[] [目次] []



 ツェルマーク・ザッツヘルグは嘆かわしげに両手を広げて肩を竦めた。彼の正面では、蒼白な面を小刻みに振るわせた男が文章にならない言葉を繰り返している。
「ふぅん、そうきたか」
 両隣が空いているのをいいことに両手を広げたフェルハーンは、眉をハの字に下げながらわざとらしく首を横に振った。芝居がかった仕草は勿論ツェルマークの真似である。偶然それを目にした者は、微妙な笑みを口に浮かべたものだったが、フェルハーンが見せる目的としたアッシュは、1ミリたりとも口の端を動かしはしなかった。
 口を尖らせて、フェルハーンは後ろに向けて肘を突く。
「似てなかったか?」
「いや。タイミングは悪くない」
「それなら、笑ったらどうだ?」
「生憎と、状況と職務くらいは心得ている」
「そんなんだからモテないんだよ。女子供は、君を見るとびびって逃げるって話じゃないか」
「これは地顔だ。どうしようもない」
 素材は悪くないのに、とフェルハーンはぼやいた。
「それより、あの阿呆が珍しくまともな事を言ってるぞ」
 促され、渋々ながら正面を向いたフェルハーンは、室内の9割方の注目を集めて満足そうに胸を反らすツェルマークに眇めた目を向けた。その先では、変わらず大げさな演説が続いている。
「おそらく、貴殿は王都にあって情報が得られていないと考えられます。どうでしょう、ティエンシャ公に王都までお越しいただくことでこの場は解散ということにいたしませんか」
 ぐるり、と室内を一周見回したツェルマークは、最後に議長に一礼をした。完璧なまでに優雅な所作に促され、皆の目線が一気に議長へと移動する。
 それに倣いつつ、フェルハーンは大きくため息を吐いた。
「帰るよ」
「いいのか?」
 頷くと、アッシュは短く魔法式を口にした。1秒ほどの間をおいて、フェルハーンを強固な結界が包み込む。他の者にはそれと知れないよう、魔力の漏洩を遮断する層を加えた二重結界である。長く持ちはしないが、ヨゼルを呼びに行く程度であれば充分役に立つ。
 アッシュが後ろを離れて後、フェルハーンは視線を動かさぬまま、小さく毒吐いた。
「話をややこしくする気か、あの莫迦は……」
 ティエンシャ領主代理は必至に抗弁を続けていた。だが、議長の心はツェルマークの意見に傾いている。既に根回しがされていたか、他に導く先がないからか――或いはその両方か。とりあえず、マエントと村の襲撃に関しては証拠不足と情報不足甚だしく、結論は先送りせざるを得ないだろう。そのぶん、ティエンシャが集中的に責められることとなる。
 このぶんでは、ティエンシャ領主が王都へ召喚されることはまず避け得ないだろう。不穏な噂の絶えないこの頃、それがどういう結果を生み出すか――ツェルマークが先のことまで予測して提案したのか、甚だ怪しいところである。きな臭い話ばかりだ、とフェルハーンは口元を歪めた。
 国王と領主の関係が強固とは言えない今、ティエンシャ領主を呼び立てるのはマイナスの要素の方が強い。そう主張することは可能だが、ひとこと「考慮する」と言われてしまえばお終いの、予測を元にした反対意見でしかないことも確かである。
 会議はもう少し続くだろうが、おそらく自分が発言する機会も必要もない。
 そう判断を下し、フェルハーンは席を立った。ほどなくして戻ってきたヨゼルとアッシュを促して、会議室を後にする。扉を閉めたところで、ヨゼルが伺うように口を開いた。
「よろしいのですか?」
 確認ではあるが、特に引き留めるような響きはない。フェルハーンはにやりと笑った。
「どうせ、あのままぐだぐだで終わりだ。ツェルマーク殿が場を仕切ったのなら、私に出る幕はないよ。邪魔しては悪いだろう?」
「はぁ、そういうもんですか」
「それより、ギルフォードは何か言ってたか?」
「ああ、そうですね」
 頭を掻きながら、ヨゼルは思い出すように宙を睨んだ。
「周囲の聞き込みなんかを合わせると、あの場に巨大な魔物が直接呼び出されたようですな。延焼範囲はひと村全部。ただ奇妙なことに、魔物が焼いたと思われる反応の他に、明らかに人が使ったと思われる魔法の痕跡があったそうです」
「人の? 結界のことじゃなくて?」
「炎系の魔法だそうですよ。結構な威力ですがまぁ、魔物の炎には及ばなかったようで。村の中心あたりは二度焼かれた感じですかな。それと、焼かれていない人間の死体の一部が見つかったそうです。例によってルエッセン騎士団員なんですが、明らかな戦闘の痕が残っていたそうです。誰とは特定できなかったようですが」
「そうか……。少なくとも、村の襲撃は本当というわけか」
 それならばそうで、謎は増える。全てを消滅させる気であったにも関わらず、その前に敢えて戦闘など起こす必要があるのだろうか。
 足早に騎士団領へ向かいながら、フェルハーンは犯人像を思い浮かべた。だが、どうにも形にならない。
「参ったな」
 根を上げたフェルハーンに、アッシュがちらりと視線を向けた。珍しい、とでも言いたげである。どことなく揶揄したような目にフェルハーンが口を尖らせると、機嫌取りではあるまいが、表情を変えぬまま彼はぼそりと呟いた。
「判るところから考えればいいでしょう」
「例えば?」
「団長は、二度焼きの件については判っているようですが」
「ああ、それはね」
 ひとりで納得していたことに気付き、フェルハーンは大きく頷いた。 
「多分、魔物を呼び出すためだよ。聖眼は魔物を操ると言われているけども、居ない魔物をそのまま呼び出したり出来るわけじゃない。言わば目の力で屈服させるわけだから、呼び出すには別の手段が必要になる。簡単に言えば呼び出したい魔物の属性でその場を満たしてやればいいんだ。だからこの場合、先に魔法使いらしき犯人が使った炎の魔法かな。案外知られてないけど、これは魔法使いなら誰にでも出来るよ」
「村人を焼いたのは?」
「人の気が多いと、魔物は呼びにくくなる。厄介払いじゃないかな」
「魔物を呼ぶだけなら、村の外れたところでやればいいでしょう。あそこは少し離れれば何もない平原です。それに、わざわざ襲撃があって、人の増えた晩にすることはないはずです」
「うん、だからいろいろ矛盾してることが多くて判らない」
「要は、どちらが主体か、でしょう」
 訝しげに、フェルハーンはアッシュを見上げた。いろいろと仕込みの入った軍用靴を履いたアッシュは、フェルハーンより15センチ近くも高くなる。真横に立たれると、目線を合わせるのにも顔を上げなければならない。
 どうにもならない悔しさを誤魔化すように、フェルハーンは正面に向き直り足を速めた。
「どっちが主体って、そんなの、マエントといざこざを起こす方に決まってるだろう」
「それなら、迷うことはないでしょう。魔物の介入による焼灼は、全部訳の分からないものにするためです」
「疑心暗鬼を撒く為か? やりすぎだろう」
「それだけ、痕跡を残せばすぐにからくりの判ってしまうようなことが、事件の裏にあるってことでしょう。それに、効果的です。現に、団長も迷っている」
 図星を指されて、フェルハーンはアッシュを睨み上げた。しかしながら、騎士団内で有名な鉄面皮には全く効果がない。これで彼の部下に慢性胃潰瘍持ちが居ないのが不思議なところだ、とフェルハーンは話題違いながらも思わずにはいられなかった。
 それを引き戻すように、アッシュの声が続く。
「しかし、別の意図も含まれているようにも思えますが」
「どういうことだ?」
「団長も気付いているでしょう。炎の範囲と現象、起こった結果に類似した例があったはずです」
「……炎の鳥か」
 頷いたアッシュを、フェルハーンは不快気に小突く。
「何度も言うが、アレはよく言われる魔物の仕業じゃない。魔法の――いや、私たち人間の括りで言えばもしかしたら魔物の力だったのかも知れないけど、もっと純粋な、元素を具現化したような存在だったんだと思う。あんな、――」
「だとしても、起こった結果は同じです」
「全然違う」
「そう思ってるのは団長だけです」
 ふたりの間に急速に満ちた不穏な空気に、ヨゼルは喉もとで低く呻いた。会議室内の重さは間接的なものだったが、今は自分に半分ほどのしかかってきている。耐えきれずヨゼルは、苦労して作った冷静な声で説明を求めた。
 ああ、とフェルハーンは頷いた。
「十年くらい前の話だよ。エルスランツとセーリカがもめた事があっただろう」
 眉根を寄せたアッシュを一瞥して、フェルハーンは肩を竦めた。
「まだ先王陛下がご存命だったから、そのころにしては結構規模の大きい戦闘だったんじゃないかな。一個中隊くらいの人数でぶつかり合ったときに、今回みたいな広範囲魔法による消滅事件が発生したんだ」
「え? ありましたかね……そんなこと」
「なにせ、生存者が少なかったからね。私もアッシュも生き残りはしたけれど、証言なんて出来る状態じゃなかった。調査は進められてたけど、一年と経たないうちに先王陛下が身罷られて、その後第一次内乱が勃発して、結局事件は解決されないままになった」
「……まさか、今回のと一緒の人物関与があるとかじゃないですよね?」
「それはないよ」
 言い切って、フェルハーンは緩く首を横に振った。
「アッシュが言ったように結果だけ見れば似たようなものだけどね。今回のと全く魔法の質が違うから、関係はないよ」
「真似でもしたんですかね」
「真似、ねぇ。かなり無理があると思うけど……」
「そりゃぁ、団長は聖眼ですから違いが判るだけでしょう。一般人にしてみたら、どっちも同じ炎による消滅事件ですよ」
 ある意味もっともな言葉である。苦笑しかけたフェルハーンは、しかし、直前に顔を強ばらせることとなった。
「……だから、同じだと言っただろうが」
 聞かせるつもりはなかったのだろう。だがあいにくと、本人が思ったよりも大きな声になっていたようである。低く呟かれた言葉を聞きとがめて、フェルハーンは眇めた目をアッシュに向けた。
「いい加減、憎むのは止せ」
 足を止めて、アッシュがフェルハーンを睨みやる。
「類似点だけで思い出すな。今回のは魔物だ。前のは違う」
「なら、前のは化け物の仕業だったってことです」
「……アッシュ」
 低く、フェルハーンは怒気を籠める。
 だが、決定的な一歩を踏み出す前に、思わぬ方向から声が掛けられた。
「義兄上?」


[] [目次] []