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「ななな、なりません! っていうか、なんで殿下の真似なんですか」
「いえ、女性を誑しこむと言えば殿下しか思いつかなかったもので。おかしいですね。あの人がこういう態度を取ると、大概の女の人はぽやんとなるのですが……やはり私では駄目ですね」
(駄目というか、効果ありすぎてついて行けないだけなんだけど……)
 ぶつぶつ言いながらも、ギルフォードはアリアから少し距離を取った。背中の少女を背負い直し、小さな包みをアリアに渡す。反射的に受け取ったアリアは、中を見て目を見開いた。
 細い銀の腕輪。材質はいまひとつながら、繊細な細工が美しい。あまり人目は引かないが、全身を眺めたときにそれがあるとないとではがらりと印象が変わってしまう、そんな一品である。
「いつも、研究所では資料探しなど手伝ってもらっていますから。そのお礼です」
「でも」
「まさか、これも要らないとかは、……言わないで下さいね、アリアさん?」
(ひえぇぇぇぇ)
 裏の無い、柔らかい微笑。避けるように仰け反り、アリアは首振り人形のように何度も頷いた。
 反則技だ。再び顔を紅潮させながら、アリアは頭の中で必死に彼を罵った。そうでもしないと何か勘違いしてしまいそうになる、そういった意味でタチの悪い天然さがギルフォードにはある。
百面相に近いアリアを、店番の少年が面白そうに見遣っている、それがまた恥ずかしさに拍車をかけた。
「もう、いい加減買い物済ませて帰りますよ!」
「そうですね」
 笑い含みに同意し、ギルフォードは荷物を抱え直した。
「あ、ちょっと待って!」
 去りかけた足を、少年の高い声が引き留める。
「旦那さん、セーリカ出身だって言ったよな? でも、里帰りとかは当分止めた方がいいよ」
「どういうことですか?」
「俺のアニキがあっちに居るんだけど。セーリカとティエンシャの境目がやばいって。セーリカはエルスランツともあんまり関係よくないから、領地で嫌な噂が絶えないってさ」
「嫌な噂?」
「俺もはっきりわかんねーけど、セーリカの領主様がそろそろ引退するって話あるだろ? その跡継ぎのゴタゴタをティエンシャとエルスランツが狙ってるとか、そんな話」
 アリアとギルフォードは顔を見合わせ、次いで少年に続きを促した。
「今ティエンシャ公が王宮で査問受けてるらしいってホント? セーリカじゃ、やっぱ三角州の権利であっちが良くないこと企んだからだとか、そんな話もあるらしーよ」
 ティエンシャ公は確かに現在、王宮に呼び出されている。だがその勾留は、長年争いの元となっている三角州の利権に因るものではなく、あくまでマエント内で起きた外交官吏の殺害に関して説明を求めるためのものであった。一般市民の間では、かなり情報が混線しているらしい。
 意味ありげに視線を交わすアリア達を見て、少年は不安げに眉根を寄せた。
「なぁ、また戦争とか、ないよな?」
 ギルフォードは一瞬、何とも言えない色を目に宿して伏せる。だが、次の瞬間にははっきりとした意志をもって、少年を見つめ返した。
「そんなこと、させません」
 言い切って、目元の鋭さを和らげる。
「店を貸してくれてありがとうございます。また、寄せてもらいますね」
「あ、うん。奥さんも、またね」
 顔を引きつらせながら、アリアも手を振り返す。最後まで誤解されたままだったと思うと、何やらどっと疲労が押し寄せる。肩を落としてそう表現するアリアを見て、ギルフォードは肩を竦めた。
「あからさまに拒絶されると、さすがに哀しいものがあるのですが……」
「や、拒絶じゃありません。なんて言いますか、非常に、視線が痛いんです」
「?」
「あはは……、うん、もういいです。行きましょう」
「はい……?」
 首を傾げるギルフォードは、どうも本気で無自覚らしいと、アリアはため息を吐いた。先ほどからビシバシと飛んでくる興味と羨望と憧憬の混じった女性達の視線に何故気付かないのか、首を絞めて吐かせたいところである。タチが悪いと言えば、自分の魅力を熟知して利用しまくっているフェルハーンを思い浮かべるが、彼の天然ぶりは案外その上を行くかも知れない。
(この噂が広まったりなんかしたら、間違いなくヴェロナさんに絞められる……)
 今更ながらに気づき、アリアは眉根を寄せてこめかみを押さえた。

 *

 王宮。アリアがキリキリと胃を痛めている頃、ディアナは王宮の一角で異母兄弟にあたる貴人を出迎えていた。
「まぁ、貴方がディアナ? 直接会うのはこれが初めてね。嬉しいわ」
 ディアナが盛夏の太陽のように鮮やかな生気を持つ美貌とすれば、彼女、エレンハーツは春の風にそよぐ小さな花といった可憐な風情である。線の細い体は儚げで、淡く微笑む顔は透けるように白い。
 長旅による疲れを押して、国王に挨拶をする様は、如何にも健気な印象を与えた。今、官の誘導に従い謁見の場を出た彼女は、ほっとした表情で貴賓室の椅子に腰をかけている。
「わたくしも、義姉上の花顔をこの目にすることが出来、光栄至極に存じます。――こちらは、ヒュブラ殿ですかな?」
「ヒュブラ・ロス。殿下の護衛を務めさせていただいております。ディアナ殿下には、以後、お見知りおきを」
 着実に有意義な年を重ねた、深みのある精悍な顔立ち。見惚れることはなかったが、その容姿に一見の価値を認め、ディアナは一層笑みを深くした。
「そちらの勇名は耳に届いておる。義姉上を任せるに相応しいとも言えるが、その年で騎士団引退とは、惜しいものだな」
「私には過分なお言葉、痛み入ります。しかし、私などの凡人には、及びつかぬ才の持ち主に、大人しく場所を明け渡すのもまたわきまえの内。勝手に騎士団を去ったにも関わらず、このような素晴らしい仕事を与えていただいたことを深く感謝しております」
「ああ、前は、エルスランツ騎士団であったな。義兄上とは?」
「私が副団長の職にありましたときに、少しばかり戦場を共に致しました」
 言い、苦笑したところを見ると、彼なりにそれを禁じ得ない思い出があるのだろう。今は多少常識人の皮を被っているが、少年時代はさぞ手の焼ける変人だっただろうと、ディアナもまた口元を押さえた。
「まぁ、仲のよろしいこと」
 ひとり、会話から外れたエレンハーツが、拗ねるように唇を尖らせる。
「鼻の下が伸びているわよ、ヒュブラ」
「これは、失礼」
「ヒュブラはこう見えて、手が早いの。気をつけた方が良いわよ、ディアナ」
「それはそれは……。肝に銘じましょう」
 戯けたように肩を竦め、ディアナは幾分真面目な顔つきでヒュブラの方を向いた。
「そう言えば、ヒュブラ殿。陛下が何かお話とか?」
「ええ。しかし、指定の時間にはまだ間がありますので、どういったご用件なのかは判りません」
「そうであるか。しかしその間、義姉上の護衛は如何するのだ?」
「あら。そんなに四六時中ついていなくったって、私は平気よ」
 穏やかにエレンハーツは断るが、到着したばかりの王宮で、慣れた護衛から離されることに不安を覚えないわけがない。まして、彼女が虚弱な体を押して来たのは、単なる物見遊山というわけではない。母親の出身であるマエントへの不信感が募る中、そういった雰囲気を緩和しようとマエントの援護にやって来たのだ。彼女の存在に眉を顰める輩がどこに潜んでいるか、知れたものではない。
 国王の呼び出しを断るわけにはいかない、しかしエレンハーツの身を案じる、そんな表情のヒュブラを見遣り、ディアナは大振りの笑顔を浮かべた。
「なるほど、では、わたくしがしばし、義姉上の話し相手に留まるというのはどうだ? これでも多少は腕に覚えもある。及ばずながら、護衛にもなるだろう」
「そんな、殿下を護衛役になど」
「構わぬ。なに、何事も起こるまいよ。それとも、義姉上とわたくしが共に語らう時間を思い、妬いておるのか?」
 これには、エレンハーツの方が反応を示した。
「な、何を言っているの、ディアナ」
「おや、違いましたか?」
「誤解よ。いいわ。ヒュブラ、行って来なさい。もう少し時間があるとは言え、陛下にお会いするのだもの。今から行っても早すぎるということはないわ。私は、ディアナとここで話しているから」
 僅かに苦笑し、ヒュブラは姿勢を正したまま頷いた。ディアナは、笑って呼び鈴を振る。
「それでは義姉上、女同士、遠慮無く語り合いましょう」
 室の奥から数人の侍女が現れる。ヒュブラと入れ違いに入ってきた彼女たちに、ディアナは茶会の準備を命じた。侍女たちが落胆の色を浮かべたのは、彼女たちの目当てが室内にいなかったためだろう。
 内のひとり、レンに目を止めて、彼女はおやと片方の眉を上げた。
「アリアはまだ戻らんのか?」
「ギルフォード様とのお買い物です。……戻ってくるものですか」
 繊細なティーカップを割らんばかりに握りしめ、レンはギリギリと歯を鳴らす。苦笑し、ディアナは口の端を曲げた。
「そうか、では、夜はせいぜい締め上げておくことだ」
「当然ですわ、ディアナ様。詳細は後ほどご報告いたします」
 レンは、にっこりと笑う。
 この場にはいない侍女を思いつつ、ディアナはただ肩を竦めた。


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