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 *

 結局、一度の大雨と二度の盗賊に出くわしながらも、ふたりは三日目の昼には目的の村へと到着した。
 普段見ることのない類の人間を、村人は訝しげに目で追っている。ごく標準的な旅装をしていても、ふたりの纏う雰囲気は、明らかに片田舎の村人とは異なっていた。街道から外れた牧歌的な村、見る限り特産物も目立った産業もないようで、旅人そのものが珍しいということもあるだろう。
 村人から聞き出して訪れた村外れの小さな診療所で、マリクは無事に目的の人と再会することができた。
「まぁ、あのときの……!?」
 サライアも覚えていたようで、目を丸くしながらも嬉しそうに微笑んでふたりを迎い入れた。
「あれから、エンデ騎士団の方が援助下さいました」
「そうですか、それは良かった」
「マリク様のおかげですわ。……でも、このようなところにお越しになって、大丈夫なのですか?」
 鮮やかな緑の茶を卓に置き、サライアは気遣わしげにマリクを見る。
「シクス騎士団は、活動停止中と伺っていますが……」
「え!?」
「ご存じないのですか?」
 怪訝な表情で、サライアは首を傾げる。そんな情報は流れていなかったと、マリクは動揺と言い訳を含んだ視線をアッシュに向けた。
「その情報はいつ頃聞いた?」
 愛想の欠片もない調子に、サライアは今更ながらに緊張したようだった。
「いつって、一昨日のことですが……」
「そうか」
「って、アッシュさん、何落ち着いてるんですか」
「あんたこそ、何を焦る? 予想できたことだろう。むしろ、遅かったぐらいだ」
 不機嫌そうな一瞥を受けて、マリクはさっと顔を赤らめた。騎士団のトップの投獄だけでも充分であるというのに、更には王都の警備に関しての過失が加わっている。特に後者は、ティエンシャ公を助けるためにマリクたちが本来の仲間を陥れたことが原因であり、それを思えば、マリクに驚く権限はないと言えた。
「では今、王都の警備を行っているのはどの騎士団なのですか?」
「さぁ、詳しくは……。ただ、エンデ騎士団の方から王都へ応援に向かう伺いました。近隣の騎士団から集まっているとのことでしたが……」
 それは危険だ、とマリクは眉を顰めた。普段見知らぬ者が集まると、良からぬ輩が紛れ込む可能性が高くなる。ごく単純な発想なのに、何故陛下はそれを許可したのだろうか。ヒュブラの才能がどこまでのものかは知らないが、騎士団には独自の色がある。寄せ集めをまとめるのは、並大抵の努力と才覚では不可能だろう。
 このところ、王の行うことは支離滅裂だ。マエントとの外交も、事件の調査も、ティエンシャ公への措置も、――フェルハーンへの無茶な命令も。そこへ来て、目の荒いザルで水を掻き出すような、王都を守る気のない警備方針。
 何もかもが後手に回っていて、且つ、追い上げもしない。いや、しているのかも知れないが、それが全く成果を上げていない。ここ三年、内乱の傷痕から順調に国を復興の道へ進ませてきた王のすることとは思えなかった。
「マリク」
 びくり、とマリクは体を震わせる。
「決着のつけ方は、ひとつじゃない」
「どういうことですか」
「混ぜなければ、積もった泥は浮かばない」
 含みを持った言葉に、マリクは更に問いを重ねようと口を開く。
「それは……」
「先生!」
 突然、甲高い声が小さな塊と共に闖入してきた。古びた扉が盛大な悲鳴を上げる。目を見開いてその方を見たマリクは、ざんばらな髪の子供が床に蹲っているのを認めた。彼に数秒遅れて、アッシュも胡乱気な視線を向ける。
「イチカじゃない、どうしたの?」
 家の主は僅かに叱る調子で問いかけつつ、子供の前に歩み寄った。
「今はお客さんが来てるから、向こうに行ってなさいって言ったでしょ?」
「でも、でも、大変なの!?」
「大変って、どうしたの?」
「白い人が、目を開けたの! でも、すっごく暴れてるの!」
 驚きに硬直して、サライアはつなげる言葉を失ったようだった。そんな動揺には気付かずに、子供は焦れたように彼女の服の裾を強く引っ張り、家の外へと急かし促し歩く。
「私たちも行きましょう?」
 暴れているとの言葉に反応して、マリクは席を立つ。
「白い人とは……」
 言いかけたマリクを遮るように、大気を裂く悲鳴が響き渡った。一瞬、条件反射のように動きを止めたサライアに代わり、アッシュが、そして数瞬遅れてマリクが後に続く。
(速い……!)
 アッシュの反応速度、そして軽い身のこなしに驚嘆しつつ、マリクは引き離されていく背を凝視していた。人というよりも、獣の動きに近い。
 建物の陰を周り、耳にしていたざわめきの正体を目に捉えたとき、アッシュは既に剣を抜き払っていた。追うことすら難しいほどの鋭い剣先が、中天に上った陽を弾く。視界を白く染めた瞬間に散る火花、そして鼓膜を直撃する高い金属音。誰かもうひとり、剣を手に対峙している者が居る。
 遠巻きに作られた人垣を掻き分けて近づき、マリクは剣の柄に手をかけた。既に始まっている一対一の戦いに突っ込むような真似は避けたかったが、もしもの時は手を出さなくてはならない。
 アッシュが相手をしている者は、子供がそう呼んだのも頷ける、見事に白い髪を振り乱して剣を振るっている。身に着けた衣服はごく簡素なもの、おそらくは休むときや病人に着せるものだろう。
(素人じゃないな)
 基本は押さえられており、相応の訓練を受けた者とは判るが、動作そのものはひどく乱れている。時々姿勢を崩すのは、子供が言ったように目を開けた直後だからだろうか。衣服の下の体が、随分と細いのは見るに明らかだった。
 マリクは手を下ろし、短く息を吐く。そして、一瞬でも援護を、と考えた自分に向けて苦笑した。アッシュの剣撃は鋭いが、明らかに手加減をしていると見て取れたのだ。時に滅茶苦茶に振り回される剣を受け流し、周囲に害が及ばないように内へ下へと力を落とす。動き回ってはいるが、けして自分から攻撃しようとしないのは、男を止めるのに必要ないと判断したからだろう。サライアと子供の会話から、相手の男が保護対象であると見当付けたからかも知れない。
 白髪の男が肩で息を始めた頃、ようやくアッシュは口を開いた。マリクの耳には入ってこない小さな声は、おそらく魔法式なのだろう。アッシュの唇が止まると同時に、男の体はへたりと崩れ落ちた。
「何したんですか?」
「眠っただけだ」
 痩せた男を軽々と担ぎ上げ、アッシュは周囲を見回した。
「寝床はどこだ?」
 突然現れた見知らぬ男の問いに、周りを取り囲んでいた村人が一歩後退る。マリクは無言で天を仰いだ。言うなれば、駄目だこりゃ、といったところである。
 白髪の男が使っていた剣を拾い上げ、マリクは通訳のように改めて呼びかけた。
「旅の者です。サライアさんのお宅で騒ぎを聞いて駆けつけました。この方を休ませてあげたいのですが、部屋はどちらでしょうか?」
 小さなざわめきが満ち、その中のひとりが少し離れた家屋を指し示した。大回りしてきたのか、今まで気付かなかったが、その奥にはサライアの家の屋根が見え隠れしている。家の奥を進めば、そこと繋がっているのかも知れない。
 思ったところに丁度、サライアが姿を現した。
「マリク様! 大丈夫ですか!?」
「私は何も。それより、この方はどちらにお運びしましょうか」
「あ、こちらです。……その、済みません。お手を煩わせてしまいました」
 言って、ちらりとアッシュを、そしてぐったりとした白髪の病人を見遣る。アッシュの方は、面倒くさそうに、ちらりとサライアを見下ろした。
「成り行きだ」
 気にするな、くらい言えないのだろうか。ある意味正直だが、サライアはすっかり恐縮してしまっている。それでもアッシュが男を運ぼうとするのを止めないのは、彼以上の適任がいなかったからだろう。農作業があるのか、騒ぎが収まると、遠くにいたものから順に大人達は去ってしまっていた。心配そうに眺めてくるのは、働き手になりそうにない子供達ばかりである。
 日中に手を止めて、休む以外のことを気にかける暇はないのだろう。主要な都市以外が潤うほど、まだ国は立ち直ってはいない。
 どこか寂しそうに、マリクはすっと目を細めた。


 男の病床は、薬草の臭いが染みついた殺風景な一室だった。粗末なベッドと片足の取れた机、それに椅子、家具と言えばその程度で、後はベッドの下に古びた箱が置かれているのみである。元々は別の目的で使っていたと判る圧痕が、一部変色した木床から見て取れた。
 散々暴れた男は、今は静かに寝息を立てている。魔法が効いているのか、そもそも体力の限界だったのかは判らない。
「それでは、この男は、ひと月半ほど前に、村に現れたんですね?」
 普段人の通らない、岩場に近い村はずれで倒れているのを、偶然遊びに行った子供が発見した。生活に余裕があるとは言えない村だが、この近辺には旅の商人を狙った盗賊がたびたび出没することもあり、サライアを含め、皆そちらの被害者だと思って男を保護することにしたのだという。善意ではあるが、見捨てれば更に行商人の足が遠のくという畏れと打算もあったのだろう。
 身に着けていたのは襤褸のようになった服と刃こぼれの著しい剣ひとつ。他に身元を示す物はなかったが、これまでがそうであったように、いずれ迎えか尋ね人が来るだろうと、村人達は特に届けを出したりはしなかった。万が一誰もこなかったとしても、本人が目覚めれば解決することであるし、望むなら、回復した後も村に住まわせても良い。若者が減りつつある村では、いい働き手になるだろうと、むしろそちらを願っていた節もある。
 そのうち、生死を彷徨う重症だった男は、サライアの治療の甲斐もあり、順調に回復していった。サライアがマリクに援助を求めたのは、丁度その回復過程でのことである。
「でも、目だけは覚まさなかったんです。それが何故、今日いきなり……」
 首を傾げて、サライアは眠る男に目を遣った。マリクもまた、つられたように青白い顔を見つめやる。
「何か刺激になることがあったんでしょうか……?」
「馬の嘶き」
 壁に背をもたせかけていたアッシュが、呟くように短く言葉を吐き出した。疑問符を浮かべた顔が、揃って彼に向けられる。
「どういうことですか?」
「単なる偶然じゃなければ、俺たちのせいに決まってる」


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