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 絡め、弾き、押しとどめて、流す。一秒にも満たない攻防が何度か繰り返された後、アリアは遂に、侵入者が壊れた出入り口を越えたことを確認した。
「外、です!」
 アリアの言葉を受け、ディアナが転がっていた花瓶を廊下に向けて放り投げた。壁に当たり、砕け散る瓶の欠片、その中心部に網膜を焼くような強い光、――直後響く、轟音。
 五感全てが麻痺しそうな衝撃を受け、アリアは反射的に身を屈めた。咄嗟に、何が起こったのか理解できないまま、ただ力に抵抗する。何秒にも感じられる一瞬、その後、二次的に派生した熱風と粉塵が、そこに居る者全員の視界を遮った。顔の前で両腕を交差し、飛来する礫から頭を守る。
「殺ったか!?」
「やり過ぎです!」
 咳き込みながら、アリアは抗議の声を上げた。爆音が鼓膜を弾くまで、敵の捕縛を大前提にしていると思っていたのだ。相手に積極的な攻撃の意志はない、そうディアナも理解していると思ったのだが。
「なに、大げさなだけだ。死にはすまい」
 あっさりと言い放つディアナに、アリアは白い目を向ける。どう考えても、建物の被っている被害は崩壊を狙ったレベルだとしか思えない。
 エレンハーツとその侍女に動かないように指示を出し、ディアナはまだ煙る廊下へと進み出た。
「……ほう」
 僅かに瞠目し、ディアナは顎をしゃくる。
「逃げられたようだぞ」
「……まさか」
 短く息を呑み、アリアはディアナへと駆け寄った。舞い上がった塵が落ちていくにしたがって、視界は鮮明になっていく。
 崩れた壁、変色した床、原型をなくした扉。天井からは漆喰が剥がれ落ち、アリアの肩に薄く降り積もる。改めて見るに無惨な有様だが、ふたりの求めたものは、どういう形であれそこには残されていなかった。
「床が、不自然に焼けこげてますね」
 とりわけ損傷の酷い一部の床に目を落とし、アリアは眉根を寄せた。
「ディアナ様の使った魔法、花瓶を起点とした範囲魔法ですよね。こんなふうに、一部分だけが強く焦げるものなんですか?」
「着眼点はよろしい」
 アリアの基礎魔法の師は満足そうに口端を曲げ、褒美のようにアリアの頭を撫でて屈む。
「わたくしの使ったのは、あくまで衝撃波だ。だが、熱風を感じただろう? あれはおそらく、向こうが作った炎系の魔法だ」
「……仲間に、攻撃したんですか?」
「いや、よく見なさい。一番被害が酷いのは床だ。人間を標的にするならば、普通ある程度の高さが必要だろう? この焦げ方を作ろうとするならば、こう、真上に近い場所から真下に、それこそ床めがけて魔法を放たねばなるまい」
「では……証拠隠滅、でしょうか?」
「十中八九」
 頷いて、ディアナは面白くもなさそうに唇を尖らせた。
「何者かは知らんが、相当出来る。特に、義姉上の寝室にいた者ではなく、そやつを助けて誘導した者がな」
 悔しげながらも、音程は感心に近い。ディアナもアリアも、けして手を抜いたわけではなく、しかし、結果として見事に逃げられてしまった。解除魔法、相殺魔法、防御魔法、そして周囲に損害を与えないためのそれらの的確な力加減。特に、相手が放ったものと全く同等の力をぶつけて相殺する技術は、過不足なく完璧に、見事なものだった。天晴れという他に何があるだろうか。
「何者、だったんでしょうか」
「知らん。だが少なくとも、義姉上に害を為そうとして侵入したわけではなさそうだったが」
「……判ってらしたなら、何で、最後の攻撃は何でああなるんですか……」
 あからさまな敵意はなかった。故にアリアもディアナも、相手を確実に仕留めるための攻撃ではなく、あくまで捕縛することを目的に動いていたのだ。――最後の最後、ディアナが暴挙に及ぶまでは。
 部下の非難を面白そうに受け止めて、ディアナは艶然と微笑んだ。
「ふたりがかりの足止めが、綺麗に消し去られたのだぞ? あれくらい派手にやらねば、相手もぐうとは言うまい。正直、まともに受けることはなくとも、何らかの足止めにはなると思っていたのだが。予想以上だった」
「けれど、怪我したんじゃないですか? 侵入者のうちの誰かが」
「ほう?」
「物を落としたなら拾えばいいはず。それくらいの時間はありました。けれど床を焼いて消さなければならなかったのは、相手を特定出来る血や組織、髪の毛なんかの回収できない物が落ちたからだと思います」
「なるほど。新しい、他に混じりのない血は使えるからな。――ふん、判断力も相当なものだ」
 ある意味妙な感心の仕方をしたディアナは、件の焦げた床を靴の踵で小突いてみせた。脆くなった床石が、容易く剥がれて砕け散る。ディアナの靴に目を止めて、アリアは口元を引きつらせた。
「そういえば、ディアナ様」
「なんだ?」
「その恰好、もしやとは思いましたが、王宮に上がってからこちら、ずっとその半武装したような状態で寝ていたのですか?」
「無論。わたくしは護衛であるからな」
 事も無げに肯定して、ディアナは胸を反らせた。
「呑気に、裾の長い寝衣など着ていては、いざというとき動けぬだろう」
「……あんまり、言いたくはないんですが……」
 こめかみに、青筋が立つ。
「普通、仮にも王族の姫に、本気で護衛役など頼むと思われますか? ディアナ様が本当にお強いのを知っているのは、私とレンくらいなものです。王宮に呼ばれたのは、いくら近くとはいえ、離れた場所にディアナ様をひとりにしておくのは危険だと、陛下が判断されたからではないのですか?」
 護衛役云々は言わば褒め殺し、本気で護衛させるのではなく、敢えて王宮内を出たディアナを招くための口実だと、アリアは思っていた。王宮は警備の目も行き渡っている。何も、正当な血筋の姫にさせることはない。
 だがディアナは、一瞬きょとんとして、次に盛大な笑い声を上げた。
「ディアナ様!」
「悪い。だが、それはお前の思いこみだ。本当に陛下は――いや、フェルハーン義兄上は、わたくしに義姉上の身辺を注意するように頼んできたのだよ」
「え?」
「まぁ多少は、ひとりでふらふらしているよりも目が行き届く、という目論見もあったのだろうがな」
 目を丸くして、アリアはディアナを見つめた。可笑しそうにはしているが、ディアナの目は至極真面目な色を浮かべている。嘘でも、からかっているわけでもないと、長い付き合いから認めざるを得なかった。
 だが、本当だとすると、これほど奇天烈な注文はない。何故、とアリアは眉を顰めた。
「簡単なことだ」
 思いを読み取ったわけでもあるまいが、ディアナは器用に片方の眉を上げて肩を竦めた。
「今の状況を見ろ。これだけの騒ぎが起きて、――ふん、今頃警備騎士の到着ときたぞ」
 ぎよっとして、アリアは目を見開いた。今更ながらに、誰も救援に来なかったことを思い出す。確かにこれは、あからさまにおかしな状況である。今日この時間に限って、賓客の泊まった室周囲を誰も警護していないというのは、如何にも不自然だった。
 ――ディアナの言いたいことは、判る。だが本当に、それだけだろうか。
 皮肉っぽく、ディアナは口端を曲げた。
「警備体制など、知ることを知れば何とでもなる。にわか雇いの私兵など信用できん。だから、わたくしは適任なのだよ」
 近くなる喧噪を耳に通しながら、アリアは複雑な気持ちでただ頷いた。

 *

「まったく、とんだ姫様だ」
 ヨゼル・バグスの呟きに、ギルフォードは心から頷いた。
「治りそうなのか?」
「ええ。出血に比べて、傷自体は浅かったようです」
「……すみませんね。ご迷惑を」
 如何にも恐縮そうに頭を下げているのは、ティエンシャ公である。権力者層はふんぞり返っているという、およそ一般的な印象に反して、彼は破格なまでに腰が低い。まがりなりにもキナケスの海の玄関口であるティエンシャ領を仕切る人物、状況に合わせて卑屈にもなれる処世術ととることも出来るが、ヨゼルまでが苦笑しているところをみると、これが彼の素であると思った方がよいのだろう。
「痛み、引いてきました。すごいですね」
「ありがとうございます。しかし、これはあくまで本人の持っている治癒力を急速に高めて成る魔法です。体には確実に負担がかかっていますので、無理なさらないで下さい」
 治癒魔法の効果が徐々に現れていくのを確認しながら、ギルフォードは安堵に息を漏らした。背後から見守るようにのぞき込んでいたヨゼルもまた、やれやれといった様子で自分の肩を叩いている。彼にとってはまさに荷が下りた、という状態なのだろう。
「しかしまぁ、来てもらって助かったよ。アッシュの奴が上手く説明できたか、正直今日まで半信半疑だったんだが」
「頼まれたときは何事かと思いましたが、存外、彼の説明は判りやすいものでしたよ」
 数日前の会話を思い出して、ギルフォードはただ苦笑した。アッシュからティエンシャ公の救出を依頼されたときには、さすがに目を丸くしたものである。だが結局、ギルフォードは手を貸すことを承諾した。話を持ち出された直前、移動陣の異常の件で助勢を受けていたという、「恩義」と「負い目」があったことは否定しない。だがそれ以上に、アッシュの説得は巧みだった。
『ティエンシャ公を助けるのではなく、彼の持つ情報を殺さないために手伝って欲しい。馬鹿馬鹿しい事件を解決するために』
 そう、淡々と言い切った言葉には、思わず素直に頷いてしまったものである。ティエンシャ公の救出と言われれば、ギルフォードは関係のないことと突っぱねただろう。だが、誰しもが辟易している国内の不穏が引き合いならば、話は変わる。
『殺す、倒すということにあんたを引っ張り出す気はない。あくまで誰も傷つけないために、あんたの力を借りたい』
 そしてアッシュの言ったとおり、ギルフォードはこの夜、相殺魔法という非常に繊細な力加減を必要とする魔法を駆使することとなった。王宮の警備に当たっている騎士や兵をはじめとし――まさか、王女相手に魔法合戦を繰り広げるとは、さすがに思ってもみなかったのだが。
 そうして、ギルフォードは首を傾げた。
「しかし、よく、今日のことがわかりましたね?」
「ん?」


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