げる装置』、『貯蓄』を『多少水漏れする貯水槽』、『放出』を『ホース』だと思って下さい。普通の魔法使いは、組み上げられる水の量に応じた貯水槽とホースを持っています」
 生産減少型であれば、組み上げ装置の故障、貯蓄減少型は貯水槽が小さく、放出低下型はホースの口が狭いということか。貯水槽が水漏れするのは、体の維持に使われる分に相当するのだろう。
「通常、ホースは貯水槽の一番上にあって、水が満タンになれば勝手に流れていきます。だから、組み上げる水の量が5、ホースの口径も5とすれば、貯水槽に過剰に水が溜まってしまうことはありません」
「はい」
「ところが、ホースの口が小さいと、水は流れずに溜まってしまいます。そうすると、そんなことはお構いなしに、どんどん水の汲み上げられる貯水槽は、どうなるでしょうか」
「中に装置の中に水がどんどん溜まって……ああ、そうですね。やがて、水の圧力に負けて壊れてしまいます」
「そうです。そうならないように、妹は常日頃から魔法をこまめに使っていました。そこに、『沈黙の魔法』です。魔法が使えなくなり、どんどんと魔力が溜まっていき、やがて魔力が暴発、というわけです」
「どういうことが起こるんですか?」
「本人の資質に依ると思いますが、大規模な火災が発生したり、洪水や地震、竜巻などの自然災害がおこるはずです。そうなる前に、妹は自ら命を絶ちましたが」
 ぎよっとして顎を引いたアリアに、ギルフォードは慌てて言葉を続けた。
「心配なさらずとも、『沈黙の魔法』はおよそ一般的なものではありません。脅威ですけど、あまり利用されてないところをみると、何かしら使いにくい制限があるのかもしれませんね。一部では、魔法の失敗により偶発的に起こるものだとも言われています」
「いえ、その……、妹さんのこと、聞いて、済みませんでした」
 さすがに、自殺だとは思わなかった。そう項垂れるアリアを見て、ギルフォードは少し苦笑したようである。
「お構いなく。私は、妹の強い心を誇りに思っていますから」
 忘れたわけではないが、すでに整理し終えた気持ちなのだろうか。病気が相手では恨みようがないというのが本当のところだろう。
 何と話を続けようか、そう、アリアが困惑したのを見計らったように、突然、短く、鐘を鳴らしたような音が響き渡った。壁面の文様がひとつ光り、淡く点滅を繰り返す。


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