[] [目次] []



(四)

「こりゃアレだな。人間業じゃない」
 一足先に現場に向かっていた、ベテランの騎士が面白くもなさそうに言い捨てた。
「複数人の仕業、というわけでもありませんか?」
「冗談は言うねぇ。村は小さいとは言え、住居部分だいたい三百メートル四方はあった。それが全部、蒸発したように綺麗に消滅。お前さん、どうやったらこうなるか、説明できるか」
 もっともな指摘に、ギルフォードは緩く首を振ることしかできなかった。
 凶報より数日後のマエントとの国境に近い村、ルセンラーク。一夜にして消滅したその村の跡地に、ギルフォードは立っている。王家からの直接依頼により、魔法の痕跡を追跡するために派遣されたのだ。
 だが正直、正常な捜査の範囲を超えている――ギルフォードのみならず、現地に到着した面々は陰鬱な表情の中に同じ感想を持ったようだった。これが本当の辺境の、国家間の問題に発展し得ないような場所でおこった事件であれば、調査を待たず早々に匙を投げられていただろう。君子危うきに近寄らず、犠牲となった者の関係者には耐え難いだろうが、理解を超えた現象に延々かかずらっていられるほど、国家に余裕はない。
 面倒なことになった、とギルフォードは眉根を寄せた。
「生存者や目撃者はいないのですか?」
「今のところ、ないな。それもおかしな話だ」
「まさか。街道からそんなに外れてる訳じゃないでしょう」
「だから、おかしいんだよ」
 階級は低いがキャリアは長い――そんなベテランの騎士でさえ、一通り歩き回ると何も言わずに両手を上げた。
「で、魔法使いからの見解は?」
「複数犯ですね」
「おいおい」
「ただし、これは魔物が絡んでますね。お察しの通り」
 現場を見た瞬間に出た結論である。人間に不可能なら、人外の存在の仕業でしかあり得ない。三段論法ですらない直線的な回答だが、この際、深く考えるだけ馬鹿を見るというものだ。誰だって、反論など出来はしまい。
 そこまで考えて、ギルフォードは苦笑した。ひとり、反論しそうな人物に心当たりがある。――だが、その彼の主張が他に通じないこともまた、ギルフォードのよく知るところであった。
「炎を呼び起こしたのは魔物だと仮定しましょう」
 この場にはいない彼のことを頭から締め出して、ギルフォードは今は焼け野原となった一帯を見回した。
「魔物が何らかの意図を持って、人間のテリトリーに進入することは未だかつてなかったことです。おそらく、今回も同じでしょう」
「人間が誘導したってか?」
「一般には知られてませんが、不可能ではありません。そしてその証拠となるのが――……」
 黒こげの大地と、その境目に立つ燻られた大岩。ルセンラークと刻まれたかつての標識から数十歩進み、ギルフォードはそこにある石を無造作に拾い上げた。
「魔法鉱石ですね」
 うっすらと、魔法式を描いた名残が残っている。
「結界魔法ですね。単純なものですが、幾つか重ねると強力な結界を作ることが出来ます。炎の範囲をこれで区切るのが目的でしょうが、逆に見れば被害を限定したかったとも取れます」
「つまりなんだ、ここをこんなにした奴らは、被害の中身を全部決めて、きっちり仕事したってことかい?」
「目的は判りませんが、そうでしょうね」
 被害総計――村ひとつ消滅。村人、建築物、自然物全て含む。それに加えて、現場に駆けつけた騎士団二個小隊全員及び騎馬。不確定も付け加えれば、現場でルエッセン騎士団員が見たというマエントの兵も含まれるだろう。ただしこれは、何ものかが化けていた可能性もある。目下、マエントへ使節や偵察隊を派遣して調査中。
「誰が? 何のために?」
 吐き捨てられた言葉は、返事など一切期待していない調子外れのものだった。せめて後者だけでも判れば救いはあるのだが、事件から数日経った今も、詰められるような情報は揃っていない。
 会話は堂々巡り。誰も、何も判らないのだから仕方がないが、むなしいことにも変わりない。
「マエントからは何かお伺いでもあったのか?」
 イライラとした棘のある声音はそれでも、現場を見た人物の中では自制された方だった。倍の敵にすら怯まないと言われる騎士団の兵も、得体の知れない状況には緊張せざるを得ないのだろう。
「それは……」
「規制したよ」
 突如、割り込んできた声に、ギルフォードはぎよっとして立ちすくんだ。
 背後からの強襲、気配を見せないままに一撃。心臓に悪い。
「殿下」
「あれ、ギルフォード?」
 白々しい。射殺す一歩手前の視線で、ギルフォードは突然の来訪者を睨みやった。――彼がここに来ているなど、聞いていない。
 特徴的な朱い髪を嘆かわしそうに左右に振り、しかしフェルハーンは満面の笑みで友人の肩を叩いた。
「やぁ、ご苦労さま。ギルフォードが来ているんだったら、わざわざ寄るんじゃなかったな」
「奇遇ですね。私も今、そう思ったところです」
「……お前と心が通じ合っているとは、あまり楽しい想像にならないんだが」
「気色の悪い表現は、謹んでいただきたい」
「善処しよう」
 肩を竦めて、フェルハーンは騎士に向き直った。咄嗟にかしこまった騎士に対し、僅かに眼を細める。だがそれもよく見ていなければ判らないほどの一瞬、すぐに真面目な顔を作り、フェルハーンは状況説明を口にした。
「マエントからの説明とこちらからの伺いが入れ違いになるといけないのでね。マエントから使者は出さず、こちらが行くまでに報告をまとめておくように先触れを送っておいた。マエントへの使者は、私が昨日、国境でお送りしてきたところだ」
「殿下が? ここらはルエッセンの管轄でしょう」
「君たち、エンデの騎士団が来ているのと同じだよ。ルエッセンは周辺の警備で手一杯。おまけに内輪で葬儀もあるとくれば、当然人では足らないね」
「葬儀?」
「前のルエッセン騎士団団長だね。内乱が終わった後、後続に託して隠居したのがここ、ルセンラーク。当然、彼の姿もない。慣れ親しんだ騎士団を近くに老後を送りたいと言って住んだって話だから、運の悪いことだよ」
 言って、フェルハーンは肩を竦めた。
「上層部が二日ほど仕事を離れていたせいで、現場の騎士はてんてこ舞い。まぁ、そういうわけで現地調査はエンデとルエッセン合同、王都から発せられる雑用は、我々シクスが担当している。まぁ、ルエッセン騎士団が落ち着くまでの、暫定的な処置だけども」
「要人警護とはいえ、団長直々に護衛ですか?」
 騎士のもっともな科白に、ギルフォードも訝しげな視線を向ける。
「いつものお護りはどうされました?」
「お護り?」
「ひょろっとした背の高い、無愛想な彼ですよ。魔法の関与が見られる方面に魔法使いの護衛、それが適材適所でしょう」
「『ひょろっと』って……あれで結構ごついんだけどな。脱いだら結構すごいぞ」
「……そんな情報、誰も欲してません」
「ん? そう? じゃあ疑問に答えるけど、あいつは魔法使いって言っても殆ど攻撃専門。こういう異常な場所は適さないから置いてきた。それにこれは私の我が儘だ。現場を見ておきたかったんだ」
 そうだろうな、とギルフォードは苦笑した。騎士団という因習のこびりついた組織の中でも、フェルハーンは比較的未知のものに目敏い方だ。まだまだ不鮮明な分野である魔法の導入にも積極的であれば、こういった得体の知れない状況に対して第一線に立ちたがる。口さがない連中からは目立ちたがりとの悪評を受けているが、勿論、気にするような性分ではない。
 同時に、ギルフォードは思う。要するにフェルハーンは、根本のところであまり人を信用していないのだ。だからこそ、自分自身が真っ先に動かざるを得ない。――それを、彼自身が理解しているかどうかは別の話であるが。
「それで? ギルフォードはなんでここに居るんだい?」
 全く疑問にも思っていないような朗らかさで、フェルハーンはギルフォードに向き直った。いつの間にか、考え込んでいたらしい。気付いてギルフォードが顔を上げると、少し前まで喋っていた騎士は既にその場を去っていた。さすがに、別の騎士団の団長と楽しく話し合う気にはなれなかったのだろう。
「私が王都を出たときは、そんな動きなかったようだけど」
「いちいち、そんなところまで把握していらっしゃる。暇人か物好きかどちらでしょうな」
「そうだな。どうせなら物好きにしておいてくれ。さすがに団長が暇人では体裁が悪い」
「……」
「しかし、ああ本当、ギルフォードが派遣されるのなら、任せておけば良かった」
 二度手間になった、等々。着いた早々帰途の計画を立て始めたフェルハーンに、ギルフォードは呆れた視線を送る。
 ……だが図らずも、自分は少しは信用を置いてもらっているらしい。出会い頭の科白も思い出して、ギルフォードは片方の頬を歪めた。
 素性も立場も性格も、複雑この上ない人物だ。学者気質のギルフォードにとって最も関わり合いになりたくない手合いのはずが、気がつけば数年来の協力関係。内乱で放置されかけていた魔法研究所の復興を訴えに行った先で、応対に出たのが彼だったことがそもそもの運の尽きだったのだろう。ギルフォードの都合の良いように運んでいるつもりが、いつの間にかフェルハーンの利益にもなっていた、などといったエピソードを挙げていけばキリのない程で、だが根本のところで嫌いにもなれなければ敵対心を持つこともないところが、実は一番悔しいのかも知れない。
 厄介だが切れ者。ギルフォードはふと、そんな彼が今の状況をどう見ているのかが知りたくなった。
「それで、貴方自身が見た感想は如何なものですか?」
「感想?」
「私、というか先ほどの騎士どのと私の結論としては、魔物の関与の線が濃厚なのですが」
「根拠は?」
「単純です。村丸ごと消滅させるなど、既に人間業ではありません」
 魔法鉱石や結界魔法の話は、フェルハーンには不要だろう。少し歩き回れば彼のこと、ギルフォードが指摘するまでもなく気付いているはずだ。
 だが、単純明快なギルフォードの言い切りに、フェルハーンは口を尖らせた。
「人間でもできると思うんだけどね」
 ぼそりと呟いたフェルハーンに、ギルフォードは皮肉っぽい笑みを向ける。正直、やはりそうきたか、と思った。
「世にも美しい、炎の化身のことですか?」
「おや、覚えてたのか?」
「貴方が幻覚を見たという話なら」
「あのね。幻覚じゃないよ。本当に綺麗なんだ、あれは。あれなら、こんな風に広範囲を更地にすることも可能なんだよ」
 フェルハーンは思い出してか、うっとりと目を細めた。柔和だがどこか硬質な部分のある彼が、ここまでとろけた表情をするのは珍しい。どんなに美しい女を目の前にしても、こうは崩れないだろう。


[] [目次] []