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「無理は承知です。しかし同じキナケスの民、そこに王都と辺境の違いなどございません。どうか……!」
 右に左に引っ張りだこ、という状況はさしものフェルハーンにも未知の状況であった。はじめは内心面白く眺めていたが、時と共に居心地の悪さが浸食し始める。フェルハーン自身、あくまで「行った先でそれぞれ何とでもなる」というどっちつかずの心境であったことが大きいだろう。
 王都の守りを優先にするか、東方の事情を考慮するか、現状ではどちらが優先とも言い難い。テイラーをはじめとする王都と南方のクルーズとオリゼ、対して東方3人、それぞれもっともな言い分を口にする。
 埒があかない、おそらく皆がそう思い始めた頃、突然合掌の音が高く鳴り響いた。
「皆の言いたいことはよく分かった」
 普段、国王は多くを語らない。だが二度の内乱を生き抜いてきたその存在は、決定的な場面で重みを増す。暗躍には向かない、存在感と力強さを持った人物である。
「フェルハーン」
「はい」
「東方へ行って情勢を見てくるように。その間、全シクス騎士団員は王都に残るものとする。シクス騎士団長を迎える手はずは、コートリア騎士団に一任する」
 全団員待機。ざわりと揺れる空気の中で、フェルハーンもまた苦笑を走らせた。今後を悲観してというよりも、向かう途中で考えていた人員配置が無駄になったことに対してため息を吐く。
「陛下。しかしそれではフェルハーン殿下もやりにくくはありませんか?」
「東方へ派遣する人材はフェルハーンが適任。しかし王都や南方の警備の手も抜けぬ。シクス騎士団は王都の警備の要。動かすわけにはいかん」
 テイラーはぐっと言葉を詰まらせた。
「客将として迎えるのだ。コートリアにもそれ相応の対応は求めることとなる。わかっておるな」
「はい……」
 国王の代理として扱えという言外の圧力に、ソニアは重々しく頷いた。その、やや蒼褪めた顔を認めてから、国王はクルーズを見遣る。
「王都を含む南方の警備に関しては、特別に力を借りることにした。――離宮で警備の任に当たっているヒュブラ・ロスどのだ。先日、我が義妹のエレンハーツに従って王都へ到着した。炎系魔法使いの第一人者であり、魔物の多く存在するウェリス山ヤーシェの森で討伐を行ったこともある人物だ。顔見知りの者もいよう」
「しかし、ヒュブラどのはエレンハーツ殿下専属の護衛であったはず。任務を離れることになりますが」
 不満げに、エルマン・チャックが挙手をする。王宮にも専属の魔法使いが数名在籍する中、普段縁のない他地方の魔法使いにしゃしゃり出られては立つ瀬がないのだろう。
 遠回しと言うには判りやすい反対意見を、しかし国王は一瞥で薙いだ。
「それについては、問題ない。護衛は倍に充てる。加えてエレンハーツの滞在中、ディアナにも王宮内に居てもらうことにした。彼女は優秀な魔法使いだ。何かあっても急場を凌ぐことができるだろう」
 ざわり、と空気が揺れた。ヒュブラに続いてディアナの召喚。明言こそ無いが、宮廷内の人員を信用していないと言い切ったも同じである。
 確かに、エルマン・チャックをはじめとする、古くからの官僚の汚れ具合は目に余るが、あえて今、不信感を表面化する必要があるだろうか。揺れる情勢の中、内部分裂を促進させるだけとしか思えない。エルマン・チャックが弛んだ頬を痙攣させている。王宮専属の魔法使いとして、これ以上の屈辱はないだろう。
 フェルハーンは、いっそ面白そうに国王を見遣った。視線を受けて、国王は目を細める。
 ――そう、配置したか。
 一気にたたみ掛ける気だ、とフェルハーンは喉を鳴らす。一応、確認を取るように口を開いた。
「ヒュブラ殿を推薦なさったのは、どちらです? 陛下がご自身でお考えになったことではないでしょう?」
「グリンセス公だ。離宮のある地方とグリンセス領はヤーシェの森を同じくしているからな」
「そうですか……」
 考え込むように、フェルハーンは顎を引く。そうして国王も口を閉じ、室内に沈黙が流れた。
 それぞれの意見が出尽くしたとあって、後はフェルハーンの意向を待つのみ。国王が口を利いた時点で方向性など決まったようなものであったが、最終的な判断は当人を除いては行えない。
 やがて、フェルハーンは顔を上げた。
「判りました。私でよければ東に向かいましょう」
 安堵ともため息ともつかぬ息がそれぞれの口から漏れ出でる。
「ヒュブラどの、王都の守りは宜しくお願いします」
「お任せ下さい」
 頷いて、ヒュブラはにこりと微笑んだ。ソニアが初めて表情を緩め、ほっとしたように胸をなで下ろす。
 それが合図になったように各々が雑談を始め、やがて国王が退室したのを期に会議は解散となった。もともと多忙な面子だけに、終わってしまえば撤収も早い。いつの間にか陽は沈み、空の低い位置に光の名残が色を残す時間となっていた。シクスはそこそこ勾配のある丘に建てられた都、窓に目を投げれば裾に広がる第三区画に人工の光が満ちているのが判る。
 さすがに騎士団に戻る気にはなれず、フェルハーンは王宮へと足を向けた。
「殿下――フェルハーン殿下!」
 廊下を少し進んだところで掛けられた声に足を止め、フェルハーンは体を斜めに振り返った。魔法の淡い光が続く壁沿いに、オリゼの姿がある。
「フェルハーン殿下、申し訳ありませんでした」
「ん? 何のこと?」
「オービー・ルッツの件です」
 ああ、とフェルハーンは頷いた。さして意図したわけではなかったが、結果としてオリゼを庇う形になっていたことを思い出す。
「気にしなくていいよ。現状で最も疑わしき、とは言え、ニコラ殿の言葉はあまりに過ぎたから」
 フェルハーンの混じり気のない笑顔に、オリゼはつられたように目元を緩めた。気が強く大雑把、姉御肌という言葉が最も似合うであろう彼女は、しかし今は自嘲にも似た暗さに全身を沈ませている。緊張と不安と怒り。ない交ぜになった感情に引きずられ、彼女が過敏な反応をする理由は至って想像に易い。
「ティエンシャ公が心配?」
 今の天気を告げるような軽い言葉面に頷きかけたオリゼは、傾いだ頭を慌てて上げ、フェルハーンを凝視した。
「隠さなくて良いよ。領主が王宮に囚われているんだ。領民としても心配でないはずはない」
「! そのようなことは……」
「幼なじみらしいね」
 フェルハーンはにこりと笑う。オリゼはびくりと体を震わせた。
「どうしてそれを……」
「ん? ティエンシャ公が言ってたんだよ。『うちの騎士団長は直情型だから、暴れないか無茶しないか心配だ』とも、ね」
「……あの、莫迦」
 思わず出たであろう失言に、オリゼは口を手で押さえた。聞き逃すには大きすぎる声に苦笑し、フェルハーンは軽く彼女の肩を叩いた。一瞬、びくりと肩を震わせ、不安そうに視線を上げてくるオリゼに、ただ目を細めて首肯する。
「伝言だよ。『自分を助け出そうとは思わずに、やるべき事をやりなさい』、だそうだ。私もその意見には賛成かな。君が王宮で出来ることは少ない。だけど領地内でこれ以上の問題が起きないように努めるのは、君の仕事だ。引いてはそれが、ティエンシャ公の助けとなる」
「殿下……」
 頷いて、俯く。そうしてオリゼは、小さく拳を振るわせた。
 心配を胸に、待つことしかできないのはさぞかし歯痒いことだろう。気持ちの上では理解できることだが、さすがにフェルハーンにもこれ以上、彼女にしてやれることはない。
 やがて顔を上げ、オリゼは意を決したように口を開いた。
「殿下、お願いがあります」
「ん?」
「我が領主殿に、――これを、渡していただけませんか?」
 差し出されたのは、黄色い色をした長方形の、薄いプレートだった。短い一辺の方に穴が空けられている。黄色はティエンシャ騎士団の色、形は明らかに軍の認識票。つまりはオリゼのものであり、そこに意味を探るならば、必ず再会しようという思いが籠められていると取るのが正しいのだろう。
 騎士を題材にした安っぽい三文小説にありがちな展開だが、現実に向かい合うならば、これほど深刻で真剣なものはない。冗談ではなく、心が痛い。
「いいよ、わかった。必ず届けよう」
「……ありがとう、ございます」
 くしゃり、とオリゼは顔を歪めた。笑おうとして失敗した、そんな表情である。何かを堪えるように歯を噛み締めつつ、彼女は深く一礼した。


 *

 王宮の奥、王族の住居区画にたどり着いたフェルハーンは、薄暗い通路を歩く人影に眉根を寄せた。王に正妃も側室もいない現在、常日頃から閑散としている場所である。特に今は一日も終わりに向かう宵の口、城の使用人がうろつく理由はない。
 気配を潜めて、壁沿いに距離を詰める。灯りの強さが抑えられているため輪郭程度にしか判らないが、古風な出で立ちから女官だろうと見当を付けた。しばらく後を付けてみたが、相手は全く気付いた様子もなく、歩いては止まり、何か考えるという仕草を繰り返している。
 フェルハーンはため息を吐いた。そうして、肩の力を抜く。
「こんなところで、何をしているんです?」
「ひ……」
 文字通り飛び上がり、お約束のようにへたり込む。おそるおそる振り向いた顔を認めて、フェルハーンは眉尻を下げた。
「君か。珍しいところで会うね、アリア」
「フェルハーン様……」
「ディアナが来ているのかい?」
 腰を抜かした様子に手を差し伸べると、アリアはおずおずと手を重ねてきた。今日は振り払わないんだなと、フェルハーンは喉の奥で笑う。
 僅かにふらつきながら立ち上がったアリアは深々と、過不足ない綺麗な礼を取った。
「久々に王宮まで来たので、迷っていました。申し訳ありません」
「基本的に方向音痴なんだね」
「……そ、そんなことはないと……思いますが」
「そうかな。アッシュも、なんであの道を間違うのか、凄く不思議がってたよ」
 思い出して、くすくすと笑う。仕事で王都中を巡回しているアッシュが自分と比べるのは酷としても、アリアたちが迷っていた場所を聞いてフェルハーンもまた首を傾げたものだ。
 薄暗い場所であるにも関わらず、そうと判るほどアリアは顔を真っ赤にして俯いている。なかなか嗜虐心をそそられる状況であるが、さすがにからかって楽しむわけにはいかないだろう。そこまで親しくもなければ、浮ついた言葉を吐いて良い相手でもない。
「判る場所まで送っていこう」
「いえ、そこまで迷惑をおかけするわけには……」
「私と歩くのは嫌かい?」
「! そんな、滅相もございません!」
「では、構わないだろう? それに、迷った君を放置する方が、私の心が痛むのでね。助けると思ってついてきなさい。どこに行くつもりだったんだい?」
「はぁ……、ええと、特別なお客様が宿泊される客室です」
 歩きかけたフェルハーンは、予想外の言葉に足を止めた。ディアナの部屋ではなかったのかと思い、それならさすがに迷うことはないだろうと訂正して苦笑する。
 誰か滞在していたか、そう頭の中で検索をして、フェルハーンは宙を睨んだ。
「……もしかして、エレンハーツ義姉上か?」
「そうですが、ご存じないのですか?」
「いや、義姉上が来られているのは知ってるよ。警備もしたしね。けど、ここのところ忙しくてまだご挨拶に伺っていない。滞在される室も確認したはずなんだが、直接警護は離宮から来た者がやるから……すっかり忘れてたよ」


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