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 フェルハーンが主張するのはその昔、当時のエルスランツ騎士団副団長と共に見たという、炎の鳥のことだ。朱く金色に夜空に輝き、全てのものを一瞬に炎の中に飲み込んだ、幻の鳥。あまりにも鮮やかな朱に、ふたり、状況も忘れて魅入られたと繰り返す。彼はそれを人間が発動した魔法だと言うが、ギルフォードの見解は異なった。
 人の魔法には限界がある。少なくとも、現代の魔法技術では、全てのものを溶かし昇華するほどの高温の炎など、具現することは不可能だろう。しかし、フェルハーンが全くの与太を吹聴するとも思えない。そうすると、自ずと答えはひとつに導かれる。
「人間の仕業ではありません。あなたの見たものも、今回のものも、魔物の行ったことでしょう」
 言い切ったギルフォードに、フェルハーンは複雑な視線を向けた。
「これほど広範囲を焼き尽くす炎が出たなら、ルエッセンの城塞からも見えたはずです。ところが、近隣の村からですらも、そんな情報はありません。そんな炎は、もはや魔法とも言えないでしょう」
「今回のは、確かに魔物の仕業だと思う」
 認めて、フェルハーンは口を尖らせた。
「だいたい、……炎の鳥はこんなに汚い痕跡を残さなかったし」
「汚い、ですか?」
「うん。地面から濁った色の名残が立ちのぼってる。この土地に全くそぐわない魔物を使っているもんだから、この地にある力と反発して汚くなってしまってるんだ。これくらいなら体に害はないみたいだけど、積み重なると自然が滅茶苦茶になる」
「どういった被害が起こるんですか?」
「最悪、自然災害かな。初期段階でも、本来いるはずのない魔物が引きずられて現れて、害を及ぼす可能性がある」
 端正な顔をしかめて、フェルハーンは地面を睨みつけた。つられてギルフォードも足下を見つめるが、無論、その目には何も写らない。ギルフォードが、否、国中の全員をかき集めても彼の言っていることを根本から理解できる人間は、両手にも満たないだろう。
 聖眼。思い直してギルフォードは苦いものを感じた。この稀なる特殊能力のもたらす恩恵は計り知れず、しかし被る被害はその倍を行くと言われている。希少な能力、ある意味超越したそれは、人が持つには重すぎるものなのかもしれない、とギルフォードは思う。ましてや、恩恵の方もまた、時として害の方に転ずる時があるとすれば。
「しかし、誰かは知らないが趣味が悪い」
「趣味……ですか?」
「わざわざ、土地に適応しない魔物を従えなくてもいいだろうに」
 趣味の問題だろうか。そう突っ込みかけて、ギルフォードは言葉を飲み込んだ。若干意図とは斜めに逸れた発言をするために判りづらいが、フェルハーンは紛れもなく「犯人」に怒りを感じている。茶化された言葉の裏に潜んだ本音の欠片、それをいち早く察知することがフェルハーンとの会話を上滑りなものにしないコツだった。
 フェルハーンは戦う事を厭わない、しかし同時に、関係のない者を巻き込むことを非常に嫌う。加えて今回は、本来なら関与すべきでない、人とは相容れない生命体まで持ち出した。通常の人の手には負えない魔物という兵器を従えた無差別の殺戮者。それはフェルハーンの、最も忌避する存在だろう。
 しかしその存在は皮肉にも、ある意味最も彼に近い。この先、この件と似たような魔物がらみの怪現象が続けば、間違いなくフェルハーンは窮地に立たされることとなるだろう。
 その稀なる能力が、魔物を従える力を持つ唯一のものであるが故に。
 考えているうちに、それが表情となって現れていたのだろう。ふと眼を細めたフェルハーンはごく自然な動作で、ギルフォードの肩を軽く叩いた。
「……暗いよ、ギルフォード。君がそんな顔する必要はない」
 こういうときだけ真面目な声で、とギルフォードは小さく舌を打つ。
「まぁ、心配してくれるのはありがたく受け取っておくけどね」
「心配ではなく、危惧です。あなたの生存は、魔法院の安寧と繋がっておりますので」
「……可愛くない奴だな」
「年下の同姓に可愛いとは思われたくもありません」
 ギルフォードは今年三十。これくらいとなると、1つや2つの年の差はあってないようなものだが、フェルハーンを見ていると、どうにもたまには主張しておきたくなるのだ。
 おそらくは彼のあまりの隙のなさに由来するものなのだろう。多少のことは頼るようにと、年上風を吹かせながら――要するに心配しているのだ、とギルフォードは自分自身を嫌々ながら分析した。
 本当に厄介な男だ。そう思いながら肩を竦める。
「それよりも、魔物の関与、ということで意見は一致しましたが、これからどうなさるのです?」
 極めて現実的な話題転換に、フェルハーンはただ苦笑した。
「私はまだここに着いたばかりですし、調査の依頼が王家筋ともなれば手は抜けません。もう少し念を入れて見回ってみますが」
「それじゃ、私は一足先に戻ることにするかな?」
 言いながらフェルハーンは、妙に立ち去りがたい様子で周囲を見回した。荒れ地の彼方に何かを探すような目に、ギルフォードは首を傾げて彼を見遣る。
「決戦の地か……」
 伺うようなギルフォードの視線に気付いたか、フェルハーンは苦笑して肩を竦めた。
「内乱の終盤、内乱とは言っても状況はエルスランツ勢、ディオネル義兄を支援するマエント、そしてセーリカとセルランドの合同軍の三つ巴だった。他の勢力はあっちに付きこっちに付き、忙しい状態だったな。王領の騎士団までがふらふらしていたのは洒落にならないけど」
「ザッツヘルグは王不在の王都エレンディラを虎視眈々と狙っていましたね」
「そう。あのときは本当、騙して騙されて当たり前だったな。だからエルスランツは単独の勢力を守った。……ここは、そのエルスランツ勢がディオネル義兄率いる近衛隊を斃した場所に近い。実際はもう少しマエント寄りなんだけど、妙な因果を感じてね」
「……」
「不思議に思ってたんだ。なんでディオネル義兄は敢えてこの辺りを決戦の地に選んだのかってね。マエントは目と鼻の先だ。あの時点で優勢だったエルスランツと事を構えるより、マエントで体勢を立て直した方がよほど対策の立てようもあっただろうに」
「追い詰めた張本人が、何をおっしゃいますやら」
「うーん、そうなんだけど。もしかして、ディオネル義兄はここに何か切り札でも持ってたんじゃないかなって思うと」
「まさか、殿下が呪いなどとおっしゃる?」
「さて。私は小心者なのでね」
 戯けるように器用に片方の眉を上げ、フェルハーンはギルフォードに向き直った。
「まぁ、何も残ってないのにあれこれ考えていても仕方ないな。ここはギルフォードに任せるよ。後で報告を頼む」
 頷きかけて、ギルフォードはふとあることを思い出した。
 ――そういえば、彼女は彼の伝手でやってきたのだった。王族に頼み事をするなど時代が時代なら不敬罪ものだが、元はと言えば彼が紹介してきたのだ。伝言を頼むくらい罰は当たるまい。
「戻られるのでしたら、殿下」
「うん?」
「アリアさんに、最後に話していた構想をまとめておいてもらうよう伝えていただけますか。ディアナ殿下のところへは、一度はお尋ねになるのでしょう?」
 亡くなった師の論文に対して議論を交わしていた最中だったことは、この場に向かう途中でも気になっていたのだ。
 フェルハーンから紹介された少女は賢く、それ以上に柔軟な思考を持っていた。辺境国に住んでいた経歴を思えば、確かに最新の知識に欠けるところはあるものの、基礎は知識実技とも十分に押さえられている。キナケスで主流となっている説に浸っていないぶん、定説の穴、矛盾点を見つけるのが非常に上手かった。魔法レベルの低さ故にか、即戦力となる魔法ではなく、研究分野でしか使われないような複雑な――実践派からすれば無駄な知識を持っていることも彼女の強みだろう。
 ギルフォードとしては、すでに馴染みとなっている師の説を根本から覆すのは、感情面はおろか思考の転換が迫られる点からも苦しいものがある。しかし、このところ行き詰まっていた状況を打破するには不可欠なのではないかと、最近ではそう思うようになっていた。
 国の補助を受けている以上、命令に従うのは義務であったが、状況を考えれば実のところ、一分とて時間は惜しい。せめてアリアに、話しながら展開していた内容を固めておいてもらわなくては、と気ばかりが急く。
 フェルハーンは妙に真剣なギルフォードを面白そうに見遣った後、快く承諾した。
「面白い子だろう。ディアナの推薦だよ」
「今更ですが、身元は確かなのですか? なんと言いますか、ごく普通の村娘という感じがするのですが」
 本当に今更だと喉の奥で笑いながら、ギルフォードはアリアの顔を思い浮かべた。基本的には穏やかで人が良い。しかし時々見せる妙に畏まった――見方を変えれば頑なな表情は、彼女の過去が平坦ではなかったこと容易に想像させる。それがギルフォードの気に掛かるところだった。
「何か、彼女が問題でも起こしたのかい?」
 いえ、とギルフォードは首を横に振る。絶対権力を背後に持つ割には、彼女は控えめすぎるくらいだった。
「ただ少し、妙な感じを受けることがありますので……」
「おや。ギルフォードの独身主義も遂に返上かな?」
「違います」
 若干慌てて、ギルフォードは半歩後退った。
「もう結構です。殿下が問題視されていない素性の子でしたら、魔法院に出入りさせるに問題ありませんから」
「実はよく知らないんだ」
「は?」
「イースエントの貴族だとか裕福な商家の娘だとか、そういうわけでもないらしい。ただ、ディアナが命の恩人だと言っていたからね。それを信用しているだけだよ」
 人を探ろうとするあまり、過去に深く足を踏み入れるのは良い結果を招かないことが多い。特に権謀術数渦巻く権力者層では、大事なのは深い信頼ではなく現実に即した利害の一致。フェルハーンは個人ではなく、立場、立ち位置としてのディアナを信用することに決めたのだろう。そうなれば、彼女の信頼する侍女を疑う必要ない。
「それに、彼女可愛いしね。素直そうだし、信用しても問題ないと思う。時々、監視もさせるから、ギルフォードは心配しなくていいよ」
 唐突な報告にギルフォードは眉根を寄せた。しかしフェルハーンの方はそれ以上、詳しく説明する気はないらしい。追及を許さない妙な笑顔でギルフォードを見つめている。
「……こちらに害がなければ、問題はありませんが」
 大げさにため息を吐いて、ギルフォードは緩く頭を振った。
「師の残した研究にも、興味を持ってくれているようですし」
「あれは、医療魔法と関係深いからね」
 解剖学と医学が直結しているのと同じ事だ。
「ところでミリムが死んで、何年だ?」
「もう4年になりますか。妹と同じ年に亡くなりましたから」
 ギルフォードは過去に思いを馳せる。師のミリムが病死したその数ヶ月後、今度は妹が殺された。厳密に言えば妹も病死の括りなのだろうが、他者にかけられた魔法が引き金になったのだから、ギルフォードにしてみれば殺されたも同然である。
 そしてふたつの永別れの後、ギルフォードは魔法の研究に全てを捧げることとなった。
「『沈黙の魔法』か……」
 フェルハーンが呟く。
「あれもまだ、未解決の事件だったな」
「はい」
「悔しいか?」
「わかりません」
 目を眇めて、フェルハーンはギルフォードを見つめやる。
「魔法使いに魔法を使わせなくしただけです。私が沈黙の魔法の使用者で、魔法使いと対峙したならば、迷いなく使うでしょう。そこに過剰な悪意はありません。だから私には、沈黙の魔法の使い手が憎いのか、魔力不均衡症候群という病が憎いのか、判らないのです」
「……」
「強いて言えば、妹の病気に気付いてやれなかったことが悔しいのでしょう」
 そして、そうと知ってからも何も出来なかった現実も。
 続く言葉を飲み込んで、ギルフォードは大きく息を吐いた。そうして、ひとつ手を叩く。この話は終わりだ、と暗に告げた。触れられたくない話題だった、というよりも、蒸し返して今どうになるものでもなかったからだ。今はもっと大規模で不可思議な問題に直面している。
「それよりも殿下。戻られるのでしたら早くしませんと、次の町に着く前に日が暮れてしまいます」
「そう――」
 頷いて、フェルハーンが空を眺めやった時、
「殿下っ、――殿下はいらっしゃいますか!」
 切羽詰まったその声に、ふたりは同時に鋭い視線を向けた。
 砂煙、馬蹄の響き。その、迷走。
「緊急事態にございます! ――殿下!」
「私はここだ!」
 フェルハーンが大声を上げる。普段の優しい響きとは無縁の声は、遮るものない平野に響き渡った。かつては騎士団員として前線で戦ったことのあるギルフォードですら、一瞬身を竦めるような威圧感も並走する。
「何があった」
 ほぼ全速力で駆けてきた馬を危なげなく止めて、騎士は急いたように飛び降りた。先だってギルフォードが喋っていた年配の騎士である。


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