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 飛来する翼を持った魔物を剣が薙ぐ。横から飛び出した獣の足を払い、怯んだ隙に掌底を鼻面に叩き込む。その間に口は魔法式を唱え、炎の矢が道の先に潜んでいた物を絶命させていた。集中力、観察力以前の、反射としかいいようのない動きである。実戦という名の反復訓練の成果が、凝縮されてそこにあった。軽快に、自在に剣を操るその姿は、暗闇の中にあって尚も力強い。
 そうして進む内に、やがて見たことのある屍体がひとつふたつと目に止まるようになった。覚えているということは、殺す感覚が麻痺する前、比較的早い段階で斃した敵ということだろう。
 近い、と思った矢先に、少し開けた空間に突き当たった。アッシュは足を止め、腰のベルトから何かを引きちぎり、乱暴に放り捨てる。そうして、アリアが追いつくのを待ってから剣の鞘で地面に大きく円を描いた。
「手を」
 荒い息をなんとか落ち着け、アリアは差し出された手を掴む。
 途端、勢いよくその手を引かれたアリアは、堪えきれずにたたらを踏んだ。強い力で羽交い締めにされ、驚きと苦しさに息を詰まらせる。
 何を、と思う間もなく、強烈な浮遊感が全身を包む。一拍おいて、脳をかき回されるような激しい目眩が襲い、アリアは堪らずに目の前にあるものにしがみついた。意識のどこかでそれはアッシュだと判っていたが、深く考える余裕などはない。足下に感覚がない以上、何かの存在を感じていなければ、自我を保つのは困難だった。
 頭上から、低く、しかし淀みのない声が聞こえる。魔法式だと思った矢先、アリアは四肢の引きちぎられるような痛みを覚え、悲鳴を上げた。疼痛を耐えようと、反射的に歯を食いしばり、指先に震えるほどの力を込める。
 実際の所、それはごく僅かな、数秒に過ぎない時間だったのだろう。だがアリアは、耐えること、それだけに全身全霊の力を費やさねばならなかった。
 神経が直接引きちぎられるような、声にならない苦痛。その直後、眩むほどの光を見たのを最後に、アリアの意識は急速に遠のいていった。

 *

「お疲れではありませんか?」
 ギルフォードの問いかけに、高い位置にある頭が短く縦に振られた。
「ありがとうございました」
「成り行きだ」
 拒絶されているとしか思えない、突き放したような言動だが、声音自体に壁を作るような響きはない。肩を竦め、ギルフォードは用意しておいた酒盃を掲げて見せた。よく冷やされていたそれは、表面にうっすらと結露をこぼしている。
 濡れたままの髪をかき上げて、今し方部屋に戻ってきたばかりの男――アッシュは素直にそれを受け取った。ひとくち、短く口を付けてから一気に呷る。喉が鳴り、彼は満足げに大きく息を吐いた。
「着替え、少し小さいようですね。すみません」
「いや、問題ない」
 特に気にした様子もなく、アッシュはギルフォードの目の前の椅子に腰を下ろす。彼に汚れた服の代わりを差し出したのはギルフォードであったが、そうそうの体格差はないと思っていたにも関わらず、肩や胸回りが明らかに窮屈そうであることを認めて思わず目を見張ってしまった。騎士団服を着込んでいるときは痩身にも見えたものだが、こうしてみると案外に筋肉質であることが判る。
 それもそうか、とギルフォードはアッシュの剣に目を遣り苦笑した。鉄斧や鉄槌に比べれば軽いものの、鋼鉄でできた長剣はそれなりの重量をもつ。使いこなすには、相応の体力と腕力と全体的なバランスが要求されるだろう。生半可な体格と持久力であるはずはない。
 その剣が、血糊と刃こぼれに完全に切れ味を失ってしまうほど、アッシュは戦い続けた。その現実に思い至り、ギルフォードは言うべき言葉を思い出した。
「お怪我はありませんか?」
「ない」
 泥と返り血に汚れたアッシュの服を検分したところ、確かに怪我を思わせるような損傷はみられなかった。アリアの服の傷み具合と照らし合わせれば、彼が如何に状況判断に優れた、且つそれに見合うだけの身体能力を持った人物であるかが窺い知れる。
(強い……)
 魔法の操作も相当のものだろう。
(だが、強すぎる……)
 彼がこの日、あの時間に魔法院に居合わせたこと感謝する一方で、あまりにも間が良すぎるのではないかという疑問も生じている。見事な手際の良さは、彼の能力の高さを純粋に示すものか、或いは――……。
「原因は、判ったのか?」
 思考の淵に陥りかけたギルフォードに、アッシュは平坦な口調のまま疑問を投げかけた。ある種落ち着いたとも言える声に、ギルフォードは誤魔化すように苦笑する。
「推測、の域ですね。それでよろしければ」
 相手が頷いたのを認めて、ギルフォードは両手を組むように合わせた。
「あの移動陣が古代神殿のもので、つまりは魔法文明の発達していた時代の遺跡であることが、事の大前提に来るのは確かです。あなたの話を合わせると、あちらも相当古い建物であったとのこと、もともと移動陣のあった場所だったのでしょう」
「六領主、もしくはそれ以上が関与している」
 ある意味唐突な言葉に、ギルフォードは何度か瞬いてアッシュを見返した。
「逃げ道だ」
「……どういうことです?」
「そのまんまだが?」
 聞き返され、ギルフォードは苦笑した。アッシュと長く話すのは初めてであるが、どうにも会話が上手く進まない。彼の話は切る、飛ぶ、黙るの三拍子揃っており非常に判りづらい、そう、フェルハーンから忠告されたことをギルフォードは今更ながらに思いだした。
 悪気はないのだろうが、厄介な相手である。
「アッシュさん、あなたは直接現場を見てきたので判って当たりまえかも知れませんが、私にはどういった場所だったのか、想像するしかないんです。何故さっきの結論に至ったか、教えてもらえませんか?」
 不機嫌そうな顔であるが、別段、ギルフォードに含みがあるわけではないだろう。その証拠に、具体的な回答を求めると、アッシュはあっさりと頷いて、ギルフォードを落ち着いた目で見つめ返した。
「俺やアリアの落ちた場所は、迷路のような道の突き当たりだった。俺はそこで防御魔法をかけたが、妙にかかりが良かった。おそらくはここの地下と同じく、魔法の集まりやすい場所なんだろう。遙か昔に移動陣があったことはまず、間違いない。ちゃんと帰り道を開くことも出来たから、今も作動している。だが、普段はここには繋がっていない。あちらがどこに道を繋いでいるのか、それを調べる暇はなかった」
 ちゃんと長文を話せるじゃないか、とは口に出さず、ギルフォードは神妙に頷いた。
「移動陣の間から先は、長大な地下迷路といった感じだ。迷いやすく狭い。主幹通路から横道は垂直に派生していない。落ちた場所から進んだときは枝分かれする道を見つけにくかったが、戻るときは横道がよく見えた。つまり、どこだかから落ちた場所――移動陣へ向かう場合に限り、横道に隠れた者を発見しやすい造りになっている。だから、逃げ道だと言った」
「……なるほど」
「最終的に、アリアは広い、牢獄のようなところで獣に囲まれていた。そこの様子は俺は殆ど見ていない。彼女が起きてから聞くといいだろう。地下に広い隠し部屋を持ち、本来は生活の上で使うはずの移動陣を迷路の先に作るような建物、このような形態の地下通路の場合、真っ先に考えられることは?」
「秘密の脱出経路、でしょうね」
「王宮から、ここの地下遺跡に移動陣で繋がっていたようにな。中規模の金持ちの屋敷なら、あそこまで入り組んだ道を作ることはない。襲撃者を撒きつつ、逃げるための道だ。だから、六領主クラス以上と言った」
「それに、マエントも、ですね」
 既に考えは及んでいたのだろう。アッシュは事も無げに頷いて、顔の前で手を組み合わせた。
「『魔法使い』か」
「おそらくは」
 また話が飛んだと苦笑しつつ、ギルフォードは首肯した。
 『魔法使い』。これの意味するところは、ギルフォードには明らかである。
 数ヶ月、国に動揺の火種を落とし続けている魔法使い。ルセンラークの村を焼き、マエントへの使者を殺害するのに手を貸した、正体不明の人物。おそらくは、フェルハーンが向かった東方の異常事態にも関与しているだろう。魔法使いの数自体は稀少とは言えないが、一連の事件を引き起こせる程の高位の魔法使いとなると話は別である。レベルの高い魔法使いが複数関与しているとは考え難い。それを考えれば、ひとりないしふたりの魔法使いの手とするならばあまりな移動距離、そして全く掴めぬ足取り。
 全ての裏で笑う人物は、古代の移動拠点を手にしている。そう考えれば腑に落ちた。
 だが、とギルフォードは眉根を寄せる。それが判ったところで、現時点では手の打ちようがない。
「国内に、古代の移動拠点が点在しているのは、文献を見る限り明らかですが……」
「見つかっているものは、まだ手が加えられていない。故意に隠されているものはすぐに見つかるわけもない」
「……その通りです」
 移動陣――移動地点がわからなければ、この広大な国土の中、件の魔法使いの行動を阻むのは不可能である。アッシュやアリアの落ちた場所をひとつとしても、それすら、具体的にどこだという証明ができたわけでもない。
「当面、地下の移動陣の魔力の流れの計測は行っていきます。後は、アリアさんが起きた後で、話を伺って、原因を追究するしかありませんね」
「ああ」
「しかし、偶然かはわかりませんが、とんでもないことに巻き込んでしまいました……」
 アッシュの誘導で魔法院へ戻ってきたときのアリアの消耗した様子に、ギルフォードはひどく胸を痛めた。擦過傷、打撲痕、切創、致命的ではないものの、小柄な少女の受けた傷の数々は如何にも痛々しい。見知らぬ場所へ飛ばされた恐怖を思えば、彼女を神殿跡の移動陣へ――しかも、軽い調子で連れてきたフェルハーンにさえ怒りを覚えた。
「あなたに行ってもらって良かった。状況からして、私ではアリアさんを見つけるのにもっと手間取ったでしょう。獣の群れを撃退できたかも少し怪しいものです」
 謙遜でなく、ギルフォードは偶然に感謝した。
「アリアさんも、怖かったでしょうに、無事に逃げていてくれて良かった」
「そう、侮ったもんじゃない」
 肩を竦めて、アッシュは思い返すように呟いた。
「戦闘員でもないのに、上出来だ」
「え?」
「どういう魔法を使ったのかは知らんが、かなりの数の敵を倒してる。それを目印にあいつの足取りを追った」
 信じられない面持ちで、ギルフォードはアッシュを凝視した。読めない表情のまま、アッシュは冷静な目で彼を見つめ返す。
「俺が行ったときも、あの状況にしてはかなり冷静だった。普通なら、萎縮して震えてるような場所だったにも関わらず、だ」
「……帰ってきた時は、あなたにしがみついていたようでしたが」
「あれは単に、移動の瞬間が苦痛だっただけだ。俺でもかなりきつかった。魔力もかなり消費した」
 言って、アッシュは顔をしかめながら立ち上がった。
「起きたら、聞いてみろ。賭けても良いが、結構情報を掴んでいるはずだ」
「……」
「それじゃ、俺も休ませてもらう。例の件、よろしく頼む」
「判りました」
 そのまま、アッシュは酒の入った杯を手に、魔法院側で用意した客室へと姿を消した。その背中を見送り、ギルフォードは椅子に深く座り直す。背もたれに頭を乗せ、そのまま手足の力を抜けば、重力に従って体はずるずると下へ落ちていった。
 完全にひとりになったことで、疲労感が一気に押し寄せてきたようである。肺腑が空になるほどのため息を吐き、ギルフォードは目を閉じて額に手を当てた。
「よくもまぁ、厄介事ばかり……」
 アッシュの頼み事を思い出し、天井を睨みつける。
 裏で糸を引いている人間の顔を思い浮かべ、ギルフォードはただ諦めたように苦笑した。


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