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 彼は誰にでもそういう態度なのだという雰囲気が漂っていることもあり、マリク自身も彼のぞんざいな口調については全く気していなかった。アッシュの方も、例えば年下の騎士見習いからタメ口を聞かれたところで、何も思わない適当さがあるのだろう。意外なことに彼は恐れられる反面、隊の者には広く支持を受けている。公平で無理難題を押しつけることはなく、話せば案外融通も利くというのが定評で、若くして中隊長に就任したことに異論を唱える者はいなかった。
 だが、ひとつ疑問に思うことがあるとすれば、それは彼の入団経緯だろう。フェルハーンがシクス騎士団の団長就任の際に引き抜いてきたと言われているが、そこがいまいち、マリクには理解できないでいる。今でこそアッシュの戦闘能力は他騎士団にも知れ渡っているが、内乱中も終わった後も、彼は全く無名の騎士だった。否、騎士であったかどうかも怪しいところである。
 エルスランツ騎士団の名簿に、確かに彼の名前はあった。しかし、今から10年ほど前、先王が亡くなる前に彼は退団していたのだ。入団して一年も満たない内に名前は消え、代わりに内乱も終盤の時期の記録に、一般兵として小さく記載されていた。
 その経歴をさらりと読み通すならば、一旦退団したものの、思い立って戦に加わるようになり、それがフェルハーンの目に止まって引き上げられたというふうにも取れるだろう。だが、突如華々しく現れた割にアッシュの行動に目立ったものはなく、中隊長というある意味中途半端な地位のまま静かにフェルハーンの護衛についている。団長の護衛が、いざとなれば多くの部下を動かすことも出来る中隊長以上、という一般認識さえなければ、その地位さえなかったかもしれない。
 伝令という役割上、機密を持って様々な騎士団や領主館を訪れる機会がなければ、そんな疑問を抱くことはなかっただろう。しかし皮肉なことに、望む望まないに関わらずマリクはそれを知ってしまった。故に、他とは少し違った目でアッシュを見てしまうことに、彼は少し引け目を感じている。純粋に雰囲気が怖くて苦手ということもあるが、そういう意味でも、できることならばアッシュとはあまり関わりになりたくなかった。
 マリクの複雑な思いには当然気付くこともなく、アッシュは前を行く。やがて自分の馬を引き、馬上の人となった時点で初めて後ろを振り返った。
「あんたは真っ直ぐ王都へ戻るのか?」
 フェルハーンから別の指令を持たされているのか、と言外に問うている。同じく騎乗してから、マリクは緩く首を横に振った。
「団長からは特に。ただ、王都へ戻る前に寄ろうと思っている場所はありますが」
「私用か?」
 厳密に言えば私用には違いない。しかし一応上官に当たる人物に職務怠慢を疑われても困ると、マリクは詳しく説明をした。
「……で、その村に医療品の補給などできたかが、少し気になっているんです。ここからだと街道に戻らずに直進する形で、行きます。そうすると、街道を回るよりも時間が短縮できますので」
 以前フェルハーンの命を受けて馬を走らせていたとき、エンデ騎士団へ助けの手を求めてきた医師を思い浮かべながら、マリクは街道から外れた道を指さした。サライアと名乗った医師の住む村は王都とエンデ騎士団の砦との間にあり、現在彼らの居る場所から丁度ほぼ真っ直ぐ東に行ったところにある。
 経緯を聞いたアッシュは、表情をそのままに納得したように頷いて、ある意味マリクにとってはとんでもない提案を口にした。
「俺もその道を行く」
「え!?」
「……足手まといになる馬術ではないと思うが」
「いえ、その……」
 迷惑の意味が違うと思いつつ、マリクは口端を引き攣らせた。おそらくアッシュは、単に帰り道を省略したい為に同行を宣言したのだろう。だが彼と一刻も早く別れたかったマリクには、計算違いも甚だしい。
 何と言い訳を付けて彼から離れようか。そう頭をフル回転させて考えるうち、マリクははたと動きを止めた。
(いや、ある意味安全かも……)
 ハインセック王の治世が始まってまだ三年。都市部は安定してきたとは言え、あまり人のいない地域にはまだ兵隊崩れの盗賊などが縄張りを張っている。こればかりは長い内乱の後遺症、そう簡単に解決する問題ではない。身を落とした者達を元の生活に戻すには、一時的な取り締まりや処罰はむしろ悪循環、根本的に庶民が満足に生活できる基盤を安定させることが必要なのである。
 普段であれば馬の足に任せて振り切り逃げるところだが、あいにくと今連れているのはいつもの俊足を誇る愛馬ではない。一応は騎士団員、訓練もろくにしていないような賊に負ける気はないが、多勢に無勢という言葉がある。それを思えば、アッシュの戦闘力は頼りになりすぎる程に心強い。
 道中の気まずさと安全を秤にかけて、マリクは結局後者を選び取った。
「では、道中頼む」
 街からそう離れていないこの近辺で馬を疾走させるのは不審に思われると、ふたりは比較的ゆっくりと馬を走らせた。内陸部でもあるため非常に乾燥しており、あまり無理に走らせると気付かぬうちに体力を消耗しているという危険もある。
 マリクが情報を集めた街で水と食料を買い求め、馬にも適度な水を与えてからふたりは本格的に進む速度を上げた。
「王宮では、ティエンシャ公が賊を手引きして逃げたという説と、反対に無理矢理攫われたという説があるようです」
 苦もなく綺麗に横に並び行くアッシュに、マリクはユラン・ティエンシャの前では言えなかった情報を口にする。
「どちらにしても現在のティエンシャ公では領内の管理能力に疑問があると、領主交替の話も挙がっているようです。それに伴い、ワイルバーグ城砦の権利を正式にセーリカに移してはという話まで出ているそうです」
「領主不在ともなれば、発言権も弱くなるのは判っていたことだ。案外早かったという感はあるが」
「決定でないのは、他の問題の方が優先されているからですが……」
 はっきりとアッシュが顔をしかめたのを認め、マリクは困ったように頬を掻いた。
「ザッツヘルグでの暴挙の後、コートリアで捕まり、現在同砦の牢に、とのことです。既に査問官が派遣されることは決定で、王位継承権剥奪の上、王都で裁判にかけられる話も出ています。ザッツヘルグが随分と騒いでいるようで」
「ザッツヘルグ? ツェルマークが、ではなくか?」
「さぁ、そこまでは……。ただ、例によってエルスランツは反対、グリンセスとザッツヘルグは賛成、ローエルは静観、セーリカとティエンシャはそれどころではない、という感じです。ディアナ殿下が王宮に入ったことで王族として認められたと世間も捉えたようですし、こちらは近々、王位継承権が発生しそうです」
 グリンセス勢が飛び上がって喜びそうな情報である。即位には四領主の賛成が必要だが、王位継承権に関しては本来出生と同時に発生するもので、幼少時のディアナはもともと第七位の権利を持っていた。亡命と同時に王位継承権破棄扱いとなっていたのだ。継承権の再確保はできないのが原則だが、ディアナの場合、当時まだ十にもなっていない少女であったことが考慮されたのだろう。
「第一位のエレンハーツ殿下はご病弱故に即位できないというのが通説、目下一番王位に近い団長が処罰により王籍を抜かれた場合、実質第一位となる……」
 呟いて、マリクは眉間に皺を寄せた。国王には妻も子もいるが、領主の同意の下に行った婚姻ではないため、共に何の地位も与えられていない。エルスランツ領民の持つ悪い癖が出たのか、国王は妻を愛するが故に頑なに領主の勧める婚姻を断っており、このまま行けばディアナ女王の誕生も夢ではない未来が待っている。
 晴れ渡った空を見上げながら、マリクはため息を吐き出した。
 ディアナ自身の資質については判らないが、国王の暗殺、グリンセスという比較的弱い後ろ盾の女王が即位ということになれば、今度こそ立ち直れないほどに国が乱れるだろう。
「もー……、だから適当に、ザッツヘルグあたりの娘を妃にしておけば良かったんですよ」
 そうなっていれば、少なくともザッツヘルグとの関係は緩和していただろう。
「ご兄弟なのに、あそこまで違うなんて……」
「似たようなもんだろ」
 返事が返ってくるとは思っていなかったため、マリクは思わず、手綱を握る手に力を込めてしまった。途端、馬の足が鈍り、アッシュとの間に距離が開く。
「どういうことですか!?」
 体勢を立て直しつつ、馬の腹を蹴ってアッシュの横に並ぶ。やや面倒くさそうに、アッシュはマリクを一瞥した。
「言ったとおりだ」
「まさか! 愛妻家の陛下と、来る者拒まずの団長ですよ!?」
「伴侶を見つけた者と、まだ見つけていない者というだけだ。調子良く遊んでいるようだが、あれは全然本気じゃない。どうでもいいから後腐れなくやっているし執着もしない。それだけだ」
「……なんで、そう判るんです?」
「ああ見えて、気にかけたものにはとことん執着する癖があるからな。その執着が、愛情か興味か、……憧憬か後悔か、その違いがあるだけだ」
 どこか皮肉っぽく顔を歪め、アッシュはそのまま空を仰いだ。
「風が出てきたな。雨が来るかもしれん。下らん話をしている場合じゃなさそうだ」
「え……、あ、はい」
「止まれ。空気抵抗を分散させる魔法を使う」
 雨の少ない地方だが、一旦降り出すと歩くことも出来ない豪雨となる。実際に降るのは短時間だが、一度の降水量は侮れない。一気に増水した川から溢れた濁流に呑まれる危険もある。
 魔法式を唱える低い声を聞きながら、マリクはぼんやりとアッシュのことを考えた。
 エルスランツ出身のくせに、アッシュこそ誰よりもそれらしくないと思う。何にも関心を示さず、非番の時に何をしているかも定かではない。
(影で何をやっていても判らない――)
 そう思い至り、マリクははっとして体を震わせた。――アッシュは本当に、信用できる仲間なのだろうか。
 彼なら、全てのことが可能になる。魔物を呼び出すことも、内部からフェルハーンを陥れることも。魔物を操ることは出来ないが、不要になった時点で葬ることは彼の戦闘能力からすれば充分可能だろう。派手な動き以外は、遠隔地に協力者がいれば成し遂げられることばかりである。
 フェルハーンが好んでアッシュを近くに置くのも、信頼というより警戒してのことかも知れない。
 そこまで考えて、マリクは背筋に冷たいものを感じた。だが、と嗤いながら首を横に振る。――馬鹿馬鹿しい、根拠のない推測だ。
「どうした?」
 いつの間に魔法を使い終えたのか、アッシュは訝しげにマリクを見遣っていた。慌ててもう一度首を振り、マリクは誤魔化すように曖昧に笑う。問いかけるような目を敢えて視界から追い出し、彼は馬首を返した。
「すみません、なんでもありません」
 後ろに向けて声を放ち、返事を待たずに手綱を振る。
「行きましょう。本当に雨が来そうです」
 マリクの心を示したように、東の方から灰色の雲が急速に迫りつつあった。



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