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「なかなかに快適な部屋だが、うん、そうだな。女性の華がないのが残念だったんだ。歓迎するよ」
 華やかな笑顔のまま、部屋の主がウルラを向かい入れた。苛立ちも疲弊も、彼には無縁のようである。拷問も尋問も加えられていないただの軟禁とはいえ、普通ならば多少なりとも鬱屈するものだが、彼の精神は鋼で出来ているらしい。
(いや、むしろ、叩いても切れない水のような)
 思い、苦笑しつつ礼を取る。
「何か、不自由はございませんか?」
「うん? 快適だよ。あくせく働かなくても食べ物が出て寝る場所がある、最高だね」
「狭い室内では、気鬱も溜まりましょう」
 言って、ウルラは入ってきた扉を一瞥した。あからさまに覗いている様子はないが、中を窺う気配ははっきりと感じ取れる。室内と言っても監視の窓があるため、外から視覚的に完全に遮断される事はない。音もまた、外から内への優れた防音性に比べ、逆はむしろ響くような構造になっている。今部下がそうしているように聞き耳を立てられたなら、簡単に、且つ詳細に会話が外に漏れることとなるだろう。
 だがウルラは別段、王子との話を密談にする気などない。彼の意見の方が正しいのだろうとは思っているが、これは団長やツェルマークの言葉の方が怪しかったこと、対する彼の叙述や態度に不審が見あたらなかったことを冷静に判断してのことであり、必要以上に彼に傾倒しているわけでもなかった。彼の言葉に濁りがあるならば、その時点で疑惑は彼の上に積み重なっていくことだろう。ウルラはむしろ、それを部下に聞かせる気でさえいた。
「全てをお話になれば、すぐに放免されましょうに」
 王子は、器用に片方の眉を上げた。
「ここ二日もまた、魔物の目撃証言はありません。――それはもう、いなくなったから、ではないのですか?」
「急くね」
「のんびり構えておられる間にも、事態は進んでいると思いますが?」
 これは意外な言葉だったらしい。何度か瞬いて、王子は僅かに照れたような表情を浮かべた。
「おや。私を信用してくれているのかい?」
「いいえ」
 短く首を横に振り、言葉を選ぶ。
「ただ、自分の勘を放棄する気になれないだけです。このままではコートリア騎士団の名が汚れる、そう思ったまでです」
 王子が悪いことをしていない、或いは正しいことをしているとは思わない。だが、団長は確実に何かを隠している。そしてそれは王子に関与することで、有耶無耶に隠してしまいたいことだとウルラは感じていた。
 だから、王子に話を聞きに来た――そう、告げたのである。
「なるほど、ね」
 面白そうに目を細め、王子は笑う。
「いいね、そういうの、好きだよ」
 揶揄している様子はない。証拠に、彼の雰囲気は一変した。柔和な表情が剥がれ、ウルラの見た、奥底にある硬質で鋭利な一面が顔を覗かせる。
「いいだろう。――何が聞きたいんだい? 私が知っていることを全部話そうか?」
「いえ、そこまでは」
「そう。では、私から軽く質問しよう。君は、エルスランツへ援軍を要請した者と聞いている。間違いないかな?」
 一瞬、問われた意味を考え、ウルラは遠い記憶を探り当てた。魔物が出没し始めた後、ルーツラインとの国境の警備強化から、確かに彼女はエルスランツの団長へ書簡を提出した。正式な要請ではなかったが、相手に心づもりをさせる意味で、予め伺いを立てておくことはよくある話である。
「はい。確かに」
「トロラードは、反対しなかったのかな?」
「それは。他騎士団に助力を頼むなど、こちらが見くびられることになると。最後まで反対されていましたが、結局は警備のローテーションに無理が生じて騎士たちからも訴えがあり、周辺の村人が避難を終えるまでご助力いただきました」
「まぁ、そうだろうね。では、もうひとつ。――私をこの砦に、魔物対策のために呼ぶと言いだしたのは誰だ?」
 静かな声に、ウルラははっと息を呑む。その反応に、王子はただ口の端を曲げた。
「それは……」
「おかしいと、思わないか?」
 ウルラは喘ぐように、何度か口を開閉させた。
「同じく国境を守る騎士団に援護の依頼はできなくても、王族の他騎士団団長を連れ出す直訴はできるらしいね。状況はさほど変わっていないというのに。面白い自尊心だ。おまけに、ここへ案内する為に派遣した騎士は小隊長。私は馬鹿にされているのか、それとも、他に意図あってのことかな? どう思う?」
「案内人の話は、何かの手違いかもしれません。殿下をお頼みしたのはこのままでは埒があかないと、そう思い直してとは考えられませんか?」
「それなら、彼の態度はおかしいね。彼が真に魔物の事を憂いて私を呼んだなら、一も二もなく魔物退治に行かせただろう。おかしな行動を起こさないよう監視でも付けてね。そして、ソニア小隊長の件は、手違いではないよ。彼女はちゃんと、意図して私をザッツヘルグのあの街に、あの日に到着するように調整していたから。私が彼女の先導を受けて街に入ったことは、城門の警備の者が証言してくれるよ」
「ザッツヘルグの街に殿下が居たのは、それ自体が予定された罠であったと?」
 ウルラは眉根を寄せて訝しんだ。国を揺るがそうという人物が居たとしよう。その者が王の腹心とも言える弟王子を狙うことは何らおかしくない。だが、これはあまりにも回りくどいすぎはしないだろうか。
「わざわざ魔物など呼び出して、一般人に被害など与えずとも、殿下のお命を狙うなら、他に方法はあるのではないですか?」
「普通はそう考える。なにも、無関係の者を無差別に巻き込む方法など、とね。だが、私の悪名を広めるには効果的だと思わないか? 魔物騒ぎの主犯と見られる私が、退治しに行くと見せかけて、交通の要衝で甚大な被害を与える。しかも魔物で。凶悪だろう。ついでに私を始末できれば尚良し、逃がしたとしても、人前に現れることはできなくなる」
 これ以上はなく平然と人前に、そして砦に現れた男は、嘯くように嗤う。
「それに、私一人に用を作ることで、部下と離すことが出来る。私には優秀な護衛が居てね、暗殺を目論む輩は一度は彼に痛い目に遭ってるんじゃないかな? 私一人ならばなんとかなると思ったのなら読みが甘いと言っておくが」
「殿下のおっしゃることはもっともですが、しかし、魔物を操れる人物はそうそうに存在しません。南の村を滅ぼした魔物を操った人物が居たとして、その者の呼び出した魔物が、殿下の指示にあっさりと従うものでしょうか」
「面白い意見だ。着眼点はいい。確かに文献には、他の聖眼の者が操る魔物を制御するのは、余程聖眼同士の間に力量差がないと難しいとされている。だが君は、魔物を呼び出せるのは魔法使いだけだということを知っているかな?」
「あ……」
「そう、あまり知られてはいないが、聖眼の研究書にはそう書かれているし、魔法使いの本にも、魔物の召喚方法は書かれている。そこそこレベルが高くないと読むことすら無理だけどね」
「でしたら、もしか、南の村の一件も、噂されるように聖眼が操ったのではなく、ただの魔法使いという可能性も……?」
「いや、あの事件は非常に限局している。呼び出し、放置ではああはならない。一部では魔法使いがどうにかしたという意見もあるようだが、私はそうは思わない。確実に操った様子があるから、聖眼が関わっていることは間違いないだろう。それに、この地域のこともある」
「……魔物が一定区域を徘徊する、現象ですか」
「はじめから、私をおびき寄せるための布石だったかどうかは判らないけどね」
 男はけして、確信材料のないことを決めつけたりはしない。彼がそうと断定することは既に、いくつもの別の可能性を削り捨ててきた結果なのだろう。判断に用いた材料も提示している。ウルラには、彼の述べる言葉を否定する材料を見つけ出すことが出来なかった。
「しかし、肝腎なことが判りません」
「何故トロラードが、よからぬ事を企む一派に荷担するのか、それにツェルマークが自領の街を犠牲にしてまで協力したか、かな?」
「そして、自ら危険な目に遭うと判っていながら、あなたが何故その誘導に乗ったか、です」
 協力要請があったとしても、王子にはシクス騎士団をまとめる役目がある。従わなければいけない義務はない。国王も、六領主の要請ならともかく、王領の騎士団の訴えなど退けることは簡単だっただろう。弟王子の代わりとなる軍勢を派遣すればよい。
 そして、ツェルマーク・ザッツヘルグ。領地内の騒動が王子の仕業だとされているが故に、領民の怒りは王子、王家に向けられているが、これが自作自演の罠だとすれば、如何にもリスクが高すぎる。万が一、冤罪とばれた場合、どうしようもないところまで進退を窮めることになるだろう。領主の中でも発言力の高い、王家に次ぐ権力と財力、軍事力を持つザッツヘルグが、そこまで危険なことに手を出すだろうか。出すとすれば、それだけの利益があるということで――つまりは、全ての罪をうやむやにしてしまえるだけの変革に絡んでいるとしか思えない。
 そう、最もあり得る事態に思い当たり、ウルラは背筋に冷たいものを滑り落とした。
「単純な話だ。二人の間には共通の人物が立っている」
「!? それは……」
「ディアナだよ。ディアナ・グリンセス・クイナケルス。私の義妹にして王位継承権第三位を持つ予定の女性だ」
 半年ほど前に亡命先より帰国した20歳前の王女。無論、ウルラは直接会ったことなどない。伝え聞くに、聡明な美しい女性だとだけ認識していた。
「まさか、王女はその為に帰国を!?」
「いや、彼女は関与していない。正確には、彼女の立場が、ツェルマークとトロラードを結びつけている」
「立場……と言いますと……」
「王位継承権という甘い餌のことだよ。ディアナはグリンセス出身の母親を持つ王女だ。そして、うら若き独身の女性でもある」
 その言葉に、ウルラは息を呑んだ。
 グリンセス、独身。ふたつの意味するところは、判りすぎるくらいに明確だった。その表情を見て、王子は薄く笑う。
「気付いたね。トロラードはグリンセス騎士団出身だ。ツェルマークはディアナに釣り合う独身貴族と言っておこうか。私が王位を狙う、或いは王に害を為したい立場ならこう囁くね。『被害者のふりをしているだけでいい。目障りな兄王子を足止めすることができたら、ディアナ王女誕生の暁には騎士団総司令官に、女婿に迎い入れることを約束する』――とね」
「しかし、ツェルマーク様はザッツヘルグの権力者、協力者として向かい入れるには充分ですが、団長はどう……」
 どうして、と言いかけて、ウルラは言葉を呑み込んだ。頭の中に、ふと国内の地図が思い浮かんだのだ。
 ザッツヘルグとコートリア。王子の言をそのまま受け取るならグリンセス。そして世間を騒がす東方の不和、セーリカとティエンシャの火種。そのラインが揃って王に叛くとすれば、何が起こるか。


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