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 紙の端から端まで何往復も読み返した後、ギルフォードは漸く満足げに息を吐いた。
「……なかなか、興味深いですね」
「聞いてもいいですか?」
「どうぞ」
「あの店主さんは、情報屋とかですか?」
 まさかそこからくるとは思わなかったのだろう。一瞬、不思議そうに首を傾げた後、ギルフォードは楽しそうに口の端を曲げた。
「いいえ。あの人は仲介屋です。幾つもある宛名なしの手紙を管理して、メモなどは一切つけないくせに正しい相手に渡すことが出来るという妙な特技をお持ちですが、手紙の内容自体には一切関与していません。この手紙をくれたのは間違いなく情報屋ですけどね」
「私の前で開けても大丈夫なんですか? 興味津々なんですけど」
 内容を教えろと催促するような目線を送ると、ギルフォードはあっさりと紙面をアリアに向けた。
「え、いいんですか?」
「そう大したことは書いてませんよ。そうですね、関係あることと言えば、そうですね。ティエンシャ公が、いよいよ王宮に勾留されるという事と、フェルハーン殿下に関することくらいでしょうか」
 え、とアリアは口を開ける。
「思ったよりも早かったようですね。彼、近々ルーツライン方面に送られますよ」
「どういうことですか?」
「前々から、ルーツライン国境の警備をしているコートリア騎士団から要請があったのです。このところ魔物の出現が増えているので増援を頼むという感じですね。隣接するエルスランツやセーリカの騎士団から応援に行っていたのですが、遂に団長が直接陛下に懇願したようです。ルセンラーク村の消失事件もあり、付近の住人が怯え、ルーツラインとの関係も緊迫しているのでしょう」
「殿下の聖眼でなんとかしてくれ、ということですか?」
「魔物の討伐は、普通の人間には荷が重いことですから。対抗できる力を持つ魔法使いの絶対数も多くない上に、能力に差がありますからね。その点殿下は魔法は使えませんが、指揮能力も戦闘能力も優秀で、且つ聖眼持ち、これ以上の適任はありません」
 会えば皮肉の応酬といったイメージのあるふたりだが、互いに能力自体は認め合っているらしい。
「断るのは不可能でしょうね。ルーツラインにも各領主にも、それなりの誠意は見せなくてはなりません」
「その……殿下を呼び出して王都から離すことが目的とか、考えられません?」
「当然、あり得ますね。殿下の居ない留守を狙って魔物を投入、という手段もあるでしょう。しかし、王都は人も桁違いに多く、魔物にしても本来の力は発揮できないでしょう。城壁なども、コートリア周辺に比べて遙かに堅牢です。そう考えると、いつ襲い来るか判らない、又は本当に来るかも判らない魔物の為に殿下を置いておくより、今必要とする場所に配置すべきだという意見が強く出るでしょうね」
 ギルフォードは敢えて言わないが、フェルハーンの立場自体が微妙になりつつあるのだろう。魔物を操って村を襲った張本人だという疑いを払拭するためにも、彼は率先して戦っていく必要がある。
 大変だ、と他人事のように考える一方で、アリアはどこか落ち着かないざわつきを覚えた。何とも言い難い不安を誤魔化すように飲み物に口を付けるが、喉を通った感触はどうにも重い。
 ルセンラークの消滅からしばらく、続いて何事も起こらなかったことに、人々は胸をなで下ろしているが、おそらくそれは、単なる幕間に過ぎないのだろう。
 勘、という程に確かなものではなかったが、アリアには何故かそう感じられた。
「大丈夫ですよ、彼はしたたかですから、あっさり戻ってきますよ」
 アリアが俯いたのを勘違いしてか、ギルフォードは取り繕うように慰めを口にした。否定するのも――どことなくフェルハーンに失礼な気がして、アリアは曖昧に頷き返す。
 それを見て眉を顰めたギルフォードは、皮肉っぽい笑みを浮かべ、密談するようにアリアに囁いた。
「……しかし、彼には心配気な様子など見せない方が良いですよ。調子に乗りますから」
「え?」
「アリアさんは恋愛事に慣れてなさそうですから、心配ですよ」
「え、いや、それはそうですけど……」
「女の子、大好きですからね、彼は。見かけだけは理想的な王子様ですが、手の早さはかなり有名ですからね」
「えええ!?」
「あれで修羅場になったことがないというのですから、神業に近いですよ、本当に」
 引きつったような表情のまま、ぽかん、と口を開けた――奇妙に複雑な顔のアリアを見て、途端、ギルフォードは盛大な笑い声を上げた。額を手で支え、屈めた背中を揺らせている。その様子にはたと我に返ったアリアは、珍しいものを眺めるように彼を凝視した。穏やかに微笑むのが常であるギルフォードの、声にして笑う様をみるのは初めてである。
 気付いて、ギルフォードは口元を手で押さえた。
「済みません」
「――いえ、吃驚しました」
「ふふ、嘘ではありませんよ」
「からかってます?」
「いえ、とんでもない。ただ、殿下が妙に貴方を気に掛けている素振りでしたので、甘い罠には乗らないようにと注意を促したまでです」
 アリアは眉根を寄せた。正直、フェルハーンとは数度会ったことのある程度。まともに喋ったのはというと、魔法院に案内された時が最初で最後である。どこをどう間違えばギルフォードの言う状態に持って行くことが出来るのか、首を捻っても答えなど出てきそうにない。そもそも、人間関係という式が足りないのだ。
 水滴の浮くグラスを弾き、アリアは胡乱気にギルフォードを眺めた。
「どれもこれも、ギルフォードさんの勘違いです。殿下は私の後ろのディアナ様を伺って、私にも声を掛けて下さるだけです」
 先を促すように、ギルフォードは温くなった麦酒のグラスをテーブルに戻す。
「それに私自身、殿下の身を気遣うというよりも、殿下の動向が及ぼす結果、ディアナ様に不利が及ばないかを気にしていると言った方が正しい気持ちです」
「そうですか? それならいいのですが……」
「そうです。もう、それより、そろそろ買い出しに戻りませんか? 帰りが間に合いませんよ」
 話題がおかしな方向に縒れていく。そう感じたアリアは、強引だと自覚しつつ話を打ち切った。愚にも付かない恋愛話は、女友達とだけで充分だという思いがある。
 幸いにもギルフォードは、僅かに苦笑を滲ませただけですぐに席を立った。特別、深く切り込みたい話でもなかったのだろう。ほっとしながら、倣って、アリアも椅子を引く。暇そうに遠くからアリア達を眺めていた店主は、それを認めて手を挙げた。
「今日はいいのかい?」
「貴方に頼むほどのことはありませんので。近々、またお願いすることになりますが」
 彼女の裏家業のことだろう。ギルフォードが投げたコインを受け取ると、店主は楽しそうに笑った。
「お嬢さんにルールを教えなくてもいいのかい?」
「今日は店の紹介だけに来たのですが、そうですね、帰りに時間があれば、また寄ることにします」
「そうかい。……あ、そうそう。いつも贔屓にしてもらってるから、良いこと教えてあげるよ」
 妙に艶っぽい笑みを浮かべて、興味を誘うように顎を引く。
「ここひと月ほどかな、いろいろ情報嗅ぎ回ってる新手がいるみたいだね。被害が出たとか勢力分布が変わったとかはないみたいだけど、情報だけ集めて何もしないってのはおかしいから、いつか何かしでかすかもしれない。あんたも気をつけな」
「情報屋、ですか?」
「足取りも流す先も、全く判らないみたいだけど」
 集めるだけ集めた情報がどこへ消えるのか判らないところが不気味だと、店主は肩を竦めた。あくまで仲介のみ、深くは関わらないと線引きしつつも、奇妙なことは気になるらしい。
 ギルフォードは一度考え込むように眉根を寄せて立ちすくみ、しかしすぐに首を横に振った。
「私には探られて痛い腹はありませんが、忠告は覚えておきますよ」
「ふふ。あんたの女性関係のネタなら、害がない上に高く売れるだろうけどな」
「……からかわないで下さい。もう、行きますよ、アリアさん」
「おやおや、素っ気ないことだ。……それじゃあ、また。お嬢さんも」
 綺麗に片目を瞑って、店主はアリアに小さく手を振った。ギルフォードは会釈をして店の扉に手を掛ける。同じように軽く頭を下げて、アリアもまた店を後にした。
 十数歩、歩いたところでギルフォードの袖を引く。
「ギルフォードさん、お代、これで足ります?」
 縁のついた10銅貨をギルフォードの手のひらに押しつけ、アリアは伺うように彼を見た。あの手の店は大概、密談場所も兼ねているので商品の単価が高い。ジュース一杯だが、それを見越した値段を計上したつもりである。
 だが、ギルフォードは苦笑して銅貨を押し返した。
「その金銭感覚は適当ですが、これは不要ですよ」
「でも、買い出しのお金と買い食い分は別でしょう?」
「こういう場合、私が奢るのが普通だと思うのですが……」
「それは、単なる男の自己満足です」
 言い切って、アリアは強引に銅貨を握らせた。
「それがスマートだ、なんていう人の方が多いかも知れませんが、マナーでもなんでもないですよ。無意識に相手を下に見てるから、奢る気になるんです。それを貢がれているようで満足だ、なんて勘違いしている人もいますけど、本当に洗練した対応って、そういった優越が元になるんじゃなくて、最後までお互いが不愉快にならないように自然に気遣うことだと思うんです」
「しかし、今日はアリアさんに手伝ってもらっていますから、これは、そのお礼です」
「違いますよ。ギルフォードさんは私に手伝ってくれなんて頼んでません。私が市場を見たいから手伝う、って言ったんです。だからこの場合、私が好きで来てるんですから、ギルフォードさんは何も考えなくていいんです。それでももし、買い出しを手伝う礼をしたいと思って下さるなら、やるべきことは私に何か奢ることじゃなくて、私が市場を見て巡って満足できるよう、その手助けをすることです」
 ギルフォードは、何度か目を瞬かせた。そうして、可笑しそうに目を細めてアリアを見遣る。
「では、ご要望に応えましょうか」
 そして――それは、ギルフォードにとっては特に意味のない行動だったのだろう。強引に握らされた銅貨をようやくのように受け取って、彼はそのままアリアの手を引いた。
「!」
 手を握られた、そう自覚した一瞬、アリアは微かな震えと共に勢いよく振り払ってしまった。その軽い衝撃に、ギルフォードは慌てて手を引っ込める。僅かに強ばったアリアの顔と払われた手を見比べて、彼は申し訳なさそうに目を伏せた。
「済みません」
 後悔の混じった声音に、アリアは漸く、自分のしでかしたことに気がついた。以前フェルハーンに働いた無礼と同じ、条件反射に近い過剰反応である。他人の魔力や――おそらくは生命力と呼ばれるものを奪い取る力を持つ、その関門とも言うべき両手。アリア自身が強く願わない限り何も起きないはずであるが、それでも他人の方から触れられることを無意識のうちに恐れている。
 アリアは、少し躊躇った後に彼の手を握り直した。
「謝るのは私の方です。申し訳ありません。こういったことに慣れていないので、少し驚いただけです」
「無理しなくても構いませんよ?」
「してません。はぐれそうですから、手でも腕でも掴ませてくれると助かります」
 にこりとアリアが笑うと、ギルフォードはほっとしたように目を細めた。
 では、と前置きをして、僅かな逡巡を見せながらアリアの手首に近い手のひらを軽く掴む。しっかと握るほどの密着性はなく、腕を捕らえるほどの強引さはない、微妙な位置が如何にも彼らしい。
「改めて、行きましょうか」
「はい。よろしくお願いします」
 午前と同じく、向かう店は全て買い出しに関連した所ばかりであったが、それをそうと気付かせないほどにギルフォードの案内は巧みだった。もともと、魔法研究の題材を同じくするほどに興味の先が似ているという部分も大きいだろう。だがそれ以上に、彼は雑多なことにも博識だった。アリアが興味を示して問うこと全てに、つらつらと説明が行えるほどに。


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