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 アリアの質問と共に店に入り、アリアの感嘆と共に店を出る。
 そういったやりとりが何度か繰り返された後、ギルフォードはふと、振り返って周りを見回した。
「迷子でしょうか?」
 言葉に促されるままに、アリアも振り返る。ギルフォードの視線を追うと、確かにその先に、五、六歳と覚しき少女の姿があった。近くに親や兄弟らしき者の姿はない。目を凝らせば、少女の頬に涙の流れた跡があるのが見て取れた。
「誰も気に留めてませんね」
「まぁ、よくあると言えばありますから。それに陽も傾いていますし、皆自分のことで精一杯なのでしょう」
 これだけ広大な市場である。アリアでさえ人混みに押されて、思わぬ方向へ進まざるを得ないこともあるのだ。大人の足程度の高さしかない少女にしてみれば、動く迷路の中にいるようなものだろう。
 少女の動向を眺めていたギルフォードは、しばし後に、躊躇いながらアリアに伺った。
「少し、寄り道しても構いませんか?」
「ええ、勿論です」
 言わんとしていることなど、考えるまでもない。頷き、ギルフォードの後に付いて少女の方へ向かう。その頃には少女は、疲れた様子で客足のない店の脇に座り込んでいた。
「迷ったのですか?」
 幼女にも何故か丁寧語で話すギルフォード。どんな相手にも尊重した態度を見せるのは立派だが、この場合にそれはないだろうと、アリアは無言で空を仰いだ。ある意味、不器用な男である。
 少女は、突然掛けられた声に驚いて、一度びくりと体を震わせた。
「お母さんかお父さんと、はぐれたのですか? 一緒に捜しましょうか?」
 大きな目が、ギルフォードを捉える。その後は怯えて逃げるか、素直に頷くか、――おおよそどちらかに分かれると思われた反応は、しかし、想定外の方向へ大きく逸れて飛んでいった。
「……にいちゃ!!」
 ぎよっとしてギルフォードは僅かに後退る。アリアは思わず彼を凝視した。
「にいちゃ、どこ行ってたの!?」
 少女の小さな手がギルフォードの上着の裾を掴む。たじろいだまま、ギルフォードは助けを求めるようにアリアを見た。視線を受けて、しかしアリアも首を横に振る。状況が、サッパリ判らない。ギルフォードと少女の年齢を考えるとすれば、にいちゃ、つまりお兄ちゃん、すなわち兄妹というよりも、親子と言った方が正しいはずだ――などと、何の解決にもならないことが脳内をぐるぐると回っていた。
 困惑を表情に貼り付けたまま、ギルフォードは少女を引きはがしてその場にしゃがみ込んだ。
「あなたのお名前は?」
 動揺を滲ませながらも、ギルフォードの声は穏やかで優しい。これは及第点だと思いながら、アリアも膝を折る。
「お兄ちゃんって、ホントにこのお兄ちゃん?」
 少女はきょとんとして、アリアを見つめた。そうして、ゆっくりとギルフォードに向き直る。
 直後――その顔が、大きく歪みを見せた。反射的に仰け反り、アリアは次に来る衝撃に防御を図る。
「ちがっ…………」
「え?」
「ちが、ふぇ……、うわぁぁぁぁーん!」
 ああ、やはり。遠い目をしながら、アリアはぎこちなく顔を笑みの形に作り上げた。笑って誤魔化す精神の切れっ端である。
「ちが、にいちゃ、ちがぁぁぁー」
「ええと、あの、ちょっと、」
 慌てふためき、ギルフォードらしからぬぎこちなさで少女を抱き起こす。周囲を見回して注目されていることに気がつくと、彼は挙動不審なまでに視線を泳がせた。
 このままでは怪しさに拍車をかける。そう判断したアリアは、苦笑しつつギルフォードの袖を引き、露店の切れ間にふたりを誘導した。泣き続ける少女を半ば強引に奪い取り、地面に下ろしてから緩く抱き寄せる。
「はい、良い子、良い子」
 ぐずる子供をあやすのは随分久しぶりだが、少なくともギルフォードよりはマシだという自覚はある。この場合、自分が落ち着かなくては収まるものも収まらないという使命感もあった。
「にいちゃ、にいちゃ……」
「お兄ちゃん?」
 首を傾げると、少女は伺うように泣きはらした目をアリアに向け、次いで小さく頷いた。
「お兄ちゃん、いなくなったの?」
「ふぇ……」
「お兄ちゃん、こっちのお兄ちゃんに似てるの?」
 頭を撫でながら、ギルフォードの方に視線を促す。少女はおずおずと顔を上げ、かなり高い位置にあるギルフォードに目を向けた。建物の陰にあるため薄暗くはあるが、逆光でもないぶん表情は判りやすい。
 やがて、少女は緩く首を横に振った。
「どうして間違えたの?」
「髪……」
「お兄ちゃんも銀色の頭なの?」
 頷いて、少女は再び涙をこぼした。しゃくりあげる背中を、アリアは優しく撫で続ける。
「後ろ、にいちゃ、なの。でも、おめめ、違うの」
 ただの勘違いだと証明されたことに安堵してか、ギルフォードはあからさまに胸をなで下ろした。大きく息を吐いて、アリアと同じように狭い路地にしゃがみ込む。
 ギルフォードを間近に見て少女は「にいちゃ」との違いをはっきり把握したのか、再び顔を大きく歪めたが、今度は唇を噛み、大粒の涙を流しただけで堪えたようだった。ギルフォードがハンカチを差し出し、受け取ったアリアが少女の涙と鼻水に濡れた顔を拭く。
 少女が泣きやむのを待っていると、横の露店の店番が、興味深そうに顔を出した。よく日に焼けた、健康そうな少年である。
「何? 子供泣いちゃったの? 転んだ? おなか空いた?」
 しゃがみ込んだ3人を台の上から見遣り、矢継ぎ早に疑問を口にする。
「良かったら、店の奥使う? なんもないけど、そこよりましだと思うぜ」
「いいの?」
「いいって。帰りに土産でも買ってくれりゃ、それでオッケーだよ」
 言って、にかっと少年は笑う。露店に陳列されたものは細工の細かい装飾品である。値札は付いていないものの方が多いが、見る限り、そう高価というわけではなさそうだ。後払いでよいと言っているあたり、半分は厚意による申し出なのだろう。
 給金の残りで大丈夫かとアリアが考えている内に、ギルフォードはさっさと少女を抱き上げた。
「ありがとう。使わせてもらいます」
「うん、いいよ。入って右ね」
 少年の指示通りに右の垂れ布を捲ると、確かに数人が座って休める間が開けた。壁際に薄いクッションの置かれた椅子や簡単な作りのテーブル、茶器なども設置されている。慣れた客と歓談する場所なのかも知れない。
 少年に断り、汲み桶水を一杯借りると、アリアは少女の泥に汚れた顔を拭った。この頃になるとさすがに落ち着いたようで、座りながら大人しくしている。泣きはらした目と小さく作られた拳が痛々しい。
「お父さんとお母さんは? それともお兄ちゃんと来たの?」
 少女は大きく頭を横に振った。
「ひとりで来たの?」
 頷くのを認めて、アリアとギルフォードは顔を見合わせる。少女の必死な様子から、ただごとではないとは判っていたが、こうなると話は更にややこしい。十にも満たぬ子供からどれだけはっきしりした情報を得られるか、アリアには自信がなかった。一番よくあるパターンは、家を離れて働きに出された子供が逃げて迷ったというものだが、それにしては家ではなく兄を捜しているあたりがどうにも当てはまらない。
「おうちはどこ?」
「リーダ」
「リーダ?」
 アリアと同じように首を傾げたギルフォードは、しかし数秒考えた後に目を見開いた。
「まさか、マエントの街ですか?」
 少女は少し考えて、しかしはっきりと頷いた。アリアはぎよっとしてギルフォードを見遣る。遠い。とても子供がひとりで来ることの出来る距離ではない。そしてこの時期にマエントとは、一体なんの符合か。
 些かの苦労と共に、少女から聞き出した情報は、ふたりが驚愕するに十分なものだった。
 結論から言えば、少女は勘違いをしてシクスへやってきたというのが正しい。本来はマエントの王都へ行きたかったようである。荷馬車の後ろに乗り込んでやってきたというから、おそらくは事件の調査を行っていたキナケスの一団の馬車に間違えて乗ってしまったのだろう。
 少女が住むリーダの街は、キナケスとの国境に近い農業を主とする片田舎である。多くある田舎町とさほど変わりはないが、特徴と言えばやはり国境付近にあること。そして近くに警備のための古い砦があるために、街の者は何人かそこへ働きに出ていた。少女の母もそのひとりで、厨房でまかないに雇われていたという。
 その関係で、少女は数年前から砦に出入りしていた。普段から緊迫した様子に欠ける砦で、付近の村の子供も比較的気軽に出入りしていたようである。少女はその中でも頻繁に訪れる方で、砦の兵からはそれなりに可愛がられていた。
「にいちゃは、銀色のキラキラした髪で、おめめはきれいな緑色なの。一番優しかったの」
 少女の言う「にいちゃ」は実兄ではなく、砦の兵のひとりとのことだった。詳細は判らないが、話の内容をつなぎ合わせると、遠縁という関係が一番正しい様子である。
「でも、お城、焼けちゃったの。そしたらみんな、いなくなったの。にいちゃもいなくなったの」
「焼けちゃったから、別のところに移ったんじゃないの?」
 少女は首を横に振る。全く見かけなくなったのだという。
「いつ頃なの?」
 指折り数えた少女が数十秒後に示した日付に、アリアはおろか、ギルフォードまでが感嘆符に近い奇妙な声を上げた。
 ルセンラーク村の消滅事件と殆ど日を同じくしたのである。ただし、消失でも焼失でもなく、強いて言えば火事の域ではあったらしい。らしい、と考慮の余地があるのは、情報源が年端もいかない子供であること、彼女自身砦が焼けたと知ったのは伝聞だった事による。
「どこかに突然拠点を変えたとか、そういうのではないですか?」
 少女にはやや難解な質問であったらしい。きょとんとした少女に、アリアはかみ砕いて質問を繰り返した。だが、結果は否定。町人は勿論、勤めていたはずの少女の母親も何も聞かされていなかったという。
 やがてその異変に対し探索隊が組まれたが、行方は判らぬまま、そのうち大人達は消えた人々のことを話に乗せることすらしなくなったということだった。
「結構大きな事件っぽいのに、なんで伝わってないんでしょうね?」
 少女の頭を撫でたまま、アリアはギルフォードに目を向けた。


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