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(七)

 フェルハーンが要請を受けて王宮へ足を向けたのは、ディアナからリーダの街の少女の話を聞いて後、三日のことだった。真相を探らせようと、エンデ騎士団の団長に伝言を持たせて走らせたのは二日前。
 騎士団施設を出る前に、馬を飛ばして帰ってきた部下に会えたのは僥倖だったと言って良い。エンデ騎士団は既に別方面からの進言を受け、調査に入っていたという。南方面の心配事がひとつ消えたことを、フェルハーンは素直に喜んだ。
「マリク、この書状をローエル公に届けてくれ。少し遠いが、君の馬術なら大丈夫だろう」
 首を傾げながらも受け取ったマリクに、フェルハーンは目を細めて笑う。
「魔法院に風魔法をつけてもらうようにも言ってあるから、かなりの距離を進むことが出来るはずだ。それが終わったら、ローエル公からの返事はヨゼルに届けて、後は引き続き南の警戒を頼む」
「はい!」
 ローエル出身の小柄な騎士は、僅かに頬を紅潮させ、敬礼をして去っていった。33歳の小隊長。剣の腕はさほどでもないが、馬術にかけては騎士団内一番の実力を持つ。伝令が主な仕事で、団長直属に近い頻度で早馬を走らせているが、フェルハーン自身が王都を離れるとなれば、さすがに移動距離が伸びすぎる。中継役を定める必要があるだろう。
 王宮へ向かう道すがら、フェルハーンは王都を離れた後の人員配置と命令系統について考えを巡らせていた。東へ伴う部下も選別しなくてはならない。考えながらも迷わず、雑多な障害物にかすりもせずに歩けるのは、間違いなくフェルハーンの特技だと言える。
 ――つまりフェルハーンは、王宮に呼び出された時点で既に下される命令の内容を把握していた。少し目端の効く者なら誰でも知っている情報であったし、現在の国内の状況を満遍なく把握していれば、自ずと導き出される程度のことである。彼自身、命令として派遣されずとも一度は東方へ偵察に出かけるつもりをしていたので、さして狼狽える話でもない。であるから、フェルハーンのもっぱらの関心はといえば、命令される内容ではなく、誰がどの役割を担って進言するか、にあった。はっきり言えば、茶番を楽しむ気である。
 フェルハーンが口上を述べてその室に入ったのは夕刻、冬であれば沈む陽が残光を投げかけている時間であった。だが今は盛夏、壁一面ガラス張りの室内は、眩しいほどの光に埋め尽くされている。
 眼を細めて、フェルハーンはぐるりと室内を見回した。正面、一番奥に国王、彼を取り囲むように総司令官であるテイラー・バレイ。宮廷魔導師エルマン・チャックの禿頭も見える。続いて、セーリカ騎士団長ニコラ・セーリカ、ティエンシャ騎士団長オリゼ・アデルマ、ルエッセン騎士団長クルーズ・シャイマン、そしてヒュブラ・ロス。ヒュブラに目を止めて、フェルハーンは僅かに瞠目した。アッシュから彼が来ていることは聞いていたが、この場に居合わせるとは思っても見なかったのだ。
 あとはエルスランツ副騎士団長、その隣には騎士団服を着た、淡い金髪と鋭い緑の目が特徴の美女。このところ、やたらと出しゃばってくるツェルマーク・ザッツヘルグだが、さすがに騎士団の会合には首をつっこめなかった様子である。
 メインゲストが席に着くのを待っていたかのように、国王が重々しく口を開いた。
「忙しい中、集まっていただいて申し訳ない」
 言葉に、集まった面々はそれぞれの面持ちで頷いた。
「おおかた用件は知れていると思うが、まず、ルエッセン騎士団長、南の現状を報告してもらいたい」
「はい」
 小柄な男が、恐縮したように腰を上げる。
「皆さんもご存じの通り、私どもの管轄区域であるルセンラーク村が消滅してからひと月になります。魔法使いの関与があったこと、魔物が召喚されたことは明らかですが、現在、犯行を行った人物、或いは組織の特定は出来ておりません。マエントの兵を見たという情報の真偽も定かではありません。このひと月、不気味なほど何も起こっていないため、進展が見られないのが現状です」
「マエントへ向かった使節団襲撃の件は?」
 ニコラが冷たい響きを持って問う。クルーズは額の汗を拭って書類に目を落とした。
「そちらも、犯行組織の足取りは掴めておりません。早朝の街道で起こったこととは言え、関係者全てが昏倒、唯一生き延びて証言をした従者もほどなくして死亡、誰も他には犯人たちの顔を見ておりません。一行を襲えるほどの集団が通りかかったという目撃証言もなく、もともと人通りの多い街道となれば、当時そのあたりを通っていたであろう人物を、ひとりひとり当たるなどということは不可能です」
「だが、あれだけの騒ぎが起きたのだ。誰も見ていないというのはおかしくはないか?」
 テイラー・バレイが口を挟む。だが、その場にいた誰もが思っていた疑問なのだろう。室内にいたほぼ全員の頭が揺れた。
「それが……、襲撃前と襲撃後、いずれも本当に、目撃した者がいないのです。いるとすればそれは、既にその場で殺された者たちだけという具合に、です。現場に残された跡を見ます限り、犯行はひとり、ふたりではなく、十人近くで行われております。なのに、いきなりその場に現れ、忽然と姿を消したように、来るときも去るときも、周辺に住む者に目撃されておりません」
「そういう魔法はあるのか?」
 これは、エルマン・チャックに向けられた質問である。彼は、嘆かわしげに首を横に振った。
「一対一、或いは一対数人の暗示ではありませんぞ。不特定多数の記憶を操作する魔法など、あるわけないに決まっております」
「――と、すれば、襲撃者は魔物のように突然召喚されたとでも言うのかね?」
 皮肉っぽくテイラー・バレイが嗤い、クルーズの背を丸くさせた。だが、敵が妙な行動をしたこと自体は、彼の責任であるはずもない。精一杯手を尽くしてもおいそれと導けない解答はいくらでもある、とフェルハーンは軽く目を眇めた。
 僅かな沈黙の後、ニコラ・セーリカが口を開く。
「では、前の会議で出た脱走騎士の行方は?」
 この時、ニコラの視線はティエンシャ騎士団長へと向けられていた。質問と叱咤の集中攻撃から逃れ、クルーズは短い息を吐く。
「……目下、捜索中だ」
 言って、オリゼは歯を軋ませた。豪放磊落、女性ながらそんな表現の似合う彼女はしかし、今は苛立ちと憎悪をニコラに向けている。震える拳に目を止めて、フェルハーンは腕を組み替えた。手持ちのカードを曝すべきか、僅かに悩む。
「ほほう、判らないことだらけですな」
 冷徹な目に表情らしきものはなく、ただ口元のみが皮肉を含んで吊り上がっている。
「誰ぞが、証拠隠滅でもしましたかな」
 オリゼの椅子が背後に傾ぎ、床に倒れて激しい悲鳴を上げた。
「口が過ぎるぞ、ニコラ・セーリカ!」
「待ちなさい、オリゼ・アデルマ!」
 見かねて、フェルハーンは間に入る。オリゼの拳が宙をさまよい、やがて卓に叩きつけられた。頑丈なだけが取り柄であるはずの卓が揺れ、クルーズが慌てたように椅子を引く。
 フェルハーンは、努めて冷静な目をニコラに向けた。
「貴方の言葉には、証拠がない。憶測と揶揄で軽々しく言葉を口にして良い立場ではなかったと思うが?」
「これはしたり。――ただの、疑問ですよ」
「では、私からの疑問だ。件の騎士、オービー・ルッツと言ったか。彼の出身がどこか知っているか?」
「さぁ? 出自がどうであれ、現在ティエンシャ騎士団に所属していることには変わりありません」
「そうだ。十年以上在籍しているベテランの騎士だ。ただ――」
 一度唇を舐めて、情報というカードを投げつける。
「その前に、セーリカ騎士団に在籍していたことはあまり知られてはないはずだ。しかも面白いことに、当時のセーリカ騎士団長の類縁と養子縁組を行っている。養子に行った先がティエンシャだったため、騎士見習いのうちに移籍したという経歴がある」
「何をおっしゃいます?」
「さて、私は何も。ただ、正確な情報を提示しているだけだよ」
 その事実の示す先を敢えて口にせず、フェルハーンは真っ直ぐにニコラを見つめた。
 諜報員。その可能性を秘めた情報を受け取りつつも、誰もが口を噤む。言葉にすればそれは推測に他ならず、確たる証拠がない以上事を起こす判断材料たり得ない。逆に言えばフェルハーンの提示した情報は、証拠がある以上今後の展開を左右するものとなる。
 深い息を吐いて、国王は室内を見回した。
「テイラー」
「はい」
「この件に関しては当面、オービー・ルッツやその部下の行方を追うという方向で良いな?」
「異存ありません。魔物については、自警団に協力を求めつつ、引き続き警戒に当たります」
「その魔物のことだが――」
 国王は、意味ありげに視線を移した。その先には、淡い金髪の女性。一種騒然とした場にも動揺した様子を見せず、毅然とした態度で立っている。不必要なまでに表情がきつい、あれは無理をしている――そう、フェルハーンはひとりごちた。
 総司令官テイラーの言葉を受けて礼を取る、その動きがどうにもぎこちない。
「コートリア騎士団小隊長、ソニア・ジーンと申します」
 小隊長という階級に、フェルハーンは片方の眉を上げた。コートリア騎士団から派遣された人物、ということ自体は、彼自身の招聘に関与することだけに不思議でもない。だが、他に集った面子に比べ、あまりにも低すぎる階級には違和感を覚える。ソニアのぎこちなさの原因だとすれば、彼女自身が一番畏れ多くも不本意、という状態にあるだろう。
「皆様既にご存じのことと思われますが、少々お時間をいただきたく、参上致しました」
 一度深く息を吸い込んで、ソニアは肩に力を入れた。
「わがコートリア騎士団の警備管轄となりますコートリア地方は北にエルスランツ、西にセーリカ、東にルーツライン国と接しておりますが、そのルーツラインとの国境付近に、ふた月ほど前から魔物が出没しております。現れては消える、明らかに迷い出た魔物は以前より時折見かけておりましたが、ここしばらくは死人こそ出ないまでも被害が増える一方にあります。ひと月ほど前より、エルスランツ騎士団の援助も受けて参りましたが……」
 ちらり、とエルスランツ副騎士団長に視線を走らせ、目が合うや会釈を返す。
「相手が神出鬼没、目的も定まらぬとあり、常に警戒態勢をしいている状況です。しかし、騎士団の人員的にも限界があり、周辺の村や街から解決と原因追及の訴えが絶えません。これには先に話題として挙げられました、南方の異変が深く関与していると思われますが、とかく、住民は不安を抱えたまま過ごしております」
 いちど言葉を切り、今度はフェルハーンに顔を向ける。
「領地ひとつ守りきれぬ不甲斐なさ、叱責は甘んじて受け止める覚悟をしております。ですが、どうか、コートリアの民の為に、お力添えをお願い致します……!」
「私に出向けと?」
 低く、フェルハーンが確認を取ると、ソニアは硬い表情のまま頷いた。室内の誰もが、冷静な様子で二人を伺っている。
 僅かな沈黙の後、テイラーが皮肉を含ませたまま口を開いた。
「コートリアの団長命令だとしても、ひどい越権行為だな。他騎士団の援助をどう配するかは、各騎士団長の権限にはない」
「承知しております。しかし他に方法はなく……」
「王宮の魔法使いを派遣することは、拒否されたようだがの」
 揶揄を含めてエルマン・チャックは片頬を歪めた。そのあたりの事情は聞かされていたらしいソニアが、目に見えて狼狽える。追い打ちをかけるわけでもあるまいが、テイラーが責める響きを声に乗せた。
「フェルハーン殿下はシクス騎士団の要。彼が王都を無期限に離れるという事の重大さを、トロラード殿は理解しておらんとみえる」
 言葉を受けて、ソニアは俯いた。その彼女を援護するように、エルスランツの副騎士団長が手を挙げる。
「司令官のお言葉ももっともですが、国境周辺の事情は他の手段を講じる暇のないほどに緊迫しております。エルスランツとルーツライン国境にはさほど被害はありませんが、それでも領民の間に不安がじわじわと伝染しております。殿下がご多忙なのは承知の上、一時でも構いません。真相の究明に力をお借りしたいのですが……」
「セーリカにも噂は流れておりますな。離れているとは言え同じ東方、雰囲気は穏やかではありません」
 他二方向からやんわりと責められ、テイラーは眉間の皺を深くした。普段特に親しくも険悪でもない、強いて言えば当たり障りのない関係であるテイラーとフェルハーンであるが、王都から離すとなるとさすがに惜しくなるらしい。もしくは不安材料を軽減する人材は、この際側に置いておきたいという心境だろう。
 重ねて、ソニアは説得を繰り返した。


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