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 警護主任のヒュブラとは何度も打ち合わせ等で顔を合わせていたが、肝腎の警護対象に会っていなかったことを思い出して苦笑する。かつて敵対した勢力ではあるが、個人レベルで言えばそうそう険悪な関係でもない。エレンハーツは虚弱故に争乱からは外れ、フェルハーンは上に同母同勢力の兄が居たために旗印とはならなかったことが大きいだろう。短い間ではあったが、内乱がおさまった時期に幾ばくかの交流も行っていた程度の仲はある。
 これを期に挨拶くらいはしておいた方がよいか。そう判断して、フェルハーンはアリアに向き直った。
「ディアナの他には、誰か来ているのかい?」
 先ほどの会議で、国王自ら、ディアナを王宮の奥へ移すと言っていたが、今日のディアナの訪問は、それとはまた別件だろう。或いは類似用件――王宮で暮らすための準備に来ているのかも知れない。
「いいえ。ですが、あくまで私が室を出た1時間ほど前までの話ですので、今はどうか判りかねます」
「私が行っても、問題ないかな?」
「本日はエレンハーツ殿下へのご挨拶という個人的な用向きで参りました。ご兄弟というフェルハーン殿下のお立場を考えますと問題ありません。ですが、今現在の状況を存じませんので、まずは両殿下へお伺いを立てるのが先かと思います」
 安請け合いをしないあたり、さすがはディアナの侍女といったところだろう。品性、洗練された所作と言えば王宮の女官や貴族の子女に及ぶべくもないが、こういった判断力、或いは対応の的確さは自然ながらも実に卒がない。
 だが、慣れない仕事なのだろうな、とフェルハーンは思う。アリアの言葉遣いや対応は、ディアナの侍女という仮面を被ると途端に固くなる。本来は、畏まった場とは無縁の少女なのだろう。話題の中心がアリア自身であるときの態度の崩れ方――言ってみれば人懐っこい調子と比べれば、その無意識のうちの変わりようが痛ましい。
「そう言えば、君は何をしに行ってたんだい?」
 気分を変え、歩きながら話を振る。
「何か取りに行ったって様子でもないみたいだけど」
「はい。ディアナ様がお休みになる部屋を整えに、しばし抜けさせていただきました」
「そんなの、城の者がやるだろう?」
「それは……そうですが」
 言い淀む、その声音にフェルハーンは目を眇めた。暗い響きと困惑と焦りが、微妙な均衡で混在している。そういった声には、嫌と言うほど聞き覚えがあった。
「ディアナの身に、危険でも?」
 ぎよっとしたように目を見開いて、フェルハーンを見上げるアリア。
「勘違いしないでくれ。私は何の情報も持っていないよ。むしろ、君が何か知っているなら教えて欲しい」
 王族に名を連ねるだけで、否応なく付随してくる恩恵とそれ以上の厄介ごと、それを思えばディアナに訪れる厄災の種類など考えるまでもない。だが、今現在の状況は、予想を超えて複雑な様相を呈している。複雑に絡み合った思惑の上を渡り歩いていく最大の武器は、多方面からの情報と行動の自由。事の中心から離れることと引き替えに後者を得た今、必死でかき集めなければならないのは、客観的な全体図を完成させる為の情報の一片だった。
 重ねて請うように、フェルハーンはアリアの目をのぞき込む。僅かに躊躇い、しかし結局アリアは迷いを払うように首を横に振った。
「これと言って、実害はありません。ただ、ザッツヘルグからの贈り物が」
「贈り物?」
 予想外の言葉に、フェルハーンは首を傾げる。気のない女性にとって厄介と言えばそうなのだろうが、侍女の気持ちを陰鬱にさせるほどのものではない。
 フェルハーンの反応に、アリアは口端を歪めながら再び緩く首を振った。
「贈られてくる物は普通のものなのですが、そこに妙な魔法が掛けられているのです」
「魔法、か……なるほど。でも、妙というのはどういうことだ?」
「透視ですとか盗聴ですとか、そういった意図があるとは思えない、言ってみれば魔法式の欠片のような、いえ、そもそも魔法式とも言えないような文字の刻まれた贈り物なのです。魔法式というには滅茶苦茶で、しかしぱっと見たところ魔法式にしか見えず、特に何か作動しているわけではないのに魔力を帯びている様子で……試みたのですが、解除魔法には無反応でした。気味が悪いので、ディアナ様の周りにおくものには注意を払っている状態です」
「魔法式の欠片、ねぇ……。焼くなり捨てるなり、ちゃんと対処してる?」
「それは私が……、いえ、はい、問題ありません」
「あんまり続くようならギルフォードに……、いや、彼はそういうのは専門外か」
 言いかけて、フェルハーンは宙を睨む。ギルフォードは多方面に博識だが、どちらかといえば研究のような地道な作業を得意とする。実際起こっていることの分析能力はと言えば、知識はあるが経験不足、といったところか。悪く言えば、解析できたときには遅かった、という結果になりかねない。
 幾つかの可能性を頭の中で展開し、フェルハーンは躊躇いつつアリアに提案を持ちかけた。
「よければ、ヒュブラを紹介しよう。会ったことがあるだろう?」
「え? あ、はい。前に一度だけお会いしました」
「彼は一流の魔法使いだ。それに王宮警護としての経験も長い。もしかしたら、何か判るかもしれないな」
「それは……、非常にありがたいお話ですが、よろしいのですか? どこも不穏な状況で、ヒュブラ様もフェルハーン殿下も多忙とお見受けしますが……」
「気にしなくて良い。ディアナに降りかかる災難が、ここ一連の騒動と無関係とは言えないだろう? 誰が何を狙って起こした事なのかは判らないけど、今のところ、犯行の中心人物の行動が掴めない。どんなところから次の騒動がおこるか判らないからね」
 実のところ、そう手間の掛かる話でもない。丁度先ほどの会議で、ディアナを王宮内に止めておく意が示されたばかりだ。ヒュブラが王宮警備の一環として彼女に挨拶に行くに、なんらおかしなことはない。そこで雑談を交わすくらいの余裕はあるだろう。
「まぁ、彼でも問題解決しない可能性もあるけど、それはそれで、観賞用に良いもの拝めた、と思っておけばいいんじゃないかな?」
「観賞用……ですか?」
「いい男だろう、彼は。私も年を取るなら、ああいう感じに老けたいね」
「……」
「ん? ああいうのは好みでないか? あれはあれで、強いんだよ。まぁ、今なら私も負けないと思うけどね」
 さりげなく自己アピールといったところだが、アリアの方の反応は鈍い。不満より先に興味が立ち、フェルハーンは彼女の顔をのぞき込んだ。
「まだ何か、心配かい?」
「いえ、そういうわけでは……」
 言い淀み、しかしアリアは深くため息を吐いた。
「何故こうも、おかしなことを人はするのだろうと思いまして」
「おや、まるで自分が人でないような言い方をするね」
「え……」
 ぎよっとしたように、アリアがフェルハーンを凝視する。
「そういう意味では……。ただ、このような豊かな国ですのに、何故わざわざ混乱を招く者がいるのかと」
「イースエントでは、ややこしいことはなかったのかい?」
「飢えや貧困の瀬戸際での事件は多くありましたが、こういった意図のわからないものはあまりありませんでした。私が知らなかっただけかもしれませんが、そういった意味では大規模な混乱はなかったように思います。それは、政治の世界では、駆け引きや根回しや、水面下で揉めていることはありましたが」
「そうだね。あそこは、生活だけでギリギリのところだから」
 言いながら、故郷とも言えるエルスランツに思いを馳せる。イースエントより南に位置する場所でさえ、冬はあまりにも厳しかった。直接訪れたことのない北の国であるが、過酷な環境は推して知るべし、といったところか。
 イースエントで起こる乱の多くは、生きるか死ぬかに直結するものだったのだろう。とすれば、アリアが現在キナケスに起こっている国全域を巻き込んだ混乱の意味がわからないのも頷ける。
「豊かだからこそ、余計なことを考えるんだよ」
「悪いことを、ですか?」
「それも含め、ね。生きることに余力が出来ると、余計なことにまで気を回してしまう。だから、いろんなことをしたくなる。それが他者を巻き込むことであっても頓着しない、そういう人も増えてくる。感情にも欲にも上限はないから」
「だからって、無関係の人を何人も殺したりするんですか?」
「彼らにとって、自らやりたいことに、人の死が必要ならね。自分が求めているものは他人の命よりも軽い、そんな思考なんだと思うよ」
「……理解、できません」
「結論の出ない議論の同一線上だよ。百人を生かすのにひとりを犠牲にするのは正しいのか。ひとりを庇うために百人を危険に遭わせるのが正しいのか。どちらも正しくて、どちらも間違っているんだろう。自分にとって重要なことを為すための犠牲の線引き、それの問題だと思うよ。現に私も、陛下を救うために何人の部下を犠牲にして何人の敵を殺したか判ったものじゃない」
「でもそれは、問答無用ではなかったでしょう? 死ぬのが嫌なら敵も部下も、逃げるという自由選択肢があったはずです」
「多分、ルセンラーク村を消した人物も、言うだろうね。『抵抗できなかったお前達が悪い』って」
 強者の言い分、もしくは理屈。明らかに強者であるフェルハーンはせめて、いつか訪れる敗北の日には素直に首を差し出そうと決めている。力で押し通してきた身だ。上回る力に負けた時に言い訳はすまい、と。
「愚かな王はひとりの娯楽のために百人を殺す。凡庸な王は百人を生かす為に五十人を犠牲にする。賢い王はひとりの犠牲で済ます」
「……」
「稀代の名君というのは、百人を生かすために、百人全員に軽傷を負わせる人なのかもしれない」
「何か事を為す時、誰も何も傷つかずに済ませることはできないということですか?」
 深読みをする子だ、とフェルハーンは喉の奥で笑う。――だが、それは真実だ。
「何が正しかったか、何が間違っていたかは、歴史を制するかどうかにかかっている。どれほどの犠牲を出そうとも、長く栄えた王国の始祖は崇められる。そういうものだよ。――今、騒動を起こしている連中も、転び方によっては古い国を滅ぼした英雄となる可能性もある。例えば、今のこの政権が倒された後、奴らが権力を握った際、ルセンラークの村で密かに大量殺戮を目論んだ魔法装置が開発されていた、なんて証明されたら、君はどう考える?」
「……おっしゃりたい事はわかります」
「うん。だから私は、自分の考えに忠実であろうと思う。間違っていたと証明されたときは、ちゃんと認めようと思う。相手の望むようにする覚悟は出来ている」
「……はい」
「だから君も」
「え?」
「思うように生きればいい。ただ、やったことに、やろうとしていることに、言い訳をしてはいけないよ」
 返答に困ったように、アリアがフェルハーンを見上げた。どういうことかと視線が揺れている。フェルハーンはただ肩を竦めた。
「ディアナの側に仕えている限り、いつか君も危険な目に遭うだろう。その時の事を、覚悟しておくといい」
「それは、予測でしょうか。それとも」


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