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(六)

 強い陽光に、アリアは眼を細めた。王都のあるエンディラ地方は比較的寒暖の差の少ない穏やかな気候であるが、さすがに夏も盛りとなると日差しも強くなる。木陰は、少しでも涼を得ようとする客や旅人のたまり場となっていた。
 王都に不穏な空気が広がっていようと、庶民の暮らしは実質的にはあまり変わらない。戦争ともなれば街道が封鎖され旅人の数も激減するものだが、そこまでには至っていない以上、大陸の街道の最重要拠点、全ての道へ続く分岐点とも言えるシクスは変わらぬ喧噪を見せ続ける。それでも一時期は僅かに客足も鈍ったものだが、ルセンラークの消滅よりひと月ほど経った今では、既にもとの賑わいを戻していた。
 人のごった返す市場、そこに軒を連ねる露店、開けた場所で芸を披露する曲芸師。エンディラを訪れた者は得てして物珍しさに時を忘れ、半数の者が帰ることを忘れてしまうと言う。誇張はあれど嘘ではない、5ヶ月前に初めて目にした際の感想を、アリアは改めて思い起こした。
「アリアさん、こっちです。はぐれますよ」
 お上りさんよろしく、呆けた表情で通りを見回していたところにギルフォードの声が掛かる。目立たせようと大きく手を振って合図を送る彼を認めて、アリアは引きつった顔で声を返した。
 正直、余計なことをするなと言ってしまいたい。そのようなことをしなくとも、ギルフォードはその際だった容姿故に、何もせずとも人目を引くのだ。周囲からの、羨望と興味の入り交じった視線がどうにも痛すぎる。
 人混みを掻き分けてギルフォードの元にたどり着いたアリアは、些かわざとらしく声を上げた。
「済みません。市場を見たいと連れてきてもらったのは私の方ですのに。魔法院の買い出しの品は見つかったんですか?」
 なにげな説明口調に、視線の半分ほどが彷徨って外れていく。苦笑しつつ、アリアはギルフォードの手から幾つかの袋を受け取った。
 魔法院は公的機関であり、当然その為の備品一切は国庫からまかなわれている。しかし、民間相手に制作、販売を行っている魔法装置の費用に関しては、一切の補助も降りていない。そういったものの材料や、自らの研究に使う材料を出来るだけ安価に仕入れるために、魔法院の所員は協力して勤務を調整し、買い出しの日を設定しているのだ。
「後は港の方に行かなくてはなりませんね。まだまだ歩きますよ」
「うう……」
 王都の第三区画に広がる市場は、ここだけで大陸北方全ての品が揃うと言われているだけあって、かなり広大な面積を有している。街一つ分全てが所狭しと並んだ商店街だと言っても差し支えない。だがその分、無軌道に枝分かれした小道や違法に開かれた露店も相まって、複雑極まりない迷路の様相も呈している。王女の侍女として買い物の殆どは、第二区画の高級商店で済ませてしまう――或いは済まさざるを得ないアリアには、初めて訪れた物珍しさ以上に、方向感覚がおかしくなることへ疲労感が溜まってきていた。
 がっくりと肩を落としたアリアを見て、ギルフォードはにっこりと笑う。
「まぁその前に、ちょっと休憩しましょうか」
 休憩という言葉に、汗の滲んだ額を拭い、アリアはほっと息を吐く。
「でも少し歩きますよ。……ああ、着いたあたりは大分値も下がっているはずですので、欲しい物があれば見てみるのもいいと思いますよ」
 基本的に市場は、便利な位置にあるほど品物に高い値が付けられている。あまりに広大な市場に慣れていない旅人は、広い通りに面した店を見回るだけで精一杯という状況のため、そういった場所の店がいくらぼったくっていようとあまり気付かれない。ギルフォードに付いて狭い道を進む内に、値札の数字がどんどんと下がっていくのを目の当たりにしたアリアは、あまりといえばあまりな変わりようにあきれ果ててしまった。
「これで売値なんですから、元値の安さを考えると頭が痛くなりますね……」
「まぁ、交渉の腕次第でなんとでもなりますから、値札はあまり気にしなくて良いですよ。参考資料程度です。ただ、あまり安い店で買うと妙なものが紛れ込んでいることもありますので、信頼できる店を選ぶことの方が大変です」
「妙なもの……」
「判りやすいところで薬草と毒草を売り間違っているとかです。ひどいところでは、判っていて偽物を売りつけてますね。魔法触媒にもなる根茎の粉末を買ったはずが、実はそこいらに生えている木の根を乾燥させて作った偽物だった、ということもありました」
 思い出してか、ギルフォードは可笑しそうに眼を細めた。
「本来ならそよ風が吹いて室内を涼しくさせる魔法だったはずが、何故か魔法陣から強烈な突風が発生してしまい、集まっていたご令嬢方々の薄物を扇いでしまうという大珍事になりましたね」
「……笑い話で済まない気もするんですが」
「警備主任の某殿下は、大喜びでしたよ」
 名前を伏せようが、敬称から導かれる人物はひとりしか存在しない。
「事故を起こして褒められたのは、あれが最初でしたね」
「……多分、最後だと思います」
 ギルフォードは笑い、そうして奥まった店の扉を慣れた動作で開けた。高い位置から澄んだ鐘の音が小さく響く。
 縦に長い建物、太陽が中天から少し西に逸れたこの時間帯では、天井のガラス窓が光を弾くのみで直接陽は差し込んでこない。その為か、外気温よりも随分と涼しく感じられた。
「らっしゃい、……ああ、あんたか。珍しいな」
 奥から通りの良い声が出迎える。少し低めではあるが、女の声だった。慣れた様子でギルフォードは会釈する。
「こんにちは。そう言えば、しばらく買い出し番には当たってませんでしたね」
「いいオトコが見れないと、あたしは哀しいよ。で、何にする? 外は暑かったろ」
「今日は天気がいいですからね。私は麦酒で、彼女にはお勧めのフレッシュジュースでもお願いします」
 その言葉に、奥の人物はカウンターから身を乗り出したようだった。ギルフォードの後ろに立っていたアリアに気付き、一瞬驚いた顔をした後で破顔する。
「あら、初顔? いらっしゃい、お嬢さん。市場で仕入れたばかりのオレンジでいいかな?」
「あ、はい。お願いします」
「いい返事だねー、可愛い子は大好きだよー」
 にっこりと笑う顔は大振りで、気っ風の良い姉御風。艶はあるが媚びる色はない。年を誤魔化すように化粧はやや濃いが、そこそこの美人である。商売柄か、初対面のアリアにも気さくに喋り掛けてくる様子は好ましかった。心持ち、子供に語りかけるような口調であるのが気になるところではあるが。
「ここ、何の店ですか?」
 席に着いた後で、声を小さくしてギルフォードに問う。かぶり物を頭から外したギルフォードは、面白そうに空色の眼を細めてアリアを見遣った。
「飲食店ですよ」
「こんな暑い日の昼時に、こんなに閑散としている飲食店なんか、すぐに潰れますよ」
 内装は軽食の店。だがそれにしては、昼のかきいれどきに他に客はなし。普通、これでは商売が成り立たたないものだが、女主人と覚しき人物に苦渋の様子は見られない。建物自体はこぎれいだが、よく見ればそれなりに年季の入った代物で、調度からも長年同じ目的で使われてきた場所だということが判る。
 つまり、だたの飲食店ではない。単純に考えるなら何らかの取引の場所、といったところか。
 じっとりとした目でアリアが見つめると、ギルフォードは降参したように両手を上げた。
「隠すつもりはないから連れてきたんですけどね。一目で気付かれるとは思いませんでしたよ」
「今はディアナ様の加護を受けてますけど、もともとは田舎の貧乏暮らしでしたから。怪しい店はなんとなく判りますよ」
「田舎? それではディアナ殿下とは、どうやって知り合ったのですか?」
 興味深そうに、ギルフォードは目を見開いた。おや、とアリアは思う。アリアがディアナ――もとい、亡命先のイースエント王宮に引き取られるに至った経緯は、無論人に話して聞かせるようなものではない。アリアの特殊能力が深く関与している以上、ふたりだけの秘密であったからだ。だが、詳細を省けば問題はない。身分証明を求められたときのために、人に納得させる説明くらいは用意されている。
 魔法院の所員扱いとして認める際、簡単な身分照会もしなかったのだろうかと、アリアは首を傾げた。
「何も聞いてないんですか?」
「ディアナ殿下の恩人だとだけですね」
 ぎよっとしてアリアは僅かに身を引いた。
「おや、違うのですか?」
「いえ、間接的には合ってるといいますか……」
 ディアナと交わした「契約」と「約束」を思い出しながら、アリアはギルフォードに事の経緯を話し始めた。
「ディアナ様がイースエントに亡命なさった頃、その一行を追ってきた敵対集団があったそうです。丁度私の住んでいた村で戦闘になって……、私と兄は村の外れに住んでいたんですけど、逃げてこられたディアナ様と追っ手がそこで鉢合わせになったらしいです」
 伝聞調であるのは、当時8歳のアリアが詳しい経緯など把握しようもなかった為である。
「運が悪かっただけなんですけど、まぁ、丁度私と兄が居合わせて、と言えば先は判りますか?」
 ギルフォードの表情が沈むのを認めて、アリアは慌てて言葉を続けた。
「兄が庇ってくれたおかげで、私は無傷でした。ディアナ様も。でも、兄はその際魔法を極限まで使ってしまい、結局」
「魔力不均衡症候群だったっていう、お兄さん?」
「はい。……まぁ、それで天涯孤独になってしまって、それをディアナ様はご自分のせいだと思われたんでしょう。私を侍女として雇って下さいました。なので私は、本当はただの田舎者なんですよ」
 殊更明るい口調で締めくくったが、そもそもの話自体がどんと重い。ギルフォードが申し訳なさそうにアリアを伺い、どことなく湿っぽい空気が流れてしまったのは致し方ないだろう。肝腎な部分を省いての説明であったため、実のところアリアにかかるストレスは極めて低いものだったのだが、だからといって今更アリア自身が茶化した冗談を口にするのも空々しい。見るからに真面目なギルフォードは、本人の口から辛い過去を語らせたと、己を苛んでいるようだった。
 どうしてくれようこの空気。
 自分の力に関しては根深く自虐的なアリアであったが、本来はどちらかといえば前向きな性格をしている。暗い雰囲気は苦手だった。
「何、顔付き合わせて深刻な顔してんの?」
 些か乱暴な声と同時に、二人の間を冷えたグラスが横切った。湿っぽい雰囲気を裂くような、さわやかな柑橘系の匂いが鼻腔をくすぐる。計ったような、否、実際計っていただろうタイミングに、アリアはほっとして顔を上げた。
「いいオトコが眉間に皺寄せてんじゃないよ。お嬢さんが困ってるだろ」
「ああ、いや、……そうですね」
「そうそう、笑顔が一番。で、これ、いつものやつね。同じのは先にいつもの人が取りに来てたから」
 器用に片目を瞑り、店主は折りたたまれた紙切れをギルフォードに渡した。礼を言い、受け取るやギルフォードは紙面を開けて目を落とす。余程大事なことが書いてあるのかと、アリアは口を挟まずに彼を眺めた。他人の前で読み始める文章だけに、機密性は低いと思われるが、彼が断りもなく話し相手を放って他のことに興味を移すというのは珍しい。


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