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「半月ほども止め置かれていたティエンシャ公が、今日、――罠にかけられると判ったのですか?」
 これには、ユランもまた大きく頷いてヨゼルを見上げてきた。2対の視線を受け、ヨゼルは困ったように頭を掻く。どうしたものかと迷ったようだが、結局は話すことを決めたようだった。ユラン・ティエンシャを正面に見つめながら、ヨゼルは躊躇いつつ口を開く。
「ティエンシャ公の身の回りに気を配るように、もとから団長に言われてたんですよ。いきなり殺されることはないだろうが、なんらか、進退窮まる状況に陥る可能性があるってね。で、ずっと周辺を見張ってたんですが、人員もそうそう増やすわけにはいきませんので、まぁ、多少無理が生じてきたんです。で、話し合った結果、いっそティエンシャ公を保護してしまおうということになりまして」
「それでは、私を連れ出したのは?」
 多少の非難を含んだ言葉はしかし、ヨゼルのきょとんとした顔によって否定された。
「今日、陛下の使いと名乗る者が私を連れ出したんです。廊下に出たところでしばらくして殴られて、恥ずかしながら気を失ってしまい、全く見知らぬ道を通って、何故か殿下の室に出てしまいました。そこを、助けていただいたんですが……」
 ここで初めてユランに合流するまでの経過を知ったギルフォードとヨゼルは、揃ってお互いの顔を見合わせた。
「失礼ですが、助けの手が間に合ったのは、運が良かっただけです。我々が集まっていたのは、数日先に予定していた計画の下調べの為でしたし、こっちのギルフォードさんも、事が起こってから慌てて呼びに行ったくらいです」
 慌てて、というようには見えなかったと思い返し、ギルフォードは苦笑した。アッシュは、ただの無表情・無愛想ではなく、肝の据わったマイペースなのかもしれない。予定が変わった、のひとことで駆り出されたギルフォードには、いい迷惑だったが。
「判っていると思いますが、保護と言っても、あなた自ら消えるなんて事態は、立場を悪くするだけですしね。無理矢理連れ去られたって演出しようと考えてたんですよ。そしたら急に、ティエンシャ公が部屋から消えたって報告が入りましてね。大慌てで探したってわけです。幸い、探す手段はありましたので、こうやって間に合ったわけですが」
「隠し道のような場所を通ってたんですが、どうやって判ったんです?」
「認識票ですよ。そちらの騎士団長の。うちの団長がそれを受け取ってからあなたに渡す前に、ちと細工しましてね。本当は黄色いプレート一枚しか預かってないんですよ。色のない方は、うちの団員のものでして。良質の魔法鉱石を加工したもので、つまりは持ってた奴の魔力が大量に入ってるってわけです。それを、目安にあなたがどこへ行ったか探し当てたんですよ」
 魔力の個別認識などは不可能だが、魔法院で移動陣の魔力の流れを探知したように、一定以上の強い魔力の存在する場所ならば、特殊な魔法で探ることも出来るのだ。それが自分自身のものであるならば、更に判別しやすくなる。
「つまり、私が部屋から連れ出されるという状況を想定していたと」
「団長の予想では、偽物とすり替えられて偽裁判となる可能性がある、ということでしたがね。まぁ、役に立って良かったってとこでしょう」
 言ったのはヨゼルで、頷いたのはティエンシャ公で、どこか釈然としないまま、ギルフォードは表面上の同意を示した。――そこまで予想していながら、何故フェルハーンは敢えて事が起こるのを放置したのだろう。
 しばし考えに身を浸し、しかし結局ギルフォードは頭を横に振った。急場は凌げたが、今はその先を案じなければならない。
「ヨゼル殿、この後はどういう計画になっているのですか?」
 王宮から逃げることに成功はしたものの、未だ王都内に隠れている状態である。そのうち、探索の手が伸びることは想像に難くない。このまま一定の区間内で逃げ続けられるなどといった、妄想に近い楽観視をする気にはなれなかった。
 王宮に忍び込む際、警備兵を混乱させる役を担ったシクス騎士団員は、今は方々に散ってしまっている。強行突破をするにしても、人手不足は否めない。王宮側に、エレンハーツの室に侵入者が出現したと、場所が特定されてしまったのは痛手と言っていいだろう。本来なら、あちこちに怪しい侵入者を出没させるつもりだったとヨゼルが顔をしかめた。
「逃げるとすれば、今晩この時しかない。マリクに馬を調達させてる。ここらへんは、既に策じゃないな。全力で逃げるだけだ」
 下手な小細工をするよりもいい、とユラン・ティエンシャは笑った。
「まぁ、ちと待ってて下さい。悪いようにはしませんから」
「これ以上、悪くなりようがないんですけどねぇ。……上手く逃げたとしても、まさか領地に帰るわけには行きませんし」
「それは、まぁ、そうですがね」
 王命無視に加え、エレンハーツやディアナの証言によっては、更なる――或いはそれ以上に重い罪状が加えられることは必至。行方不明であればともかく、自領で発見されたともなれば、どのような弁明も通らなくなるだろう。
 こころもち苦い表情で宙を見つめ、そうしてユラン・ティエンシャはおもむろにヨゼルに向き直った。
「それで? 私から何を得たいんですか?」
 さすがに決まり悪げに、ヨゼルは頬を掻く。
「善意の無償奉仕も、無条件の信頼も、私には得る理由がありませんからね」
「割り切ってますなぁ」
「そりゃ、そうですよ。シクス騎士団の面々、つまりフェルハーン殿下に、無償で部下を貸してもらえるほどの信頼関係はありませんからね。彼らしく分析した結果、陥れられているのは私の方であり、つまりは私を貶めたい理由を持つ者に不利な何かを、私が持っていると考えたからでしょう? 善意で、無実なんだから助けてやろうなんて真似、内乱を陣頭に立って生き抜いてきた者がするはずありませんから」
 特段、皮肉を込めるわけでもなく、淡々とユランは話す。自分が助けられたのではない、自分の持つ情報の為に間接的に助けられたのだと、――アッシュがギルフォードに言って誘った言葉そのままのことを、冷静に理解しているのだろう。
 自分を含めた現状を客観的に把握し、そのままを感情抜きに受け止めることの出来る能力。多かれ少なかれ、誰しもに備わっている力ではあるが、どんな状況下に於いてもという注釈を付けるならば、これほど難しいことはない。自身が窮地に陥っているとなれば、余計に人は感情に心を乱す。
 なるほど、六領主の肩書きは伊達ではない――そう、ギルフォードは頷いた。
「身も蓋もない言い方をすれば、知ってることは全部吐いていただきたい、というところですがね」
 どこまで本気か、判別の付かない口調でヨゼルはぼやく。
「とりあえず、ワイルバーグ城砦の件――というか、セーリカについて、ですかね。正直、我々にもあちらの白黒が付けがたいんですよ。一連の事件をまとめてみると、ティエンシャに利益がないと判るため、反勢力、つまりセーリカは黒に違いないと判断してるわけですが、あちらもなかなかガードが堅くて、決定的な証拠が得られないんですよ」
「セーリカが今の国の状態に反旗を翻す理由が分からないってことですか?」
「簡単に言えばそうですな」
「陛下にも、しきりに親族の娘を売り込んでいると聞き及んでいるくらいですし……」
 大概、王となった者は、余程の確執でもない限り、母親や妃の出身地――つまりは後ろ盾となる勢力を贔屓する。多少のことであればむしろ、贔屓を入れる隙を開けた方が悪いと認識されるため、長い歴史の中でこの悪慣習は殆ど途切れたことがない。当然その利益を見込んで、領主やその他の権力者は王に親族の娘を送りつけているわけで、誰も文句を言えないというのが実情というところだろう。
 現国王に今のところ、後見勢力であるエルスランツを贔屓にしている様子はないが、この先どう転ぶかは判らない。更には正式に認められた妃のいない独身王でもあり、その気のある勢力はあの手この手を使って国王の興味を引こうと躍起になっている。勿論、場合によっては人質ともなり得る為、送りつける娘の選出は意外に難しい。だがセーリカは、切り捨てるに躊躇うような、直系に近い親族を差し出している。友好的に見せかけているという見方もあるが、積極的に現国王による統治の転覆を狙っているわけではない、と考えて問題ないだろう。
 しかし、ルセンラーク村焼失やマエントでの外交官殺害の件は、関わっているだけで反逆に相当する。支持している国王を追い落とす事件に関与するだろうか。そこに生じる矛盾が、ヨゼルたちを困惑させているのだ。
 ヨゼルやギルフォードの呟きに、ユランはただ肩を竦めた。
「事件、本当に陛下の治世を危うくするものでしょうか?」
「え? しかし現実に、国内は不安定になっていますが……」
「でも、どうも、中途半端なんですよね。あれほど大きな事件をいきなり起こしておきながら、その後は何も起こっていません。強いて言えば東方の魔物騒ぎですが、ルーツライン方面に何かするわけでもなし、混乱のままに放置しているってだけです。魔物が王都に攻め入ってくるわけでもなし、街が次々に消滅しているわけでもなし、かといって不安定な状況に隙を見て、どこかの勢力が反乱を起こすわけでもなし。ね、不気味でしょう?」
「そう……言われればそうですが、しかし、ルセンラーク村が消えてからまだひと月程度です。まだ表に出ていないだけかも知れません」
「うーん、まぁ、そうなんですけどね。でも、あなた方の疑問、『セーリカは陛下に叛く気はないが、対抗勢力を堕としたいと思っている』と考えるなら、あっさり解決するんですよ。都合の良い部分にだけ手を貸している共犯、或いは全く関係ないが騒ぎに便乗しているだけ、というのはどうですか?」
「その対抗勢力というのが、ティエンシャということですかね? けど、そちらと仲が悪いのは今に始まった事じゃないでしょう。何世代も前からのことを、ついでに言えば何十年と領地を管理してきたセーリカ公が、今になって……」
「なんでこのタイミングで手を出してくるのかってことですか?」
 笑い、ユランはヨゼルを見つめた。
「単純な話です。あそこの領地は今、二進も三進もいかないほどの財政難というだけですよ」
「元から豊かな土地とは言えませんが……、例えば、グリンセスよりは遙かに条件のいい土地のはずですが」
 ギルフォードの疑問に、ヨゼルもまた頷いてユランを見遣る。ふたりの視線を受け、ティエンシャ領主は僅かに皮肉っぽい笑みを口元に走らせた。
「いくら収入が安定していても、出て行ったものが多ければ、当然収支は合いませんから」
「……そこまでよくご存じなのは、あなたがそれに一枚噛んでいるみてもよろしいので?」
「一枚どころか、五枚くらい噛んでると思いますよ」
 あっさりと、ユランは陰謀を肯定した。
「セーリカ領をどうにかしようと思ってるわけじゃありません。私が手を出すまでもなくセーリカは、第二次内乱からこちら、ずっと財政難です」
「そうか……、セルランドを援助してたのは、セーリカだったな」
 呟いて、ヨゼルは自分の頭を軽く小突いた。
 セルランドはキナケスの南、マエントの西に位置する国である。そこに正妃として、キナケス現国王の妹であり先王の第一王女シャセンヌが嫁いでいた。そのシャセンヌの母親がセーリカ領主の妹、という構図である。その縁を利用し、第二次内乱中、セーリカはセルランドを援護する形で参戦していた。
「しかし、内乱終結後は特に、……同じ国内のことですし、そこまで厳しい賠償金は課せられなかったはずですが」
「でも、確実に負担にはなっていたようですよ。そのせいで、ワイルバーグ城砦の権利を露骨に狙ってきていたので、私もいい加減、鬱陶しくなってきたんです。と言っても、わざと必要もない手を加えたわけじゃありません。必要に迫られてどこかに不利益を回さなきゃいけなくなったときに、その対象をセーリカにしたり、そんな程度ですね」


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