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 王の管理する直轄領と六領主の領地の関係はというと、ひとことでいえば「無関心」に尽きる。所詮同じ国の土地、六領主同士であるならともかく、国の最高権力者である王の直接の領地を侵すほど領主も莫迦ではない。だが協力関係を築く気もなく、隣の不幸はこちらの幸いとばかりに互いに無視しているのが現状である。
 直接の被害が及んでいるエルスランツであればまだしも、勅命もないのにセーリカが協力するとはにわかには信じがたい。深読みすれば裏があることは明白、恩を売っているのか他に企みがあるのかが運の分かれ目といったところか。
 用意された朝食を平らげつつ、フェルハーンは目を眇めてセーリカ公の顔を思い浮かべた。
 ルフタール・セーリカ、61歳。第二次内乱に根深く介入しながら、今もまだ表舞台に立ち続ける古狸。行動力は落ちているものの、底知れない力を持つ老政治家である。長い年月で気付いた人脈と経験は、フェルハーンなど足下にも及ばないだろう。
(何を企んでいるのやら……)
 ワイルバーグ城砦の件を含め、王家への心証を良くしようとしているだけなら可愛いものだが、とフェルハーンは苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。
「……何か、お好みでないものでもありましたか」
 目を止めて、ソニアは困ったように首を傾げた。気づき、フェルハーンは取り繕うように笑う。
「なんでもない。……では、行こうか」
 立ち上がり、促す。訝しげな顔をしながらも、ソニアは黙ってフェルハーンに従った。


 鮮やかな緑をなびかせ、風がそよぐ。ザッツヘルグ領の最東端の街に着いたのは、まだ陽も昇りきらぬ午前中のことだった。田園風景から一転して、細い道が賑やかな街道に合流する。
 街を取り囲む外郭をくぐり、フェルハーンは短く息を吐いた。夏の盛り、陽光をろくに遮るものもなかった道は、さすがに堪えるものがある。長年付き添っている愛馬も随分と汗を流していた。
「宿を探して参ります。そこでご休憩を」
 馬から下り、ソニアは大通りの奥を指し示した。毅然とした態度を装ってはいるが、確実にフェルハーンより疲弊した様子がある。反論する要素もなく、フェルハーンは頷いて彼女に従った。ソニアこそ先に休むべきだとは思っていたが、気遣えば彼女の頑なさに拍車が掛かるだけとも判っているため、余計なことは言わずに大人しく後ろを付いて歩く。
 だがあいにくと、或いはおおかたの予想通り、宿に休めるスペースは余っていなかった。丁度昼のかき入れ時、更には天候も相まって、食堂でさえも僅かな涼を求め陰に入った人でごった返している。仕方なくふたりは、通りがかった広場、井戸の周りに集まった人から桶を借り、布を浸して手足を拭った。同じように汗を拭った馬を宿の軒に繋ぎ、呷るように水を喉に流し込む。
「随分、急いだね」
 どうにか見つけた木陰に腰を下ろし、フェルハーンはようやくのように口を開いた。
 朝、泊まっていた宿を出発してからこちら、ほぼ休憩なしに馬を飛ばし続けての到着である。無茶とまではいかないとしても、強行軍に近かったことは確かだろう。道急ぐこと自体に不満はないが、それにしてもおかしいことには変わりない。
 ぐったりと座り込んでいたソニアは、突然降られた話に疑問符を浮かべ、そうしてはっとしたように目を見開いた。
「急いたつもりは――」
「それにしては疲れすぎだろう。自分の体調をコントロールするのも大事だと思うよ。君もコートリアのことが気になるのかも知れないが、目的地が近くなったからといって無茶をするのはよくない」
「は、はい」
「判ったら、今日はこれからは無茶をしないこと。君にはまだ仕事がある。倒れては元も子もないだろう?」
 命令、と付け加えてフェルハーンはソニアをじっと見下ろした。ややあって、渋々といった呈でソニアは首を縦に振る。職務に忠実な姿勢は好感の持てるところであるが、生真面目に過ぎる部分があることも否めない。
 今回の任務は、あるいはそれを利用されての事なのかもしれないと、フェルハーンは彼女に見えないように苦笑した。
 東方への道案内、と始終気を配るソニアであったが、実のところフェルハーンには必要のない役割である。エルスランツはキナケスの北東の領地、そしてフェルハーンは内乱時国中を駆けずり回っていた。国内の地理はほぼ頭の中に入っていると言っていい。
 だがそれを敢えて口にせず、会議の場でソニアの同行を認めたのには、当然理由があった。
(……そろそろ、か)
 フェルハーンは、頭の中で様々な可能性を展開する。
 何故、あえて騎士団の中でも地位の低い小隊長などをコートリアは派遣してきたのか。敢えてソニアが選ばれたのは何故か。
 後者の理由は簡単に説明が付く。噂の上でも実態でも、戦場以外ではフェルハーンは女子供に甘い。油断を誘うとまではいかずとも、なんらかの力加減を無意識のうちにしてしまう可能性は高くなる。それを見込んでの選択だろう。
 だが、小隊長というなんとも中途半端な地位はどうか。他騎士団の団長を招く使いとしては、あまりに低い階級。普通に考えるならば、副団長クラスの任務である。身分や地位にうるさい者が相手であったなら、莫迦にしていると、そもそも東方へ行く事自体一蹴されてもおかしくはない。それがほぼ一般常識である以上、当然、その滅茶苦茶な人選には裏があると見るべきである。
 道中、ソニアはなんだかんだと理由を付けて、ザッツヘルグ領内を大きく迂回する道を採った。許可が下りていないと言うが、王族権限、そして国王直接の命令という免罪符を突きつければ、どんな無理難題でもまかりとおることくらいは子供でも知っている。それを敢えて穏便にと隠れるように道進むさまは、時間を稼いでいるとしか思えない。そして、今日の突然の強行軍。
 ソニアを見たときから選択肢の一つに挙がっていた疑惑は、今はフェルハーンの中で確信に変わっていた。
(コートリアは黒、か。さて、何が目的やら……)
 これだけの怪しむに充分な行動、何かある、とフェルハーンに気付かれていないと思っているならめでたいが、おそらくはわざと、承知の上でのことだろう。ソニアは、自分自身が捨て駒であることを知っている。知っていながら、命令と言われると断れない性格を利用された。
 不器用だとは思うが、フェルハーンはそいういう性格は嫌いではない。
 それ故に彼はわざと敵の謀略に乗り、彼女の立場を逆手に取る道を選択した。即ち、騙されてはやるが、最後まで思い通りには運ばせない。相手に一喜一憂させるという意味では至極趣味の悪い選択とも言える。何故そんな面倒なことをと問われれば、美女を見殺しにするに忍びない、と嘯いたことだろう。
 何が待ちかまえているのかと思うと、不思議と心も躍る。悪い癖だと自覚しつつ、改める気はフェルハーンには皆無だった。
「それで、この街を出たらどう進むんだい?」
 装う必要もなく平静に、フェルハーンは壁に凭れるソニアに行程を訪ねた。
「朝、セーリカは通りたい放題だって言ってたけども」
「はい。ここを出た後は、コートリアの付近で主要街道に合流できるように真っ直ぐに進みます。基本的にセーリカは道が整備されていますので、回り道をする必要もないかと思います」
「じゃあ、もうすぐだ」
「はい」
 ふと、何か言いたげにソニアの目が揺らぐ。フェルハーンがじっと見つめ返すと、困ったように視線は逸らされた。
「可愛いね」
「なっ……」
「目があったくらいで、照れるなんて」
「――ち、違い……!」
 ソニアの顔に朱が昇り、勢い、立ち上がった丁度その時。ふたりはほぼ同時に、探るように顔を上げた。
「……?」
「……なに?」
 どこか遠くで、低く重い音が鳴り響いた。僅かに、地面も揺れる。
「地震?」
「まさか、ここは……」
 周囲で休んでいた町人も、キョロキョロと周りを見回し始めた。口々に推測を出し、不安そうに視線を合わす。
 人々に合わせるように頭を巡らせながら、フェルハーンはちらりとソニアを一瞥した。何事かと不審気な空気の中で、彼女一人の顔が蒼褪めていく。
 きたか、とフェルハーンは瞬時に意識を切り替えた。何事にも対応できるよう、集中力を高めて映るもの全てを分析する。
 そこに、再び地響きが鼓膜を震わせた。先ほどよりも大きく、遠くに濛々と立ちこめる土煙さえ見え隠れする。次いで、人々が悲鳴を上げた。
「あ、あそこ……!」
 街の中でも一際高い塔が、紙細工のように崩れていく。居合わせた全員のが目を見張る。そして、その近くに存在する、巨大なモノ。煙りながら朧気に見える、あり得ないほど大きな生物。
 そしてそれは、轟音をも覆うような、大気を引き裂く咆吼を空に放った。
「ま、――魔物だ!」
 引きつった声が、言わなくてもいい現実を突きつけた。それに触発されたように、同じ単語が人々の口から連鎖する。その場が恐慌に陥るまで、時間は必要としなかった。
 悲鳴、そして奇声を発しながら逃げまどう人々。崩壊の音はいよいよ近く、魔物と思われる巨大生物がこちらに向かっていることは最早明確だった。何故に、とは誰も考えない。考える余裕はない。ただ運に任せつつ、生き延びるためだけに人々は方々に散っていく。
「そう、きたか……」
 怒りすら覚えながら、フェルハーンは強く歯を噛み締めた。罠と承知でここまでやってきたが、まさか無関係の者をここまで巻き込む歓待が待ち受けているとは思っていなかった。自分の考えの甘さに後悔が過ぎる。
 だが、落ち込んでいても解決はしない。いち早く事態を収拾することが先決と、フェルハーンは魔物に向かって歩き始めた。
「あんた、危ないよ!」
 逃げながら、声を掛けてくる人に感謝しつつ、人混みを掻き分ける。訓練も何もない、無秩序な人の動きに逆らうのはかなりの困難だった。それでも、騒ぎの中心を見失わずに済んだのは、元凶となる魔物の存在があまりにも巨大で異質だったからに過ぎない。
 隣で目を見開くソニアは、その異様な姿に完全に呑まれてしまっている。おそらくは聞かされていたことだろうが、フェルハーンと同じく、ここまで大事になるとは思ってもいなかったのだろう。
 今の彼女であれば、命令さえ下せば、訳も分からずそれに従うだろうということは見て取れた。しかし、戦う前から怯えを含んでいるようでは、戦力としてはむしろ足手まといになる。そう判断したフェルハーンは、ソニアの頬を軽く叩き、注意を自分へと促した。
「あ……」
 動揺に揺れる目をのぞき込み、焦点を合わせることを強要する。ソニアの意識が自分に向いたのを確かめて、フェルハーンは殊更に明るく笑ってみせた。
「落ち着いて、よく聞くんだ」
「……」


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