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「考え得る幾つかのパターンの中のひとつ、かな。ただ、王族である以上、この地に帰ってきた以上、傍観者ではいられないだろうね」
「ディアナ様に戻るよう、提案されたのは陛下と殿下だとお伺いしました」
「そうだね。私も陛下も、さすがに落ち着いた頃合いだと思ったんだけど」
「ディアナ様を、もとより巻き込むつもりでしたか」
「私が事件を起こしてるわけじゃないよ」
 巻き込む意志がなかったと言えば嘘になる。これほど効果が出るとは思わなかった、というのは言い訳だろう。
 アリアの纏う雰囲気に警戒が含まれるのを認めて、フェルハーンは短く息を吐いた。どうも、この娘と話していると色気のある方向には転びそうにもない。
 廊下の突き当たり、その周りだけ明るくなった扉に目を向けて、フェルハーンはアリアを促した。
「いつの間にか、着いてしまったね」
 本当は、途中から道を思い出していたのだろう。驚いた様子もなく頷き、アリアはフェルハーンに礼を取った。型通りで外したところのない仕草はアッシュのそれにも似ているが、彼女の場合、それなりの心がこもっているあたりが微笑ましい。
「やっぱり、女の子はいいねぇ」
「え?」
「いや、なんでもないよ、うん」
 胡乱気な視線から目を逸らし、誤魔化すように曖昧に笑う。
「それより、取り次ぎをよろしく」
「はい」
 生真面目な顔で頷いて、アリアは扉の中へ姿を消した。重々しい鈍い音と共に、一旦明るくなった視界に薄暗い闇が落ちる。王都中に魔力が行き渡っているからといっても、その力は無尽蔵ではない。内乱により飢えた国庫を再充填するには、身近なところからの経費削減が必要であった。王宮はその規範となるべく、特に後宮がそれとして機能していない今、ここぞとばかりに無駄が省かれている。
 どこか適当な部屋に入り、窓の外を見れば莫迦の位置はすぐに判るだろう。宵に煌と照る光の中心に、時勢を顧みない享楽的な人種は存在する。
(ああ、そうだ、ツェルマーク……)
 普段接点のない生活をしているというのに、ここのところ、やたらと合わせてしまう顔を思い浮かべて、フェルハーンは首を傾げた。底の浅い自称陰謀家だが、これまでは政治の場に積極的に出しゃばってくることはなかった。社交界でそれらしく裏のある人物のように振る舞って、皆がそれに合わせるのを悦に入って満足しているような小物である。
(魔法の付いた贈り物、ねぇ……)
 そんな気の利いた謎かけをする男でもない。ザッツヘルグの名を騙り、よからぬ輩が送りつけていると考えるのが妥当なところだが、気軽に騙るにはザッツヘルグの名は重すぎる。ディアナの方からザッツヘルグに問い合わせでもあろうものなら、途端に進退窮まることになるだろう。
 ツェルマーク、もしくはザッツヘルグの権力層に近い人物が噛んでいる。しかし、単独ではない、ということか。
 独りごちて、フェルハーンは宙を睨んだ。ここへ来て、少々妙なことになったという感触がある。フェルハーンの中で、ディアナは比較的安全圏――最終的に危害を加えられない立場にあると思っていたのだが、その認識を改める必要性がでてきたようだった。
 あからさまな非難の籠もった、アリアの視線を思い出して苦笑する。フェルハーンにとって、ディアナは数少ない、確実に白であると言える協力者だ。情勢を承知の上で戻ってきた賢く強い姫君。十年間、キナケスに関わらず、忘れられたように他国で過ごしてきた事実は大きい。。
 内乱に一切関わっていないこと、フェルハーンにとってそれが何より重要なことだった。
(或いは、それだけなのかも知れないな……)
 アリアの、責めるような目を思い出し、自嘲にかられる。彼女の真っ直ぐな目は痛い、そう思った矢先に鈍い音が響き、フェルハーンは僅かに身構えた。
「あの……」
 なんのことはない。取り次ぎを頼んだアリアが扉を開いただけだと気づき、フェルハーンは行き場を失った手を口元に当てて苦笑した。
 短く、だが仰々しい音を立てて後ろ手に閉められた扉と、アリアの気まずそうな顔を見て、首を傾げる。
「どうかしたかな? 取り込み中だった?」
「それが、その……」
「?」
「エレンハーツ殿下が、お会いしたくない、と……」
 さすがに、目を見開く。確かに兄妹の位置関係、背後要因は馴れ合いを拒むに充分なものがあるが、個人的には面会すら拒むような険悪さはなかったはずだった。どういうことかと、アリアの目をのぞき込む。
 一旦言葉を詰まらせて、渋々といった呈でアリアは口を開いた。
「フェルハーン殿下は以前、エレンハーツ殿下の魔力が美しいと絶賛されたことがおありだったと。覚えてらっしゃいますか?」
「ん? ……ああ、それは。義姉上の力は、虹みたいにキラキラしていて、とても綺麗だった」
 思い出して、目を細める。フェチだと言われても構わないくらい、フェルハーンは他人が体に纏う魔力を見るのが好きだった。特に美しいものは、何度見ても飽きないでいる。
「まぁでも、一番綺麗なのは……」
「そのことですが」
 危うく語りかけたフェルハーンを、深刻そうな面持ちでアリアが遮った。
「エレンハーツ殿下は、魔法を使う力を無くしてしまわれたとのことです」
「え? そういえば、そんな話もあったみたいだけど……。本当だったのか」
「専門的な話になりますのでそのあたりは割愛させていただきますが、過去に数例、魔法実験の際の事故で魔法が使えなくなった者も存在します。エレンハーツ殿下の場合、重度の病に因るものとのことですが、とかく、現在魔法が使える状態になく、その、おそらくフェルハーン殿下が絶賛された状態でもなく、お会いするのが辛い、と」
「そんなこと……、気にするほどのことでもないと思うんだけど」
「そのあたりのお心は、私には量りかねます」
 美貌の衰えを気にするのとは違うだろうに、とフェルハーンは首を傾げた。そうして、では、と提案を持ちかける。
「しかし、何のご挨拶もしないのは礼儀に反する。扉越しでいい、挨拶だけでもさせてくれないかな?」
 頷き、アリアは再び扉の奥に姿を消した。
 ほどなくして、弱い力で壁を叩く音がする。
「フェルハーンどの」
「義姉上」
 久々に聞く声に、数年前の美しい義姉の姿を脳裏に描く。
「話はお伺いしました。私の存在が貴女を苦しめるものであること、心痛く思います」
「いえ、私のつまらぬ意地とは判っております。わざわざ訪ねてきていただいたことを思えば、本当に申し訳なく思います」
 どことなく力のない、どこまでも品のある声は、全く変わっていない様子である。今年35になる彼女は、しかし相変わらず線の細い少女のような印象なのだろう。同じく扉の向こうに居るディアナの、強い生命力と足して二で割れば丁度いいかもしれない。
 とりとめのないことを考え、フェルハーンはふとある可能性に気がついた。
「義姉上、念のためにお伺いしますが……」
「何です?」
「義姉上の魔法行使力の消失ですが、まさか、魔法をかけられた結果というわけではありませんか?」
 『沈黙の魔法』――魔法使いにとって最大の鬼門とも言うべき魔法が、フェルハーンの脳裏を掠めた。
 扉の奥の気配が揺れる。しかし、動揺ではなく戸惑い、のようだった。数秒の沈黙の後、エレンハーツの頼りない声が響く。
「見知らぬ者に知らぬ魔法を掛けられた覚えはありません。ただ、私自身病に倒れていたときには意識が無く、気がつけば……という状態でした。その間に何かあったのだとすれば、私は……」
 震える声に、フェルハーンは目を眇めた。
 そうして、いらぬ不安を煽ってしまったかとため息を吐く。微笑んで手の一つでも握ることが出来れば、多少なりとも安心を与えられるかもしれないが、あいにくと今は声音に優しさを籠めることしかできそうになかった。
「義姉上、大丈夫ですよ。義姉上には、ヒュブラが常に警護についていたではありませんか。よからぬ輩が近づくことなど、できはしませんから」
「そうですとも、義姉上」
 今まで聞こえなかったのがおかしいような、力に満ちた通りのいい声が割って入った。
「ちらりと拝見しましたが、彼ほどの美丈夫がおれば滅多なこともおこらぬでしょう。彼の堂々たること、夜に突然女性の部屋を訪ねるような礼儀知らずとは、比べものにもなりますまい」
「……それはないんじゃないかな、ディアナ」
「おや、わたくしは何も、そこにいらっしゃる義兄上のこととは、一言も申しておりませぬよ。いやしかし、そう思われるならご自身の胸の内に何か痛いところでもおありなのでしょう。今日の所は休まれては如何ですか」
「……お兄ちゃん、いじけていいかな?」
「わたくしの目の届かない所へ着いてから、思う存分なさればよい」
 笑い含みの声。どこから情報を入手するのかは判らないが、ディアナはおそらく、フェルハーンが東に行くことを既に知っているのだろう。フェルハーンは、協力者として彼女に多くのことを教えていた。そうした重いものを持ち、憂いを知りながら、それでも彼女はしなやかに強い。
「……ここは、退散したほうが良さそうかな」
 厚い扉の先に見えるわけでもあるまいが、フェルハーンは礼儀のように優雅に腰を折った。
「エレンハーツ義姉上、キナケスの空はただいま曇り空ながらも、直に太陽の季節が巡り来ます。その頃には御心も落ち着かれ、兄妹の絆を分かち合いたく思います。今は、これにて失礼」
「……我が儘、申し訳なく思います。貴方の声が聞けて、嬉しく思います」
 そうしてしばし、立ちすくむ。
 やがて、扉を隔てた先の足音を耳に、フェルハーンはその場を後にした。そうしてそのまま、エレンハーツに直接会うこともないまま、フェルハーンは東方へ向かうこととなる。

 *

「……見苦しいところを、見せてしまいましたね」
 細面に繊細な憂いの色を乗せ、エレンハーツは僅かに目を伏せた。ディアナのそれよりも淡い色調の金髪、若葉色の瞳、病的に白い肌はか細い体をいっそう儚くし、その砕けそうな頼りなさが、一種屈折した艶を感じさせる。
 触れた途端に粉々になりそうだと思いながら、合わせたように華奢なテーブルの上に、アリアは新しく淹れた香茶を置いた。
「お気にないさますな。フェルハーン義兄上はあれほど浮き名を流しながらも今ひとつ、女心を理解せぬ鈍感なところがおありだ。会いたくば、昼に贈り物でも抱えて来い、と突き返してやればよろしいのに」
 真夏の太陽のような強烈な生命力を放散するディアナは、そうして豪快に笑った。遠慮のない笑い方にも関わらず、何故か下品な印象を受けないのが不思議なところである。おそらく彼女はどんな場面にあっても、彼女自身の意志を挫くことはないだろう。
 気付かれないように、しかしはっきりと微笑み、アリアは主の背後に控えた。


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