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「僕たちが点検している時間に入ってるな。ああ、だからあっちを使ったのか。……だとすれば、あの子かな。ちょっと前から来てる、灰色の髪の女の子」
「ああ、あの子。ギルフォードが連れてきたんだっけ」
 言外に珍しいという意味を含めて、ナナリは思い出すように言った。頷いて、フロイドは手を走らせる。前後のデータと照らし合わせて見直す内に、エラーの原因を追究する必要性を感じたのだ。
「手伝うわ」
 呟くように宣言し、ナナリも関連する他のデータを拾い出す。魔力の微細な変化を追う作業は本来困難を極めるものだが、幸いなことに今日この日、そしてこの場所には、点検のために様々な装置が集められていた。
 慣れた速さでフロイドはデータを起こし検分する。そうしていくつもの外れと僅かな手応えをまとめようとした矢先、彼は短い悲鳴を上げた。
「何? ――どうしたの?」
「これは、危険だ」
「だから、何が」
「王都のどこにも、他の場所にエラーの飛んだ様子がない。ってことは、あの子がエラーで飛ばされた場所は、王都の整備された移動陣のどれかじゃない。どこか、ここと正式にリンクしていない場所に飛ばされたって事だ」
「そんな――そんなことって、あるの?」
「今まではなかった。エラーが起こっても、せいぜい王都内の違う場所に飛ばされる程度だったから。ちょっと、いや、これはかなりやばいかもしれない」
「君の読み間違いじゃない?」
「いや、もう3度も見直した」
 顔を見合わせて、お互いに息を呑む。
「とりあえず、ギルフォードに報告しよう」


 まさに寝耳に水。連日の疲れを引きずったまま仮眠室へ向かい、漸くうとうととし始めた矢先に、その凶報は叩きつけられた。
「行方不明? どういうことですか」
 知らせに来た所員は、動揺したまま頼まれた伝言を繰り返す。その内容に、ギルフォードは眉根を寄せた。
 正直なところ、移動陣のエラーは珍しいことではない。魔法式の構築の基礎や元となった装置が古代遺跡である以上、仕組みがはっきりと解明されていない部分も多く、正確なコピーを作ろうとしたところで無理が生じるのは防ぎようがないというのが現状である。ギルフォードは王都に魔力を行き渡らせる仕組みを作ったとされているが、実際の所彼は古代遺跡を修復し整備し、それを元に類似品を作り上げたにすぎない。長い間に故意に或いは自然に壊れた部分を補強し、不具合をその都度修正しつつ漸く実用にこぎ着けたのだ。
 だが、ギルフォードが着手したのはあくまで王都と呼ばれる範囲内のこと。それ以外の魔法の道は繋いでいなかったはずである。かつては国全体――或いは大陸全体に繋がっていたとされる移動陣の見えない道も、装置そのものの崩壊で分断されて久しい。移動するには、双方の装置が正常に作動していなければ為しえないことなのだ。
 それらのシステムを最も理解しているだけに、ギルフォードの驚きは生半可ではなかった。
「完全に行方不明など……、正直、信じられませんが」
「今、フロイドさんが地下の移動陣で探索しています。ギルフォードさんもお越し下さいと」
「ええ、勿論です」
 言って、ギルフォードは知らせに来た男を先に現場に向かわせた。ひとりになった室内で、慌てて手紙をしたためる。宛先は勿論ディアナの住む館、フロイドからの報告が本当なら向こうでもそろそろ、アリアが戻ってこないことをを訝しむ頃だろう。悪い予想が外れてアリアが無事に館に戻っていたのなら、本人から某かの連絡が入るはず。そうであることを半ば願いつつギルフォードは、連絡用の鳥の足に手紙を結わえて空に放した。
 窓を閉めて施錠し、ギルフォードは駆け足で地下に向かう。途中、機材を抱えて走るナナリが彼に合流した。
「ナナリさん、院内に魔法使いはどれくらい残ってますか?」
「研究員は私とフロイドとあと3人くらい。たまたま来てた魔法使いも2、3人ってところね」
「複合で魔法を使う必要が出てくるかも知れません。今院内に居る人には、とりあえず帰らずに残ってもらえるよう、要請をお願いします」
「了解。じゃぁ、これお願いね」
 ナナリから機材を受け取り、ギルフォードは地下への扉を開けた。特有の冷えた空気と共に、滅多にない人のざわめきが流れ来る。既に幾つかの魔法装置が組み立てられ、伸ばされた管が床のあちこちを這い回っていた。移動陣を取り囲んだ人を含め、ものものしい雰囲気が辺りを包み込んでいる。
「ギルフォード!」
 気づき、フロイドが手を上げた。
「こっちだ。かなり厄介なことになってるみたいだ」
「エラーが起こったときのデータは?」
「そこだ。突然、何の前触れもなく計測値を振り切った異常反応が出てる。魔法の発動の定型句を言い終えた途端、反応がでたらしい」
「ということは、アリアさんが利用しようとしたということは、間違いないのですね?」
 フロイドは頷き、装置の端に置かれている鞄を指さした。どこかで見たと考えかけ、ギルフォードは眉根を寄せる。答えが出るのにはそう時間はかからなかった。
「アリアさんの――……」
「やっぱ、そうか。僕たちが来たとき、ここに落ちてた。誰のかを完全に示す証拠品はなかったから、今まで保留にしてたけど」
 悪いと思いつつギルフォードも鞄を開け、中を大まかに検分する。ハンカチ、メモ用紙、魔法院特別客員のカード、僅かな小銭。アリアの本当の職分を示す物が全く入っていないことに、ギルフォードは安堵と可笑しさを感じた。一見、あまりぱっとしない印象のアリアだが、その実案外抜け目ない性格をしている。
「そうそう、落ちたときの衝撃かな。粉々に砕けた硝子が入ってたから、それは出して向こうにおいてある。調べたけど、どこにでも売られてる硝子製品と変わりなかったから」
「それにしては、鞄の方にあまり衝撃の加わった様子はありませんね」
「異常事態が起こった際に、振動による衝撃波が来たって仮定すると、布製品である鞄が無事なのは解決つく。多分無関係だよ。調べたけど、魔力反応はなかったから」
 言い切るフロイドを疑う理由はない。魔法を使いこなす、もしくは実用的に使うという点ではギルフォードに負けるものの、装置の扱いや反復的な実験に関しては、フロイドの方に定評がある。
 ギルフォードは分析結果を次々に表示していく画面の前に座り、フロイドから途中経過を聞き出した。
「移動反応はあり。けど、見たことのない数値だ。それに、突然現れてまた突然消えて、それ以後の反応は至って正常。同時刻に王都に到着を示す魔力変動はなし」
「古代遺跡のぶんだけの出力抽出はできますか?」
「できるよ。範囲は?」
「せいぜいこの空間くらいで構いませんが、全方位でお願いします」
「全方位? ここからは西方面にしか伸びてないけど、それでも?」
「ええ。少し、気になることがありますので」
 嫌な予感、というよりはそれ以外にないという確定に近い気持ちでギルフォードは頷いた。これだけの異常反応が出ていながら、あくまでこの移動陣限定であるというところが如何にも怪しい。自ら修復作業を行ったギルフォードだからこそ、思い当たる可能性があった。
 情報の数値化を待ちつつ、ギルフォードは居なくなった少女のことを考えていた。彼女は、何か隠している。今回のエラーはそれに関与しているのだろうか。
 隠し事をはっきりと感じながらもギルフォードが敢えて追及せずにいるのは、アリアというよりはディアナを信用してのことであった。ディアナの侍女と言いながらも実際アリアは魔法院にいる時間も長く、仕事面でかなり優遇、或いは特別扱いされていること想像に易い。つまり、アリアの隠し事はディアナの知るところであり、且つ協力体制を敷いていると考えるべきだろう。アリアの立場はギルフォードの知るところではなかったが、今はそれでよしとしていた。
(殿下は、上手く立ち回れるだろうか……)
 どの陣営からもニュートラル。ディアナの立場はそれだけで価値があった。内乱勃発早々に他国に逃げ込んだ時点では、まだ年端もいかない少女だった王女は、その後の国内の凄惨な状況に完全に無関係であると言える。グリンセスが後ろ盾であるとはいえ、ディアナを連れて逃げた母親と実家の軋轢はそれ以前から囁かれていたことでもあり、基本的に両者間の繋がりは薄いと見るのが正しいだろう。
 だからこそフェルハーンは、ディアナに重要な役割を残して東に去った。そんな状況の彼女を、侍女のことで更に煩わせることはしたくない。
 画面に目を戻し、ギルフォードはその解析に意識を集中させた。
「――出た」
 フロイドが、僅かに緊張した声を上げる。
「なんだ、これは……。別方面からの魔法反応? そんな莫迦な」
 信じられないという面持ちで画面を見つめるフロイドを横目に、ギルフォードは短く憂いを含んだ息を吐く。彼には、予想通りの結果だった。
「しかし、これでは痕跡を追うことは不可能ですね」
 妨害が入ったように不規則な基線を描く画面を見つめ、ギルフォードは歯噛みした。あまりにも魔法反応の乱れが強すぎて、どの方位から魔力の割り込みが入ったかは、はっきりと特定できそうにもない。
 乱れの原因は、王都中に張り巡らされた魔力の道には関与していなかった。それとは別の、普段全く無反応である方面から、稲妻でも走ったかのような衝撃にも似た介入が見られる。
「まさか、どこか別の遺跡と繋がった……?」
「そのようですね」
 予想が当たったことに、無論喜びはない。
「ナナリさん、古代遺跡の残っている場所で、移動陣が生きていたという報告例はありますか?」
「ないね。ここと同じように整備すれば使えるかも知れないけど、放置された状況なら、まず装置としては死んでしまってる。以前に使用されていたときの魔力の流れとしての道筋は、もしかしたら生きてるかもしれないけど、この場合、その流れに乗ってしまったら、出口が作動してない、イコール、出る場所が無いわけだから、ここへ戻ってくる可能性が高いわね」
 素っ気ないような、冷静なナナリの回答はギルフォード自身が考えていたものと同じだった。そうなると、ギルフォードたちが把握していない古代遺跡の移動陣を、何者かが修復し使用している可能性が浮かび上がってくる。そこはどんな場所だろうかと想像して、ギルフォードははっきりと顔をしかめた。
「移動陣を隠し持てる場所は……」
「オリジナルを作るのは無理ね。君みたいに王家レベルの援助と財力がなければコピーを作るのも不可能だわ。つまりここと同じく古代遺跡を活用するしかない。その場合、野外のは人目に付くから対象外。あんまり重要でない場所に作るものじゃないから、そうそう辺鄙なところにもないと思うわ。だとすると、考えられるのは重要施設。古くからあって今でも残ってるような、王宮や……六領主の館、後は騎士団が置かれてるような重要拠点ね」


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