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「エルスランツの孤立……」
「そう。グリンセス、ザッツヘルグ、セーリカ、コートリア、いずれかの領地を通らない限り、エルスランツは王都へたどり着けない。有事に全ての勢力が王に叛く必要はないんだ。最も忠実なるエルスランツを閉じこめれば王の力は激減する」
「……」
「だから、私はここにいるんだよ。そうすれば、内部から食い荒らせるだろう? 陛下もそれをお望みだ」
 ――故に、請われるがままに東方へ派遣された。
 知らず、ウルラは低い呻き声を上げた。
「では何故! そうと知って来られながら、わざわざ牢に入ったりなどなさるのです。自ら身動きを取れなくして、何となさるおつもりか!?」
「幾つか理由はあるんだけども。ひとつはまぁ、私が捕らえられたと敵方に良い情報を伝えるためかな」
「わざと、事態がうまく進んでいると誤認させるためと?」
「さすがに話が早い。そう。ある程度上手く事が運ぶと、底の浅い人間は欲を露呈させるのでね。ちらついた餌が手の中に落ちてくる前に、手を伸ばそうとするものだ」
「……随分と自信のある様子ですが、相手が殿下の考えに気付かないとでも思っていらっしゃる?」
「そこまで自惚れてはいないよ。ただ、そこのところは、上手くいかなくなるように手を打ってある」
 言って、笑う。どういう手なのかは、言う気がなさそうである。肝腎なところは煙に巻く、とウルラは短くため息を吐いた。
「ツェルマーク様が自領の騒動に一枚噛んでいると知りながら、領地に帰ることを見過ごしたのも、その一環ですか?」
 問いかけてからふと、ある可能性に思いついて、ウルラは顎を指で押さえた。
「ツェルマーク様ご自身が聖眼の持ち主で、何者かに上手く使われているということは考えられませんか?」
「面白いけど、奇抜に過ぎるかな。でも、それはない。見ればわかる」
 予想通りに否定され、ウルラは短く苦笑した。確かに、そういった特殊能力を持ち合わせているようには見えない。もしかそうであったとしても、彼は隠したりせずに自画自賛と自惚れの土台としてむしろ世間に強調してくるだろう。
「それに、彼に黒幕になれるような度胸はないからね。現に、君も見ただろう。トロラードが自分と同じ側の人間であると、彼は知らなかった」
 団長室で見た、ツェルマークの驚きの表情を思い出して、ウルラは頷いた。ツェルマークが今日、王子を手に入れることなく大人しく領地に帰ったのは、トロラードも同じ側の者だと知ったからだろう。何か、説得されたのかもしれない。
「しかしそれなら尚更、殿下の敵である一派を分散させる必要はないのではありませんか?」
「判らないからだよ」
「え?」
「彼の意志をザッツヘルグのそれと見ていいのか、彼が暴走しているだけなのか、どうにも判断つきかねる。ザッツヘルグの動きはそれだけ奇妙だ。探っている様子はあるが、積極的に荷担した動きもない。」
 確かに、ツェルマークはここのところ出しゃばっている様子だが、彼得意のパフォーマンスと言ってしまえばそれまでである。
「ザッツヘルグにも家の事情があるだろう。彼をとことん追い詰めてしまったら、後者も前者に変わる怖れがある。逃がしたところで彼自身は全く脅威ではないからね。より安全な可能性を選んだだけだよ」
「殿下が捕らえられたという事実に彼らがどう動くか、様子を見る、と?」
「そう。そして私は待っている」
 何を、とは言わなかった。これもまた彼の口から語られることはないだろう。苦笑して、ウルラは思い出したように扉へと視線を走らせた。――相変わらず、扉の向こうで聞き耳を立てている気配がある。
 王子はそんなウルラを見て、口元を綻ばせた。
「さて、ここまで言ったんだ。君は、私に味方してくれるのかな?」
「私は誰の味方でもありません」
 おや、というように形の良い眉が上げられる。
「コートリア騎士団、そして守る砦のために動きます。はじめに申し上げたとおり」
「つれないね」
「殿下のお話はよく判りました。しかし、それが真実であるならば、私が動かずとも世の風は殿下を押しましょう。キナケス国民には、自らの判断で正しき道を選ぶ力があると、私はそう信じております」
 殊更はっきりと言い切り、ウルラは立ち上がった。
「最後にひとつだけ」
「ん?」
「今の王に反旗を翻す者が、より正しい意見を持っているとは考えないのですか?」
 これは微妙な質問だった。聞きようによっては、現政権に対する非難、或いは叛意と捉えることも出来る。
 だが王子は、僅かに微笑んで、緩く首を横に振った。
「内乱は、七年もあったんだ。その間、何人の者が我こそはと名のり上げ、死んでいった?」
「……」
「勝ち負けを今更云々言う気はないよ。時の運というのも大きいのだろう。それよりも、世を憂いて、或いは自欲に溺れてだとしても、自ら立ち上がった者には価値がある。意思と命を、何かのために賭したのだからね。だけど、その時に既に成人していて力もある癖に表に出ることもなく、今更になって騒ぎ立てる者に何の価値がある? 旗となる王子王女がいなかった? 言い訳だ。あの酷い状況の中、幾らでも王族を廃して自らが王に名乗り上げる機会はあった。己の正しさを掲げ、声を上げ、世界を回れば良かったんだ」
 王位など、その価値のある者に与えればいいと、言葉の下で語っている。
「私は陛下の治世が、完全に正しいなどとは思ってもいない。だが、私たちは自らの意志のもと、最前線で戦い続けてきた。多くの者が理不尽に死ぬ世の中を変えたいと。その意志が、七年の間、人の上に立てなかった、立つ勇気もなかった者の戯言、或いは今更、安定しだした情勢の中で暗躍し、簒奪を狙う者の掲げる理想に劣るとは思わない」
 静かな目が、痛いほどの深さを持って射貫く。
「だから私は、そのような者の前に屈するわけにはいかないんだよ」


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