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「義姉上、わたくしは離宮に少し用事があります故。少しでも具合良くなられましたら、このレンとタラントの砦へ向かって下さい。途中、わたくしが滞在しておりました屋敷がありますれば、そこでご休憩なさって下さい」
「え……」
 エレンハーツの顔が凍る。蒼褪めていた顔は更に色を失い、生気をなくす。その中で、血走った目だけが強く、ディアナを見つめ返した。
「わたくしは、中で行方知れずとなっている侍女を捜しに参ります」
「侍女って……、何を言ってるの、あなたは王族なのよ、それなのに、只の侍女を捜しに行くなんて……!」
「義姉上。わたくしにはわたくしの事情があります。ご心配下さいますな」
 確かに、一般常識からはかけ離れた行動だろう。話して、理解してもらえるとは思ってもいない。案の定、信じられないというように、エレンハーツは何度も頭を横に振った。
「駄目よ、あなたが危ないわ。ねぇ、それよりも、砦に行って、騎士に助けを求めた方が確実だわ。あなたもそう思うでしょう?」
 突然話を振られたレンは、面食らったように、しかし躊躇いつつもはっきりと頷いた。話を聞いている内に、どうもディアナは本当は安全圏にいたらしいという事に気付いたようである。レンの考えからしても、それは――、一介の侍女を捜しに危険地にやってくる王女などというのは、奇異なことのように思えた。
 レンの同意を得て、思い詰めた目がディアナを見遣る。
「魔物もいるのよ、危ないわ。ねぇ、ディアナ、お願い、一緒に行きましょう」
「義姉上――、しかし、」
「嫌、お願い、私を置いていかないで。お願い!」
 悲鳴に近い声。切羽詰まった音をたてるエレンハーツを説得するのは、ディアナにも不可能であるように思われた。取り乱し、錯乱する様はいっそ鬼気迫るものがある。こんな状態の女性を放っておくなど、普段のディアナであれば、思いも付かなかっただろう。
 だが、アリアのことがある。ディアナが単身、離宮へやって来たのは彼女の為だったのだ。それを置いて館、もしくはタラント騎士団へ向かうのは、本末転倒と言わざるを得ない。
「ディアナ、お願いよ、行きましょう?」
 悲痛な声に、レンが気遣わしげにディアナを見遣る。ふたつの間で板挟みになっていることに気付き、彼女もまた困惑しているのだろう。
 エレンハーツは、ディアナの服を握りしめ、震える声で懇願する。
「……なぜ貴方が、王族の者が、小汚い一介の侍女などを守らなければならないの? 逆でしょう? ねぇ、ディアナ、あなたも危険だわ。逃げましょう……!」
「小汚い……? 義姉上、もしや、アリアの行方をご存じで?」
 王宮で、エレンハーツはアリアに治癒魔法を受けた。そういう意味でなら確かに知っていてもおかしくはない。だが、今回の離宮への道行きに同行したことまでは知らないはず。まして、ディアナの側仕えはレンやアリアの他にも数人いるのだ。侍女と聞いて真っ先にアリアを思い浮かべるのは、エレンハーツがこの離宮で、そして印象に残る状況で、実際にアリアを見たからに他ならない。
 僅かに怯んだエレンハーツは、しかし、すぐに睨むような目でディアナを見返した。
「知ってるわ。その子と抜け道を行こうとしたわ。だけどそこで、背後から襲われて、――私は気付いたらここにいたのよ! あの子が倒れたのはなんとなく判ったけど、それだけよ、どうしようもなかったわ! 私だって、もう駄目だと思ったのだから」
「――アリアは、死んだと?」
「それは判らないわ。私の方が先に倒れたのだもの」
「その、抜け道とはどこにあるのです?」
「無理よ! あの辺りは魔物と獣がいっぱいだったわ、あなたが幾ら強くても、倒せないわ! それに、私は教えないわよ」
 つ、と、ディアナの額から汗が滑り落ちる。エレンハーツが、まこと、ディアナの身を案じて逃げるように促しているのか、はたまた自らを守る者を得ようと必死になっているのかは判らない。もしかしたら、エレンハーツ自身、判っていないのかもしれない。
 ひとつ言えることは、アリアを見つけ助け出せる可能性が思ったより遙かに低かったということだ。死んだとエレンハーツが言わない以上、生きている可能性もある。だが、隠し道で襲われたとも彼女は言った。彼女にそれを教える気がない以上、魔物の徘徊する中でディアナが自力で探し出すことは、極めてゼロに近い確率でしかないだろう。
 顔を顰め、悩む。苦渋の末にディアナが結論を出したのは、それから数分後だった。
「……判りました」
 目を固く閉じ、ため息を吐く。
「一度、タラントへ向かいましょう」
 途端、エレンハーツの顔に安堵が浮かび上がった。無邪気にさえ見えるそれは、罪に近い。
 レンが複雑な顔を向ける。アリアを見捨てたとは思っていないだろうが、どことなく責めるような視線に、ディアナはただ苦笑した。


 三人が、タラント騎士団の砦にたどり着くのは、それから丸三日後のこととなる。


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