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「そう。それならひとつ確認したいのだが」
 ちらり、とウルラに視線を走らせ、戻した目を眇めて見遣る。
「ここ最近で、魔物を見かけたのはいつだ? どういった種類のものだった? 場合によっては更に村人を避難させなくてはならないはずだ。当然、砦の責任者として事態は把握しているだろうね?」
「……」
「答えろ、トロラード・ビアーズ」
 強い口調に、知らず、ウルラは背を伸ばした。言葉の対象が自分でないと判っていながらも、やり過ごすことのできない威圧感が室内に波及する。
「毎日案じていたのなら、当然知っているはずの事だろう。答えられないのは、知らぬと取っていいということだな?」
「それは……」
「では、言い方を変えよう。知る必要はなかったということかな。魔物の動きを知っているなら、状況を逐一気にする必要はない」
「!? 殿下、それはどういう……!」
「考えてみなさい、ウルラ・フランジ」
 勢い、一歩踏み出したウルラを制するように、朱い髪が緩く左右に振られた。
「魔物が出現した。だが、壊滅的な被害は出ていない。それが、何ヶ月も続く。これは、あり得ることなのか? ザッツヘルグの例を見てみると良い。たった数十分の間に何が起こった? 建物は崩壊し、多くの死傷者を出した。冬までに復興の目途が立つかも怪しいところだ。魔物の破壊力は推して知るべしだろう」
「しかし、ここの一帯では、けして人の多いところに出たわけではなく」
「一度まみえる程度なら、そういう事もあるだろうね。だけど、数ヶ月にわたって、幾種類もの魔物、それも選んだように大した力を持たないものが、まるで境界線でもあるかのように一定の場所だけを徘徊するなんてこと、今までにあったかい? 砦の者が努力して退けたのだとしても、魔物はその場に留まりなどしない、別の場所に現れるだけだ。それなのに、生物が何百年と費やして設けるような棲み分け、或いは共存環境が、突然整ったかのような現象が起こりえている。これは、明らかにおかしいと思うんだけどね」
「……」
 茫然と、ウルラは紫の双眸を見つめた。
 砦や守護地域の警備体制は、騎士団の幹部が会議を持ち決定する。団員たちはそれに従い、地域を巡回し、治安に務めるのだ。魔物に対し、最前線で戦い、警戒を続けていたのは当然、騎士達である。
(そうだ――)
 はじめは、死を覚悟していた。副団長の地位にあるウルラですらそうであったのだから、新米騎士などは逃げ出さずにいるのが精一杯だっただろう。だが、緊張と精神的疲労を強いられながらも、大きな犠牲を出さずにゆるゆると事態は進行した。
「騎士団の運営は騎士全員の手にある。しかし、最終決定は団長の権限にある。全ての計画は、誰が決定したんだい?」
 疑問の形は取っているが、その実、王子の言葉は単なる確認だった。否、ウルラの思考を回転させるための後押しに過ぎなかったのかも知れない。
「団長……」
 呟くように、ウルラは言葉を紡いだ。
 命に従いつつ魔物を警戒し、村人を避難させ、その全てが無難に進行したことにウルラたちは満足していた。出来る限りのことを行い、そして見合った結果が得られる。騎士団に務める者として、これほどやり甲斐のあることはない。
 誇り高き慢心。それは、当然抱くべき疑問から、目を逸らさせるものとなっていたのではないだろうか。
 鈍い動きでトロラードへと向けた目には、苦々しく歪められた顔が映し出された。
「……副団長。殿下の疑問はもっともだが、あくまで単なる経験則に依るものでしかない。魔物の動きを見ながら、我々は出来ることをして、それで得た結果じゃないか。我々の苦労も、現場の状況も知らぬ別地域の者に、とやかく言われる筋合いはない」
「しかし、確かに殿下の仰るとおり、こういった前例はありません」
「何事にも、はじめのひとつには前例などない」
 渋い顔で手を横に振るトロラード。だがウルラの心中には、拭いきれない疑惑が張り付いていた。
「では、団長。はじめに殿下の仰ったとおり、ここ数日の我々の状況報告を、教えていただけますか」
「状況に変わりはない。私は、信頼する騎士団員達に委ねている。だから、詳しくなど覚えていない。殿下の問いに答えられなかったのは、咄嗟に、その信頼による現場委任を、職務怠慢と取られないかと危惧したからだ」
「私どもが上手くやると、任せていたと?」
「そうだ。第一、私が殿下を害して、何になると言うんだ? 馬鹿馬鹿しい。殿下はどうもお疲れのようだ。ザッツヘルグの件は後ほどお伺いするとして、予定通り、休んでいただくことにしよう」
 早口に言い切り、トロラードは大きく手を叩く。
「ツェルマーク様もそれでよろしいですな?」
 念押し以上の有無を言わせぬ口調に、不快を前面に表しながらも、ツェルマークは渋々と頷いた。認めて、トロラードがもう一度大きく扉の外に呼びかける。
 扉の外に待機していた騎士が、緊張半分、好奇心半分に室内を見回した。団長室は音の遮断性に優れている。今までの会話が外に聞こえたとは思わないが、集う面子の異様さが騎士達の興味を煽っているのだろう。
 待機兵が礼を取るのを見届けて、トロラードは殊更に低い声を張り上げた。
「殿下を地下の部屋にご案内申し上げよ」
「な……!?」
 騎士が目を見開くより先に、ウルラは悲鳴にも似た声を吐き出した。
「何を仰います! 本当に殿下を牢にお繋ぎするつもりですか!?」
「地下にも貴賓用の一室があるだろう。殿下に不自由をさせるつもりはない」
「確かに部屋自体は……、しかし、それでもよく言って軟禁です。殿下は自らこちらにお越しになった。逃亡の意図はございません。普通の客室でよいではありませんか」
「忘れたのか。殿下は今、ザッツヘルグでの暴挙の罪に問われている。通常の扱いで良いわけがない。それとも、ウルラ副団長。君は王侯貴族というだけで、罪から目を瞑るのかね?」
「団長は、無実を訴える者を、確定した罪人と同じ扱いにする気ですか」
「無実が確定するまでは、危険人物と同じだ。いいかね、これは団長決定だ。異論は許さん」
 横暴だと思ったが、団長命令には逆らえない。世間を騒がせる噂自体もトロラードの判断を支持するものであり、そちらから見れば、ウルラの言動こそが王子を必要以上に庇うものになってしまうのだろう。ウルラ自身、王子の無実への確信は経験と感触と直感に基づいたものであり、王子自身の言葉以外に彼の罪に対する確たる否定材料を持ち合わせているわけではなかった。
 言葉を失ったウルラから目を離し、トロラードは王子に向き直る。
「よろしいですかな、殿下」
「良いも何も、私ははじめから、牢暮らしに異論など唱えてはいないよ」
 肩を竦め、他人事のような調子で軽く笑う。
「いきなり牢屋に放り込まれるかと思って来たから、幸運だったくらいだよ。砦も見た、君にも会えた、確認することも出来た。日頃の行いは、悪くないらしい」
「……どういうことですかな」
「さてね。拷問でもして聞き出したらどうだい? さぁ、では、雰囲気でも出しに地下に行こうじゃないか」
 言って、両手を高く上げる。不穏な会話に戸惑ったまま立ちつくす騎士に、王子を連れて行くように促して、トロラードは忌々しげに顔を歪めた。
 複雑な表情でくたびれたマントが翻るのを見つめ、ウルラは短く息を吐く。
 ――知らぬところで、コートリア騎士団も関わっていたらしい。
 南の地で起きた事件も、どうやら無関係ではなさそうである。でなければ、王子がここまで来ることはなかっただろう。
「そうだ。ツェルマークどの」
 ウルラの視線の先、思い出したように、去りかけた足が止められた。
「ディアナに、贈り物をありがとう」
「……なんのことですかな?」
「とぼけなくてもいいよ。素敵な魔法が刻まれた贈り物なんて、君くらいの資産家じゃないとできないからね。ディアナはたいそうお気に召していたよ」
「なんのことかは判りませんが、ディアナ殿下の麗しい口元が綻ぶならば、それはそれで喜ばしいことですな」
 はっきりと喜色を浮かべつつ、ツェルマークは得意げに口角を持ち上げた。得意満面という文字が擬人化したような、目も当てられない表情である。全く、否定していない。むしろ自ら肯定している。
 それを素直に受け取ったかのように、王子は目を細めて微笑んだ。
「ふん、……なるほどね」
 ほんの僅か、偶然最も近くにいたウルラのみがどうにか聞き取れる程度の声だっただろう。面白がるような音に顔を上げたウルラはしかし、彼の顔を見ることは出来なかった。既に、背を向けて室を後にしている。
 何のことかは判らない。だが、彼なりの確認だったのだろう。そう位置づけて、ウルラは緩く頭振った。

 *

 幾度となく迷った結果、意を決して地下に足を踏み入れたのは、二日後の事だった。
 ツェルマークの再三の「命令」を断り続けたトロラードが、漸く諦めた御曹司を領境まで送っていくために砦を開けた間を狙ってのことである。本来なら副団長の地位にあるウルラが、囚人に会うのに人目を盗む必要はない。団長命令が出ているならまだしも、さすがに他の騎士の目を気にしてか、トロラードもそこまでの制限は加えなかった。それでも堂々と訪問できなかったのは、団長室での一件以降厳しくなった風当たりに対し、ウルラにも自分の立場を悪くすることに躊躇いがあったためである。
 信の置ける直属の部下が貴賓「牢」の扉の前で立ちつくしているのを認め、ウルラは軽く手を上げた。
「殿下はどうなさっている?」
「はい。特に何をされるでもなく、静かにお過ごしのようです。正直、こんなに何も言ってこない相手は初めてという感じで……」
「魔物を呼び出したりされる様子は?」
「貴賓用の軟禁室ですので、物陰に入られるとどうしようもありませんが、今のところそういったご様子もありません」
「そうか。すまないが、しばらく殿下と話をさせてくれるか? 勿論、お前はここにいていいし、聞こえる話に耳を塞ぐ必要もない。ただ、わたしとしても噂の真相を聞きたくあってな」
 人払いをしないのであれば、騎士団の規定として問題のある行為ではない。特に疑った様子もなく、部下は扉を引いてウルラを中へと促した。
「……おや、お見舞いに来てくれたのかい?」
 驚いた様子など微塵もない声が、奥から響く。


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