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「ウルラどのは街や村を巡回されているとか」
「え? はい。それも仕事の内ですので。もっとも、その任を仰せつかっているのは、私だけではありませんが」
「ええ、ええ、それは判っていますよ。これは勿論、ウルラどのだけではありませんが、お願いがあるのです」
「と、おっしゃいますと」
「フェルハーン殿下がコートリア領に入ったという情報があります。もしか見つけましたら、私にも知らせてもらえませんか?」
 ぎよっとしてウルラは僅かに顎を引いた。咄嗟に言葉を失った彼女に代わり、トロラードが渋い顔で口を挟む。
「ツェルマーク様。そういった報告義務はないと、先ほども説明したはずですが」
「ええ、そちらの言うことも判ります。しかし、殿下が捕まり、裁判にかけられる前に私はただ、問いただしたいのですよ!」
 居たたまれなさを全面に押し出すように、ツェルマークは大きく頭振る。
「何故我が領土であのような暴挙に及んだのか、領民に説明する義務があります。王族の権力を前に事実が曲げられる前に、真実を知りたいのです」
「しかし、殿下にかけられた疑惑は、ザッツヘルグの件だけではないのです。ここしばらく、魔物の関わった事件に、深く関与している可能性が高いと。であれば、ツェルマーク様の個人的な頼みを優先するわけには参りません」
「判っております。私にはそれについて、何の特別な権限も持ち合わせておりません。殿下に何かしでかそう、私刑をというわけではありません。ただ、お話をしたいだけなのです」
「それでしたら、ご自身で殿下を見つけなさればよい」
「勿論それは、我が領土に殿下がいらっしゃるならそうもいたしましょう! しかし殿下はコートリアに入領なされた。ここは王領、いち領主でもない身が好き勝手にするわけにもいきません。ですので、こうして直々に頼み申し上げているのですよ!」
 聞くに、苦笑を禁じ得ない。一見丁寧な喋り口のツェルマークだが、明らかに目線が上であることもまた、言葉の端々に表れている。直々に頭を下げて頼みにきてやってるのだから言うとおりにしろと、彼の言葉を短くすればそういうことなのだろう。
 確かに、六領主の権限は騎士団長はおろか、下手をすれば王族すらをも上回る。その中でも最大勢力の跡取りともなれば、自儘且つ尊大な精神を根底に持っていたとしてもなんらおかしいことはない。彼にしてみれば、たとえ自分の力が及ばず他人を頼らなければならない状態に陥ったとしても、あくまで頼ってやっているのだという気持ちにしかなり得ないのだろう。
 哀れだが判りやすい。そう思い、ウルラはふと顔を歪めた。
 この単純な思考回路の御曹司と、複雑怪奇な王子を対決させてみたらどうなるだろうか。
(……馬鹿馬鹿しい)
 自らの考えに向けて嗤う。結果を考えても意味のないことである。
 小さく肩を竦め、そうしてウルラは、入り口の扉へと視線を向けた。今、ツェルマークの興味はウルラの上にはない。渋い顔のトロラードもまた、ウルラの存在を忘れかけている。それを確認した上で、ウルラは室外退避の姿勢を取った。団長が御曹司相手に踏ん張っている間に、こっそりと消えてしまおうという魂胆である。
 一歩、二歩と、細心の注意を払い、気配を消しながら扉のもとへとたどり着く。取っ手に手をかけ、恐る恐る押し開いたとき、僅かな軋みも生じなかったのは幸いと言っていいだろう。
 だが、ウルラの幸運はそこまでだった。
「……!」
 突然だった、というのは言い訳だろう。室内のことに集中するあまり、その他のことに関しては非常に疎かになっていた。
 扉の外、廊下から伸ばされた手に、不意を突かれて引きずられる。半瞬後、我に返り足を踏ん張ったときは既に、通路の壁へと体を押しつけられていた。痛みはないが、完全に封じられて動けもしない。これが敵地なら、容易く首を落とされていただろう。
 いくら所属する騎士団内とはいえ、仮にも副騎士団長にありながらこの体たらく、――悔しさと後悔に自然と顔は歪められた。
 だが同時に、見事な体術だとも感心する心がある。人の体というものの扱いを熟知した技に、ある種の予感を覚えながらウルラは顔を上げた。
「……殿下」
 悪戯っぽく片目を瞑り、人差し指を口元に当てた人物はまさに予想通りの――団長室で話題をほしいままにしていた王弟殿下であった。
 彼がこの砦に居ること自体はおかしくはない。ウルラ自身が連れてきたのだ。だが、どうやってここまで来たのだろうとウルラは眉根を寄せた。別段、牢に放り込む真似はしなかったが、武器を預かった上で砦の一室に待機してもらっていたはずである。
(部下は何を――……)
 そうして視線を横へずらし、緊張した面持ちの部下を目に止めて短く息を吐く。ウルラと目のあった部下は、気まずそうに、しかし逸らすことはなく見つめ返してきた。脅された様子はない。何やら言いくるめられたような、説得に寝返ったような、そんな雰囲気が漂っている。
(口が上手い、だけではないだろうな)
 格が違う。
 頭振り、ウルラは体の力を抜いた。他者を強制ではなく従えさせるだけの器量が、不穏な噂や団長直々に通達された捕縛命令を容易く凌駕しただけの話なのだろう。或いはそれは、カリスマとも言う。
 ウルラは、口端を歪め、両手を開いて見せた。好きにしろ、という意思表示である。直接会ったのは今日が初めて、交わした言葉も少ないが、任務や命令という力を使っても御しきれない人物だとだけははっきりと理解した。国王ですら、彼を完全に従えさせることは不可能ではないかと思う。
 完全に傍観者の姿勢をとったウルラを認めて、紫色の目が細められた。感謝するように微笑み、気負った様子もなくあっさりと扉に手をかける。
 果たして、重いはずの扉は、いやに軽快な調子で引き開けられた。
「ですが、処遇は――」
「牢暮らしは構わないが、拷問は止めて欲しいね」
 朗々とした、通りのいい声が響く。
「洗いざらい吐くから、平和裏に話をしようじゃないか」
「でっ……」
「殿下っ……!?」
 目を丸くし、あんぐりと口を開け、震える指先で闖入者を差す。見事な驚きの表現に、どこまでも芝居じみた男だとウルラはただ苦笑した。
 差された指を見つめ、王弟殿下はにやりと笑う。そうしてそのまま取った礼は、全く自然でありながら見惚れるほどに優雅だった。明らかにツェルマークへの当てつけであると判る表情さえなければ、塵ほどのケチも付けられなかっただろう。
 頭を上げ、王子は幾分真面目な面持ちでコートリア騎士団長へと向き直った。
「お招きに預かり、光栄です。シクス騎士団団長、フェルハーン・エルスランツ、遅ればせながら参上いたしました」
「あ……」
「早速、魔物を駆逐して参りましょうか。それとも、尋問の方が先ですか?」
 明らかな皮肉を言葉に乗せながらも、顔は始終笑顔のままである。そのギャップの方がむしろ怖い。一瞬だけ見せた怒りの心情こそが、彼の本音なのだろうなと、ウルラは黙しながら彼の横顔を見つめた。
(けど……何に対しての、なんだ?)
 罪を被せられ、追われた事に対してだろうか。否、そんなことで怒るとは思えない。
「団長」
 動揺を前面に出しながら、どうにか挨拶を終えたという呈のトロラードに向き直り、ウルラは両者共に損得ないはずの提案を口にした。
「どうでしょう、団長も通常の業務が終わっておりませんし、殿下もまた長旅でお疲れと存じます。場が整っていないことは明らかですので、一度、殿下に休息を取っていただき、その間に時間を空けるというのは如何でしょうか」
 不意を突かれたように、トロラードは何度か瞬きを繰り返す。全く疲れていなさそうな王子は面白そうに目を細め、だが幸いにもトロラードの意見を待つ姿勢で僅かに首を傾けた。
 焦れるような数秒の後、トロラードが大きく息を吸い込んだ。靄の晴れたような表情を見れば、ウルラの進言に救いを見つけ出したこと疑いない。幾分落ち着きを取り戻した様子で、彼は口を開いた。
「副団長の言うことももっともだな。突然のお越し故にこちらも準備が整っていない。殿下にはご休憩いただく部屋を――」
「お待ち下さい」
 割り込んできた声に、ウルラはぎよっとして目を見開いた。
「そのお時間、私にもらえませんか、殿下?」
 眉間の皺を深くしてトロラードはツェルマークを睨みつける。だが、染みついたナルシズムがそれをきれいに撥ね除けたのだろう、ザッツヘルグの御曹司は彼を一瞥だにしなかった。
「私に話と?」
「ええ……、かの暴挙について、お伺いしたく」
「ほう」
 面白そうに、だがどこか皮肉っぽく、口端が曲げられる。
「これは失礼した。てっきり、私を逃がしたことで君は戦々恐々としているのではないかと思っていたのだがね」
「な……なんですと?」
「おめでたい頭に判るように教えてあげよう」
 あくまでもにこやかな顔のまま、王子は一歩踏み出した。
「君は本当に、『彼ら』が何も語らないままで去ったと思っているのかい?」
「か……彼らとは……」
「ふむ。三人は居たようだが、覚えてないのかい?」
「……っ!!」
 瞬間、ツェルマークの表情に亀裂が生じた。ウルラは怪訝な顔でそれを見つめ、次いで団長に心情の同意を求めるべく向き直り、――そうして、更に疑問を深めることとなった。
 何故、団長まで蒼褪めているのだろう。
「そう、やはり、ね」
 頷き、そこで初めて王子は微笑を消した。
「カマはかけてみるもんだね」
「な……! 騙したのか!?」
「人聞きの悪い。ちょっと謎かけをしたら、君が勝手にひっかかっただけじゃないか。おや、それとも、私が何を知っているか、気になるのかな? ……トロラード・ビアーズ、君も」
 低い声が、室内を打つ。紫の双眸がトロラードを射貫き、次いでツェルマークの丸くなった目がそれを追った。
(おや)
 ウルラは首を傾げた。ツェルマークの反応に違和感を覚える。彼が本気で驚いているのだとすると、どうにも前後が食い違うのだ。
「何のことですか、殿下」
「当然、君が、私を亡き者にしたがっているということだよ」
「まさか、そんな、滅相もない。どうしてそんな話になったのか、私の方がお伺いしたいですな。この砦、いやこの付近一帯の者は、殿下のご到着を今か今かと待ちわびていたのですよ? 魔物のことは私も毎日案じておりましたから。むしろ、大手を振って歓迎できない状況が苦しくもあります」


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