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 王都の外れ。時間を費やし慎重に移動を続け、三人が目的の場所にたどり着いたのは、遙か地平線がうっすらと白みを帯びた頃だった。夜の天蓋が、星を連れて西へと傾き始めている。
 崩れかけた城壁の一角、腐りかけた木の扉を叩いて、ヨゼルが到着を知らせた。わずかな問答の後、木屑を落としながら扉が開かれる。一度周囲を見回し、ヨゼルは素早くその中に滑り込んだ。
「まぁまぁの時間っすね。マリクもさっき着いたばっかりってとこです」
「ネイトか。――お前、ひとりなのか?」
「あっちはひとりで充分っぽかったんで、マリクの方を手伝ってました。あ、これ、通行証っす」
 扉の中は、かつて誰かが住んでいたと覚しき造りになっていた。住むところを無くした者が、壁と壁の隙間を勝手に居住空間へと変えてしまったのだろう。湿っぽく空気も淀み、お世辞にも快適とは言い難いが、少なくとも風雨を凌ぐことはできる。
 その更に奥、崩れた壁の先は、大人一人が通るには幾分狭い道に通じていた。ネイトの後にギルフォード、その後ろにユラン、ヨゼルの順にその道へ進む。地面が乾いていたのは幸いといったところだが、小柄なユラン・ティエンシャや中肉中背のヨゼルはともかくとして、ギルフォードには些か天井の低さが辛かった。先導するネイトが彼よりも更に大柄でなければ、早々に引き上げていたかところである。
「しかしこの壁、随分古いですね」
 意外にも疲れた様子を見せぬユランが、石の壁を小突いて言った。
「実は私たちの行動バレバレで、敢えてここを破壊されたらお終いですね。ははは」
「……笑う所じゃないですよ」
 げんなりとした声で、しかしヨゼルも同意を示す。前を行くネイトは、ぎよっとしたように何度か首を振った。ギルフォードは苦笑して、しかし否定の言葉を口にする。
「大丈夫ですよ。壁から魔法の力を感じます。古代の魔法がかかってるんでしょう。多少の衝撃にはびくともしないと思います」
「へぇ。そんな魔法あるんですね」
「残念ながら、今は失われています。ですが、遺跡レベルの古い建物なんかには、時々強い魔法が残っています。自然界の微量の魔力を利用した、半永久魔法なのでしょう。王宮の最も古い部分も、そのひとつです」
 感心を含んだ相槌を後ろに聞きながら、ギルフォードはふと、自分の言った言葉に引っかかるものを感じた。眉根を寄せ、しばし記憶の糸をたぐり寄せる。
「? どうしました?」
 突然俯いたギルフォードを訝しむように、ユランが小さく袖を引く。会話を聞いていたのだろう、ネイトもまたちらりと背後に視線を向けてきた。
「いえ、少し……」
 言いかけ、ギルフォードははっとして左右の壁を見回した。こういった道のことを、ごく最近耳にしたと思い出す。あちらはもっときちんとした通路だったようだが、古く狭く、意図して隠されているという点が共通している。
「ティエンシャ公」
「はい?」
「妙なことと承知でお訊ねしますが、……ティエンシャの領主館は、古くからあるものですか?」
「古く、と言われても、どのくらいかにもよりますが」
「キナケスが今の領土に落ち着く前にはありましたか? 勿論、そのころは城か砦か、別の施設だった可能性もありますが」
 あからさまに訝しげに、しかしユランは真面目に考え込むように顎に手を当てた。宙を睨み、眉根を寄せる。しかし数秒後、彼は頭をはっきりと横に振ることで答えを示した。
「そこまで古くはないですね。少なくとも、領地の分割が落ち着いてから建てられたものです」
「では他に、古代からあるような建築物はありませんか?」
「ティエンシャにはありませんね。ティエンシャやザッツヘルグは、街道としては栄えましたが、基本、起伏の少ない平地なので、天然の要害にはならないのです。なので、今でこそ大きな街もありますが、古くは中規模の街が点々としていた、という感じです。平地と言えば、エンデ騎士団の施設も新しい方ですね」
 それが何か? とユランの目がギルフォードに問いかける。後頭部に視線を感じながら、ギルフォードは困ったように頭を掻いた。聞いてはみたものの、何故と言われて説明できる内容ではない。アリアが事故に巻き込まれたことについては、ギルフォードの判断で箝口令を敷いていたからだ。
 事故を隠すつもりはない。だが、充分な捜査も行っていないというのに、人の口伝えに件の内容が中途半端に広がった場合を考えると、とても今の状況で公にすることはできなかった。怪しげな場所と移動陣が繋がっており、ルセンラークを消した魔法使いと魔物は、いつどこから現れてもおかしくはないなどと、混乱を助長させる可能性ばかりが高い。そう考えて敢えて隠しておいた事件を、手短に誤解の無いように説明するには、時間的にも状況を見ても余裕というものが足らなすぎた。
 だが、下手な答えではユランも納得しないだろう。――ある程度、真実を話さなければならない。
「古い魔法を帯びた建物には、魔物が潜む可能性があるのです。少し、それが気になりまして」
 逡巡はわずかだった。動揺を胸の内深く飲み込み、ギルフォードはなんでもないように首を横に振る。だが、ユランはその声に含まれた微量の躊躇いに気付いたようだった。
「……例の魔法使いを、私たち領主が飼っていると考えてるんですか?」
 ユランの声は、僅かに低い。ネイトの広い背中が揺れ、後ろからヨゼルの息を呑む音がする。
 乗った、とギルフォードは今度こそ気付かれないように、深い息を吐き出した。
「そうとは申しません。ですが、可能性としてはあります。聖眼の持ち主が一味であるなら別ですが、あくまで魔法使いが魔物を誘導しているとなると……」
「従えさせるにはどうすればいいかを実験する場所と、言うことを聞くようになった魔物を保管する場所が必要、ということですね」
「どういうことっすか、それ?」
「魔物を従える、イコール、聖眼が関わっていると皆考えて、その為殿下が疑惑の目で見られていましたが、もしかしたら、ただの魔法使いがどうにかして魔物を制御しているだけなのでは、という意見もあるんですよ」
 ひと月の間に、それぞれの場所で議論が交わされている。ティエンシャでも話題になっていたのだろう。
 聖眼の持ち主は魔物を従えることが出来るが、実は、魔法を使う力がないために呼び出すことができない。魔法使いはその逆である。だが、従えるのではなく、誘導することで狙った効果を発揮させることは、困難ではあるが不可能ではないのだ。
「殿下並に力の強い聖眼の持ち主だとすれば、どんな目的があるにせよ、もっと派手に暴れてもいいんじゃないかって意見も意外に多いんです。思うようには操れない魔法使いしかいないか、聖眼と言っても大した力がないか、どちらかの可能性が高い。私は、後者だろうと思っていますが」
「はぁん、それで調教施設が必要ってわけっすね」
「調……、そういう意味ではないんですが……」
 ぼやいて、ユランは引きつった頬を指で掻いた。
「しかし、そういうことなら、セーリカは対象から外れるんですよね。あそこは古いことは古いんですが、地盤が緩いので見たまんまの地上部分にしか建物がないんです。とても、魔物を匿えるような館じゃないですし」
「あそこは優美な別荘地ですから……確かに、堅牢な建物と言えば、騎士団施設くらいしかありませんね」
「あとは、ローエル、エルスランツ、グリンセスあたりはかなり古いですね。勿論、王宮や離宮も。ああ、そうだ。ルエッセン騎士団やコートリア騎士団の護る砦も同じくらい古いですよ。あそこらへんは昔から、国境線が変わってませんから」
「……コートリア?」
 その地名に目を見張ったのは、ギルフォードだけではなかっただろう。数秒遅れて、ネイトが不安そうな視線を上司である副団長へと向けた。言葉にはできない緊張が、ふたりの目線の上を踊る。ギルフォードもまた、かの人物を思い浮かべて目を伏せた。
「あ、えー……と」
 三人の見せた動揺に、ユランが気まずそうな声を上げる。だが後に続く言葉が思いつかなかったのだろう、何度か口を開閉させた挙げ句、彼もまた黙り込んでしまった。
 コートリアは魔物の被害を受けている。――だがそれは、本当に被害だったのだろうか? 今更のように浮かんだ疑惑は、急に脳裏で膨張し、確信のように思考に浸食した。
「……まぁ、あのヒトなら大丈夫だろうが」
「だから、こっそり護衛くらい付けてけって皆言ったんですけどねぇ」
 シクス騎士団のふたりが、前と後ろから揃ってため息を吐いた。心配はしているが、根本のところで彼らの騎士団長が死ぬとは思っていないあたりが微笑ましい。信頼しているのか、はたまた規格外扱いをしているのかは、微妙なところであるが。
 もともと、ある意味呑気に喋りながら進む行程でもなかったと思い出したか、それ以降は会話らしい会話もなく進み行った。
 左右の狭さはそのままに、突然開けた天井に、ギルフォードは思わず目を細めて空を仰いだ。藍の色、星はまだはっきりと捉えることが出来るが、確実に夜は明けつつある。
 ふと、馬の嘶きが風と共に流れ聞こえた。
「おっと、マリクが待ちぼうけてますね」
 遠くに目を遣り、ネイトは乱暴に髪をかき回した。少し早足で進み、突き当たりを曲がる。
「ここから梯子で降りますんで、位置、気をつけて下さい」
 頷いて、三人が後に続く。急拵えの縄梯子が杭で固定されており、2メートルほど下に続いていた。外壁に空いた穴から外に出るという構図だろう。
「――ネイト隊長、副団長!」
 駆け寄ってきた人物が大きく手を振った。
「お待ちしておりました。こちらは、ティエンシャ公と……」
「ギルフォード・ブライ。魔法院の者です。はじめまして」
「ああ、お噂はよく耳にします。っと、申し遅れました。私はシクス騎士団で小隊長を務めております、マリク・フェローと申します」
 小柄で線も細く、あまり騎士団員には見えないが、機敏で重さを感じさせない所作には如何にも隙がない。
「馬を用意してお待ちしておりました。ここからは私がご案内いたします」
 茶色の髪を揺らし、にこりと笑う。年はおそらくギルフォードと同じくらいだろうが、童顔も相まって柔らかい印象を与える男である。知己からは離れていなくてはならないユラン・ティエンシャの供としては、ある意味適任と言うべきだろう。
 彼らが去れば漸く仕事は終わりだと、ギルフォードは安堵の息を吐き出した。
「巻き込んで、悪かったね」
 苦笑しつつ、ヨゼルが軽く頭を下げる。
「助かったよ。うちの魔法使いはなにせ、破壊力だけが売りだからなぁ」
「そういえば、彼はまだ攪乱を?」
「いや、そろそろ抜け出してるんじゃないかな。ああ、そうだ」
 手を打ち、ヨゼルはマリクに向き直った。


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