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「しかし、物騒な出迎えですな。なんぞ、不逞の輩でもおりましたかな」
 皮肉と侮蔑を込めた視線。だがそれは、厚い面の皮によって遮られたようだった。
 顔を奇妙に歪めながら、グリンセス公はどこまでも恭しい調子で頭を下げる。慇懃無礼が擬人化したならばこういうふうになるだろうという、まさに不遜極まりない態度であった。
「まずは道中の無事を、そして何より、王位継承権第一位の獲得をお慶び申し上げます」
「……伯父上は、子供でもできる計算をも間違えるとみえる」
 目を眇め、ディアナは低い音を声に乗せた。
「或いは、起きたまま寝言が言える特技をお持ちか」
「ご冗談を、殿下。これは紛れもない事実です。突然のこと故、お心乱されるのも無理ございませんが……」
 薄く嗤い、グリンセス公は全てを見下すように顔を上げた。開いた鼻翼と引き攣った口元が、彼の心情を雄弁に語っている。そうして、殊更にゆっくりと上げられた腕、伸ばされた示指は、真っ直ぐにエレンハーツへと向けられた。
 一瞬にして途切れるざわめき。耳鳴りがするほど静かに、鼓動だけがいやに大きく響き渡る。アリアの位置からは僅かにしか見えないエレンハーツの顔。しかしそれは判りすぎるほどに蒼白だった。
 グリンセス公の背後に控えた兵が、一斉に槍をエレンハーツへと向ける。誰の指示なのかは、考えるまでもない。
「エレンハーツ殿下、――ティエンシャ公逃亡幇助の罪で御身を預からせていただきます」
「何を……!」
 悲鳴を上げたのは、エレンハーツではなかった。その横に控えていた年配の女官が、怒りも顕わにグリンセス公を示し返す。
「ご冗談も大概になさいませ! 言うに事欠いてティエンシャ公の手助けと……!? あの事件でお心を痛められたのは、他ならぬ殿下です。よくもまぁ、たいそれたでっち上げを……!」
「女官長どの、失礼ですが、証拠もなく申し上げているわけではございません」
「何ですって……?」
「殿下、失礼ながら貴方様は、ご自身の寝室に他へ通じる道が在ることをご存じであった。間違いございませんな?」
「それは……」
 震える声が、弱々しく肯定する。多くの目がエレンハーツへと集中し、彼女はますます身を小さくした。グリンセス公だけが、満足そうに嗤う。
「結構! そしてそれは、ティエンシャ公の軟禁された部屋の近くに通じていた。無論、巧妙に隠されていたことは、今まで誰の目にも止まらなかったことを思えば理解いただけましょうな」
「……」
「つまり、陛下とエレンハーツ殿下ご自身以外、その道の存在を誰も知らなかったということです。その道を何故、ティエンシャ公は通って逃げることが出来たのでしょうな……?」
 粘ついた目でエレンハーツをなめ回し、グリンセス公は歪んだ口元で笑声をあげた。
「優秀な護衛であるヒュブラを遠ざけておき、ご自身は被害者の振りをしてティエンシャ公を逃がす。簡単なことでございますな! この後は、フェルハーン殿下へ合流なさるおつもりですかな?」
「なっ……、なんて事を……!」
 エレンハーツの顔に朱が昇る。動揺ではなく怒り、または屈辱への反応だろう。
「聞けば、シクス騎士団の一部の者が、ティエンシャ公の逃亡に荷担していたとのこと。……ヨゼル・バグス副団長と言いましたかな。彼も今頃、王宮に呼び出されている頃でございましょうな」
「そのような者、私は知らないわ! ……何故私が、ディオネルを殺した者達に手を貸さなければならないというの……!」
「おや、本音が出ましたかな。これは然り」
 さも愉快だと言わんばかりに嗤うグリンセス公の姿は、如何にも奇怪だった。捻れた欲望が極限まで歪み、その反動で弾け飛ぶ、その直前の緊張状態であるように、アリアの目に映る。切れた欲望の残骸が、どのような形に落ちるのか、――無論、アリアには想像も付かない。ただ、何故急にグリンセス公は行動を起こしたのだろうかと、疑問だけが湧き起こる。
 ひとしきり嗤い、興奮状態が収まったのか、グリンセス公は口元を歪めたまま、ゆっくりとディアナの方へと向き直った。
「お聞きの通りです、ディアナ殿下」
「まぁ、聞くだけは聞いたがな」
「これが事件の全貌ですぞ。――どこぞの魔法使いを使い村を消滅させ、混乱に陥れた後、王位を狙うフェルハーン殿下に協力する振りをして全ての罪をなすりつける。ワイルバーグ城砦の権利をちらつかせ、ティエンシャ公でもそそのかして国際関係を緊張させ、陛下を退任に追い詰めるつもりでしょう。エレンハーツ殿下はもともと第一位の継承権をお持ちですから、他に権利を持つものがいないとなれば、誰も反対できるわけがない、まぁ、そう言った筋書きだったのでしょう」
「ほう」
「ところが、計画を実行に移そうとした時にあなたが! 王位継承権を持つディアナ殿下が帰国なさいました。病弱な王女と健康で聡明な王女、皆がどちらを選ぶかは目に見えております。そこで、恥知らずにも妹王女を護衛などにさせるよう仕向け、こっそりと亡き者にするためにこのような地へ誘ったのです」
「……」
「ご理解いただけましたかな。私たちは殿下の身をお守りするために、ここに参上いたしました」
「なるほどな」
 目を細めディアナは、はっきりと冷笑を浮かべた。
「伯父上は妄想がお得意のようだ。おまけに、いち領主の身でありながら、不敬という言葉も知らぬとみえる。聞かなかったことにして差し上げる故、とっとと引き払われるがよい」
「何だと……!」
「義姉上が王位を手に入れんと、周りをそそのかしたと? その為に何故、敢えて魔物を動かす必要がある? 何故、後ろ盾であるマエントを窮地に陥れる真似をなさる? 国を混乱させずとも、フェルハーン義兄上を亡き者にし、陛下を弑しなされば、王位など勝手に転がり込んでくるものを! 何故自ら、罪に手を染める必要がある? 全てを見通しなさる伯父上なれば、わたくしの愚かな疑問にもお答えいただけよう」
 たたみ掛けるように言い切り、ディアナは煩わしそうに髪をかき上げた。蜂蜜色の紗が翻り、陽光を弾く。艶でありながら妖はなく、どこまでも凛とした清冽な立ち姿は、威風さえ備えていた。
 強烈な存在感。フェルハーンが人の目に残る不思議な空気を持っているとすれば、ディアナは人の目を奪う圧倒的な力強さを纏っているのだろう。今もまた、全ての注目を集めつつ、揺るぎない。
 ディアナの指摘に、或いは威圧にはっきりと怯んだ様子を見せつつも、グリンセス公は後退りはしなかった。背後に控えた甲冑の集団が、彼に要らぬ勇気を与えたのだろう。
「……後悔、なさらぬよう」
 低く、呪詛にも似た言葉を吐き捨てる。
「者ども、反逆者を捕らえ、ディアナ殿下を保護申し上げよ! 殿下はお疲れ故に正常な判断が出来ぬと見る。丁重にお運び致せ」
「はっ」
 揃えたように低く了承の声を上げ、金属を擦り合わせながら、整えられた芝を踏みにじる。ディアナは、ただ苦笑したようだった。
 完全武装の兵に囲まれ、エレンハーツの従者から悲鳴が上がる。
「殿下っ!」
 主人と引き離された女官が悲痛な声を上げ、その度に槍が耳障りな音をたてる。構え方からして単なる威嚇と判るが、ほぼ丸腰に近いアリアたちには、それさえも退けることが出来ない。無論、アリアがその能力を使えば一瞬にして解決する問題ではあるが、彼女は自らそれを忌避し、禁じている。
(……人に使ってはいけない)
 例えそれがアリアの仕業だと気付かれなかったとしても、それだけはできない。汗に湿った手で拳を作り、アリアは何度も深呼吸を繰り返した。
「アリア……」
 気付いてか、レンが労るような目を向ける。
「ディアナ様は大丈夫として、エレンハーツ殿下をどうなさるのかな」
「……私たちを含め、殺しはしないと思う」
「何で判るの?」
「幸い、誰も抵抗してないから。反逆者を捕らえるっていう設定上、寛大な姿勢を取らないといけないから。殿下を粗末に扱い、私たちを殺した時点で、グリンセス公は悪役に成り下がる。たとえ証拠隠滅しても、私たちが不自然に消えたという事実だけは消えないから」
「殺されるとしたら、グリンセス公が目的を果たした後ってこと?」
「ディアナ様の後ろ盾として、強大な権勢を誇るようになったら、好き勝手するかもね」
「そんなの、ディアナ様が許すわけないじゃん」
 呆れたように、レンは呟いた。アリアも勿論それに異議はない。だが、――どこか、悪い胸騒ぎが記憶を刺激する。ディアナがけして、グリンセス公の思うように操られるような人物でないことは、公自身も充分に承知していることだ。
 何か、その問題を解決する手段を持っているとでもいうのだろうか。
 アリアは、グリンセス公に促され、屋敷の中に入っていくディアナの背中を目で追った。ディアナがその気になれば、ひとり逃げることくらいはわけもないだろう。それを敢えて実行に移さないのは、エレンハーツやその付き人という人質が足枷となっているからだ。
(ディアナ様は後だ)
 助けに向かう機会があるとすれば、まずエレンハーツを先に救出する必要がある。重要な人質がいる以上、アリアやその他の従者に向けられる監視の目は緩くなるだろう。狙い目があるとすればそこだ、とアリアは目を眇めた。
「お前達は向こうだ!」
 槍を振り回し、甲冑の兵が従者達を追い立てる。
「紛れよう」
 気付かれないように潜められたレンの囁きに、アリアもまたさりげなく頷いた。ディアナの侍女となれば、エレンハーツの次に注視されることとなる。グリンセス公がアリアたちの存在に気付かずにいてくれたなら、それに乗ってしまった方が得策だと、ふたりは判断したのだ。
 刃先を突きつけられながら、アリアは空を仰いで目を閉じる。澄みきった空に、さざ波のように揺れる木の葉、人の踏み荒らした芝だけが痛々しい。このような豊かな美しい自然を持ちながら、何故わざわざ混乱を招く者がいるのかと――けして遠くない日にフェルハーンに言った言葉を思い出す。
 悲壮な顔で歩く女達の嗚咽に、アリアはそっとため息を吐いた。


 収束した光の渦がアリアの手から離れ、ゆっくりと開いた傷口に落ちていった。その先で再び光の玉が弾けた途端、深く裂かれていた皮膚が寄り、肉芽が盛り始める。いつ見ても不思議な光景だと思いながら、アリアは背を伸ばした。
「ありがと、助かった」
 一息吐いたという様子で、レンが肩を揉む。つられたようにアリアも首を回し、凝り固まった体をほぐすように立ち上がった。せいぜい三メートル四方しかない室内は、ご丁寧に天井までが低い。両手を組んで上に伸ばすと、比較的背の低いアリアですら窮屈感を覚えてしまう。


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