[] [目次] []



 室の中央を眺めながら、フェルハーンは投げやりに護衛二人に告げた。空気が動き、ふたりがそれぞれの仕草で頷いたことが判る。本音を言えば一番抜け出したいのはフェルハーンであったが、まさか名指しで招集されたその人が早々に消えるわけにもいかない。
(いっそ、哀れだな……)
 室内前よりの中央、法務官を前にしどろもどろに発言しているのは、ティエンシャ領主館を管理している男だった。言わば、ティエンシャ公の王都での代理人である。先日のマエントへの使節団襲撃事件への関与について、友好的とは言い難い視線の中で尋問されているのだ。あれでは真実も上手く告げられまいと、フェルハーンは目を伏せた。
「上の方では、ティエンシャの仕業と決めてるんですか?」
「まさか」
 ある意味もっともなヨゼルの言葉に、フェルハーンは即座に否定を返した。
「襲撃の混乱のさなか、戦闘に長けているとは言い難い従者がそうと気付いたんだぞ? よほどあからさまな印でも身につけていたとしか思えない。他国に侵入して人を襲う奴らが、そこまで間抜けだとは思えないね」
「では、何故あそこまで質問攻めにあってるんですかね」
「ティエンシャが関与してないという証拠もまたないからさ」
 肩を竦めて、フェルハーンはもうひとりに問いかける。
「アッシュはどう思う?」
「矛先がそこしかない、からです」
「……相変わらず言葉の足りない奴だね」
 無表情に、短く言い捨てたアッシュを振り返り、フェルハーンは苦笑する。横に立つヨゼルは何度か目を瞬かせた。
 説明を促す視線にアッシュは眉根を寄せたが、無視することはさすがに出来なかったようである。数秒間をおいて、ボソボソと言葉を口にした。
「何者が何をしたいのか判らない、どこから突けばいいのかも判らない、だからわざとらしく残された証拠を吊し上げるしかないというわけです」
「わざとらしい?」
「ふたつとも、ひとりの証言が唯一の手がかりになっていて、且つそいつらの口は封じられているという点が」
 マエントの関与については、襲撃の報告を得て村に行ったルエッセン騎士団の小隊の騎士が、応援要請の為に引き返してきた時に告げた言葉が元であった。もうひとつ、ティエンシャが疑われているのは、使節の従者の言葉が決め手となっている。しかし、前者の騎士は小隊もろとも行方不明、従者は死亡、何故その報告や言葉が出たのか、詳細は何一つ判らない。
 フェルハーンもそこは怪しいと思っていた。二例しかないので何とも言えないが、共通点と言われればそうともとれる。
「ヨゼル」
「はい?」
「あっちの端にいるギルフォードに、何か判ったか聞いてきてくれないか?」
「はぁ……。それで通じますか?」
 フェルハーンが頷いたのを認めて、ヨゼルはその場を離れた。室内は尋問の真っ最中であったがそれなりに人の動きもあり、護衛ひとりが歩き回ったところで咎める者はいない。
 即座にアッシュが真後ろに移動したのを感じて、フェルハーンは口端を曲げた。
「真面目だね」
「あんたはもう少し、茶化すのを止めた方が良い」
 丁寧語ですらない言葉で、アッシュはぴしゃりと言い放つ。見事な不敬罪、周囲に聞く者があれば間違いなく耳を疑っただろう。だがフェルハーンにはいつものこと、ましてや今、ふたりを取り囲むように薄い結界が張られている。会話が他に漏れることはなく、当然誰も咎めたりはしない。
 フェルハーンとアッシュは同郷、互いの才能は認め合っており、身分差を抜きにしたふたりの関係は非常にくだけている。実情はどうであれ、アッシュのフェルハーンに対する態度を知っている一部の騎士団員は、幼なじみのようなものだと理解していた。双方共に敢えてそれを否定してはいない。
「狙われてるぞ」
「うん、知ってる」
「昨日はふたり、始末した」
「そうみたいだね。ありがとう」
「なら、もう少し警戒しろ」
 アッシュの言葉は、警告なのか心配なのかいまいち判別しづらいところがある。そこは都合良く解釈して、フェルハーンは喉の奥で笑った。
「気をつけろったって、そのうち私があの場で吊し上げを食う日が来ることは避けられないだろう?」
「案外、あんたを窮地に立たせるのが敵の目的かもな」
「どうだろ。私がどうにかなったところで、今更陛下の政治基盤が崩れるとかはないと思うんだけど」
「崩れはしないが、打撃は受ける。特に心理的な」
 言い切ったアッシュの言葉に、フェルハーンは何度か瞬いた。過小評価するわけではないが、今自分がいなくなったところで政治が滞ることはないとフェルハーンは判っている。王弟という身分は高いが自治する領地をもっているわけでもなく、実際の権限も低い。
 だが、対内的にも対外的にも、王の古くからの忠臣と認識されていることもまた事実である。となればアッシュの指摘する通り、心情的な面で王に負担をかけることになるのは否めない。
「……信頼できる外交官も亡くなったしね」
 先日、マエントへ赴いた使者は、ハインセック王が王子であった時代からの知己であった。穏やかな男で、表舞台に堂々と立つような人物ではなかったが、内乱の裏で他国の侵略を防ぎ続けてきた実力者である。内乱で華々しい戦果を挙げた者などより、遙かに偉大な功績を持つ。彼を失った痛手は大きく、今後、敵対国との外交で大きく苦戦することになることは目に見えていた。
 状況の詳しく判らないことだけに、探る意味も含めて重鎮を派遣してしまったことが、どうにも悔やまれる。
「第三次内乱を目論んでるんだと思う?」
「だとしたら、ディアナ殿下が旗印だろう。あんたの感想は?」
「彼女自身は白だろう。だが、周りがそうだとは限らない。グリンセスもそうだが、ザッツヘルグの動きも不気味なところかな」
「ツェルマークがえらく出しゃばってるらしいな」
 ツェルマークはザッツヘルグ公の嫡男、つまりは時期ザッツヘルグ公候補第一人の金髪碧眼の美青年である。ただし、エア・ヘッド――アッシュ曰く。
「前の会議の時も、やたら発言してたな。そういえば、マエントへ使者を出す話も彼が提案したんだった」
「ザッツヘルグがグリンセスと手を組んでディアナ殿下を奉戴し、エルスランツを墜とす、十分にあり得る構図だが、嵌りすぎて面白くない」
「私の命を狙ってきたり、陛下に害を為すなら判りやすいけど、無関係の民を巻き込んだりする理由がないよ」
「結局はそこに返るか」
 ふ、とアッシュはため息を吐いたようだった。深く頷いて、フェルハーンは再び正面に視線を向ける。
 変わらず、ティエンシャ領主館の男は、必死の形相で無関係であることを言い繰り返していた。
「わたくしどもに、使者を害する理由がありません!」
「しかしティエンシャは、ワイルバーグ城砦の権利のことで、最近もめておるな」
「それでしたら、セーリカがティエンシャを嵌めようとしているとも考えられませんか!?」
「現在ワイルバーグはセーリカの統治下にある。その時期にわざわざ事を起こす必要もあるまい」
「あすこの統治権が2年ごとに変わるのは、先王のさらに前から続けられること。今更ここまで大がかりな犯行を企てて何になりましょう!?」
 セーリカ領とティエンシャ領は幅の広い河で領地が分けられている。北のセーリカは風光明媚な別荘地、南のティエンシャは海の玄関としての商業地として栄えているが、その気質の違いから何かと小競り合いの絶えない関係が続いていた。
 問題となっているワイルバーグは河口にある三角州に建てられた城砦の名前である。古くは海からの侵入者を監視し水軍が駐屯した基地であったが、キナケスが国としてまとまり、海からの脅威が減少した今では国内有数の商業地として栄えている。セーリカとティエンシャの丁度中間に存在するため、長年その自治権を得るべく争われていたが、先々代の王の命で二年ごとに統治権が交代するようになってからは比較的双方の関係は落ち着いていた。
「そうだな、今更だしな……」
 二年ごとに統治方法が変わるのは住民にとって大変かと思いきや、互いの領地が住民の機嫌を取ろうと緩い政策を続けているため、せいぜい得意先が少し変わる、程度の感覚でしかないようである。。加えて、もともと商売人の多く住む土地、そのあたりの立ち回りには慣れていて上手い。両勢力にしても既に、その二年ごとの変化を見越した領地運営が定着している。
「『もめ事』って何かあったのか?」
「たいしたことじゃない。今年の2月、統治権の交替があったときに、セーリカがティエンシャのワイルバーグ担当官を買収していたことがばれたのさ。少しでもセーリカに富を流そうと涙ぐましい努力があったようだな」
「まぁ、よくある話と言えばそれまでだが……」
「どっちもどっちだからな。領地間の調停で済めば良かったんだが、前々からセーリカの方が裏金やら賄賂やら、おおっぴらにやっていた分、腹に据えかねたらしい。陛下のもとに、統治を交替で行う事に対する異議を訴えたという話だ」
「それで? 却下されて暴挙に及んだと?」
「政治が、子供の喧嘩ほどに単純ならそういうことになるだろうね」
 フェルハーンは緩く首を横に振る。
「しかしまぁ、現時点では……」
 続く言葉を遮るように、室内に鋭い音が響き渡った。
 一瞬、時が止まったような静寂が訪れる。その僅かな間、何十もの視線が一気に中央に収束した。
「……調べはついておるのですよ」
 反響効果などあるわけもないただの会議室、その中にあっていやに響くその声に、フェルハーンは眉を顰めた。アッシュとの会話に耳を置くあまり、彼の登場に気が向かなかったらしい。
 皆の気を集中させた音は、痩せた手のひらと古ぼけた机から発せられたものだった。もう一度、机を叩き割らんと同じ行為を繰り返した男は、突然現れた――彼の子供のような年齢の青年を食い入るように見つめている。周囲を取り囲む面々は、半分は興味深げに、半分は動揺も顕わに、そしてごく少数が不快気に顎を引いた。
 少数例のフェルハーンとアッシュは、続く青年の芝居じみた言葉を予想して鼻白む。
「諦めて白状なさったほうがよろしいかと思われますが?」
「何をおっしゃる、そのような戯言、ツェルマーク殿が、何故――」
「証拠はございますよ」
 大げさな手振りで書類を広げ、中央から睥睨するかのように室内をぐるりと見回してみせる。
「そちらの騎士団の上級騎士数名、――そうですね、代表者を言いましょうか。オービー・ルッツ殿をはじめとする数名が村の襲撃事件があったあたりから行方不明だとか……。ええ、失礼ながら、ティエンシャ騎士団の勤務状況は調べさせてもらっておりますよ」
「ば、莫迦な……」


[] [目次] []