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「マエント方面からの急使です」
 荒い息の中か告げられた言葉に、フェルハーンの眉が急角度に跳ね上がる。
「マエントへ向かった使者がお亡くなりになりました」
「どういうことだ」
「国境を越えてしばらくのところで、何ものかにより殺害されたとの事です。逃げ帰ってきた従者を関で保護しました」
「会えるか?」
「無理です」
 大きく、騎士は息を吸い込んだ。
「治療の甲斐なく死亡いたしました」
 ギルフォードはフェルハーンの横顔を見つめた。僅かに強ばってはいるが、目は冷静な光を宿している。これは、彼がいくつも予想している展開のうちのひとつなのだろうか。
「従者が死ぬ間際に証言したところによりますと、襲撃は早朝、宿泊した施設を出てしばらくの街道沿い、およそ十数人」
「護衛はどうした」
「それが……何らかの魔法を使われたようで、使者の周辺にいた者以外は突然倒れてしまったそうです。従者はその後、気付いた護衛によって運ばれました」
 魔法使い。またか、とフェルハーンは歯がみした。魔法式の展開という前動作が必要となるため、一対一で対峙したときの戦闘能力では明らかに騎士に劣る。むろん、実戦経験や状況により優位性が逆転する場合もあるが、反応速度という身体能力の差は容易くは埋めがたい。しかし、奇襲における露払いとなると、効果範囲、影響力、隠密能力、全てにおいて騎士を凌駕する。それが如何に脅威となるか、今回の例を見るまでもないだろう。
 フェルハーンは使者の一行、その顔ぶれをを思い出す。護衛の中にも当然魔法使いはいた。しかしそれに感知させる間を与えないとなると、かなりの能力の持ち主とみて間違いない。下手をすればギルフォードと同じレベルか、とフェルハーンはこめかみに痛みを覚えた。
「マエント内の反体制か、ダミーか……」
「そのことですが」
 跪いたまま、騎士はフェルハーンを見上げた。
「従者が亡くなる前に、ひとつ気になったことを」
 信憑性は低い、そう慎重に前置きしてから騎士は言葉を続けた。
「『何故ティエンシャが』そう、うわごとのように言っていたとのことです。治療に当たっていた者全員が聞いておりました」
「ティエンシャ?」
 キナケス国ティエンシャ領。国の南東に位置し、大きな港を有する海の玄関口。今ギルフォードやフェルハーンの居る王家直轄領と西で、セーリカ領と北で、そしてマエント国と南で接する。
 概要を思い浮かべながら、ギルフォードは二人の話に耳を傾けた。
「その話はどこまで広がっている?」
「どこまでと、限定出来ない範囲かと」
 フェルハーンははっきりと顔をしかめて、そしてギルフォードの袖を引いた。
「戻る。後は頼んだ」
「……あまり、期待はしないで下さい」
「期待できない相手には、頼まないさ」
 これ以上はない圧力をかけて、フェルハーンは再び騎士に向き直った。
「報告感謝する。君はこれからエンデに戻り、団長殿に同じ内容を伝えてくれ。使者どののご遺体の引き取りの件など、彼なら適切にやってくれるはずだ」
「はっ」
「ギルフォード、君はここの調査の責任者に、そのまま予定通り続けるよう伝えて欲しい。マエントへの対応策は、中央の方から新たに人を派遣する」
「ここの怪現象と使者への襲撃は、とりあえず別件として考える、という方向で構いませんか?」
 頷いて、フェルハーンはギルフォードの肩を叩く。
 視線だけで頼む、と念を押し、フェルハーンは騎士と共にその場を去った。
「まったく……」
 馬の嘶きと馬蹄の響き、砂煙が舞い上がり、ギルフォードは細めた目で消えゆくふたりを見送った。
 実のところ、フェルハーンに騎士団内を越えて人事を決定する権限はない。ましてや、異常現象の調査団の仕事に口を出すなど言語道断。一拍おいてよく考えれば、立派な越権行為だということは明白である。
 だが、不思議と彼の言葉は人を従えさせる力を持つ。状況を汲み、素早く判断し対策を打ち出す速さは、他の追随を許さない。自分の考えをまとめきらない内に、彼が次々と指示を出してしまうため、反論も疑問も思いつけないのだろう。人の命令を聞くなどまっぴらごめん、と思っているギルフォードでさえこの有様、上の指示には絶対服従という精神が染みついている騎士団内では言わずもがな、と言ったところか。
 知らず、ギルフォードは肩を震わせた。訝しく思い、脳の奥底からその原因を探し出す。そうして、彼は数拍置いて眉を顰めることとなった。
 嫌な予感がする。内乱が起こったときのような。
 胸を過ぎった痛みを誤魔化すように、ギルフォードは雲一つ無い青空を見上げた。
 ――フェルハーンが飄々とした態度を崩すときは、何か大きな事が動いている。
 数年の、ただし濃密な経験則がそう警鐘を鳴らしていた。

 *

 ギルフォード他、主要な魔法院の職員が、国からの依頼のために方々に出張に行っているためだろう。いつもよりさらに閑散とした魔法院の中を、アリアはため息を吐きながら歩いていた。
 人が少なかったぶん、ゆっくりと魔法鉱石から魔力を取る時間が取れたのは喜ばしいことだったが、相変わらず、力の調整がうまくいかずに体調不良を起こしている。倒れるところまではいかなかったが、どことなく体が熱く、怠い。丁度、風邪を引いたときのような状態である。
 魔法鉱石を知ったときは、これで長年の憂いが解消されるのではと喜んだものだが、実際にはそううまい話でもなかった。何人もの魔法使いの魔力を混ぜあわせたものを吸い取るという行為は、例えるならば、大勢が一度に怒鳴り合っているのを聞き分けようとしているようなものである。集中力を要する上に調整も難しかった。魔力の補充に長い時間拘束されることから解放されたのはいいが、休む必要のある時間が増えていては元も子もない。
 ギルフォードの師、ミリム・アスタールの論文を読もうと思い早めに来てみたが、このぶんでは帰った方がマシというものだろう。薄暗い廊下を休み休み歩き、アリアは移動陣のある部屋を目指す。
 と、そこに、見知った人物が対面から歩き来た。不機嫌そうな、呆れたような目でアリアを見つめている。
「……自虐趣味か?」
「違います!」
 慌てて否定はしたものの、相手の目は如何にも胡散臭げである。無理もない。彼、アッシュ・フェイツとの初対面でも、アリアは同じ症状で倒れていたのだ。極限まで魔力を酷使するのが好きだと思われても、不本意ながら致し方ない。
 それにしてもよく会うな、とアリアはふと疑問を抱いた。
「騎士団って、暇なんですか?」
「一応、忙しい」
 言って、アッシュは肩を竦める。
「ただ、団長がいないから、俺は暇だ」
「へ?」
「主に護衛をしてる」
 団長、要するにフェルハーンが今王都を離れているということなのだろう。しかしそれならば、護衛の彼も付いていくのが普通ではないだろうか。
 胡乱気なアリアの視線に気付いたのだろう。アッシュは、僅かに眉間に皺を寄せた。
「奴は勝手に出て行く」
「……はぁ」
「今回は、気を遣ったようだがな」
 遠くを見て面白くもなさそうにアッシュは呟くが、アリアにはいまいち、彼の言っている意味が判らない。騎士団の団長とは、好き勝手にふらふらと護衛を撒いて出歩き、そうしておいて一方で、何故かいち部下に気遣う奇妙な存在なのだろうか。
 どういうことか聞いてみたい気もするが、アッシュ相手では聞くだけ無駄という気がしてならない。早々に諦めて、アリアは別の話題を口にした。
「ルセンラークを焼いた犯人、判りそうですか?」
「焼いた犯人?」
「とんでもない魔法使いが関わってるって聞きましたけど」
「どこから?」
「いえ、どこからって、街の噂ですけど。村の焼け落ち具合が、尋常じゃないって」
「それは、皆知ってるのか?」
「私が聞くぐらいですから……」
 何やらいつの間にか、自分の方が質問を受けている。はたと気付いたアリアは、同時に彼の意図にも気付いて口を尖らせた。
「何も教える気がないなら、そう言って下さいよ」
「言えるほどの情報はない」
 あっさりと認めて、アッシュは目を細めた。そうして、おもむろに魔法式を口にする。
 冷気の魔法だと、ほぼ条件反射で解読したアリアは、直後、自分の体がひんやりとした空気を纏っていることに気がついた。熱っぽい体には、その涼しさが気持ちよい。
「汗」
 言われて、アリアは額を触る。気付かないうちに、汗の玉が浮いていたらしい。拭った手の甲に落ちた汗は、生ぬるい温度を保ったまま、一つにまとまって床に流れ落ちた。
 自分では判らないが、顔も熱のせいで赤くなっているかもしれない。
「さっさと帰って、寝てろ」
 突き放したような言い方だが、実際は心配してくれているのだろうか。捉えにくい彼の感情を予想しながら、アリアは少し笑ってみせた。
「そうですね、そうします」
「そうしろ。……ああ、そうだ」
 言い、アッシュは腰の剣帯から、銅貨にも似た丸い金属の板を外してアリアに渡す。
「使い捨ての緊急移動用の石だ」
「……いただけるので?」
「俺には必要ない」
 騎士たちに、緊急時に使うために配布される代物なのだろう。魔法使いであるアッシュには確かに不要だが、何故そうと知って、同じ魔法使いであるアリアに石を渡すのだろうか。
 考え、アリアは苦笑した。アリアにとっては今、体調不良こそあれ魔力は満たされた状態なのだが、アッシュはそうと捉えていない。アリアの能力を知らないため当然と言えるが、魔力欠乏状態だと勘違いしている。故に、帰るときに更に魔力を消費せずに済むよう、移動用の石をくれたのだろう。
「ありがとうございます。使わせてもらいます」
 ああ、とアッシュは表情も変えずにただ頷いた。そうして、子供をあやすようにアリアの頭にぽんと手を乗せてから、背を向けて歩き出す。今から、魔法鉱石の方へ行くのだろう。
 その後ろ姿を見送り、アリアもまた、帰途への道を急いだ。


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