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「……」
「それに、セーリカの収入源は主に工芸品やら細工やら芸術やら、言ってみれば人の生活に余裕があって初めて手を出す範囲のことでしょう。先王の治世が安定していた時代はともかく、7年にもわたる内乱で、そんな余裕のある人は激減してしまったんですよ。セルランドから援助がくれば別でしょうが、そうするには間にティエンシャ領とマエントという国がのさばっている、物資を送ってもらうにも税がかかりすぎます。私も、税率をちょっぴり上げさせて貰いましたしねぇ」
 充分悪どい。そう思ったが賢明にもギルフォードは、微笑のままに止めておいた。ヨゼルの方は、ただ顔を引きつらせている。
「ワイルバーグの件で揉めてから、セーリカの財政については結構調べましたよ。ですから、今私が言ったことにはちゃんと証拠があります。王都の領主館に隠してありますから、必要であればどうぞ」
 言って、ユランは瀟洒な鍵をひとつ、ヨゼルに握らせた。
「まともな裁判も受けられない現状では、私が後生大事に抱えていたところで意味のないものですから。せいぜい、有効に利用して下さい」
「……ありがたく、頂戴します」
 色白で柔和な顔立ち、線の細い青年のどこに、このしたたかな精神が隠れているのか。呆れたように見遣るギルフォードに向けて、ヨゼルは苦笑したようだった。
「まぁとりあえず、そろそろ準備も出来た頃でしょう。移動しましょう」
 どこに、とはユランは問わなかった。素直に頷いて腰を上げる。先頭にヨゼル、間にユランを挟む形で三人は細い道を縦列に進んだ。
「追っ手、ありませんね」
 時々周囲を見回しつつ、ユランはいまいち緊張感のない声で呟いた。ギルフォードが簡易結界を張っているため、多少の声は周囲に響くこともない。
「王都の警備はシクス騎士団の範囲ですからな。身内の動き方くらいは把握してますよ。それに、離れたところで攪乱させている奴もいますから。けどまぁ、油断はせんで下さい」
 神妙に頷いて、ユランは口を閉ざした。
 街が広くなっていく過程で出来た、利用価値のない無軌道な隙間のような道。通る者は殆どいないにしても、念には念をと、物陰に隠れるようにして進み行く。迷うというリスクはあるにしても、闇夜に近い状態であることは非常にありがたかった。
 しん、と静まりかえった道を、息づかいさえ忍ばせて足早に進む。丁度目線にあるユランの黒髪を眺めつつ、ギルフォードは今更ながらに思い出して顔をしかめた。
(……怪我、していないといいのですが)
 心の内で、謝罪する。エレンハーツの寝室で、争いが起こったのは仕方ないことだろう。ギルフォードはその時のために呼ばれていたわけだが、相手がまさか、王女ディアナとアリアだとは思ってもみなかった。ヨゼルを非難する気になれないのは、彼らにとっても予想外のことだと判りすぎるからに過ぎない。
 傷つけないようにと細心の注意を払い魔法を使っていたギルフォードだが、ふたりの攻撃は予想外に激しかった。途中、アッシュの横からの援護がなければ、競り負けることはないとしても、痛手を被っていたこと間違いない。特に戦闘慣れしていたのはディアナだったが、アリアの方もなかなかに油断ならない域に達していた。アッシュが遠回しに褒めていたのも、今では頷ける。――だが、それ故に半ば本気で攻撃してしまった。
(なんて言って謝ればいいのか……)
 アリアは知らず、怪しい者として攻撃してきたに過ぎないが、ギルフォードの方はそれと知りつつ殺傷能力のある魔法を放ってしまったのだ。
 不法侵入に一枚噛んでいたとは、まさか言えない。だが、どうにかして一言謝りたい。そのジレンマに歯噛みしつつ、ギルフォードは重く、深いため息をこぼした。

 *

「まったく……! 警備の者は何をしておったか!」
 杖で柱を打ち付ける音が、高い天井に吸い込まれていく。
「殿下の寝室に賊を入れるなど! お主らは何をしておったか!」
「……っ、返す言葉もございません」
 眉根をきつく寄せたまま、ヒュブラが頭を下げる。そのすぐ横を叩き、エルマン・チャックは荒い息を吐き出した。
「おまけに、まんまと取り逃がしただと。お主に警備配置を任せた途端この体たらくとはな。王宮内の警備は儂ら宮廷魔導師と近衛に任せておけば良かったものを……!」
 軍の統括でなく、王宮の警備上の失態は確かにヒュブラの責任である。しかし実のところ、単なる宮廷魔導師に過ぎないエルマン・チャックには彼を責める権限はない。賊の追跡にと叩き起こされたことについては多少、八つ当たりをする権利ぐらいはあるだろうが、エルマン・チャックの感情はその程度の責めでは足りないほどに鬱屈していた。
「ぽっと出の田舎者が、持ち上げられて調子になど乗りおるから、こんな事態に……!」
 先日、フェルハーンが王都を離れるにあたり、副団長がその代理を務めるという慣例を破き、魔物対策の一環として、王宮を含む警備の主にヒュブラを抜擢したのは国王その人である。しかし、宮廷お抱えの魔導師であるエルマン・チャックには、その配置ミスをあからさまに非難することは出来ない。その為、国王に取り上げられ調子に乗った挙げ句失敗したのだと、いささか屈折した論理でヒュブラを責めているのだった。
「追跡は進んでおるのだろうな?」
「各方面、手配は済んでおります。しかし……」
 苦々しい表情で、ヒュブラは磨かれた床に両手を突く。
「町中の至る所で濃霧が発生したり、兵が急に眠気を訴えたりと、相当力のある魔法使いによる干渉があり、事態は混乱を極めております」
「魔法使いだと? 馬鹿者、魔法使い相手に闇の中で兵が太刀打ち出来るか! 何故もっと早く声をかけなかった!」
「申し訳ありません。しかし、王宮魔法使いは先日、急に三名の欠員が出たと聞き及んでおります。故に、お手を煩わせるわけにはと」
「む……、確かに急に辞表を出して辞めた者は居るが、そのようなこと、お主にとやかく言われる覚えはない!」
「申し訳ありません。ですが……」
 一度、躊躇うようにヒュブラは口を切る。
「魔法使いに対抗する策くらいは普段から錬っております。そう、普段であれば、おそらくここまで混乱することはありますまい。しかし、強い魔法使いの出現と魔物の騒ぎをつなげて考える者が多く、いつ魔物が出るかと怖じ気づく者もでる有様です」
「魔物……」
 エルマン・チャックの顔から血の気が引く。もし本当に魔物を操る魔法使いが出たのであれば、フェルハーンのいない今、魔物を駆逐するのには、多大な犠牲が必要となるだろう。
 平静を装い、しかし声の上擦りを押さえきれぬまま、エルマン・チャックはヒュブラに向き直った。
「その時のために、お主がいるのであろう? 混乱を鎮めに、とっとと行かぬか!」
「……承知」
 言うことが簡単に二転三転する。聞く人が聞けば、そう顔を顰めたに違いない。
 唇を噛み締め、反発も抵抗も口にせぬまま、感情を必死に抑えた様子でヒュブラは立ち上がる。そのままごく儀礼的にエルマン・チャックに頭を下げ、彼は険しい表情をもって踵を返した。軍靴の重い足音が、不必要なまでに響き渡る。
 だが数歩、広間の扉にたどり着かぬうちに、ヒュブラの背に制止の声が叩きつけられた。
「待って! ――ヒュブラ!」
 殆ど条件反射で、ヒュブラは振り返る。耳に、軽い足音。
「エレンハーツ様」
「お願い、行かないで。私――」
「今はあなたの護衛ではありません。申し訳ありませんが……今夜のところは、ディアナ殿下のお側に」
「待って、……待って、ねぇ、私、あなたに聞きたいことがあるの。ちょっとだけでも」
「申し訳ありません。私は侵入者を逃がしてしまいました。これから、何としてでも捕らえなくてはなりませんので」
「……!」
 エレンハーツの顔が歪む。同様に苦い表情のまま、ヒュブラは再び彼女に背を向けた。全ての干渉をそこで断ち切るかのような頑なさが、見えない壁となって二人の間を阻む。
 所在なく彷徨う指先、躊躇いのない足取り。その二つの差違がやがて、重々しく軋む扉の音と共に、完全にヒュブラの姿を覆い隠した。
「義姉上」
 追いかけてきたディアナが、そっとエレンハーツの肩に手を置く。力のない、どこまでも細い感触。
「……寝室の準備が整いました。今日の所はお休み下さい」
「おお、そうですとも」
 我に返ったように、エルマン・チャックが口を挟む。
「殿下の周りは、部下が致します。選りすぐりの魔法使いですぞ。どうぞ、安心してお休み下さい」
「……」
 エレンハーツの反応は鈍い。だが、強ばった体が、不安と緊張を如実に語っている。慣れない王宮、引き離された馴染みの部下、突然の襲撃、彼女にとっては衝撃的なことが立て続けに起こっているのだ。怯えるなという方が無理であろう。
 冷たい指先を軽く握りながらディアナは、眇めた目で男の消えた扉を睨み遣った。

 
 廊下に待機していた部下は、ヒュブラを見ると慌てて駆け寄ってきた。ヒュブラがエルマン・チャックの叱責を浴びている間に報告された内容を、手短に告げる。
 侵入者の一味と思われる者による、あからさまな陽動は相変わらず続いていた。かなりタチの悪い攪乱作戦が用いられているが、双方共に血を見る被害がでていないのは、いっそ見事と言ってよいだろう。あちらのほうが一枚上だな、と他人事のようにヒュブラは結論づけた。
 追跡の手を緩めれば、あちらも手を引いてくだろうこと想像に易い。そうしたほうが混乱は早く沈静化すると判っているが、同時に見過ごすこともできない立場であるのが辛いところである。
 どうしたものかと顎に手をあてたヒュブラに、部下は問いかけるような視線を向けた。
「ヒュブラ様、あの……」
 ヒュブラは僅かに目を細めて彼を見遣る。
「差し出がましいようですが……、よろしいので?」
 聞こえていたのだろう。予想通りの言葉に、ヒュブラは皮肉っぽい笑みを口の端に走らせた。あれだけの騒ぎ、扉一枚ほどで隔てられるとは思っていない。
 離宮から連れてきた慣れた部下であるのはよいが、エレンハーツとの仲を勘ぐっている節もある。できるだけ素っ気なく、ヒュブラは淡々と用意しておいた答えを口にした。
「構わない。今は安全圏にいる殿下をお慰めするよりも、不逞なる輩を追い、捕らえることが殿下のためになると、後で判って下さるだろう」
「しかし……」
「心配せずとも、事は過ぎた後だ。王宮の魔法使いが名誉にかけて厳戒な警備体制を敷いて護ってくれるだろう。私たちはそれよりも、侵入者を捕らえて目的を吐かせなくてはならない。二度と、不始末を起こさぬためにな」
「……はい!」
 僅かに巣くっていた不満が払拭されたか、晴れた表情で勢いよく頭を縦に振る。ヒュブラは少し微笑んで、幾つかの指示を手短に告げた。侵入者を捕らえることと今まさに起こっている騒動を鎮めることと、限られた人数で平行して行わなければならない。部下の心配も理解できるが、それ以上に時間が惜しかった。――多方面から、余計な手を入れられることだけは、避けなくてはならない。
 敬礼の後、忙しなく任務に戻っっていった部下を見送り、ヒュブラは一度その場で立ち止まった。振り返って、長い通路の先を見遣る。しかし、窓から差し込む人工の光はあまりにも淡く、断ち切って出てきた扉は闇に紛れ映らなかった。
 だが、これでいい、とヒュブラは頷く。――エルマン・チャックの足止めには、成功した。王宮魔導師の動きも、これで多少は鈍くなるだろう。
「さて、フェルハーン様……」
 呟いて、暗い空へと視線を転ずる。
「彼を逃がして、どうなさるおつもりかな……」
 返ってくるはずのない答えを思い浮かべ、ヒュブラはくすりと笑みをこぼした。



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