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「来客のようですね」
 眉根を寄せながら、ギルフォードは壁に現れた色を読み取った。アリアは未だ覚えられないが、それで来客の種類が判るのだという。アリアが始め、フェルハーンに連れられて秘密の道を通ってやってきたとき、ギルフォードが無許可侵入者を察知したのと、魔法装置自体の仕組みは同じらしい。ただこの場合は、来訪者が所定の場所で必要事項を入力する。
 灰色、赤、そのあと3回点滅して、光は消えた。ギルフォードは渋面のまま、肩を竦めてアリアを見遣る。
「王家からの使いのようです。これは断れませんね」
「……村の襲撃の件でしょうか」
「十中八九。村と騎士団が跡形もなく消える炎など、普通ではありませんから」
 魔法に詳しい者へ、調査依頼が来たのだろうとギルフォードは嘆息した。
「私は行かなくてはなりませんが、アリアさんはもう少しここに居ますか?」
「いえ、そういうことでしたら、私もお暇します。帰りに、中央塔に寄っても構いませんか?」
「ええ、ご自由に。どこに行くのも、別に許可は要りませんよ。所員登録は済ませてますから」
 一応は国の重要機関、通常であれば、働く者に関しては資格と厳しい身元調査が行われる。アリアが魔法基礎知識を確認するような簡単な面接だけで済んだのは、紹介元がディアナという王族であったからに過ぎない。その事実はギルフォードによって伏せられていたが、通常の審査を通していないことは判るのだろう。妬みや不信感から、アリアのことをよく思っていない所員も何人かは存在した。全く知名度のない者が、意味もなく優遇されていては、確かに面白くなくて当然だろうとアリアも思う。
 基本的に親切な者の多い院内であったが、必要以上に敵を作らないためにも、自分を常に戒めておくことを忘れてはならない。
 警備の者に声をかけ、ギルフォードの室を後にしたアリアは、真っ直ぐに中央塔へ向かった。途中、すれ違う者が少なかったのは、やはり王都中に広がっている不穏な報せのせいだろうか。
 やがて到着した突き当たり、扉を開けて流れ込んでくる、ひんやりとした空気にアリアは目を細めた。休館日の今日は窓という窓が閉め切られ、そのために古い建物特有の埃っぽい匂いが鼻腔を通る。曇り空故か、差し込んでいる光は薄く、塔全体がぼんやりとした輪郭を描いて、どうにも頼ない。
 大きく息を吐いて、アリアは自分の体の中に意識を向けた。体内にある魔力は、まだ余裕があるようだ。十分に足りているとは言い難いが、余程のことがなければ数日は持つだろう。
 今日ここに向かったのは、純粋な魔力の補給というよりは実験に近い理由だった。即ち、どの程度の力加減でどれくらいの魔力を魔法鉱石から引き出せるか、倒れずに済むかの調整である。
 そうして、階段を昇ったアリアはしかし、そこでぎよっとして足を止めることとなった。
 足場の奥、岩の陰に隠れたあたりに人がいる。そうと気付いたのは足場に両脚が投げ出されていたからであって、それを見る限り、相手は隠れているつもりなどないのだろう。
 誰だろうか。思いつつ、恐る恐る物陰に隠れながらアリアは相手を伺った。
「何か用か?」
 頭を視界に収めたと同時に、見計らったように振り向いた顔。鋭い眼光に、アリアは反射的に立ちすくんだ。
「なんだ、この前の」
「え?」
「懲りないガキだ」
 口は悪いが、声の調子からすると莫迦にしているわけではないようだ。その低い、ぼそぼそとした喋り方に記憶を刺激され、アリアは大きく口を開けた。
「あ、この間の……」
「だから、そうだと言っただろう」
 呆れたように、男は肩を竦めた。
「もう体調は戻ったようだが、また倒れに来たのか」
「いえ、その、……あのときは、どうもありがとうございました」
 大きな影が、もぞりと動いた。岩の陰は暗く、アリアからは男の輪郭しか判らない。だが、体格差がかなりのものであることは容易に見て取れる。
 案の定、立ち上がった人影に――その見上げる高さに、アリアは本能で恐怖を覚え、そのままに後退った。か弱い乙女を演じる気などないが、薄暗い密閉空間で自分より遙かに大きな生物を身近に感じれば、誰だろうと同じ反応をするだろう。立ったときの足音からして、相当に頑丈な靴を履いていると判るが、その靴底の厚みを足して190cm近くはありそうな上背である。
 アリアの強張りに気付いたのだろうか。男は少し離れ、足場の柵に凭れながら何事か呟いた。一、二秒、間を空けて暖色系の灯りが灯る。ぼんやりとした光の珠は宙を気まぐれに浮遊し、数を増やしながら周囲を照らし始めた。
「わ……」
 照明魔法は低いレベルでも発動可能であり、その簡易さも相まって、多岐にわたり一般的に使用されている魔法のひとつである。だが、これはそう単純な魔法ではない。幻想的で子供騙しのようで、それ故に見る者を和ませる。実用性のある明るさも伴い、且つ眩しすぎず目に優しい、そんな微妙な調整は、並の使い手に成し遂げられるものではない。
「これでいいか?」
 声音はひどく突き放したものだ。無愛想極まりない。
「――まぁ、名乗っておこうか。俺はアッシュ。アッシュ・フェイツ。見ての通り、騎士団に所属している」
 声と同じように、愛想の欠片もない表情。しかし、向けられた灰色の目は、粗暴さや残虐性とは無縁の落ち着いた色を呈していた。相手を気遣う心があり、自ら名乗る礼儀もある。真っ直ぐにアリアを見つめてくる顔も、――美男とは言えないまでも、精悍でまずまず整っており、歪んだ性根を顕すような卑しさがない。少なくとも悪い人物ではない、とアリアは判断した。
 真っ向から視線を返し、アリアは礼を兼ねて深々と頭を下げた。
「私はアリアと申します。北方の生まれで姓はありません。ディアナ殿下の館に勤めさせていただいております」
 アッシュの団服は黒。シクス騎士団の色であり、階級章は中隊長、歳はおそらく20代半ばといったところだろう。となれば、団長であるフェルハーンに親しくしている可能性も高い。
「ああ、――あの」
 何が「あの」なのかはさておき、案の定と言うべきか、アッシュは訳知り顔で頷いた。
「団長から話は聞いている。あんたに会うこともあるだろうってな」
「え、そ、そうなんですか?」
「悪い。子供に見えたのは謝る」
 そう言えば随分失礼な科白を吐かれたなと、アリアは今更のように思い出した。しかし、自分の失敗で倒れたところを見られたのも事実であれば、実年齢より低く見られることも日常茶飯事、相手に悪気がないとすれば、いちいち目くじらを立てることでもない。
 アリアは笑い、ただ肩を竦めた。
「アッシュさんは、ここで何を?」
 やや強引な切り替えで、不問であることを暗に伝える。
「今日は、休館日だと聞いてますが」
「休んでる」
 言ってから、明らかに言葉が足らないと気付いたのだろう。
「俺の非番は不定期だからな。ここが開放されているときに来られるとは限らない」
「非番の時に、わざわざ来られてるんですか?」
「騎士団は一般家庭やあんたの働いている屋敷より、ここの魔力を消費してるからな。しかも、支払われている金は税金の成れ果てだ。凭れてるだけで少しでも還元できるなら、易いもんだろう」
 随分と世知辛いボランティアである。
 だが、アリアにはなんとも羨ましい。ギルフォードの言ったように、魔法鉱石が人の魔力を吸い取るというのが一般常識なら、この男は自分の魔力を減らすことを承知で無償提供しているのだろう。先ほどの複雑な照明魔法といい、多少の魔力の消失に頓着していないところといい、相当高位の魔法使いに違いない。
 要らないなら私に寄越せ。やっかみ半分、アリアは口元まで出かかった言葉を必死に飲み込んだ。代わりに口にしたのは、湧いて出た疑問である。
「でも、石に吸収させるって、結構時間かかりますよね。ずっとここに居るんですか?」
 魔法鉱石に吸収させるにせよ、染みこむのを待つにせよ、いずれにしても魔力の移動は緩徐であるはずだ。それを生活の糧にしている下級魔法使いならまだしも、無償提供というからには、時間的束縛が苦痛でないはずはない。静かで落ち着ける場であるには確かだが、足場はただの板張り、座り心地も寝心地も良好とはほど遠かった。
 アリアの指摘は、アッシュにとっては予想外だったらしい。しかも、悪い方向に。ただでさえ無愛想な顔に、眉間の皺が追加された。
「石に向かって、下手な回りくどい魔法式でできた魔法を使えばいいだろう?」
「え?」
「無駄に飛散したのを、石が吸収する」
 簡潔明瞭。だが、判らない者には言葉足らず。疑問符を頭の上に浮かべたアリアに、アッシュは不審感満載の視線を向けた。
「あんた、前はそれで倒れてたんじゃないのか?」
「え?」
「魔力を出し過ぎて、急性の欠乏症になったんじゃないのか」
「――いえ、ええと、その、欠乏は、確かです」
 慢性欠乏だ、嘘ではない。
「でも、その、……体調が悪かったので、気付かないうちに余計に魔力消費してしまってたみたいで、だから……」
 しどろもどろに、アリアは咄嗟の言い訳を口にした。
 魔法使いは病気に罹りにくい。そして身体損傷の際の治癒能力にも優れている。ただしそれは、体内にある魔力が自然に体を癒しているだけの話で、けして元から頑丈というわけではない。自分で自分に無意識に医療魔法を使っているようなもので、当然、傷や病気は癒えるが、体力はその分消耗する。気付かぬうちの身体損傷や罹患は時として魔法使いに予想外の魔力消耗や疲労蓄積を与え、それが予備能力を凌駕したときに突然の体調不良として現れる、――その事実は案外、一般には知られていない。
 だが、アッシュは魔法使い。一応の納得は得られたようで、アッシュの目は不審から呆れに色を変えた。
「レベルは?」
「……3、です」
「それで、医療魔法の研究か。無茶な話だ」
 理論だけで研究は出来ない。効果の程も消費魔力も定かではない、未知の魔法に手を出す必要性もある。それに耐えられるだけの魔力がないとそもそも研究が成立しないのだから、アッシュの指摘には反論の余地もない。
 研究をする必然性は誰よりもある。だが実が伴わない。判っているが故に、アリアの胸に悔しさと焦れったさが去来する。
 項垂れたアリアに、アッシュは変わらず平坦な声音で付け加えた。
「だがまぁ、……必要、なんだろ」
「え?」
「未熟だろうが力不足だろうが、何かしなきゃならんときは、ぐだぐだ拘ってても始まらん。無謀を承知ならそれでいい。これしきの指摘に、いちいち落ち込むな」
 励ましか叱咤か、微妙な科白にアリアはただ頷いた。魔法使いでありながら、無駄だとも止めろとも言ってこない相手は珍しい。今は一番の理解者であるディアナでさえ、――アリアの身体を心配してのことだが、はじめは研究に対してかなり難色を示したものである。
 意外さを含んだ視線に気付いてか、アッシュはより一層、眉間の皺を深くした。慌てて、アリアは取り繕うように言葉を続ける。
「あ、あの、さっきのことですけど!」
 じっとりと眇められた目が痛い。
「魔法鉱石に向かって魔法を使えばいいって、どういうことですか?」
「そのまんま、だ」


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