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「それにしても義姉上、マエントの者との面会はお済みですか?」
 率直すぎる問いかけに、エレンハーツは憂いを籠めた目を何度か瞬かせた。
「そうですか。……お体の方は、大丈夫なのですか? あまり無理なさらないほうがよろしいかと」
「ええ、そうなのだけど……。私が離宮を離れたところで、皆には心配かけることしかできないのだけど。マエントはお母様の兄君の治める国ですもの。何か、少しでも力になれないかと思い詰めてしまって……、ごめんなさいね。結局誰かに迷惑をかけてしまうのにね」
「お気になさらずに」
 言って、思いついたようにディアナは顔を上げる。
「わたくしの見たところ、マエントはそれほど強い追及はされておりませぬな。マエント兵の目撃情報といい、マエント国内での襲撃といい、あからさますぎて気持ちの悪いものがありますからな」
「ええ……」
「義姉上がお越しになったことで、マエントを非難する声も多少は鎮まりましょう。王宮に滞在される間、時間の許す限りわたくしがお守りいたしますので、ご安心下さい」
「ありがとう。力強いわ」
 如何にも、血なまぐさい話とは縁のなさそうな姫君である。朗々と語るディアナを前にして力なく項垂れる姿は、まさに深窓の姫君という言葉がふさわしい。
 それにしても、とアリアは主の後ろ姿に目線を落とす。軍人相手ではあるまいに、もう少し言葉を選べないものだろうか。
 ある種固い、特徴的な喋り口のディアナは、あまり言い淀むということをしない。そのためか、優雅で繊細な装飾の客室も、ディアナの背景になった瞬間に整然とした軍事会議室へと変貌を遂げてしまう。ディアナ自身に上からものを押しつけようという意志はないが、態度と口調に否応なく叩かれてしまう気弱い者が存在することを、もう少し自覚して欲しいものだとアリアは短く息を吐いた。
「何か、言いたげだな」
「……滅相もございません」
 天井を仰いで、アリアは半ば棒読みに答えた。まったくもって、油断ならない。
 フェルハーンであれば、からかいのひとつでも飛びそうな主従の掛け合いであったが、エレンハーツは至って真面目な面持ちでアリアを見つめた。そうして、所在なげに手を組み合わせる。
「そちらの侍女も、貴方のことが心配なのでしょう。ディアナ自身、十年ぶりに戻ってきた故郷で突然このような騒動に遭って……。陛下も何をお考えなのでしょう」
「いえ、わたくしは自分の意志で戻ってきたのですよ。しかし、戻るや、お披露目だの宴会だの、暇人の遊びに付き合わされるのには参りましたがね」
「まぁ。社交も嗜みのひとつでしょうに」
「ほいほい誘いをかけてくる程度の輩、ひととおり回れば、相手の持つ情報と腹の底くらいは目安つきますよ。どこぞの令嬢が誰に惚れただの、まぁ、いざというときの某かのカードのひとつになれば御の字です」
「貴方自身が噂の的でなくて?」
「それは、勿論人気者ですよ。表でも、裏でも」
 ぎよっとして、アリアは顎を引いた。
「狸か狐かの陰謀好きにとっては、わたくしは恰好の餌なのだろう。それとなくこちらの腹を探ろうとするのでな。あまりしつこいもので、時々考えるようにすら、なりましたな。正直、今の状態が長引くのであれば、頭となって乱を起こすのも面白いやもしれぬ、と」
「ディアナ、それは……」
「驚くことでもあるまいよ。要は国民の生活が安定すれば良いのだ。それは何も、今の政権に拘る必要はあるまい?」
「滅多なことを口にするものではありません」
 強ばった口調で、エレンハーツがディアナを嗜める。
「どこに耳が立てられているか……」
「ふふ、怒った顔もお美しい」
「ディアナ!」
「大丈夫ですよ。誰も好きこのんで、面倒くさい反乱など起こしませぬ。しかし、ふふ、不穏な輩を燻し出すつもりで帰ってきましたが、わたくしに接触してくるものがこれほど多いと、他にもいろいろと考えてしまうのですよ」
「……」
 ディアナの言葉を図りかねて、アリアは目を泳がせた。できることなら今すぐ、どういうことかと問い詰めたい気持ちが急いて出る。
 僅かに身を乗り出していたのだろう。遮るように、ディアナの左手が真横に突き出された。
「……と、よからぬ事を企んでいるようだと、噂を流してみるのも面白いやもしれませぬな」
 戯けたように大げさに肩を竦め、ディアナは大振りの笑顔を向ける。
 どこまで本気で、何を考えているのかさっぱり判らない。長年近くで過ごしてきたアリアですら、いまいち境目が掴めずにまじまじとディアナを見返すことしかできないのだ。エレンハーツの方は、言わずもがな、困惑した表情で義妹をただ見つめている。
「まぁ義姉上も、機会があれば、古狸どもを今の話で煙に巻いて下され」
「本気なの……?」
「ふふ、さて、何やら騎士団の方にも動きがあるようですし、そのうち判りますよ」
 意味深に微笑み、ディアナはおもむろに後ろ、つまりアリアの方を振り返った。
「お前まで、考え込む必要はない」
「ですが」
「お前はわたくしを疑ってはいけない。そういうことだ」
 勁い目が、アリアの双眸を射る。深淵をのぞき込むような深い色を認め、一拍後アリアはただ苦笑した。そうして、今更ながらに真実を垣間見る。
 ディアナは故郷に戻ってきたのではなく、戦場にやってきたのだ。はじめから彼女は、自分と自分の立ち位置が餌であると、それが前提だと承知の上でキナケスの地へやってきた。彼女の行動や言動のひとつひとつに振り回されるのは、自分ではなく彼女の思惑の先にいる人物達だけで充分のはず。
 アリアは、アリアの知るディアナの望む先を、真っ直ぐに追えばいい。
 ふ、と、ディアナの口と目が弧を描く。不思議なほど和らいだ微笑を見て、アリアは心を覗かれたような落ち着きのなさを覚えた。
「判ったら、茶菓子のひとつでも用意してくれぬか。満たされぬものがないと、わたくしの胃の方が先に反乱を起こしそうだ」
 言葉に、アリアはまじまじと主の笑顔を見つめた。やんごとなき姫君は、脅すように空腹を訴えたりはしないものだと思い、言いかけて、口元を手で押さえる。肝心の所ではぐらかすのは、ディアナの悪い癖だった。
「……かしこまりました。では、特別にご用意致します」
 苦笑混じりに肯定し、アリアは主人の意に従うべく室の奥へと踵を返した。

 *

 およそ半日経った後の農道。
「お待ち下さい!」
 並走してきた馬を認めて、マリク・フェローは目を見開いた。まだ若い女性が、必死の表情で農耕用の馬にしがみついている。普通であれば馬速の違いから追いつけることはなかっただろう。だが、ここはぬかるんだ悪路、重心の低い、道に慣れた馬の方に利があったとしても不思議ではない。
 速度を緩めて、マリクは荒い息を吐く女性をまじまじと見つめた。
「私ですか?」
「はい……」
 数度、深い息を繰り返してから、強い意志の宿った目でマリクを見つめ来る。
「あたしはこの近くの村で医師をしております、サライアと申します。お急ぎと見受けながらも声をかけましたこと、まずお詫び申し上げます」
「いや、そう急ぎというわけじゃない、大丈夫です。私はシクス騎士団のマリク・フェローと申します。切羽詰まった様子ですが、どうされましたか?」
 言って、マリクは首を傾げた。走り抜ける騎士を呼び止めるほどの用であるから、開口一番、助けを求められるくらいの覚悟はしていたのだが、それにしては危急といった様子はない。ましてや深刻で慢性的な問題を訴えるのなら、相手が違う。
 マリクが馬を止めると、サライアは農耕馬から降りて叩頭した。
「お願いがございます。どうか、この先に向かわれるのでしたら、軍用の医薬品をこの近辺の村に流していただけないか、ご相談いただけませんでしょうか」
「どういうことですか? 薬のことを訴えるなら、軍ではなく、役所の方だと思うんですが……」
 王家の直轄地には領主館はない。代わりに自治領館と呼ばれる役所があり、一定の地域を派遣された官僚が統治している。物の流通に関することは、軍ではなくそちらの管轄だった。
 だが、サライアは首を横に振る。
「役所の方は今、都市部の治安などで手一杯です。疫病が流行っているという状況でもありませんので、後回しにされています。しかし、魔物出現の事件以降、行商人の通行が途絶え、その為この近辺では物資が不足しています。災害があったわけではありませんので、衣食は足りているのですが、薬となると商人に頼らざるを得ません」
 マリクは周囲を見回した。確かに、主要な街道や都市からは外れ、薬やこの地方では作ることの出来ない物資は、通りがかる商人から手に入れるしかないだろう。村人が定期的に街に購入に出かけるにしても、需要がそれを上回れば金銭的にもきつくなる。ましてこの時期、秋の収穫に向けて人手は足りないことはあれど、余ることはないだろう。
「商人への呼び込みは既に村人が行っておりますが、急場、当面の医薬品を援助願えないかと……」
「なるほど。エンデ騎士団はまだ近い方ですしね」
 頭の中に地図を展開し、マリクは大きく頷いた。
「わかりました。どこまで協力してもらえるかは判りませんが、騎士団へ話はつけてみましょう」
「ありがとうございます!」
「ただし、騎士団も今は警戒態勢を取っていますし、私自身に事を左右する権限は全くありません。エンデ騎士団の方にそんな余裕はないと判断されてしまったら、どうしようもありません。そこのところは容赦下さい」
「はい。――そう言っていただけるだけで、充分です」
 安堵したように、サライアは胸をなで下ろす。そうして、そのままその場にへたり込んでしまった。
 自治領館からの協力は得られず、騎士団へはそもそも話を取り次いでもらえるのかも判らない状況、病人と減る一方の薬剤を前に、彼女は何日も苦しんでいたのだろう。泣き笑い一歩手前の表情を見遣り、マリクは何も言えないまま馬を下りた。
 ささやかな援助の確約すらできない自分に焦るような歯がゆさを覚え、せめてもと勇敢な医師の為に木陰を探す。
「え、あの……」
 突然抱えられ、サライアは動揺に目を見開いた。
「あの、大丈夫です」
「そのようですが、少し、休まれてから村に戻った方がいいでしょう」
 適当な木陰にサライアを下ろし、マリクは彼女の馬を近くの太い枝に繋ぐ。そうして役目に戻るべく、踵を返した。その背を、躊躇いを含んだ申し訳なさそうな声が追う。
「その、……重ね重ね、ありがとうございます。道中、お気を付けて」
「ありがとう。貴方も、挫けずに頑張って下さい」
 馬に跨ったマリクは木陰の方に向き直り、謝辞を返す。一度だけ大きく手を振り前を見据えると、彼はそのまま馬を疾走させた。


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