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「別に、仲良くする必然性はないんだから、いいんじゃない?」
 何気にキツイことを言って、アリアは肩を竦めた。
「まぁでも、実は結構、親切な人なんだとは思うけど」
 数日前に出会ったときのことを思い出す。彼には観察眼があり、さりげなく気遣うことも出来る。それが表情や、わかり易い優しさとなって全く出ていないだけだ。
「……あんたって結構人がいいよね」
「違うよ。だってほら、気遣いゼロっぽいのに、ちゃんと私たちの歩く速度に合わせてくれてるでしょ。道教えて去ったっていいのに、案内してくれてるし」
 アリアの指摘に、レンは渋々といった様子で頷いた。イースエントの名家出身であるレンにしてみればそれは当たり前のことで、気遣いの内に入らないのだろうとアリアは苦笑する。大国の王女の側近ともなれば、そうそうぞんざいな扱いを受けることもない。そういった境遇に浸っていれば、確かにアッシュの態度が横柄に見えても仕方ないだろう。
 そこまで考えて、アリアはふと疑問に行き当たった。小走りに駆け寄り、アッシュの袖を引く。唐突な行為にも大した反応は見せず、アッシュは胡乱気に振り向いた。
「アッシュさん、なんで私たちがここで迷ってるって判ったんですか?」
「道案内が居た」
「え?」
「団長が魔物を呼び出した。そいつが案内した」
「ええ!?」
 魔物と聞いて、アリアは一歩後退った。アッシュが過去形で語ったにも関わらず、無意識に左右を見回してしまったのは、魔物は全体的に凶暴な存在として認識しているからだ。ましてや今は、村の消失事件にも関与があったと方々で噂されている。
 アッシュは小さく首を横に振り、何でもないことのように口を開く。
「小さな使い魔の類だ。一度囚われたら逆らう力などない」
「でもでも、フェルハーン殿下の元を離れても言うこと聞くものなんですか?」
「勿論、魔物が戻ってくるまで、団長は命令を与えた場で待機してる。魔物はそこへ戻る」
 微妙に的の外れた答えだったが、要するに問題はないということなのだろう。アリアは改めて、聖眼の力を思い知った気分だった。便利だと思う反面、強い力にはそれ相応のリスクを伴うという認識があるため、あまり羨ましいとは思えない。そうしてふと思いついて、再びアッシュの袖を引いた。
「ねぇ、アッシュさん」
 向けられた目線は幾分面倒くさそうではあったが、拒絶はしていないようだ。
「聖眼って、偶然できるものなんですよね? 血筋とか全然関係なしに」
「そうだ」
「どういう仕組みなんですか?」
「知らん」
 言い切って、さすがに補足の必要性を感じたらしい。
「魔法みたいに、何か力を物理的に具現できるわけじゃない。あれの仕組みを訊ねることは、目の見えない人があんたに『何故貴方は目が見えるのか』と聞いているのと同じ事だ」
 なるほどと思い、アッシュはやはり説明が上手いと思う。饒舌ではないが、人に納得させるコツを知っているようだ。だが折角の能力を、積極的に使おうとしていないところがどうにも痛い。
 あんな男とよく喋る、そう言いたげなレンの視線をチクチクと感じながら、アリアは気付かないふりでアッシュに問いかけた。
「聖眼の能力って、魔法で代用できないんですか?」
「やろうという試みはあったみたいだ。特に、団長が稀な聖眼持ちだったから、一時期エルスランツで特に研究が盛んになった。エルスランツ公も随分調べたらしいが、無駄に終わったらしい。そもそも、聖眼を持った者が何故生まれるのか、それが判ってないからな。聖眼の能力を得ようとした魔法使いもいたらしいが、いずれも実験途中で死んだと聞く」
「……滅茶苦茶危ないじゃないですか」
 奇跡に近い偶然でしか持ち得ないということか。そう考えてアリアは苦笑した。奇跡の力と言えば、自分も持っている。あまりにも皮肉で貪欲な、アリア以外には害しか及ぼさない、あさましい力ではあるが。
 アリアの苦笑いをどう取ったのか、アッシュは無感動なまでに平坦な声で言葉を続けた。
「危なくないものなんか、ない」
「え?」
「世の中のもの全部、どこか必ず危険をはらんでいる。それが危ないものだと認識されないのは、人が使い方を間違っていない間だけだ」
 極論だが、間違ってはいない。だが、とアリアは同時に思う。逆もまた然り、というわけにはいかないだろう。アリアの特殊な能力のことをアッシュに話したとしたら、彼は何というだろうか。奪うだけで与えることを知らない、アリア以外には何の恩恵ももたらさない力の存在を知って、それでも「間違わなければ危なくなんかない」と言えるだろうか。
 ふと聞いてみたくなったのは、アッシュの口調があまりにも客観的で、そこに彼の感情が伴っていなかったからだろう。
 頭振って、アリアは皮肉っぽく嗤った。聞けるわけがないのは判っている。代わりに、別のことを口にした。
「結局、人間が一番危険ってことなんですかね?」
「――結果だけでなく、過程も考えるならな」
 純粋な力である自然がもたらす危険よりも、人が意志をもって起こす危険の方がタチが悪い、そういうことだろうか。解読の難しい言葉に首を捻るが、発した当人の方は知らん顔で前を向いて歩いている。今度は、補足説明をする気はないらしい。
「ねぇねぇ」
 会話の切れ目に滑り込むように、レンが後ろからアリアの肘を引いた。
「難しい話はどうでもいいけどさ。そろそろ場所、判ってきたんじゃない?」
 どうも、アッシュとは関わり合いたくないらしい。アリアにしてみれば未だ見慣れない道に違いないのだが、レンは無理矢理にでも知った場所との共通点を認めたい様子である。
 心情的にはレンに同意してあげたいところであるが、それでまた迷っては笑い話にもならない。
 嗜めようと口を開いたとき、アリアは前方に歩く人影を見つけた。
「――あれ?」
 親子というには近く、兄弟と言うには遠い、微妙な年齢差の感じる二人組。服装は簡素だがくたびれた様子はなく、一目で衣食住に悩むことのない生活水準の人間だと判る。第一区画を歩いてもなんら違和感はないはずだが、アリアはどこか奇妙な印象を受けた。
 首を傾げて、しばし考える。しかし、何か確信をもつ前に、レンもまた驚いた声を上げた。
「あの人、前にディアナ様のところに押しかけてきた人じゃない?」
 具体的な情報に、アリアは二人組に目を凝らす。
「なんだっけ、ほら、予定時間前に来ちゃった人」
「ええと、……うん、覚えはあるんだけど」
 ここしばらくは沈静しているとはいえ、それでもディアナを訪ねてくる者は多い。ディアナ自身はともかくとして、一介の侍女がその全員をいちいち覚えてなどいられないというのが本音である。その中で記憶に残るということは、複数回訪問があったか、余程好印象を得たか、はたまた衝撃的なことをしでかしたか、――とにかく、ただ者ではないことだけは確かだろう。
 アリアとレンが揃って疑問符を浮かべる中、答えは意外な方法から導かれた。
「ゲイル・ザッツヘルグか。妙だな、あいつらの館は反対方向のはずだ」
 訝しげにアッシュの眉根が寄せられる。アリアははっとしてレンと顔を見合わせた。名前に触発され、ゲイルの些か非常識な行動が脳裏を走る。
「あのロクデナシ……」
 物騒な声音で呟き、レンは指を噛む。
「あいつ、帰るとき、ディアナ様の美しい手をベタベタ触りまくってたのよ!」
「き、聞こえるよ……」
 あの手の人間は高確率で地獄耳だ、そう信じているアリアは、慌ててレンの口を押さえた。しかし、時既に遅し、――悪い方向にアリアの予想は当たってしまったらしい。
 ちらりと伺った視線の先、ゲイルの目は、はっきりと三人の姿を捕らえていた。もうひとりの男が体の向きを転ずるのに合わせたように、大きく手を振って破顔する。
「やー、奇遇ですねー」
  間延びした声が、閑静な道路に響く。アリアは無言で天を仰いだ。彼の様子からすると、とうの昔にこちらに気付いていたこと間違いないが、それにしても切っ掛けを作ったのはレンであると言わざるを得ない。
「どうしたの? 異様な組み合わせだねぇ」
 近づいてきたゲイルは、不思議そうにアッシュを見上げた。せめて意外と言って欲しいところだが、訂正するのも莫迦らしい。
 アッシュは、自分とは対極に位置するだろうニコニコ顔の青年を一瞥し、しかしすぐに別の方に目を向けた。
「……お久しぶりです」
 ゆっくりと歩き来る人物に、会釈をする。言葉の割に親しさも懐かしさも感じられない口調ではあったが、その壮年の男は気にした様子もなく穏やかな笑みを浮かべた。
「久しぶりだ。だが、さすがにもう背は伸びてないようだな」
 通りの良い低く太い声に、レンは無意識に両手を胸の前で握りしめた。
「時々噂は聞くぞ。随分強くなったようで、私も鼻が高い。もう、フェルハーン殿下に迷惑はかけてないだろうな?」
「おそらくは」
 雰囲気と話の内容から察するに、アッシュの剣か魔法の師というところだろうか。
 アリアが説明を求めてゲイルを見ると、彼は一度頷いてにっこりと笑った。
「おふたかた、ちょっと良いですかー?」
 あまりと言えばあまりな割り込み方に、アリアは口元を引きつらせた。
「可愛くて若い女の子を置いて、盛り上がっちゃ駄目ですよー。どん引きです。白けます。男のやることじゃありません」
 ふたりの男の反応は、見事に対照的だった。アッシュの方は異論満載という表情だったが、壮年の男は照れたように、だが見惚れるような笑みを浮かべている。ゲイルの発言にこそどん引きのアリアとしては、アッシュの方に賛同を示したいところだったが、レンは渋みの深い大人の男の微笑に、深く考える思考能力を麻痺させられたようであった。ほんのり頬を染めて、男の顔をまじまじと見遣っている。
 おもむろに咳払い、ゲイルは壮年の男を指し示した。
「こちらはヒュブラ・ロス殿。元エルスランツ騎士団の副騎士団長で、今は離宮の警護主任をなさってます。炎系の魔法使いの第一人者なんですよ」
「それは止して下さい。私など、多少器用に魔法を使う程度です」
「また、そんな謙遜を」
「いや……、本当ですよ。確かに炎系の魔法はよく使うと思っているが、少なくとも、使い手としては二番手以下でね」
 言って、ちらりとアッシュに視線を向ける。アッシュはそれに気付いたようだったが、言葉を返す気はないようだった。
 苦笑し、ヒュブラはアリアたちの正面に向き直る。
「それはさておき、……はじめまして、お嬢さん方」
 にこり、とヒュブラは笑みを重ねる。レンは上気した顔のまま優雅に礼をして挨拶を返した。アリアもそれに便乗して名乗る。
「おふたりとも、ディアナ殿下の侍女なんです。ヒュブラ殿も、一度ディアナ殿下をお訪ねになっては如何ですか? とても頭のいいかたですよー」
「ほう、そうですか。では、私の主と共に、一度お話に伺うとしましょう」
「エレンハーツ殿下もお越しですか」
 僅かに驚いた響きをもって、アッシュが問う。


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